多くの方が、訪問してくださって有り難うございます。本日は、下手な俳句だけで、失礼します。
酒酌み語る
在りし日に 兄座りしこたつに 足温む
逝く兄と 酒酌み語る 冬一夜
通夜の席で・・・
笑む遺影 瞳の先に 夜着の孫
酒酌み語る
在りし日に 兄座りしこたつに 足温む
逝く兄と 酒酌み語る 冬一夜
通夜の席で・・・
笑む遺影 瞳の先に 夜着の孫
おひさま
おほしさま義兄が、今朝2時2分に亡くなりました。
今朝、妻が2階からドタドタと降りてきて、携帯で言ってきたと、報せました。
(電話では、午前3時ということだったのですが、実際は午前2時2分でした)
そのあと、昨夜、小1の孫から託された私へのプレゼントを、妻から渡されたました。「クイズ」の書かれた折り紙3通でした。折り紙の裏に「クイズ」が書かれていました。1通を紹介します。
クイズ
「ふゆはにこにこ なつはかっかっおこってます こたえ/ おひさま」
と、書いてありました。妻に言わせると、私が読んだらダメで、妻が読むことになっていたそうでした。孫には、私が見て読んだことは黙っていようと、口裏を合わせました。
ブログを休む日もあるかも知れませんが、すみません。
2008(平成20)年1月29日
「才能とは、逃げ出さないこと」について、少しうんちくを・・・。「省エネ」を言いながら、真夜中にそーぅと、このブログ発表します。高齢者の夜は長い。けど早く寝て、「省エネ」 に努めます。
「逃げ出さないこと」の
難しさについて(その1)
ドラマ「フルスイング」で言われたこの言葉・・・ドラマだから、ある側面を強調して表現している面がると思うけど、
現実の私たちについて考えてみると、逃げ出さずに生きていくことは、すごく難しい。たとえば、いじめの渦中にいる子どもやDVに苦しむ人や人権侵害の被害者にとっては、とりあえずは、まずは逃げ出し避難することの方が正解、「逃げ出す権利もあるなんてことは事実が証明している。現実に、被害を受けている人にとっては、まわりの人を説得するなんてことは、手負いの傷を受けて、たった一人で周りの無理解に立ち向かえなんてことは、非現実的なことだ。
諺にも「三十六計逃げるに如かず」とか「君子危うきに近寄らず」というのがある。刑法という法律にも、その第37条で「緊急避難」という規定がある。一定の条件では、逃げ出す権利を認める方が、日本国憲法第13条による「幸福追求権」の要請にかなうという考え方だ。ここで、刑法第37条と日本国憲法第13条周辺の個人の人権に関する規定を紹介すると、
【刑法】
第37条〔緊急避難〕 自己又は他人の生命、身体、自由又は財産に対する現在の危難を避けるため、やむを得ずにした行為は、これによって生じた害が避けようとした害の程度を超えなかった場合に限り、罰しない。ただし、その程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。
2 前項の規定は、業務上特別の義務がある者には、適用しない。
【日本国憲法】
第11条〔基本的人権〕 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
第12条〔自由及び権利の保持義務と公共福祉性〕 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
第13条〔個人の尊重と公共の福祉〕 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
第14条〔平等原則、貴族制度の否認及び栄典の限界〕 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
2 華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
3 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。
です。今まで言いたかったことは、「逃げ出す」ことはかっこわるいこと・否定すべきことであって、「逃げ出さない」と言えばなにかかっこよいこと・肯定すべきことのように思われがちだが、決してそうではなく、上辺のかっこよさに振り回されることなく、人間の幸福追求のためには「逃げ出す権利」も留保して、行動の選択肢の中に「逃げ出すこと」もあり、それでもなお、逃げ出さないで対峙しようと決めたことには、そう簡単に引き下がらないぞ、ということだろうと思うのです。まわりくどい理屈でスミマセン。。。。。。「理屈こき」!!の私メの面目躍如でございます。
勇ましいかっこよいことだけが称揚されるのでなく、愚痴も言え、弱みも見せられる、そういうことに寛容な集団であって、初めてすべての人が生き生きできるのではないかと言いたかったのです。書きながら、もう一つ、うまく表現できません。以下、さらに次回以後につづけます。
ここで、現実の生活に話を引き戻すと、特に、高齢になった私の実感から言うと、ストレスの高まる集団に居続けることは、相当な体の無理が来て、免疫力が低下し、病気の原因になってくる。現役の時なら、生活のためとか、職場における評価を気にしてとか、果ては出世を意識してとか、相当無理をしてきたけど、退職して、それらにおワンクッション置けるようになって、自分の残された人生と天秤にかけながら、毎日、熟考している。だから、一層、私は君主ではないけれど、「君子危うきに近寄らず」とか「三十六計逃げて」身の安泰を計ることがある。だけど、逃げてばかり居たら、社会との接点がなくなり、ボケの始まりになってくる。過剰なストレスも困るけど、適当なストレスもないと、脳が働かない。
日本社会では、集団ヒステリ-みたいな状況にすぐなるし、そこに浸かる方が生きやすい場面は結構ある。だけど、これはけっこう危険で、国も個人も過ちを犯しやすい要因になってくる。そこで個人の幸福を追求することが、集団ヒステリーの過ちを防ぐ理念として登場してくる、あまり、話が長いと読んでもらえないので、、次回に、ご迷惑でしょうが、小さい字のことから、とか「逃げ出してばかり居られないこと」等、話があちこちに飛ぶけれど、本人は問題提起のつもりの文をつづけます。
「逃げ出さないこと」の
難しさについて(その1)
ドラマ「フルスイング」で言われたこの言葉・・・ドラマだから、ある側面を強調して表現している面がると思うけど、
現実の私たちについて考えてみると、逃げ出さずに生きていくことは、すごく難しい。たとえば、いじめの渦中にいる子どもやDVに苦しむ人や人権侵害の被害者にとっては、とりあえずは、まずは逃げ出し避難することの方が正解、「逃げ出す権利もあるなんてことは事実が証明している。現実に、被害を受けている人にとっては、まわりの人を説得するなんてことは、手負いの傷を受けて、たった一人で周りの無理解に立ち向かえなんてことは、非現実的なことだ。
諺にも「三十六計逃げるに如かず」とか「君子危うきに近寄らず」というのがある。刑法という法律にも、その第37条で「緊急避難」という規定がある。一定の条件では、逃げ出す権利を認める方が、日本国憲法第13条による「幸福追求権」の要請にかなうという考え方だ。ここで、刑法第37条と日本国憲法第13条周辺の個人の人権に関する規定を紹介すると、【刑法】
第37条〔緊急避難〕 自己又は他人の生命、身体、自由又は財産に対する現在の危難を避けるため、やむを得ずにした行為は、これによって生じた害が避けようとした害の程度を超えなかった場合に限り、罰しない。ただし、その程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。
2 前項の規定は、業務上特別の義務がある者には、適用しない。
【日本国憲法】
第11条〔基本的人権〕 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
第12条〔自由及び権利の保持義務と公共福祉性〕 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
第13条〔個人の尊重と公共の福祉〕 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
第14条〔平等原則、貴族制度の否認及び栄典の限界〕 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
2 華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
3 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。
です。今まで言いたかったことは、「逃げ出す」ことはかっこわるいこと・否定すべきことであって、「逃げ出さない」と言えばなにかかっこよいこと・肯定すべきことのように思われがちだが、決してそうではなく、上辺のかっこよさに振り回されることなく、人間の幸福追求のためには「逃げ出す権利」も留保して、行動の選択肢の中に「逃げ出すこと」もあり、それでもなお、逃げ出さないで対峙しようと決めたことには、そう簡単に引き下がらないぞ、ということだろうと思うのです。まわりくどい理屈でスミマセン。。。。。。「理屈こき」!!の私メの面目躍如でございます。
勇ましいかっこよいことだけが称揚されるのでなく、愚痴も言え、弱みも見せられる、そういうことに寛容な集団であって、初めてすべての人が生き生きできるのではないかと言いたかったのです。書きながら、もう一つ、うまく表現できません。以下、さらに次回以後につづけます。
ここで、現実の生活に話を引き戻すと、特に、高齢になった私の実感から言うと、ストレスの高まる集団に居続けることは、相当な体の無理が来て、免疫力が低下し、病気の原因になってくる。現役の時なら、生活のためとか、職場における評価を気にしてとか、果ては出世を意識してとか、相当無理をしてきたけど、退職して、それらにおワンクッション置けるようになって、自分の残された人生と天秤にかけながら、毎日、熟考している。だから、一層、私は君主ではないけれど、「君子危うきに近寄らず」とか「三十六計逃げて」身の安泰を計ることがある。だけど、逃げてばかり居たら、社会との接点がなくなり、ボケの始まりになってくる。過剰なストレスも困るけど、適当なストレスもないと、脳が働かない。
日本社会では、集団ヒステリ-みたいな状況にすぐなるし、そこに浸かる方が生きやすい場面は結構ある。だけど、これはけっこう危険で、国も個人も過ちを犯しやすい要因になってくる。そこで個人の幸福を追求することが、集団ヒステリーの過ちを防ぐ理念として登場してくる、あまり、話が長いと読んでもらえないので、、次回に、ご迷惑でしょうが、小さい字のことから、とか「逃げ出してばかり居られないこと」等、話があちこちに飛ぶけれど、本人は問題提起のつもりの文をつづけます。 前日につづき、「地球温暖化」についてお送りします。
地球温暖化
・・・私たちに、まず、できること
地球温暖化の原因となる物質は、空気中の二酸化炭素、メタンガス、フロンガスなどですが、子や孫たちによき地球をバトンタッチするために、私たちは具体的にはどうすればよいか、既にご承知と存じますが、ご参考になればと、東京都資料から、お送りします。
★ 二酸化炭素排出のめやす

私たちの生活のちょっとした心がけで、二酸化炭素排出量を削減できます。




シャワーの使用を1日3分短くする→→256日使用で15.3㎏削減
テレビを見る時間を1日60分短くする→→1年使用で3.5㎏削減
積極的に電車を利用→→(乗用車使用比較で)100㎞走行につき4.2㎏削減
積極的にバスを利用→→(乗用車使用比較で)100㎞走行につき3.3㎏削減
私も、大いに反省して、実行しなくちゃ・・・。ここで願いを込めて2句。
空の蒼 雪の白 命 ハーモニー
命乗せ 行く地球号 とこしえに
※
「省エネ」のため、真夜中にあかりを点けてパソコンに向き合うのはヤメようと思ったけど、先ほど見たNHK総合テレビの土曜劇場「フルスイング」の感動をどうお伝えしようかと迷っています。「フルスイング」についてのこの文は、26日ドラマ終了直後に書いています。発表時刻は、27日の●●時ですが・・・。
ドラマの主人公の高林先生の言葉
「才能とは、逃げ出さないこと」
に、我が人生を顧みて、思わず「ウーン」と唸ってしまいました。。。。。うーん、ウーン。。。。。難しい。。逃げなきゃ身が持たん場合もあるし、これぞと思ったことにはきっちりと対峙しなkればならんし、その見極めも難しい
。。
。
2008(平成20)年1月27日
地球温暖化
・・・私たちに、まず、できること
地球温暖化の原因となる物質は、空気中の二酸化炭素、メタンガス、フロンガスなどですが、子や孫たちによき地球をバトンタッチするために、私たちは具体的にはどうすればよいか、既にご承知と存じますが、ご参考になればと、東京都資料から、お送りします。
★ 二酸化炭素排出のめやす

私たちの生活のちょっとした心がけで、二酸化炭素排出量を削減できます。




シャワーの使用を1日3分短くする→→256日使用で15.3㎏削減
テレビを見る時間を1日60分短くする→→1年使用で3.5㎏削減
積極的に電車を利用→→(乗用車使用比較で)100㎞走行につき4.2㎏削減
積極的にバスを利用→→(乗用車使用比較で)100㎞走行につき3.3㎏削減
私も、大いに反省して、実行しなくちゃ・・・。ここで願いを込めて2句。空の蒼 雪の白 命 ハーモニー
命乗せ 行く地球号 とこしえに
※
「省エネ」のため、真夜中にあかりを点けてパソコンに向き合うのはヤメようと思ったけど、先ほど見たNHK総合テレビの土曜劇場「フルスイング」の感動をどうお伝えしようかと迷っています。「フルスイング」についてのこの文は、26日ドラマ終了直後に書いています。発表時刻は、27日の●●時ですが・・・。ドラマの主人公の高林先生の言葉
「才能とは、逃げ出さないこと」
に、我が人生を顧みて、思わず「ウーン」と唸ってしまいました。。。。。うーん、ウーン。。。。。難しい。。逃げなきゃ身が持たん場合もあるし、これぞと思ったことにはきっちりと対峙しなkればならんし、その見極めも難しい
。。
。 2008(平成20)年1月27日

いや、それはならぬと「冬」吠えよ!
この冬、私の住む湖東の町でも、初めてといってよいほど本格的な雪が降ってほっとした。ほっとした、などと言うと、豪雪に悩まれる地方の人には叱られそうだが、寒い、不自由だと文句を言いながらも、24日昼過ぎから25日にかけての雪を見てほっとした。と同時にまた、雪の量が少ないと文句を言っている。とは、私の心の中のやりとり。やりとりをもう少し続けると、私の子ども時代には、とてもこんな寒さは「序の口」。京都市での経験だが、本当に寒かった。その上、戦後の混乱期で、食べるものもなく、空腹を抱えつつ、寒さを耐えていた。部屋に、今のように暖房はなく、火鉢のわずかな炭火にしがみついて、時を過ごした。家の表に、つららができているのは当たり前、手に霜焼けをつくり、耳たぶも血で腫れた。
今は寒いと言っても、まだゆるい(ごめん、京都と湖東の経験では)。地球温暖化の影響は、もろに感じる。だから、雪を見てほっとするような心情になった次第。だが、やはり、一方では、春の暖を待つような心情も一方にある、「どうせいちゅうねん」というような矛盾も抱えた勝手人間の私。
ここで、また、話を地球温暖化に戻すと、私の世代は、寒さの今昔の変化が分かるけれど、今の子どもたちは昔ほどの寒さを経験することなく、温かい暖房にくるまれて子ども時代を恵まれたかのように過ごしてはいるが、やがていきなり、地球の“SOS”に遭遇する。琵琶湖の冬の“深呼吸”がなければ、琵琶湖の汚れが加速して、子や孫たちや子々孫々に至るまで、迷惑をかけることになると、冬の寒さに期待しつつ、一方では春を待つような、と様々に思い至った冬の日の2日。ここで、例によって下手な句を何句か。春よ来い いや それはならぬ と 冬吠えよ!
身を縮め 幼き日々に 還す冬
満月の 明かりが 包む 冬の街
満月に 照れて映えてる 雪化粧
2008(平成20)年1月26日
AED(自動体外式除細動器)って、ご存知ですか?


あなたの学校や職場にありますか?テレビを見ていたら、運動中やクラブ活動中の大人や子どもたちの突然の「心停止」に対して、AED(自動体外式除細動器)を用いた除細動が非常に有効で、これを使った救命措置で「命」の助かった高校野球の選手のことと、救命処置の仕方と機器の普及に努めているボランティアの方のことも出ていました。私は、勉強不足で、あまりこの機器に認識がないのですが、一刻も早くお知らせしたほうがよいと判断しましたので、このブログでも取り上げさせて頂きました。私の勉強不足を補うために、ヤフーで検索したことの一部をご参考までに載せますので、どうかあなたも検索等して頂いて、関心を深めて頂いたらうれしいです。次の2つは、いずれも文字による説明の部分だけです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
【日本赤十字社の記事】
一次救命処置の手順
心肺蘇生法
AED(自動体外式除細動器)を用いた除細動
気道異物除去
国内で非常に多い心臓突然死、その中で特に多いのが心室細動(心臓の痙攣)によるもので、発生した場合は早期の除細動(痙攣を止めること)が救命の鍵となります。
AEDは、電源を入れ、音声メッセージに従って操作し、コンピュータ作動によって自動的に心電図を判読して、必要な場合のみ、電気ショックによる除細動を指示する簡単で確実に操作できる機器です。
1.電源を入れる
2.電極パッドを傷病者の胸部に貼る(ケーブルを本体に接続する)
3.AEDが自動的に傷病者の心電図を解析する
4.AEDから除細動の指示が出たら、除細動ボタンを押す
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
【セコムの記事】
AED (自動体外式除細動器) レンタル年中無休のサポートでご提供
www.secom.co.jp
日本における病院外での心停止の発生件数は、年間2万~3万件と推測されます (*1) 。
この数字は、交通事故による死者数(*2)の3~4倍にのぼります。
店舗や施設などで、お客さまや来場者が突然倒れてしまったとき、救急車が到着するまでの数分間、生死を左右するのは早期の救命措置です。セコムでは、心停止の救命措置に必要なAED(自動体外式除細動器)機器一式をパッケージにして、レンタルでご提供するサービスをご用意しています(機器のご購入も可能です)。
心臓突然死の主な原因に、心筋の動きがバラバラになり、心臓のポンプ機能が失われる心室細動があります。心室細動発生から1分ごとに救命率が7~10%下がるといわれ、いかに早く救命処置をするかが生死を分けることになります。強い電気ショックを与えて心筋のけいれんを除去する電気的除細動は、最も効果的な方法だといわれています。この電気的除細動を自動的に行うのがAEDです。
日本ではこれまで、AEDを使用できるのは医師や救急救命士に限られていましたが、2004年7月から、救命のためであれば一般市民も使えるようになりました。AEDの操作は驚くほど簡単です。音声ガイダンスに従って、電極を傷病者の胸部へ張付け、解析結果に基づいて適報ボタンを押すだけですみ、操作に高度な専門知識を全く必要としません。
小児も胸に強い衝撃を受けたときなどに心室細動を発症することが知られており、応急対応の新しいガイドラインにおいて、小児に対するAEDの使用が勧告されました。CR PlusとLP500のどちらの機器でも、出力エネルギーを適切に減衰する小児用電極(別売り)を用いることで、1歳以上 8歳未満 または体重25kg未満への小児に使用することができます。
2008(平成20)年1月25日
高校入試 「国語」のリスニング導入と「にらめっこ」遊び
最近のニュースに、高校入試で、英語は既に実施されていますが、国語にも「リスニング」を導入する府県が増えたという報道がありました。実施する背景に、
人の話を十分聞くことができない生徒が増えた
そうです。教師の指示を聞き逃して、教師が何度も言い直さなければなならい、という現実が増えた、らしいのです。
幼い頃から、テレビいっぱい環境で育てられ、ゲームに明け暮れて、自動販売機でモノを買ったり、人との向き合った会話の体験が少ないということが増えたらしいのです。確かに、私の子ども時代(昭和20年代)は、テレビも今時のゲームも自動販売機もなかったし、何をするにしても、人と話さなければ生活できませんでした。今は、人と話さなくても、なんとなしに一日が過ぎてゆく、ということが、子どもだけでなく、大人もそうですよね。私も退職後、しばらくは、テレビ相手に家族以外の誰とも話さない日がつづきました。こんなことしていたら、ボケてしまうと、一念発起して、何やかやし出したのも、人とのつきあいが恋しいからでした。ま、それはともかく・・・。
人と話さなくてもなんとなく一日が過ぎて、それが当たり前になってくると、人の顔を見て対話する能力の弱い子が育つのは、十分、あり得ることと考えられます。そこで、またわらべうたや昔からの遊びの世界を紹介するのですが、人と人が向き合わざるを得ない遊びである「にらめっこ」はどうでしょう? ということで、きょうは「にらめっこ」遊びを紹介します。
一つ目は、私が小さい頃に遊んでいた、

。。。だーるまさん、だーるまさん、にらめっこしましょう。笑う(わろう)たら駄目よ、うんとこどっこいしょ。。。
と言って、対面する二人が目を開いてみて、笑ったり、ひるんだりすると“負け”という遊びです。
二つ目にご紹介するのは、遠野の「にらめっこ」です。
。。。だれーとだーるまと うーさぎときーつね わーらったらげーんこ あっぷー 。。。
と言って、にらめっこします。勝敗の決し方は、一つ目の「にらめっこ」と同じです。遠野には、にらめっこの上級編として「一兵衛さん」遊びもあるようですが、これから私もさらに勉強しいきたいと思っています。
みなさんも、どれかの「にらめっこ」遊びを、お子さんやお孫さんとされて、少しでも人と向き合う機会を増やされてはどうでしょうか? ということで、再び、浅学未熟を顧みず、お節介を承知しつつお送りしました。
2008(平成20)年1月24日
小さなことにも満足、そして前進
2時間ほど前、NHK総合テレビで「プロフェッショナル・仕事の流儀・・・イチロー・トークスペシャル」を見た。イチロー選手だというので、スタンバイ万全で、目を皿のようにして、耳をダンボにして、45分テレビに集中した。45分では、とても彼はつかみ得ないから結論ではなく、結論めいたこと・・・34歳の青年、彼は今まで本当に誠実に自分を見つめ努力してきたのだろう。そして今、あまりに彼は超絶していて、私のような「凡人」ではつかみ得ない境地にいるということが、ぼんやりだが分かった。
ただ、私でも教訓にできること
・・・その一は、自分で自分を教育することの大切さ、その二はあることをし遂げたら「大いに満足すること」であった。満足を思いっきりしたら、次のステップが見えてくる、ということだった。
・・・ここから、私流に解釈すると(たとえ、的外れ的解釈であったとしても)、傍から見たら、どんな小さなことでも、自分がやり遂げたことには、遠慮なく大いに満足することが大切だということ・・・だった。
今までの人生、反省・・・これから、小さなことに満足できる自分を積み重ねていこう、それが「前進」になるのだろう・・・ということを教えてくれた、貴重な番組であり、イチロー選手だった。有り難う、テレビ局、そしてイチロー選手。
2008(平成20)年1月23日
昨日につづき、お送りします。「やんやのいん」は、遠野に伝わる「じゃんけんぽん あいこでしょう」のことです。
やんやのいん
石松 たいまつ はさみで 三本
大指 小指
ちょいと出して かーみ
やんやのいん
いーのうぃん
石松 ・・・拳を固める (じゃんけんの 「グー」の状態)
松明 ・・・人差し指だけを伸ばす
はさみで ・・・親指と人差し指を伸ばして「はさみ」をつくる。因みに、人差し指と中指でつくる「はさみ」は西洋鋏とか。
三本 ・・・親指と人差し指と中指を伸ばす
大指 ・・・親指だけを伸ばす
小指 ・・・親指と小指だけを伸ばす
ちょいと出して・・・胸元に手を置く
かーみ ・・・手のひらを広げて (じゃんけんの「パー」の状態で) 頭の横に持ってくる
やんやのいん ・・・相手と同時に 相手の前に グー・チョキ・パー のどれかを出す (じゃんけんぽんの「ぽん」の時の状態)
<勝ち負けが決まらなかったら>
いーのうぃん ・・・(じゃんけんの「あいこでしょ」の状態)、グー・チョキ・パー のどれかを出す。勝負が決まらなかったら、また「いーのうぃん」を言って、勝負する。

またぞろ“お節介の虫”が起きてきて、私が感動したことのお裾分けをしてしまいました。多分いつもと違う「じゃんけん」の仕方で、やっていると結構おもしろく盛り上がってきます。お子さまと、されては、どうでしょうか? そのついでに、岩手県遠野のことを話したら「地理」の勉強になりますし、遠野をはじめとして日本各地で、世界各地で、私たちの住む町でも、それぞれに大事な文化があるということをさまざまに話すきっかけにもなります<ちょっと欲張り過ぎかな?!>。詳しく、図入りは、 阿部ヤエさん著「“わらべうた”で子育て・応用編」(福音館書店 刊) に載っています。本の宣伝は、本意ではありませんが、私の感動のお裾分けをぜひともしたく、浅学を顧みず、紹介せさせて頂きました。ご参考になればうれしいです。
なお、さらに遠野の文化の伝承を知りになりたい方は、インターネットで「とおの昔話村」を検索していただければ出てきます。
2008(平成20)年1月22日
やんやのいん
石松 たいまつ はさみで 三本
大指 小指
ちょいと出して かーみ
やんやのいん
いーのうぃん
石松 ・・・拳を固める (じゃんけんの 「グー」の状態)
松明 ・・・人差し指だけを伸ばす
はさみで ・・・親指と人差し指を伸ばして「はさみ」をつくる。因みに、人差し指と中指でつくる「はさみ」は西洋鋏とか。
三本 ・・・親指と人差し指と中指を伸ばす
大指 ・・・親指だけを伸ばす
小指 ・・・親指と小指だけを伸ばす
ちょいと出して・・・胸元に手を置く
かーみ ・・・手のひらを広げて (じゃんけんの「パー」の状態で) 頭の横に持ってくる
やんやのいん ・・・相手と同時に 相手の前に グー・チョキ・パー のどれかを出す (じゃんけんぽんの「ぽん」の時の状態)
<勝ち負けが決まらなかったら>
いーのうぃん ・・・(じゃんけんの「あいこでしょ」の状態)、グー・チョキ・パー のどれかを出す。勝負が決まらなかったら、また「いーのうぃん」を言って、勝負する。


またぞろ“お節介の虫”が起きてきて、私が感動したことのお裾分けをしてしまいました。多分いつもと違う「じゃんけん」の仕方で、やっていると結構おもしろく盛り上がってきます。お子さまと、されては、どうでしょうか? そのついでに、岩手県遠野のことを話したら「地理」の勉強になりますし、遠野をはじめとして日本各地で、世界各地で、私たちの住む町でも、それぞれに大事な文化があるということをさまざまに話すきっかけにもなります<ちょっと欲張り過ぎかな?!>。詳しく、図入りは、 阿部ヤエさん著「“わらべうた”で子育て・応用編」(福音館書店 刊) に載っています。本の宣伝は、本意ではありませんが、私の感動のお裾分けをぜひともしたく、浅学を顧みず、紹介せさせて頂きました。ご参考になればうれしいです。
なお、さらに遠野の文化の伝承を知りになりたい方は、インターネットで「とおの昔話村」を検索していただければ出てきます。
2008(平成20)年1月22日




わらべうた面白い楽しい知恵がいっぱい
昨日午前(今から半日前)、「人を育てる“わらべうた”の学習会」に参加した。講師は、「滋賀わらべの会」の平林智子先生。先生の講義を受けるのは2度目。面白くて、具体的で、人情味があって楽しい。先生は、岩手県遠野に伝えられている「わらべうた」と遊び、それに込められている「子育ての知恵」、そして昔話の語り部として活躍されている阿部ヤエさんのことを話された。お手玉遊びも、私は全身を使って汗だくになって練習し、2つ玉までは何とかコツを掴めそうになってきた。3つ玉を、両手で放り上げては受け止めるテクニック習得まではまだまだ。だが結構、よい運動になるし、頭のボケ防止に大いに役立ちそう。いつかきっと3つ玉もできるようになるだろう。それまでは、ひたすら練習々々。次回までには、できるようになっておこう。
《講義の後、私なりの受講録》例により私風方言混じりで・・・
豊かさと知恵を運んでく


どんなに世の中が変わっても
よいこと悪いこと
人間らしく生きること
うれしいこと悲しいこと
人間の感じる気持ちは変わらんと
目の前の 生きた人に伝え、伝えられる
目を合わせ、喜びも悲しみも、
ありがとうもイヤという感情も
表現でき伝えられる
赤ちゃんに子どもたちに
人としてのあたりまえの感情を、
体を使って表現できる
それを大人がしてあげる そのためにわらべうた
わらべうたには 子育ての知恵がいーっぱい
今、日本は毎日が“お祭り”みたいなとき
そんな中で 本当の豊かさが
失われていはいないだべ?
わらべうたには 子育ての知恵が
いっぱい詰まってる
親から子へ じじばばから孫へ
豊かさが伝えられ 知恵が運ばれて
やがて 子や孫が また子や孫たちに
伝えてく 運んでく わらべうた
※ さらに勉強を重ねて、私が習熟できたことを、お伝えしていきたいと考えています。
今ごろ何やと娘や息子が怒るかも知れません。ですが現役時代、とてもそこまで気が回らなくて、余裕もなくて、今、孫を見て、今更ながら、「わらべうた」に目がいっています。ごめんね、娘と息子殿。今、パソコンを打っている傍らで、妻が、一心不乱に、お手玉を作っている。一心不乱で、いつものように口やかましくなくて、もっと有り難うね。ここで一句。
一心に お手玉縫う妻 冬温む
《それでは、習いたての「わらべうた」を紹介します》
上見れば 虫っ子
中見れば 綿っ子
下見れば 雪っ子
※ふわふわの雪が降ってくると、春も近い。綿雪をみながら歌います。雪国では、雪国でない人から見たら想像を超えた雪への思いがあるようです。雪を有り難いという体験と憎らしいという体験の両方からくる思いが・・・。
やんやのいん
石松 たいまつ はさみで 三本
大指 小指 ちょいと出して かーみ
やんやのいん
いーのうぃん ※ 説明は、明日のブログでします。
夢
数時間前に見たNHK土曜ドラマ「フルスィング」に感動しました。これは、元プロ野球打撃コーチの高畠導宏さんの実際にあった話をドラマにしたものですが、主人公は58歳で教育実習に行った高校の生徒にこう語ります。
夢は それを持つ人を 強くし、励まし、道を照らしてくれる と。
さらに、彼のモットーは
大きな目、小さな口、優しい心 です。
主人公は、生徒たちに「夢」を語ることを求めます。これに触発されて、この私メ
も「夢」を語ります。

・・・私は、今64歳、「夢」があります。定年退職時に、息子にも、若い人たちにも、将来は「オールド・シンガー・ソング・ライター」になることや、と、半分冗談交じりに話しました。いつか弾き語りできることを夢見て、ピアノの練習もして、詩みたいなものも創ったりしています。作曲は難しくて、何曲書いても、似たような曲調のワン・パタ-ン。才能のなさに、また、ピアノも始めた時期が遅すぎて(定年退職後)、また練習もままならず、ともすれば「夢」が、ポシャリ気味になります。年齢(老化)との競争もあるし、耳が遠くなってしまったら、夢は遠くに霞んでいってしまいます。ベートーベンは、耳が聞こえなくなってから、名曲を創ったやないかと、引き合いに出すのもおこがましい大作曲家を夢想して、慰めたりしています。だから、毎日が夢の放棄への誘惑
との闘いです。

・・・主人公のモットーの「大きな目、小さな口、優しい心」は大いに参考になります。だけど、私の今までの人生を反省してみると、よく観察する癖があるから多分「大きな目」であろう。いや、関心事に濃淡があるから、事によっては「中」かな「小」かも?・・・「優しい心」は自分から言えるものでもないし、ただ「優しい心」を大切に思ってきたことは事実です。致命的なのは「小さな口」・・・声高にものを言い、しゃべりすぎ、汗顔の至りの「大きな口」一色の人生でした。だけど、いつか、ピアノの調べに乗せて、私の「大きな口」でメッセージを送りたい・・・これが、私の「夢」です。耳を大切にし、脳を大切にして、ストレスを溜めず、栄養は妻が気を遣ってくれているので喧嘩しながらも感謝、体を鍛え、いつかピアノに乗せて、「大きな目」で見てきたことを「優しい心」でコーディネートして、「小さな口」ならぬ「大きな口」で伝えたい、と念ずる私です。これも、私の「大きな口」の発露?!
いつか、私がオールド・シンガー・ソング・ライターとして、デビューしたら、ブログをご覧の皆さま、少しでいいから注目して、CDを買ってください(笑)。
もうひとつの夢は、ナイショ?!
次週土曜日午後9時からNHK総合テレビのドラマ「フルスィング」オススメ必見!!!
数時間前に見たNHK土曜ドラマ「フルスィング」に感動しました。これは、元プロ野球打撃コーチの高畠導宏さんの実際にあった話をドラマにしたものですが、主人公は58歳で教育実習に行った高校の生徒にこう語ります。
夢は それを持つ人を 強くし、励まし、道を照らしてくれる と。
さらに、彼のモットーは
大きな目、小さな口、優しい心 です。
主人公は、生徒たちに「夢」を語ることを求めます。これに触発されて、この私メ
も「夢」を語ります。
・・・私は、今64歳、「夢」があります。定年退職時に、息子にも、若い人たちにも、将来は「オールド・シンガー・ソング・ライター」になることや、と、半分冗談交じりに話しました。いつか弾き語りできることを夢見て、ピアノの練習もして、詩みたいなものも創ったりしています。作曲は難しくて、何曲書いても、似たような曲調のワン・パタ-ン。才能のなさに、また、ピアノも始めた時期が遅すぎて(定年退職後)、また練習もままならず、ともすれば「夢」が、ポシャリ気味になります。年齢(老化)との競争もあるし、耳が遠くなってしまったら、夢は遠くに霞んでいってしまいます。ベートーベンは、耳が聞こえなくなってから、名曲を創ったやないかと、引き合いに出すのもおこがましい大作曲家を夢想して、慰めたりしています。だから、毎日が夢の放棄への誘惑
との闘いです。
・・・主人公のモットーの「大きな目、小さな口、優しい心」は大いに参考になります。だけど、私の今までの人生を反省してみると、よく観察する癖があるから多分「大きな目」であろう。いや、関心事に濃淡があるから、事によっては「中」かな「小」かも?・・・「優しい心」は自分から言えるものでもないし、ただ「優しい心」を大切に思ってきたことは事実です。致命的なのは「小さな口」・・・声高にものを言い、しゃべりすぎ、汗顔の至りの「大きな口」一色の人生でした。だけど、いつか、ピアノの調べに乗せて、私の「大きな口」でメッセージを送りたい・・・これが、私の「夢」です。耳を大切にし、脳を大切にして、ストレスを溜めず、栄養は妻が気を遣ってくれているので喧嘩しながらも感謝、体を鍛え、いつかピアノに乗せて、「大きな目」で見てきたことを「優しい心」でコーディネートして、「小さな口」ならぬ「大きな口」で伝えたい、と念ずる私です。これも、私の「大きな口」の発露?!
いつか、私がオールド・シンガー・ソング・ライターとして、デビューしたら、ブログをご覧の皆さま、少しでいいから注目して、CDを買ってください(笑)。
もうひとつの夢は、ナイショ?! 次週土曜日午後9時からNHK総合テレビのドラマ「フルスィング」オススメ必見!!!
昨日につづいて、『心のバリアフリー』 から思うことについての記事を掲載します。しゃ長 と しゃ員の会話です。夢想花放送局内の会話で~す
それで、乙武さんの話をどう思われます。
乙武さんが、これほど積極的な考えを持てるのは、彼自身が障害と向き合わざるを得ない状況の中で考えを深めてきたのが第一だろう。それと共に、彼は、彼を認め、障害を受け入れ、支える人に恵まれたということではないだろうか? まず、生まれてきた彼を丸ごと受け入れたお母さん。お母さんは、「できないことを数えるよりも、できることを大切に」と思う人だということだ。彼が今まで出会ってきた人たちも、彼を認め、支えてきたのだろう。それが彼に勇気と人間への信頼を与え、人間的な成長を促してきた。また、その結果、明るく前向きに生きるようになった彼の姿が逆にまわりの人たちに勇気と励ましを与えてきたのだろう。そうして、まわりの人たちと彼が、相互に触発し合い、刺激し合って相乗的に成長してきたのではないだろうか?
彼も人に恵まれてきたのですネ。
そう。彼の言葉のなかに「障害を持っていても、ボクは毎日が楽しいよ。健常者として生まれても、ふさぎ込んで、暗い人生を送る人もいる。関係ないのだ、障害なんて」というのがあるよね。いま、世の中には、健常者でありながら、暗く否定的な見方で生きている人たちも多くいる。その人たちは、人を信頼できないような状況に遭ってきたり、本人の思いこみで否定的後ろ向きに生きて苦しんでいる。だから、彼の言うように「人間の幸福は、障害があろうとなかろうと関係ない」ということになるよね。若者や子どもたちの中にも、人間不信に陥ったり、人間関係の持ち方に苦しんで、孤立の中に身を置く人もいる。そういう人たちに言いたいことは、 「まず、自分自身が歩き出さないことには、まわりの状況は変わらないということ、自分自身が歩き出すことによって、まわりの風景が変わってくる」ということを言いたい。乙武さん自身が変わり、動き出したことによって、まわりも変わって行ったことが多かったのではないだろうか? 一見、集団の中で、うまくやっているように見えるときでも、「孤立感」に苛まれることもあるし、そういう時は、大概は人間不信や人間嫌いに陥っていることが多い。かと思ったら、そんな人間が愛おしく思えるときもあるし、勝手に想像したらイカンけど、乙武さんも、本やテレビには表れてこないところで、いろいろな悩みや苦しみをされているのだろう。
誰でも、100%満足できる境遇にいるなんてことはあり得ない。どこか、足りないところがある。今あることを「これだけしかない」と恨めしく思うか、「まだこれだけある」と喜んで受け止めるか、その差は大きい。乙武さんは、「まだこれだけある」と思える人だろう。いま、多くの人が苦しんでいる。そういうときに、乙武さんの考え方や生き方が、ひとつの参考になればうれしいよネ。
しゃ長。いま、テレビで、乙武さんのご長男が生まれたというニュースが報道されていましたよ。
おう、それはめでたい。こいつは、春から縁起がいいわいな、やネ!2008(平成20)年1月19日
昨日に続き、お送りします。
乙武洋匡さん「心のバリアフリー」
バリアフリーとは、もともとは道の段差をなくすとか、スロープをつけるとか、物理的な“かべ”を取り除こうというものですが、ボクが目指しているのは、心のバリアフリー。
障害について、もっと聞いて欲しい。子どもは、手足のないことを聞きたがるが、親ごさんがとめてしまう。そうすると、子どもは、聞きたい気持ちをそのまま胸に閉じこめて、障害を持っている人への“かべ”をつくってしまう。
みなさんは、障害を持っている人を理解して欲しい。(障害者を)理解する心抜きにバリアフリーを進めれば、(障害者への)配慮の欠けたバリアフリーが進んでしまう。
(健常の人は、障害を持っている人に対して) 「何かお手伝いすることがありますか?」と声をかけてほしいし、非常に有り難い。<彼は、ほとんどのことを自分でしようとしますが、衣服の着脱(ちゃくだつ)などどうしても手助けが欲しいことについては、率直に助けを求めています。>
どうして障害者は、可哀想なのか!? 障害を持っても、楽しく過ごしている人がいるよという例として、本を書いた。
障害を持っているといって、何か制限をつけると言うのはもったいない。
社会的な制約があっても、まず自分自身のバリアーを打ち破ってほしい。
~~~~~~~~~~~~~
《
ここで突然に、番組構成上、「夢想花放送局」のしゃ長 と しゃ員(社長・社員というには、私の頭の中だけの「会社」というにはややおこがましいモノですので、やや照れまして、以下「しゃ長」「しゃ員」と言います
) が登場します。冗談っぽいですが、中身は、真面目なことを言おうとしていますので、辛抱しておつきあいください
》
しゃ員 しゃ長、乙武さんの話、どうでした? ご感想は?
しゃ長 それは、CM2 の あとで・・・。
しゃ員 引っ張りまんなぁ。どこに CM1 がありましたんねん?
しゃ長 あした、あした、あした、私はコクります。(明日につづく)
乙武洋匡さん「心のバリアフリー」
バリアフリーとは、もともとは道の段差をなくすとか、スロープをつけるとか、物理的な“かべ”を取り除こうというものですが、ボクが目指しているのは、心のバリアフリー。
障害について、もっと聞いて欲しい。子どもは、手足のないことを聞きたがるが、親ごさんがとめてしまう。そうすると、子どもは、聞きたい気持ちをそのまま胸に閉じこめて、障害を持っている人への“かべ”をつくってしまう。
みなさんは、障害を持っている人を理解して欲しい。(障害者を)理解する心抜きにバリアフリーを進めれば、(障害者への)配慮の欠けたバリアフリーが進んでしまう。
(健常の人は、障害を持っている人に対して) 「何かお手伝いすることがありますか?」と声をかけてほしいし、非常に有り難い。<彼は、ほとんどのことを自分でしようとしますが、衣服の着脱(ちゃくだつ)などどうしても手助けが欲しいことについては、率直に助けを求めています。>
どうして障害者は、可哀想なのか!? 障害を持っても、楽しく過ごしている人がいるよという例として、本を書いた。
障害を持っているといって、何か制限をつけると言うのはもったいない。
社会的な制約があっても、まず自分自身のバリアーを打ち破ってほしい。
~~~~~~~~~~~~~
《
ここで突然に、番組構成上、「夢想花放送局」のしゃ長 と しゃ員(社長・社員というには、私の頭の中だけの「会社」というにはややおこがましいモノですので、やや照れまして、以下「しゃ長」「しゃ員」と言います
) が登場します。冗談っぽいですが、中身は、真面目なことを言おうとしていますので、辛抱しておつきあいください
》しゃ員 しゃ長、乙武さんの話、どうでした? ご感想は?
しゃ長 それは、CM2 の あとで・・・。
しゃ員 引っ張りまんなぁ。どこに CM1 がありましたんねん?
しゃ長 あした、あした、あした、私はコクります。(明日につづく)
乙武洋匡さん「心のバリアフリー」
バリアフリーとは、もともとは道の段差をなくすとか、スロープをつけるとか、物理的な“かべ”を取り除こうというものですが、ボク が目指しているのは、心のバリアフリー。
(なぜ、今、社会で、人間同士、たとえば親子で、教師と生徒の間で、友だち同士で、バリヤーを持っているのか?)
みんな本当は、他人を必要としているが、恐がって、かかわりを持ちきれていない。自分に自信が持てなくて、なお、他人に批判されることを恐れている。
障害について、もっと聞いて欲しい。子どもは、手足のないことを聞きたがるが、親ごさんがとめてしまう。そうすると、子どもは、聞きたい気持ちをそのまま胸に閉じこめて、障害を持っている人への“かべ”をつくってしまう。
(明日につづく)
話は変わりますが、今朝(ブログ発表は17日だから昨日の朝になりますが、実際の作業は16日にしていますので本日の朝・・・どうでもいいことですが・・・)、道路のちょっとした段差につまずいて、しこたま、左胸を打ちました。だんだん痛くなって、今、左手を上げ下げするたびに痛みが走る、ややですが、不自由な状態でパソコンに向かっています。
体が不自由になると、今まで気づかなかったことに気づいてきます。動くたびに痛みが走り、ちょっとしことをするのが大層で、億劫になります。また高齢になって、足が上がっているつもりでも上がっていない、だからちょっとした段差でつまずく。転んで、全身道路に投げ出される、そこへ車が来るかも知れない「危機一髪の瞬間」・・・体に故障がないときなら何でもないことでも、一旦、不自由になると、予測もつかない危険や大層が、次々と押し寄せてくることに気づき、乙武さんは、その数十倍の不自由と日夜向き合っておられるのだと、思いました。
痛いながらも、午前中、「“人を育てる唄”としてのわらべ唄」の講演を受け、昔の人子育ての知恵を学びました。わらべ唄にも、遊び唄・呼びかけの唄・はやし唄などがあり、赤ちゃんの遊び唄の「うんこ語り」「にぎにぎにぎ」「あぷー」「あわわわわ」「れえろれえろれえろ」のもつ子どもへの願いや生きる知恵満載のご講演を聴いて、具体的で感激しました。これから、さらに「64の手習い」をしていこうと思うに至りました。またぞろ、途中で、棒が折れるかも知れませんが・・・。ここで下手な句と詩を・・・。
「わらべ唄」との出会いから
今どきの 子育てに知恵 わらべ唄
わらべ唄 昔の知恵を 運ぶ冬

子どものまわりの馬鹿四人 
子どもが生まれりゃ 三人の馬鹿が生まれるど
おっかあは 元々 馬鹿だべ
そこへ おっとうだろ おばぁだろ おじぃだろ
合わせて 四人の馬鹿が
赤ちゃんに 一生懸命になるだべ
一生懸命 赤ちゃんに向き合う
馬鹿一人 に加えて 馬鹿三人
赤ちゃんは 馬鹿四人に 囲まれて大きくなる
いいことだべな 素晴らしいことだべな
赤ちゃんも そうして大きくなって 大人になって 親になって
子どものために 馬鹿になるだど・・・

※お断りとお願い: この詩は、私がご講演に触発されて、自分なりに解釈を加えて書きました。この詩の場合、「馬鹿」を『火事場の馬鹿力』で使う「馬鹿」のように一生懸命な人間の様子を表す言葉として使っていますので、侮蔑的にではなく使っていますので、誤解のないようにお願いします。それと、蛇足ですが、馬鹿四人を、広く、いろいろな世代の大人、の気持ちで書きました。私流の方言(もどき)で、少しけったいですが、標準語なら伝え切れないような、柔らかい響きで言いたくて、(もどき)を自覚しつつ、こういう表現にしました。けったいですが、言いたいことをお酌み取り下されば、うれしいです。よろしくお願いします。
13年前の1995(平成7)年のきょう午前5時46分、「阪神淡路大震災」が発生し、多くの人の命が奪われ、建造物が損壊しました。震災を風化させないよう、亡くなった人たちのことが語り継がれ、将来への備えの努力についての思いが様々に語られ深くなる日でした。
バリアフリーとは、もともとは道の段差をなくすとか、スロープをつけるとか、物理的な“かべ”を取り除こうというものですが、ボク が目指しているのは、心のバリアフリー。
(なぜ、今、社会で、人間同士、たとえば親子で、教師と生徒の間で、友だち同士で、バリヤーを持っているのか?)
みんな本当は、他人を必要としているが、恐がって、かかわりを持ちきれていない。自分に自信が持てなくて、なお、他人に批判されることを恐れている。
障害について、もっと聞いて欲しい。子どもは、手足のないことを聞きたがるが、親ごさんがとめてしまう。そうすると、子どもは、聞きたい気持ちをそのまま胸に閉じこめて、障害を持っている人への“かべ”をつくってしまう。
(明日につづく)
話は変わりますが、今朝(ブログ発表は17日だから昨日の朝になりますが、実際の作業は16日にしていますので本日の朝・・・どうでもいいことですが・・・)、道路のちょっとした段差につまずいて、しこたま、左胸を打ちました。だんだん痛くなって、今、左手を上げ下げするたびに痛みが走る、ややですが、不自由な状態でパソコンに向かっています。
体が不自由になると、今まで気づかなかったことに気づいてきます。動くたびに痛みが走り、ちょっとしことをするのが大層で、億劫になります。また高齢になって、足が上がっているつもりでも上がっていない、だからちょっとした段差でつまずく。転んで、全身道路に投げ出される、そこへ車が来るかも知れない「危機一髪の瞬間」・・・体に故障がないときなら何でもないことでも、一旦、不自由になると、予測もつかない危険や大層が、次々と押し寄せてくることに気づき、乙武さんは、その数十倍の不自由と日夜向き合っておられるのだと、思いました。
痛いながらも、午前中、「“人を育てる唄”としてのわらべ唄」の講演を受け、昔の人子育ての知恵を学びました。わらべ唄にも、遊び唄・呼びかけの唄・はやし唄などがあり、赤ちゃんの遊び唄の「うんこ語り」「にぎにぎにぎ」「あぷー」「あわわわわ」「れえろれえろれえろ」のもつ子どもへの願いや生きる知恵満載のご講演を聴いて、具体的で感激しました。これから、さらに「64の手習い」をしていこうと思うに至りました。またぞろ、途中で、棒が折れるかも知れませんが・・・。ここで下手な句と詩を・・・。
「わらべ唄」との出会いから
今どきの 子育てに知恵 わらべ唄 わらべ唄 昔の知恵を 運ぶ冬

子どものまわりの馬鹿四人 
子どもが生まれりゃ 三人の馬鹿が生まれるど
おっかあは 元々 馬鹿だべ
そこへ おっとうだろ おばぁだろ おじぃだろ
合わせて 四人の馬鹿が
赤ちゃんに 一生懸命になるだべ

一生懸命 赤ちゃんに向き合う
馬鹿一人 に加えて 馬鹿三人
赤ちゃんは 馬鹿四人に 囲まれて大きくなる
いいことだべな 素晴らしいことだべな
赤ちゃんも そうして大きくなって 大人になって 親になって
子どものために 馬鹿になるだど・・・


※お断りとお願い: この詩は、私がご講演に触発されて、自分なりに解釈を加えて書きました。この詩の場合、「馬鹿」を『火事場の馬鹿力』で使う「馬鹿」のように一生懸命な人間の様子を表す言葉として使っていますので、侮蔑的にではなく使っていますので、誤解のないようにお願いします。それと、蛇足ですが、馬鹿四人を、広く、いろいろな世代の大人、の気持ちで書きました。私流の方言(もどき)で、少しけったいですが、標準語なら伝え切れないような、柔らかい響きで言いたくて、(もどき)を自覚しつつ、こういう表現にしました。けったいですが、言いたいことをお酌み取り下されば、うれしいです。よろしくお願いします。
13年前の1995(平成7)年のきょう午前5時46分、「阪神淡路大震災」が発生し、多くの人の命が奪われ、建造物が損壊しました。震災を風化させないよう、亡くなった人たちのことが語り継がれ、将来への備えの努力についての思いが様々に語られ深くなる日でした。
昨日につづき「心のバリアフリー」(その2)をお送りします。だいぶん重複していますが、ひとつは私が大事だと思うから、もうひとつは回数を稼ぐため、なんて言っちゃって・・・(クっふっ
)。「回数を重ねる、なんてことは大変なんすっ、からー、もう~」とは林家三平師匠の十八番芸
。とにかく、第2回目をお送りします。乙武洋匡さん「心のバリアフリー」
ボクは、“五体不満足”に生まれた。・・・だからこそ、声を大にして言いたい。障害を持っていても、ボクは毎日が楽しいよ。健常者として生まれても、ふさぎ込んで、暗い人生を送る人もいる。関係ないのだ、障害なんて・・・。
人間は、一人ひとり何か“使命”なんて大げさだけれど、その人にしかできないことがあるはずだ。この体はそれを見つけるためのヒントなのじゃないか。
背が高い人、低い人もいるように、障害はその人の個性なのだ。
心のバリアフリーに本当に必要なのは、違った他人を認める心。自分が世界でひとりしかいない、かけがえのない自分だと認めれば、他人にもそう思える。
バリアフリーとは、もともとは道の段差をなくすとか、スロープをつけるとか、物理的な“かべ”を取り除こうというものですが、ボクが目指しているのは、心のバリアフリー。(明日につづく)
1999年、私はあるところに次のような文章を寄稿しました。『五体不満足』という本をお覚えでしょうか? 乙武洋匡さんという障害を持った青年が書いた本で、当時、彼の姿や活動がテレビでもよく報じられていました。そこから、私が学んだこと・感動したことを文にしたのです。今、各地で「成人式」が行われている時期でもあり、青年や子どもたちに、さらに中高年の方にもなにかお考えいただければと、本やテレビの内容を紹介しつつ、このブログで私のつたない文を載せることにしました。ぜひ、最後まで読んでください。あまり長いと読み切るのがしんどいので何回かに分けて掲載します。
乙武洋匡さん「心のバリアフリー」
心のバリアフリーに必要なのは、
違った他人を認める心。
自分が世界でひとり、他人も世界にひとり。
その人にしかできないことがあるはず。
どうか、自分自身のバリヤーを打ち破ってほしい
★・・・乙武洋匡(おとたけひろただ)クン・・・
22歳、早稲田大学3回生。彼は生まれつき「先天性四肢切断」という障害を持ち、彼の両手両足はほぼ根元からないのです。彼は、小さい頃から、友だちととっくみあいのけんかをし、鬼ごっこをし山登りをしてきました。中学校に入って、バスケットボール部に入り、ドリブルをし、ボールを味方の選手にトスしました。高校・大学では、アメリカンフットボール部のマネージャーもして、コンピューターにデーターを入力しました。友だちと海外旅行をし、もうしばらくしたらスキューバダイビングにも挑戦するということです。
★・・・障害を持って、不自由な体で、実に明るく前向きに積極的に生きています。車椅子を器用にあやつり、字も書きます。そんな彼が、『五体不満足』(講談社刊)という本を書きました。今、大ベストセラーになっていいます。彼は、ヘレンケラーの言葉を借りて「障害を持っていて不便だけれども、不幸ではない」と言います。
★・・・下に紹介するのは、彼が最近テレビに出て、語った言葉の要旨(ようし)です。画面で見る乙武クンは、明るくてさわやかな好青年です。そんなに、明るく好青年で無理してない(?)、と思わず声をかけてみたくなるほどですが、そんなことを言うこと自体が恥ずかしくなるほど、彼は、圧倒的に明るくて、前向きでです。
★・・・彼も、恐らく苦しんだこともあっただろうし、深い悩みもあるだろうと思います。ですが、彼の言葉の端々(はしばし)に出てくる彼の考え・人生哲学は、重い障害を持って生まれ、育ったということと無関係ではないだろうと思います。
★・・・彼の、前向きな生き方・ものの見方を、ぜひ、参考にして欲しい。そう思って、取り上げました。彼が話したこと、書いたことの一部を紹介します。
生まれたとき、驚いた医者は、理由を付けて、ひと月ほど、母親に僕を会わせなかった。母親のショックを心配したのです。それが対面の瞬間、
母はボクを見て、取り乱しもせず、可愛いと言って、ボク抱きしめたのです。母がボクに対して初めて抱いた感情は、驚きや悲しみではなく、喜びだった。それが、その後のボクの人生にとても大きかったと思います。
ボクは、“五体不満足”に生まれた。・・・だからこそ、声を大にして言いたい。
障害を持っていても、ボクは毎日が楽しいよ。健常者として生まれても、ふさぎ込んで、暗い人生を送る人もいる。関係ないのだ、障害なんて・・・。
心のバリアフリーに必要なのは、違った他人を認める心。
自分が世界でひとり、他人も世界にひとり。
その人にしかできないことがあるはず。
どうか、自分自身のバリヤーを打ち破ってほしい (明日につづく)
乙武洋匡さん「心のバリアフリー」
心のバリアフリーに必要なのは、
違った他人を認める心。
自分が世界でひとり、他人も世界にひとり。
その人にしかできないことがあるはず。
どうか、自分自身のバリヤーを打ち破ってほしい
★・・・乙武洋匡(おとたけひろただ)クン・・・
22歳、早稲田大学3回生。彼は生まれつき「先天性四肢切断」という障害を持ち、彼の両手両足はほぼ根元からないのです。彼は、小さい頃から、友だちととっくみあいのけんかをし、鬼ごっこをし山登りをしてきました。中学校に入って、バスケットボール部に入り、ドリブルをし、ボールを味方の選手にトスしました。高校・大学では、アメリカンフットボール部のマネージャーもして、コンピューターにデーターを入力しました。友だちと海外旅行をし、もうしばらくしたらスキューバダイビングにも挑戦するということです。
★・・・障害を持って、不自由な体で、実に明るく前向きに積極的に生きています。車椅子を器用にあやつり、字も書きます。そんな彼が、『五体不満足』(講談社刊)という本を書きました。今、大ベストセラーになっていいます。彼は、ヘレンケラーの言葉を借りて「障害を持っていて不便だけれども、不幸ではない」と言います。
★・・・下に紹介するのは、彼が最近テレビに出て、語った言葉の要旨(ようし)です。画面で見る乙武クンは、明るくてさわやかな好青年です。そんなに、明るく好青年で無理してない(?)、と思わず声をかけてみたくなるほどですが、そんなことを言うこと自体が恥ずかしくなるほど、彼は、圧倒的に明るくて、前向きでです。
★・・・彼も、恐らく苦しんだこともあっただろうし、深い悩みもあるだろうと思います。ですが、彼の言葉の端々(はしばし)に出てくる彼の考え・人生哲学は、重い障害を持って生まれ、育ったということと無関係ではないだろうと思います。
★・・・彼の、前向きな生き方・ものの見方を、ぜひ、参考にして欲しい。そう思って、取り上げました。彼が話したこと、書いたことの一部を紹介します。
生まれたとき、驚いた医者は、理由を付けて、ひと月ほど、母親に僕を会わせなかった。母親のショックを心配したのです。それが対面の瞬間、
母はボクを見て、取り乱しもせず、可愛いと言って、ボク抱きしめたのです。母がボクに対して初めて抱いた感情は、驚きや悲しみではなく、喜びだった。それが、その後のボクの人生にとても大きかったと思います。
ボクは、“五体不満足”に生まれた。・・・だからこそ、声を大にして言いたい。
障害を持っていても、ボクは毎日が楽しいよ。健常者として生まれても、ふさぎ込んで、暗い人生を送る人もいる。関係ないのだ、障害なんて・・・。
心のバリアフリーに必要なのは、違った他人を認める心。
自分が世界でひとり、他人も世界にひとり。
その人にしかできないことがあるはず。
どうか、自分自身のバリヤーを打ち破ってほしい (明日につづく)
昨日と言っても数時間前、日曜日の静かな病室で義兄と話す。農業と会社一筋で寡黙だった兄、69歳。ベッドの背を電動で起こして痩躯を起こして、かすれ声でしっかりした口調で話す。「無理したさけ、こんな体になってしもうて」「趣味持ってなあかんなー、ピアノがんばりや」と兄。「うんそのうち曲もつくるワ」と冗談交じりの私。「時間がたたへん。夜がながい、夜がなかなか明けよらへん」「そうやろうなぁ、夜がほんとうに長いやろうなぁ」そのほか家族のこと、兄弟のこと、ぽつりぽつりとだが、今までしゃべったことがないほど話した。ほんのちょっと前までは、大仰になるからと見舞いを断っていた兄が、なんども「よう来て」と言う。「かわいい看護婦さん見て、元気だしーや、最近おいしいお酒みつけたさかい、早う元気になって飲もう」、吹っ切るようにいすから立って、兄の許を離れる。もう少し居たほうがよかったのかな、疲れはるやろうし。また来るからな、それまで頑張ってな、胸の中でつぶやいて、廊下を何度も曲がって病院を後にした。
帰宅して、小6の同窓生に電話。まだ現役の彼とやっと話せた。同窓会合唱のことを話す。「こないだの同窓会、ほんまに楽しかったワ、ほんまにようやってくれた」、ほか級友の墓参のことも話した。「あたたこうなったら行こう。そのときにでも、小学校の歌を練習しよう」。「よう電話して、ありがとう」。いきなり昔の口調に戻れる友と昔の口調で話した。
今日一日、自治会の餅つきを手伝いに行っていた妻が帰ってきて、「参加者が少のうて、寂しかったわ」と言う。何日も前から、役員さんが準備していたのに、さぞがっかりやろう。
日曜日、小雪まじりの日、思いがさまざまに行き交った午後。
病床の兄置きて去る冬の午後
遠き冬電話が還すおさな子に
気苦労と愛こねつく餅冬晴れ間
ひとつずつ思いはらんで雪が舞う
帰宅して、小6の同窓生に電話。まだ現役の彼とやっと話せた。同窓会合唱のことを話す。「こないだの同窓会、ほんまに楽しかったワ、ほんまにようやってくれた」、ほか級友の墓参のことも話した。「あたたこうなったら行こう。そのときにでも、小学校の歌を練習しよう」。「よう電話して、ありがとう」。いきなり昔の口調に戻れる友と昔の口調で話した。
今日一日、自治会の餅つきを手伝いに行っていた妻が帰ってきて、「参加者が少のうて、寂しかったわ」と言う。何日も前から、役員さんが準備していたのに、さぞがっかりやろう。
日曜日、小雪まじりの日、思いがさまざまに行き交った午後。
病床の兄置きて去る冬の午後
遠き冬電話が還すおさな子に
気苦労と愛こねつく餅冬晴れ間
ひとつずつ思いはらんで雪が舞う
恥ずかしながら・・・成人式に寄せて
青年と子どもたちに・・・
命の重さの始まった時
君は いつから君であり始めたか知ってる?
ものごころついた時?
生まれた時?
いいや いいや もっと前 もっと以前から
君は 君を 始めていたのだよ
君がお母さんのおなかの中で『命』頂いた時
確実に 君は 君を始めていた
そして それは同時に
君のまわりの
親ごさんとか
お兄ちゃんやお姉ちゃんとか
おばあちゃんやおじいちゃんとか
親戚の人とか近所の人とか
お医者さんとか看護師さんとか
助産師さんとかにとっても
君の命の重さの始まった時
そして それは 同時に『心配』の始まり
おなかの中で 君が ふと動かなかった時
お母さんはまだ見ぬ子の安否を気づかった
生まれてからは お乳を飲まない、と心配し
少しの熱でおろおろし
学校へ行き始めてからは
いじめられていないか と心病み
バイクを欲しがる君に 心痛め
少し突っ張りぎみの君に 戸惑った
君が 君を 始めた時
君のまわりの人たちの
愛と 心配と 喜びと
命の重さへの限りない思いが
始まった時
青年と子どもたちに・・・
命の重さの始まった時
君は いつから君であり始めたか知ってる?
ものごころついた時?
生まれた時?
いいや いいや もっと前 もっと以前から
君は 君を 始めていたのだよ
君がお母さんのおなかの中で『命』頂いた時
確実に 君は 君を始めていた
そして それは同時に
君のまわりの
親ごさんとか
お兄ちゃんやお姉ちゃんとか
おばあちゃんやおじいちゃんとか
親戚の人とか近所の人とか
お医者さんとか看護師さんとか
助産師さんとかにとっても
君の命の重さの始まった時
そして それは 同時に『心配』の始まり
おなかの中で 君が ふと動かなかった時
お母さんはまだ見ぬ子の安否を気づかった
生まれてからは お乳を飲まない、と心配し
少しの熱でおろおろし
学校へ行き始めてからは
いじめられていないか と心病み
バイクを欲しがる君に 心痛め
少し突っ張りぎみの君に 戸惑った
君が 君を 始めた時
君のまわりの人たちの
愛と 心配と 喜びと
命の重さへの限りない思いが
始まった時
ワ~ 三日坊主が一ヶ月坊主になった
ブログを始めたのが一月前
写真を貼り付けるテクも知らず
だから、文字ばかりの記事のオンパレード
生意気に「詩」なんか書いちゃったりして
キザ且つロマンチックな表現は
私の風体とミスマッチ
そんな適切且つ冷やかしに似た評論に
頭掻きつつ
それでもブログすることの幸せ
私の気ままを多くの人が覗いてくれる
有り難うございます
下の孫もちょうど1才と一ヶ月
なんと彼は
「新聞持ってきて」と横着なおじいの希望に
二足歩行で応えてくれた
居ない居ないバーもしてくれるし
その傍らで七才のお兄ちゃんがゲームをしている
お兄ちゃんも日々人生勉強
人生の苦悩の始まる頃
そんな日常の中でブログをしている今日このごろ
何かとお節介に羞恥心を一部捨て
孫たちが生きる未来の地球に思いを巡らし
今の社会にやや(?)文句を言い
日常の生活も
日替わりメニューで自転車操業のように
私のブログも自転車操業日替わりメニュー
自転車を繰りながら何とかつづけたい
そしていつか一年坊主になれるよう
多年坊主になれますよう(と思いつつ)、
(だけど休みも時々は・・・特に、後から挿入。
気張りすぎの弊を自覚、自信にもやや ?
軌道修正に柔軟な?
自分に優しいのも私の特徴? )
健康に気をつけて
皆さまに幸せをお運びできますよう請い願う
「夢想花放送局」
お節介おっさんのの自己満足
よろしくお願い申し上げます
2008(平成20)年1月12日
ブログを始めたのが一月前
写真を貼り付けるテクも知らず
だから、文字ばかりの記事のオンパレード
生意気に「詩」なんか書いちゃったりして
キザ且つロマンチックな表現は
私の風体とミスマッチ
そんな適切且つ冷やかしに似た評論に
頭掻きつつ
それでもブログすることの幸せ
私の気ままを多くの人が覗いてくれる
有り難うございます
下の孫もちょうど1才と一ヶ月
なんと彼は
「新聞持ってきて」と横着なおじいの希望に
二足歩行で応えてくれた
居ない居ないバーもしてくれるし
その傍らで七才のお兄ちゃんがゲームをしている
お兄ちゃんも日々人生勉強
人生の苦悩の始まる頃
そんな日常の中でブログをしている今日このごろ
何かとお節介に羞恥心を一部捨て
孫たちが生きる未来の地球に思いを巡らし
今の社会にやや(?)文句を言い
日常の生活も
日替わりメニューで自転車操業のように
私のブログも自転車操業日替わりメニュー
自転車を繰りながら何とかつづけたい
そしていつか一年坊主になれるよう
多年坊主になれますよう(と思いつつ)、
(だけど休みも時々は・・・特に、後から挿入。
気張りすぎの弊を自覚、自信にもやや ?
軌道修正に柔軟な?
自分に優しいのも私の特徴? )
健康に気をつけて
皆さまに幸せをお運びできますよう請い願う
「夢想花放送局」
お節介おっさんのの自己満足
よろしくお願い申し上げます
2008(平成20)年1月12日
腰を痛めましたので、以前に書いた「詩」に救援登板してもらいます。
たどたどと よろよろと
たどたどと よろよろと あるいてきた私
決して 勇ましくない
決して かっこよくない 美しくない
だけど これだけは 言えること
それは ずっと今まで
あるいてきたこと あるき続けてきたこと
そして いろんなことに 気づいてきたこと
たどたどと よろよろと あるいてきたから
あっちへ よろめいて
こっちで クダをまいて
向こうの方へ 道草してきたから
見なくてもよいことを 見てきたし
聞かなくてもよいことを 聞いてきた
たどたどと よろよろと あるいてきたから
道端で泣いている人や
絶望に打ちひしがれている人に
か細くて頼りない 私の手を
差し伸べられた
たどたどと よろよろと あるいてきて
悲しみの少し向こうに 喜びがあることや
憎む心が実は 人の愛をもとめていること
を知ってきた
ありがとう・・・ たどたどと よろよろと
あるいてきたこと こられたこと
決して速くなく 効率はよくないけれど
超特急で走っていたら 気づけなかった
人の愛 人の情に 胸震わすことができた
たどたどと よろよろと あるいてきたし
そしてこれからも たどたどと よろよろと
あるいて 歩いて あるいていこう
やや、キザで冷や汗たらりの「詩」もどきでした。
たどたどと よろよろと
たどたどと よろよろと あるいてきた私
決して 勇ましくない
決して かっこよくない 美しくない
だけど これだけは 言えること
それは ずっと今まで
あるいてきたこと あるき続けてきたこと
そして いろんなことに 気づいてきたこと
たどたどと よろよろと あるいてきたから
あっちへ よろめいて
こっちで クダをまいて
向こうの方へ 道草してきたから
見なくてもよいことを 見てきたし
聞かなくてもよいことを 聞いてきた
たどたどと よろよろと あるいてきたから
道端で泣いている人や
絶望に打ちひしがれている人に
か細くて頼りない 私の手を
差し伸べられた
たどたどと よろよろと あるいてきて
悲しみの少し向こうに 喜びがあることや
憎む心が実は 人の愛をもとめていること
を知ってきた
ありがとう・・・ たどたどと よろよろと
あるいてきたこと こられたこと
決して速くなく 効率はよくないけれど
超特急で走っていたら 気づけなかった
人の愛 人の情に 胸震わすことができた
たどたどと よろよろと あるいてきたし
そしてこれからも たどたどと よろよろと
あるいて 歩いて あるいていこう
やや、キザで冷や汗たらりの「詩」もどきでした。
