全く、「世間様」と関係のない、私のブログへの思いを綴ってみました。あくまで、私の戯言でひとときの笑いをご提供したく、息抜きとして、苦笑混じりでお受け止め下さいますよう・・・。
私の指定席200番?
~~いつまで続くぬかるみぞ~~
ブログを始めて 4ヶ月余
手探りで ブログ界に 入り込み
写真を貼り付ける技術もなく
トラックバックがなんたるかも 分かっておらず
ただひたすら 文字を連ねて
絵文字を 滋賀咲くブログに お借りして
少しの愛想 少しの見やすさ目指す
だけど 今は 拓海くんの49日までは
せめてもの 絵文字の封印
文字を 大きく 分かりやすくを モットーに
詩や 俳句もどきで 目先変え
遺言 お節介といいながら 愚痴 脳の活性
気を使いながらの 控えめな(?)主張
アクセスの数に 励まされ
休もう 休むタイミングを窺いながら
ずるずると しまりのない話の羅列
ときに自己嫌悪
ときに出会う人に励まされ
いつまで続く ぬかるみぞ(?)
あわや ブログ中毒ブログ症候群の一歩手前(?)
いつもブログ記者の感覚で
世を見つめ
世のニュースに一喜一憂
そんな私の指定席
滋賀咲くブログの ランキング 200位前後
最高で 80何番まで
ランキングに感激し ランキングにややがっかり
だけど 今は やや居直って
200位圏内に 見え隠れ
それでいい それもありよと 慰めて
読者の寛容に 甘えてしまって
時代遅れの 愚痴 羅列
だけど 愚痴も大事
時代遅れも意味あることと
私の指定席 200番前後
それでも あるだけで 幸せと
世に言いたいことの かずかず 迷惑を顧みず
いつまで続く ぬかるみゾ
私の指定席200番?
~~いつまで続くぬかるみぞ~~
ブログを始めて 4ヶ月余
手探りで ブログ界に 入り込み
写真を貼り付ける技術もなく
トラックバックがなんたるかも 分かっておらず
ただひたすら 文字を連ねて
絵文字を 滋賀咲くブログに お借りして
少しの愛想 少しの見やすさ目指す
だけど 今は 拓海くんの49日までは
せめてもの 絵文字の封印
文字を 大きく 分かりやすくを モットーに
詩や 俳句もどきで 目先変え
遺言 お節介といいながら 愚痴 脳の活性
気を使いながらの 控えめな(?)主張
アクセスの数に 励まされ
休もう 休むタイミングを窺いながら
ずるずると しまりのない話の羅列
ときに自己嫌悪
ときに出会う人に励まされ
いつまで続く ぬかるみぞ(?)
あわや ブログ中毒ブログ症候群の一歩手前(?)
いつもブログ記者の感覚で
世を見つめ
世のニュースに一喜一憂
そんな私の指定席
滋賀咲くブログの ランキング 200位前後
最高で 80何番まで
ランキングに感激し ランキングにややがっかり
だけど 今は やや居直って
200位圏内に 見え隠れ
それでいい それもありよと 慰めて
読者の寛容に 甘えてしまって
時代遅れの 愚痴 羅列
だけど 愚痴も大事
時代遅れも意味あることと
私の指定席 200番前後
それでも あるだけで 幸せと
世に言いたいことの かずかず 迷惑を顧みず
いつまで続く ぬかるみゾ
ワ~ 三日坊主が一ヶ月坊主になった
ブログを始めたのが一月前
写真を貼り付けるテクも知らず
だから、文字ばかりの記事のオンパレード
生意気に「詩」なんか書いちゃったりして
キザ且つロマンチックな表現は
私の風体とミスマッチ
そんな適切且つ冷やかしに似た評論に
頭掻きつつ
それでもブログすることの幸せ
私の気ままを多くの人が覗いてくれる
有り難うございます
下の孫もちょうど1才と一ヶ月
なんと彼は
「新聞持ってきて」と横着なおじいの希望に
二足歩行で応えてくれた
居ない居ないバーもしてくれるし
その傍らで七才のお兄ちゃんがゲームをしている
お兄ちゃんも日々人生勉強
人生の苦悩の始まる頃
そんな日常の中でブログをしている今日このごろ
何かとお節介に羞恥心を一部捨て
孫たちが生きる未来の地球に思いを巡らし
今の社会にやや(?)文句を言い
日常の生活も
日替わりメニューで自転車操業のように
私のブログも自転車操業日替わりメニュー
自転車を繰りながら何とかつづけたい
そしていつか一年坊主になれるよう
多年坊主になれますよう(と思いつつ)、
(だけど休みも時々は・・・特に、後から挿入。
気張りすぎの弊を自覚、自信にもやや ?
軌道修正に柔軟な?
自分に優しいのも私の特徴? )
健康に気をつけて
皆さまに幸せをお運びできますよう請い願う
「夢想花放送局」
お節介おっさんのの自己満足
よろしくお願い申し上げます
2008(平成20)年1月12日
ブログを始めたのが一月前
写真を貼り付けるテクも知らず
だから、文字ばかりの記事のオンパレード
生意気に「詩」なんか書いちゃったりして
キザ且つロマンチックな表現は
私の風体とミスマッチ
そんな適切且つ冷やかしに似た評論に
頭掻きつつ
それでもブログすることの幸せ
私の気ままを多くの人が覗いてくれる
有り難うございます
下の孫もちょうど1才と一ヶ月
なんと彼は
「新聞持ってきて」と横着なおじいの希望に
二足歩行で応えてくれた
居ない居ないバーもしてくれるし
その傍らで七才のお兄ちゃんがゲームをしている
お兄ちゃんも日々人生勉強
人生の苦悩の始まる頃
そんな日常の中でブログをしている今日このごろ
何かとお節介に羞恥心を一部捨て
孫たちが生きる未来の地球に思いを巡らし
今の社会にやや(?)文句を言い
日常の生活も
日替わりメニューで自転車操業のように
私のブログも自転車操業日替わりメニュー
自転車を繰りながら何とかつづけたい
そしていつか一年坊主になれるよう
多年坊主になれますよう(と思いつつ)、
(だけど休みも時々は・・・特に、後から挿入。
気張りすぎの弊を自覚、自信にもやや ?
軌道修正に柔軟な?
自分に優しいのも私の特徴? )
健康に気をつけて
皆さまに幸せをお運びできますよう請い願う
「夢想花放送局」
お節介おっさんのの自己満足
よろしくお願い申し上げます
2008(平成20)年1月12日
新年にあたり、ブログをすることの弁
きょうは少し理屈と生意気を申し上げます。
退屈されるのを避けるため、ややおどけて、
文語体風に申し上げます。
私がブログをするは
一に 私の楽しみ、脳の活性化、名もなく貧しき一庶民である私の自己表現の場。新聞社や放送局のみならず、個人も発信手段を持てたことへの喜び。
二に、昔からの日本人の「お節介」の復権を目指して・・・今、日本では「お節介」は忌み嫌われる行為と承知し候えども、私の幼き頃は、お節介な大人がごまんといて、「井戸端会議」をいつもして人の悪口と子育てや家庭のあり方にお節介とも言える忠告をせり。迷惑と思いつつ、みんなが子どもに目をかけてくれて、それ故、良いも悪いも人々の中で成長させてもらったことへの見直しと感謝の表れ。それが今、過度の個人主義とプライバシー尊重の風潮の中で「お節介」が排され、さらに高度経済成長以後の豊かさも加わって「助け合い」の気風薄れ、、人々の間に「孤独」と「孤立」の弊に苦しむ人ありと、いと憂慮せり。それ故、私は今、「新井戸端会議」と「お節介の復権」を提唱せり。このブログが、一おじぃの「お節介」の一助となれば、と念ずる次第なり。
三に、次代を担う若者や子どもたちへの思い強く、定年退職後も、何かをしたい、しかも何かを伝えたい、との思い強く、定年後に始めしピアノと並んでブログを、ひとつの手段と考えおり。「温故知新」は世の習い、「過去を知って、現在と未来に活かす」は古来からの人類の知恵。戦後を目撃した一個人が、さまざま思いを残したい。
また、これから向かう「高齢化社会」を支えるは、ある程度のお金は必要なれど、何よりも大切は、人の「優しさ」と心得おり。「優しさ」を実現するには一定の力(経済力)も必要・・・若者や子どもたちが社会の中で取り残されることなく、高齢者も自立への努力を重ねつつ、中年・青年・子どもに思いを寄せる、そういう「優しさ」を持っていきたい。
四に、地球環境問題も、子どもたちや孫たちに、それ以後の世代のまだ見ぬ人たちに、地球環境をどう引き継いでいくか、非常に重い課題なれど、微力者ゆえにできることを求めて行きたい。
五に、健康も、人生のお楽しみも、その他諸々に属することも、徒然なるままに夢想していきたい。
欲深のようなれど、それだけお前できるのか、お前それだけ人格者かと指摘されようとも、自分自身の矛盾弱点欠点を自覚しつつ、続けられてこそ、少しは花咲き実がなろうもの。できるだけ迷惑にならぬよう、「偏狭」で頑固な考えに固執するのではなく大仰に言えば、世界につながる「普遍」を目指して、アンテナを高く心を柔らくし、勉強を重ねる所存。しかし、なにぶん、たった一人で運営する「夢想花放送局」につき、十分配慮しながら放送する所存なれど、大放送局のように組織的に検討できず、従って、まま不十分な表現があるやにも、ご寛容にお受け止め頂きますよう、長く続けられることを切望、できれば残された命果つる日まで続けるは願望と、。ひたすら、読者の皆様のご寛容におすがりする次第なり。
他、さまざまあれど、長き駄弁は嫌悪のもとと、以後、折に触れ載せさせて頂く所存、これにて今回はお開きにつき、隅から隅までずずずぃーと、ご愛顧賜りますよう、御願い奉る。古文の文法、中途半端に心得、お目苦しきところ、さらに生意気な言葉数々、ご容赦賜りますよう、併せて御願い奉る。
きょうは少し理屈と生意気を申し上げます。
退屈されるのを避けるため、ややおどけて、
文語体風に申し上げます。
私がブログをするは
一に 私の楽しみ、脳の活性化、名もなく貧しき一庶民である私の自己表現の場。新聞社や放送局のみならず、個人も発信手段を持てたことへの喜び。
二に、昔からの日本人の「お節介」の復権を目指して・・・今、日本では「お節介」は忌み嫌われる行為と承知し候えども、私の幼き頃は、お節介な大人がごまんといて、「井戸端会議」をいつもして人の悪口と子育てや家庭のあり方にお節介とも言える忠告をせり。迷惑と思いつつ、みんなが子どもに目をかけてくれて、それ故、良いも悪いも人々の中で成長させてもらったことへの見直しと感謝の表れ。それが今、過度の個人主義とプライバシー尊重の風潮の中で「お節介」が排され、さらに高度経済成長以後の豊かさも加わって「助け合い」の気風薄れ、、人々の間に「孤独」と「孤立」の弊に苦しむ人ありと、いと憂慮せり。それ故、私は今、「新井戸端会議」と「お節介の復権」を提唱せり。このブログが、一おじぃの「お節介」の一助となれば、と念ずる次第なり。
三に、次代を担う若者や子どもたちへの思い強く、定年退職後も、何かをしたい、しかも何かを伝えたい、との思い強く、定年後に始めしピアノと並んでブログを、ひとつの手段と考えおり。「温故知新」は世の習い、「過去を知って、現在と未来に活かす」は古来からの人類の知恵。戦後を目撃した一個人が、さまざま思いを残したい。
また、これから向かう「高齢化社会」を支えるは、ある程度のお金は必要なれど、何よりも大切は、人の「優しさ」と心得おり。「優しさ」を実現するには一定の力(経済力)も必要・・・若者や子どもたちが社会の中で取り残されることなく、高齢者も自立への努力を重ねつつ、中年・青年・子どもに思いを寄せる、そういう「優しさ」を持っていきたい。
四に、地球環境問題も、子どもたちや孫たちに、それ以後の世代のまだ見ぬ人たちに、地球環境をどう引き継いでいくか、非常に重い課題なれど、微力者ゆえにできることを求めて行きたい。
五に、健康も、人生のお楽しみも、その他諸々に属することも、徒然なるままに夢想していきたい。
欲深のようなれど、それだけお前できるのか、お前それだけ人格者かと指摘されようとも、自分自身の矛盾弱点欠点を自覚しつつ、続けられてこそ、少しは花咲き実がなろうもの。できるだけ迷惑にならぬよう、「偏狭」で頑固な考えに固執するのではなく大仰に言えば、世界につながる「普遍」を目指して、アンテナを高く心を柔らくし、勉強を重ねる所存。しかし、なにぶん、たった一人で運営する「夢想花放送局」につき、十分配慮しながら放送する所存なれど、大放送局のように組織的に検討できず、従って、まま不十分な表現があるやにも、ご寛容にお受け止め頂きますよう、長く続けられることを切望、できれば残された命果つる日まで続けるは願望と、。ひたすら、読者の皆様のご寛容におすがりする次第なり。
他、さまざまあれど、長き駄弁は嫌悪のもとと、以後、折に触れ載せさせて頂く所存、これにて今回はお開きにつき、隅から隅までずずずぃーと、ご愛顧賜りますよう、御願い奉る。古文の文法、中途半端に心得、お目苦しきところ、さらに生意気な言葉数々、ご容赦賜りますよう、併せて御願い奉る。

