
いや、それはならぬと「冬」吠えよ!
この冬、私の住む湖東の町でも、初めてといってよいほど本格的な雪が降ってほっとした。ほっとした、などと言うと、豪雪に悩まれる地方の人には叱られそうだが、寒い、不自由だと文句を言いながらも、24日昼過ぎから25日にかけての雪を見てほっとした。と同時にまた、雪の量が少ないと文句を言っている。とは、私の心の中のやりとり。やりとりをもう少し続けると、私の子ども時代には、とてもこんな寒さは「序の口」。京都市での経験だが、本当に寒かった。その上、戦後の混乱期で、食べるものもなく、空腹を抱えつつ、寒さを耐えていた。部屋に、今のように暖房はなく、火鉢のわずかな炭火にしがみついて、時を過ごした。家の表に、つららができているのは当たり前、手に霜焼けをつくり、耳たぶも血で腫れた。
今は寒いと言っても、まだゆるい(ごめん、京都と湖東の経験では)。地球温暖化の影響は、もろに感じる。だから、雪を見てほっとするような心情になった次第。だが、やはり、一方では、春の暖を待つような心情も一方にある、「どうせいちゅうねん」というような矛盾も抱えた勝手人間の私。
ここで、また、話を地球温暖化に戻すと、私の世代は、寒さの今昔の変化が分かるけれど、今の子どもたちは昔ほどの寒さを経験することなく、温かい暖房にくるまれて子ども時代を恵まれたかのように過ごしてはいるが、やがていきなり、地球の“SOS”に遭遇する。琵琶湖の冬の“深呼吸”がなければ、琵琶湖の汚れが加速して、子や孫たちや子々孫々に至るまで、迷惑をかけることになると、冬の寒さに期待しつつ、一方では春を待つような、と様々に思い至った冬の日の2日。ここで、例によって下手な句を何句か。春よ来い いや それはならぬ と 冬吠えよ!
身を縮め 幼き日々に 還す冬
満月の 明かりが 包む 冬の街
満月に 照れて映えてる 雪化粧
2008(平成20)年1月26日

