拓海くんは、大好きな「おかあさん」の詩を書きました。昨日は、その限りなく好きで信頼していたお母さんの手によって、人生を断たれた西山拓海くんの49日でした。忌明けして、今まで、私なりに封印していた、滋賀咲くブログさん提供の絵文字を、解禁しようと思ったのですけれど、再び、絵文字を使って何事もなくブログを創っていけば、拓海くんのことが“風化”してしまうのではないか、また、子どもの命が絶たれる悲しいニュースが報じられる現実は依然としてあります。だから、これからは、逆に、拓海くんの命日の4月1日に因んで、「1」のつく日に絵文字を使用して、私なりの拓海くんに代表される非業の死に追いやられた子どもたちへの思いや、社会への願いを表現しようと、考えるに至りました。特別な意味に、滋賀咲くブログさん提供の絵文字を使うようで申し訳なく思っておりますが、49日が過ぎて、すべて何事もなかったようには・・・と、思い切れないのです。どうかご理解とご容赦をお願い申し上げます。拓海くん作文を、どうか紹介させてください。


   ぼくはガーデニング王子     
                                      (要旨)

 ぼくは、今、畑の世話にむちゅうです。ぼくの畑からは、命がぴゅこんと毎日生まれます。くわとスコップで一生けん命作った畑は、ぼくの自まんです。

 お休みの日、家の人に、「ぼく、自分の畑を作りたい。」と言いました。お母さんとおばあちゃんは、びっくりして、「本当にできるの。育てられるか。」と聞いてきました。ぼくは、もう心を決めていました。そして、おばあちゃんの畑のとなりをゆずってもらいました。学校よりも広い広い土地でした。

 日曜日、おばあちゃんと朝市に行きました。なえを売っている所で、ぼくの足が動かなくなりました。ぼくの畑にうえたいなえがいっぱいありました。この日から、ぼくのおこづかいは、全部、なえにかわりました。

 トマト、いちご、なすび、ささぎ、さつまいも、すいか、メロン。花は、ひまわり、ほうせん花、レモンバーム、ミント、カモミール、ラムズイヤー、バジル。木は、ポニーテール。全部、ぼくの畑で元気です。

 学校でこの畑のことを発表したら、「拓海くんってガーデニング王子だね。」と言ってくれました。

 そう、ぼくは、ガーデニング王子です。作物が実るのを楽しみに、ミミズいっぱいの畑の世話をするガーデニング王子です。


 

※ 上の記事は、投稿し直しましたので、ご了承ください。このブログの4月3日号と4月6日号も、もう一度、お読みくださいますよう・・・。  

Posted by 夢想花 at 00:02Comments(0)TrackBack(0)拓海くん
  別に、本の宣伝をすることは本意ではありませんが、あの時、拓海くんのお母さんがどういう心情だったか分かりませんが、私が娘に買い与えた本「男の子の育て方」(別冊PHP2008年3月増刊号・PHP研究所発行、定価税込み460円)の中に、石原加受子<かずこ>さん(心理カウンセラー、オールイズワン代表)の、 「ストレスを溜めこまない予防策」 という文があります。その一節を、ご参考までに、お送りします。



  「我慢」をどう考える? 


 私がいつも言うのは我慢しないということです。 「自分は我慢している」という思いは、相手を責めたり批判する気持ちを起こさせます。我慢が飽和状態に達してしまうと、「感情を爆発させる」というやり方で主張してしまいがちです。 そうなれば、さらに、後味の悪い思いを引きずってしまうでしょう。(以下、略)

本当は、全文を記したいのですが、著作権の点からもそうはいきませんので、本のご紹介に留めておきます。ストレスとのつきあい方・考え方等、多くの方が抱えている悩みにアドバイスを頂いているので、ご紹介させて頂きます。

  

Posted by 夢想花 at 09:04Comments(0)TrackBack(0)拓海くん

2008年04月06日

命の輝きを

    どうか 命の輝きを

 筆が突然に止まってしまいました。拓海くんの悲劇と詩に、このブログでいつものように冗談交じりの文を書く気も起こらず、数日を経てしまいました。しかしそれ以後も、悲劇は次々と起こっています。そうした中で私は考えました。私にできることは何か・・・やはり私は、以前にも言いましたが、「命の輝き」につながるメッセージを発信していこう。だから表面的には、冗談交じりの文もあるかも知れないけれど、拓海くんに象徴される多くの夢破られし人たちの思いを、いろいろな機会に、様々な表現で伝えていこうと、考えるに至りました。無数の「命の輝き」が持ち寄られて世を明るくすれば、少しでも、悲劇は少なくなるのではないか・・・そんな思いを込めて、このブログもいつまで続くか分からないけれど、書いていきます。


     命奪われし者の声

   命奪われし者の声
  命奪われし者の悲鳴
  命奪われし者の叫び
  命奪われし者の抗議

  憤怒
  絶望
  恐怖
  暗澹

  言葉なく
  言葉発せず
  言葉の無力に怯え
  言葉の意味を失っていく

  人は 今 命 奪われし者の 
    無念の思いに 気づいているか
    封印された口惜しさに 気づいているか 

  人生を奪われ
  人生をねじ曲げられ
  未来を断ち切られ
  過去や現在の織りなす綾が捨てられる

  永遠の未来と
  連綿たる過去と
  遙か広がりを持つ現在が
              断ち切られる


  今 世界で 日本で 身の回りで
  命奪われし
  命絶たれし
  命軽んぜられた 人の怨嗟が満ちている

  立ち止まって 目を凝らそう
  立ち止まって 耳を傾けよう
  立ち止まって 考えよう
    そして
  立ち止まって 声を出し
  声をかけ 声寄せ合って
    人の 怨嗟を 語り継ごう

  当たり前の笑いと 
  当たり前の喜びと
  当たり前の感情の行き違いと
  当たり前の前の悲しみを断ち切られた
  人の哀しみに 
       気づいているか 気づこうとしているか


  

Posted by 夢想花 at 18:15Comments(0)TrackBack(0)拓海くん

2008年04月03日

おかあさん

  おかあさん
  

おかあさんは
どこでもふわふわ

ほっぺは ぷにょぷにょ
ふくらはぎは ぽよぽよ
ふとももは ぽよん
うでは もちもち
おなかは 小人さんが
トランポリンをしたら
とおくへとんでいくくらい
はずんでいる

おかあさんは
とってもやわらかい
ぼくがさわったら
あたたかい 気もちいい
ベッドになってくれる



※ これは、青森県八戸市の小学4年、西山拓海くん(9歳) が、2年生の時の詩です。拓海くんのこの詩は、昨年10月、仙台の詩人、土井晩翠を記念した小中学生対象の第48回「晩翠わかば賞」で佳作を受賞していました。その拓海くんが、詩で限りない慕情と信頼を寄せ表現していた、そのお母さんによって、絞殺されるという事件が1日に起こりました。将来は「電気屋さんになりたい」と話していたという拓海くんの夢は、最愛の母によって無残にも破られたことになります。この報を聞いて、この詩を読んで、私は言葉を失いました。この子の思いを、どう受け止めたらよいのか・・・容疑者となったお母さんを責めることは容易です。ですが、この子の思いを、私たち大人は、どう受け止めたらよいのか、辛く切ない思いが始まります。

  

Posted by 夢想花 at 07:40Comments(0)TrackBack(0)拓海くん
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