きのう、ワインさんのブログでご紹介の「発達セミナー」に行きました。その帰途、素晴らしい“七夕飾り”を発見しました。
“短冊の願い”を読みませんか?
「発達セミナー」からの帰途、ある図書館で、素晴らしい“七夕飾り”を見つけました。図書館の2階に、笹の葉が据え付けられていて、そこへ、図書館へ来た子どもたちが“願い”を短冊に書いて、それを笹の葉に結わえ付けるのです。
多くの短冊が、結わえ付けられていました。短冊には、子どもたちの、いろいろな願いが、書かれていました。内容が面白く、「へぇ~、こんなことも思って居るんや」「家では書きにくいのかな?」っと思わせる願いもあって、飾り気なく、率直に、短冊に書かれていました。
本当言えば、それを全部写して発表したいところですが、そんな勝手なことをして、子どもたちの心を傷つけてはとも思いますし・・・。ほんちょっとだけ、紹介することを許してください。こんな趣旨のが、ありました。
みんなの笑顔がつづきますように。笑顔がなくなりませんように。
お父さん、お母さんが、部活のことを、あまり言いませんように。
思わず、「プッ!」と笑ったりしつつ、書いた子どもの思いがいじらしかったです。
図書館の方に聞いたら、七夕飾りは、7月7日中、とのことでした。
そこで、読者の皆さまに、お呼びかけします。
あなたのお住みの近くの図書館や公民館などに、七夕飾りがありましたら、“短冊”にどのような“願い”が書かれているか・・・、を、お読みになりませんか?
素顔の願いに、出会えるかも知れません。
※ 中田英寿さんご提唱に応じる私の“短冊の誓い”は、できるだけ自動車にのらないことと、エコを勉強し微力でも自分なりに貢献することです。
サミットが始まります。世界の“貧困”と地球環境問題が、真剣に話し合われ、エゴをやめて、エコがすすむことを願ってやみません。
※ きのう午後、東近江市であった「発達セミナー」に参加。会場は、満員で、暑さにうだりながら、講師先生の講演を聴きました。分厚いレジュメを頂いたので、暗がりの中のわずかな外からの明かりを頼りに書いたご講演のメモと資料を基に、さらに勉強をしていきたい、と思っています。“短冊の願い”を発見したのは、その帰途でした。
“短冊の願い”を読みませんか?
「発達セミナー」からの帰途、ある図書館で、素晴らしい“七夕飾り”を見つけました。図書館の2階に、笹の葉が据え付けられていて、そこへ、図書館へ来た子どもたちが“願い”を短冊に書いて、それを笹の葉に結わえ付けるのです。
多くの短冊が、結わえ付けられていました。短冊には、子どもたちの、いろいろな願いが、書かれていました。内容が面白く、「へぇ~、こんなことも思って居るんや」「家では書きにくいのかな?」っと思わせる願いもあって、飾り気なく、率直に、短冊に書かれていました。
本当言えば、それを全部写して発表したいところですが、そんな勝手なことをして、子どもたちの心を傷つけてはとも思いますし・・・。ほんちょっとだけ、紹介することを許してください。こんな趣旨のが、ありました。
みんなの笑顔がつづきますように。笑顔がなくなりませんように。
お父さん、お母さんが、部活のことを、あまり言いませんように。
思わず、「プッ!」と笑ったりしつつ、書いた子どもの思いがいじらしかったです。
図書館の方に聞いたら、七夕飾りは、7月7日中、とのことでした。
そこで、読者の皆さまに、お呼びかけします。
あなたのお住みの近くの図書館や公民館などに、七夕飾りがありましたら、“短冊”にどのような“願い”が書かれているか・・・、を、お読みになりませんか?
素顔の願いに、出会えるかも知れません。
※ 中田英寿さんご提唱に応じる私の“短冊の誓い”は、できるだけ自動車にのらないことと、エコを勉強し微力でも自分なりに貢献することです。
サミットが始まります。世界の“貧困”と地球環境問題が、真剣に話し合われ、エゴをやめて、エコがすすむことを願ってやみません。
※ きのう午後、東近江市であった「発達セミナー」に参加。会場は、満員で、暑さにうだりながら、講師先生の講演を聴きました。分厚いレジュメを頂いたので、暗がりの中のわずかな外からの明かりを頼りに書いたご講演のメモと資料を基に、さらに勉強をしていきたい、と思っています。“短冊の願い”を発見したのは、その帰途でした。
朝、小学生登校時でのエピソードです。この詩(もどき)の中の「私」は、別にあやしいオッチャンではないデスヨ! ・・・と、こうことわらなくてはならないところに、日本社会の今日的課題が・・・、スクールガードが活動しなければならない、悲しい現実があるのですよネ・・・。でもソンナノカンケ~ね~、ということで、少女と私の朝のひとコマです。
花・たからもの
窓際のトットちゃんみたいに
多分 自分の世界に浸っていて
その行動が やや突飛な
小一かな小二かなの女の子と
私 スクールガードしてるおじさんとの話
朝 小学校への登校時
私 トットちゃんみたいな少女に
野に咲いている 白い小さな花をあげました
「根っこからかよ~」と言いながら
花の好きな少女は
「ありがとう はい お返し」と言って
別の場所に 小さく咲いていた赤い花を摘んで
私に くれました
うれしかった
花さんには 迷惑だったかも 知れない けれど
私にとって ちいさな小さな赤い花は 宝物
写真は撮らないけれど
私の心に 永遠に 撮っておく
トットちゃんの心にも
どうか 白い花が 残りますように
できれば 永遠に
そして 私のような
あなたと全国のトットちゃんのことを 見守っている
世の多くの大人のことも
ついでにちょっこっと 覚えていて欲しい・・・永遠に
そしていつか ずっと後輩のトットちゃんを見守る
そういう大人になってくれたら グ~ッ!
【補足・蛇足】 いつの時代も、ちょっとした“道草”は楽しい。“道草”を楽しめる社会にしていきましょう。
花・たからもの
窓際のトットちゃんみたいに
多分 自分の世界に浸っていて
その行動が やや突飛な
小一かな小二かなの女の子と
私 スクールガードしてるおじさんとの話
朝 小学校への登校時
私 トットちゃんみたいな少女に
野に咲いている 白い小さな花をあげました
「根っこからかよ~」と言いながら
花の好きな少女は
「ありがとう はい お返し」と言って
別の場所に 小さく咲いていた赤い花を摘んで
私に くれました
うれしかった
花さんには 迷惑だったかも 知れない けれど
私にとって ちいさな小さな赤い花は 宝物
写真は撮らないけれど
私の心に 永遠に 撮っておく
トットちゃんの心にも
どうか 白い花が 残りますように
できれば 永遠に
そして 私のような
あなたと全国のトットちゃんのことを 見守っている
世の多くの大人のことも
ついでにちょっこっと 覚えていて欲しい・・・永遠に
そしていつか ずっと後輩のトットちゃんを見守る
そういう大人になってくれたら グ~ッ!
【補足・蛇足】 いつの時代も、ちょっとした“道草”は楽しい。“道草”を楽しめる社会にしていきましょう。
きょう、5月5日は「子どもの日」。この日に寄せて、「ドロシー・ロー・ノルト」というアメリカの家庭教育学者の作った「子ども」という詩をご紹介します。この詩は、スウェーデンの中学校の社会科の教科書「あなた自身の社会」(アーネ・リンドクウィスト,ヤン・ウェステル著,川上邦夫訳:新評論から出版:155頁)に収載されています。この詩の作者、ドロシー・ロー・ノルト(Dorothy Law Nolte)は、この教科書では、ノルトはホルトとなっています。
子ども
批判ばかりされた 子どもは
非難することを おぼえる
殴られて大きくなった 子どもは
力にたよることを おぼえる
笑いものにされた 子どもは
ものを言わずにいることを おぼえる
皮肉にさらされた 子どもは
鈍い良心の もちぬしとなる
しかし,
激励をうけた 子どもは
自信を おぼえる
寛容にであった 子どもは
忍耐を おぼえる
賞賛をうけた 子どもは
評価することを おぼえる
フェアプレーを経験した 子どもは
公正を おぼえる
友情を知る 子どもは
親切を おぼえる
安心を経験した 子どもは
信頼を おぼえる
可愛がられ 抱きしめられた 子どもは
世界中の愛情を 感じとることを おぼえる
※ そんなことは常識ヤと思われるかも知れませんが、人間の赤ちゃんは、容貌も声も仕草も、可愛く生まれ育ちます。赤ちゃんを見たら「可愛い!!」というのが、おきまりの第一声です。親や大人から、可愛がられることを前提条件として、生まれ育っていくよう、遺伝子で設計されているそうですね。親や大人から、可愛がられて、受け止めてもらって、初めて、生存を保障され、人間社会に入っていける・・・。人間の赤ちゃんは、生まれた直後は、例えば猿や馬のような“生活力”はありませんが、生まれてから獲得した後天的な力によって、数年もしないうちに、猿や馬よりも可能性を広げていきます。ですが、その大前提は、親や大人に可愛がられ受け止めて育てられることです。このブログのあちらこちらに私の思いは載せているのですが、4月13日、14日、21日~28日号の辺も見ていただければ有り難いです。
1951(昭和26)年のきょう、「児童憲章」が制定されました。この憲章については、次のアドレスをクリックしていただければ、と思います。
http://marutin.pekori.to/data/01.html
http://www.ccae-ru.com/index.html
子ども
批判ばかりされた 子どもは
非難することを おぼえる
殴られて大きくなった 子どもは
力にたよることを おぼえる
笑いものにされた 子どもは
ものを言わずにいることを おぼえる
皮肉にさらされた 子どもは
鈍い良心の もちぬしとなる
しかし,
激励をうけた 子どもは
自信を おぼえる
寛容にであった 子どもは
忍耐を おぼえる
賞賛をうけた 子どもは
評価することを おぼえる
フェアプレーを経験した 子どもは
公正を おぼえる
友情を知る 子どもは
親切を おぼえる
安心を経験した 子どもは
信頼を おぼえる
可愛がられ 抱きしめられた 子どもは
世界中の愛情を 感じとることを おぼえる
※ そんなことは常識ヤと思われるかも知れませんが、人間の赤ちゃんは、容貌も声も仕草も、可愛く生まれ育ちます。赤ちゃんを見たら「可愛い!!」というのが、おきまりの第一声です。親や大人から、可愛がられることを前提条件として、生まれ育っていくよう、遺伝子で設計されているそうですね。親や大人から、可愛がられて、受け止めてもらって、初めて、生存を保障され、人間社会に入っていける・・・。人間の赤ちゃんは、生まれた直後は、例えば猿や馬のような“生活力”はありませんが、生まれてから獲得した後天的な力によって、数年もしないうちに、猿や馬よりも可能性を広げていきます。ですが、その大前提は、親や大人に可愛がられ受け止めて育てられることです。このブログのあちらこちらに私の思いは載せているのですが、4月13日、14日、21日~28日号の辺も見ていただければ有り難いです。
1951(昭和26)年のきょう、「児童憲章」が制定されました。この憲章については、次のアドレスをクリックしていただければ、と思います。
http://marutin.pekori.to/data/01.html
http://www.ccae-ru.com/index.html
昨日、記事をUPしてから、後悔と自己嫌悪。お前は、人様に披露するほど、子育てに実績と実力があるのか!! 、と・・・。ですが、何かのお役に立てればと、思っている次第です。乗りかかった舟に乗った手前、昨日に言い足りなかったことを、若干、補足させていただきます。
ちょっとだけ背伸び
まず褒めて育てましょう
Q 昨日の記事で、《何やかや言って、最後まで、やらせ切る“成就感”が大切。》と書いてるけど、何をどの程度やったら、「やらせ切った」ことになるねん?
A 私が考えますのに、あまり高すぎる目標を掲げて、尻をたたいてやらせても、無理があります。その子の力をよく見て、その子がやや背伸びしたらできる程度のことに挑戦させて、それができたら、思いっきり褒めてはどうでしょう。
それに、よしんばできなくても、ちょっとの変化、ちょっとの向上に注目して、努力をしたとか頑張ったとか、むしろ褒める材料を探してでも、褒めてはどうでしょう。
褒めることは、その子なり、人への「先行投資」と考えております。十分褒めてから、「そやけど、こうしてやるのもイイのと違う!?」と、若干のアドバイスをするのもイイと思います。
相手の無力をなじるようなような言い方は、その子のやる気や伸びようとする芽をつむ危険性があります。いつか、この子は、やれる力をつけられる、今は、そのための「助走期間」「練習期間」と考えれば、失敗も中途半端も、将来への布石です。長い目で見て、温かく褒めて、ちょっとだけアカンところを指摘しても、基本は褒めることと感激感謝で・・・決してこの子の芽をつむ「専制君主」となりませぬよう・・・。重ね重ねの生意気、ご寛容のほどをお願い申し上げます。
※ 上の話とは無関係な話です。書くのよそうか、無視しようかと思ったのですが、あまりに壮大な血税が使われて行われたイベントが昨朝テレビ画面を占めていました。悲しい光景。この血税があれば、困っている人が少しでも救われるのに、と思いつつテレビを観ていました。そこで一句。
生活に 無縁茶番の 火の始末
ちょっとだけ背伸び
まず褒めて育てましょう
Q 昨日の記事で、《何やかや言って、最後まで、やらせ切る“成就感”が大切。》と書いてるけど、何をどの程度やったら、「やらせ切った」ことになるねん?
A 私が考えますのに、あまり高すぎる目標を掲げて、尻をたたいてやらせても、無理があります。その子の力をよく見て、その子がやや背伸びしたらできる程度のことに挑戦させて、それができたら、思いっきり褒めてはどうでしょう。
それに、よしんばできなくても、ちょっとの変化、ちょっとの向上に注目して、努力をしたとか頑張ったとか、むしろ褒める材料を探してでも、褒めてはどうでしょう。
褒めることは、その子なり、人への「先行投資」と考えております。十分褒めてから、「そやけど、こうしてやるのもイイのと違う!?」と、若干のアドバイスをするのもイイと思います。
相手の無力をなじるようなような言い方は、その子のやる気や伸びようとする芽をつむ危険性があります。いつか、この子は、やれる力をつけられる、今は、そのための「助走期間」「練習期間」と考えれば、失敗も中途半端も、将来への布石です。長い目で見て、温かく褒めて、ちょっとだけアカンところを指摘しても、基本は褒めることと感激感謝で・・・決してこの子の芽をつむ「専制君主」となりませぬよう・・・。重ね重ねの生意気、ご寛容のほどをお願い申し上げます。
※ 上の話とは無関係な話です。書くのよそうか、無視しようかと思ったのですが、あまりに壮大な血税が使われて行われたイベントが昨朝テレビ画面を占めていました。悲しい光景。この血税があれば、困っている人が少しでも救われるのに、と思いつつテレビを観ていました。そこで一句。
生活に 無縁茶番の 火の始末
昨日号とは、続いているような、いないような話です。
昨夕、娘婿が職場の一杯飲みとかで、それに、疲れているのだろう、娘と妻が口喧嘩をしたので、私が、夕方から夜にかけて、娘宅でお手伝い。話は、小2になったばかりのお兄ちゃん孫とのかけあいの一部を披露します。 ・・・ 《 》内は、私が得た教訓です。エラそうに、ご披露して、すみません。
孫に あの手 この手
① お兄ちゃんは、マンガに夢中。隣の部屋が電気点けっ放しだったので、「消してきて」と言ったら、無視決め込み、または、何やかや言ってイヤがる。そこで、私は環境問題の話をちょっとしたら、孫も学校で習っているらしくて、けっこう喰いついてきた。私も、調子に乗って“低炭素生活の重要性”をウンチク・・・。それからは、 「はい“環境問題”!」 と言って、指で示したら、電気を消しに行くようになった。「はい“環境問題”!」→→隣室の電気、「はい“環境問題”!」→→台所の電気と・・・。
→→《私の作戦・・・ダレだってゲームは楽しい。だから 「ゲーム化して、やや記号化して、働きかけましょう」 》
② やがて、話は、吉本のタレントさんのギャグ「グ~」の話、それから「そんなのカンケ~ねぇ!」の話になった。途端にいきなり、音楽を鳴らして踊り出した。1歳の弟孫も、きゃ~きゃ~言って踊り出す。朝青龍関に似た弟孫は、私にも踊れ、と手で示す。私も、そういうことには嫌いでないので、一緒に踊る。娘も、ややメタボ傾向の体躯をゆらしながら踊る。お兄ちゃんの「そんなのカンケ~ねぇ!」の声と踊りは絶好調!
→→《私の作戦と言うより本性で、自分自身も楽しみましょう! ギャグは、子どもとの“共通語”では、ないでしょうか?》
③ ひとしきり踊った時間が過ぎて、お兄ちゃんと入浴。学校の話、友だちのことあれこれ、「俺」と自称して話す。やや、生意気ぶっている。
→→《私の留意点・・・子どもの“自尊心”をくすぐりながらも“尊重”・・・》
④ 先に風呂から上がって、その後、風呂に娘と入った弟孫を待つ。やがて、タオルを頭から被った弟孫が登場。「はい、お兄ちゃん、弟の頭と体を拭いたって!」と私。「えっ、オレが?」とお兄ちゃん。そこで、お兄ちゃんに、
《兄の自覚を促す、“おだて”作戦敢行! それから、いつまでも「おばあちゃんもおじいちゃんも生きてへんのやから、お前もできるだけ親を助けなアカン」と言ったら、お兄ちゃんは「そんなこと考えたらスゴク怖いねん」と言う。 実感!!! そうだろうなぁ、私も小学生の頃、本当に、死んだらどうなるのやろう、と考えたら怖かった》 。
「頭は、タオルでこすったら痛いので、タオルの上から、手のひらでこすったって!」と私。 《私も、子どものころタオルでこすられるのがイヤだった》 。それから、おむつ、シャツ、ズボンを順に渡して、兄がするのを待つ。娘が風呂から上がってきて、自分でしようとするのを制して、お兄ちゃんにやらせ切る。気候が暖かくなってきたから、これができる。きゃーきゃーと逃げようとする弟孫のタイホ役は、私の役割。シャツのボタンを留めるお兄ちゃんと弟の目が合って、少し感動ドラマチックな瞬間もあった。
→→《何やかや言って、最後まで、やらせ切る“成就感”が大切。基本的には、私がラク(楽)したいのだけれど》。
総じて言えば、《私もラクしたい、楽しみたい、たまにするから“余裕”もできて、“楽しめる”のかも・・・。そして何よりも、“平和”なこの瞬間を愛おしく思える“幸せ”に感謝》。《それに、この作戦も、いつまで成功することやら・・・(泣! トホホっ!)》
昨夕、娘婿が職場の一杯飲みとかで、それに、疲れているのだろう、娘と妻が口喧嘩をしたので、私が、夕方から夜にかけて、娘宅でお手伝い。話は、小2になったばかりのお兄ちゃん孫とのかけあいの一部を披露します。 ・・・ 《 》内は、私が得た教訓です。エラそうに、ご披露して、すみません。
孫に あの手 この手
① お兄ちゃんは、マンガに夢中。隣の部屋が電気点けっ放しだったので、「消してきて」と言ったら、無視決め込み、または、何やかや言ってイヤがる。そこで、私は環境問題の話をちょっとしたら、孫も学校で習っているらしくて、けっこう喰いついてきた。私も、調子に乗って“低炭素生活の重要性”をウンチク・・・。それからは、 「はい“環境問題”!」 と言って、指で示したら、電気を消しに行くようになった。「はい“環境問題”!」→→隣室の電気、「はい“環境問題”!」→→台所の電気と・・・。
→→《私の作戦・・・ダレだってゲームは楽しい。だから 「ゲーム化して、やや記号化して、働きかけましょう」 》
② やがて、話は、吉本のタレントさんのギャグ「グ~」の話、それから「そんなのカンケ~ねぇ!」の話になった。途端にいきなり、音楽を鳴らして踊り出した。1歳の弟孫も、きゃ~きゃ~言って踊り出す。朝青龍関に似た弟孫は、私にも踊れ、と手で示す。私も、そういうことには嫌いでないので、一緒に踊る。娘も、ややメタボ傾向の体躯をゆらしながら踊る。お兄ちゃんの「そんなのカンケ~ねぇ!」の声と踊りは絶好調!
→→《私の作戦と言うより本性で、自分自身も楽しみましょう! ギャグは、子どもとの“共通語”では、ないでしょうか?》
③ ひとしきり踊った時間が過ぎて、お兄ちゃんと入浴。学校の話、友だちのことあれこれ、「俺」と自称して話す。やや、生意気ぶっている。
→→《私の留意点・・・子どもの“自尊心”をくすぐりながらも“尊重”・・・》
④ 先に風呂から上がって、その後、風呂に娘と入った弟孫を待つ。やがて、タオルを頭から被った弟孫が登場。「はい、お兄ちゃん、弟の頭と体を拭いたって!」と私。「えっ、オレが?」とお兄ちゃん。そこで、お兄ちゃんに、
《兄の自覚を促す、“おだて”作戦敢行! それから、いつまでも「おばあちゃんもおじいちゃんも生きてへんのやから、お前もできるだけ親を助けなアカン」と言ったら、お兄ちゃんは「そんなこと考えたらスゴク怖いねん」と言う。 実感!!! そうだろうなぁ、私も小学生の頃、本当に、死んだらどうなるのやろう、と考えたら怖かった》 。
「頭は、タオルでこすったら痛いので、タオルの上から、手のひらでこすったって!」と私。 《私も、子どものころタオルでこすられるのがイヤだった》 。それから、おむつ、シャツ、ズボンを順に渡して、兄がするのを待つ。娘が風呂から上がってきて、自分でしようとするのを制して、お兄ちゃんにやらせ切る。気候が暖かくなってきたから、これができる。きゃーきゃーと逃げようとする弟孫のタイホ役は、私の役割。シャツのボタンを留めるお兄ちゃんと弟の目が合って、少し感動ドラマチックな瞬間もあった。
→→《何やかや言って、最後まで、やらせ切る“成就感”が大切。基本的には、私がラク(楽)したいのだけれど》。
総じて言えば、《私もラクしたい、楽しみたい、たまにするから“余裕”もできて、“楽しめる”のかも・・・。そして何よりも、“平和”なこの瞬間を愛おしく思える“幸せ”に感謝》。《それに、この作戦も、いつまで成功することやら・・・(泣! トホホっ!)》


