戦後日米同盟 そして 経済大国へ
ポツダム宣言を受諾して戦争を終えた日本は、戦後、GHQ(連合国総司令部)に統治されておった。その進駐軍の中心はアメリカ軍じゃったが、その加減で日本はアメリカと関係を深めていった。日本は1952年、沖縄と小笠原を除いて独立を回復する訳じゃが、同年4月28日を期して日米安全保障条約を結んで、同盟関係をつくっていった。
日米安全保障条約は、1960(昭和35)年に改定されて現在に至っている訳じゃが、昭和30年代ごろから日本は「高度経済成長」政策を掲げて、特に1960年には、当時の池田内閣は「所得倍増論」をうたって、高度経済成長を本格化していった。
やがて主には、新幹線や高速道路の建設、東京オリンピック、大阪万国博覧会、石油危機、経済の低成長、バブル経済、その崩壊等を経て今日に至っている訳じゃが、今日本は不景気じゃと言っても、世界でも有数の経済大国になって、サミット(先進国首脳会議)のメンバーに入るほどになった。
そうして、今の日本の若い人たちは、豊かで毎日が「お祭り」のような日本しか知らないけれど、ここに至るまで、数多くの失敗もあったけれど、人々の、真面目な努力もいっぱい積み上がってきたことも知って欲しいのじゃ。
かつて日本は、軍事力で、海外に市場を求めに行った愚を犯し、多くの悲劇を招いたこと。
そして、戦後、憲法で世界に恒久平和主義を誓ってミスはいくつかあったけど、それを克服しながら、人々は一生懸命に働き、今日のような豊かな日本をつくったこと。
戦後の日本は、基本的には、日本国憲法前文にあるように「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって・・・」の精神が脈々と流れていたように思う。自分たちだけのことだけでなく、相手のことも尊重する、まさに自己チューではなく、
国際協調主義
・善隣友好
・現代版「三方よし」
の精神が、今の日本の国際的な信用を獲得していった、そして今の、問題はあるけれど、基本的には、豊かで平和な日本を造ったことに、つながった、と思うのじゃが・・・。
(後日へつづく)
ポツダム宣言を受諾して戦争を終えた日本は、戦後、GHQ(連合国総司令部)に統治されておった。その進駐軍の中心はアメリカ軍じゃったが、その加減で日本はアメリカと関係を深めていった。日本は1952年、沖縄と小笠原を除いて独立を回復する訳じゃが、同年4月28日を期して日米安全保障条約を結んで、同盟関係をつくっていった。
日米安全保障条約は、1960(昭和35)年に改定されて現在に至っている訳じゃが、昭和30年代ごろから日本は「高度経済成長」政策を掲げて、特に1960年には、当時の池田内閣は「所得倍増論」をうたって、高度経済成長を本格化していった。
やがて主には、新幹線や高速道路の建設、東京オリンピック、大阪万国博覧会、石油危機、経済の低成長、バブル経済、その崩壊等を経て今日に至っている訳じゃが、今日本は不景気じゃと言っても、世界でも有数の経済大国になって、サミット(先進国首脳会議)のメンバーに入るほどになった。
そうして、今の日本の若い人たちは、豊かで毎日が「お祭り」のような日本しか知らないけれど、ここに至るまで、数多くの失敗もあったけれど、人々の、真面目な努力もいっぱい積み上がってきたことも知って欲しいのじゃ。
かつて日本は、軍事力で、海外に市場を求めに行った愚を犯し、多くの悲劇を招いたこと。
そして、戦後、憲法で世界に恒久平和主義を誓ってミスはいくつかあったけど、それを克服しながら、人々は一生懸命に働き、今日のような豊かな日本をつくったこと。
戦後の日本は、基本的には、日本国憲法前文にあるように「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって・・・」の精神が脈々と流れていたように思う。自分たちだけのことだけでなく、相手のことも尊重する、まさに自己チューではなく、
国際協調主義
・善隣友好
・現代版「三方よし」
の精神が、今の日本の国際的な信用を獲得していった、そして今の、問題はあるけれど、基本的には、豊かで平和な日本を造ったことに、つながった、と思うのじゃが・・・。(後日へつづく)
明治以降 そして 戦後
自己チューより 善隣友好
明治時代になって、政府は富国強兵策を掲げ、“欧米に追いつけ、追い越せ”“脱亜入欧”をスローガンに、世界の一等国を目指していった。当時の欧米の強国がやったように、植民地政策をとり、日本は、朝鮮や中国やその他のアジア諸国に出兵して、人々の人生や生活を破壊していった。日本を中心に“大東亜共栄圏”を築くといった、思い上がった考えのもとに、アジアの人々や日本の民衆を不幸にしていった。
そして、やがて日本は、世界中を相手に戦争をすること
になり、1945(昭和20)年、敗戦を迎えることになる。
日本は、明治以降の政策を反省し、「恒久平和主義」「国民主権主義」「基本的人権尊重主義」を3大基本原則とする「日本国憲法」を施行する(1947年5月3日)。 素晴らしい憲法はできたが、日本の国土は戦争で荒廃し、経済は混乱していた。日本の国は極度に貧乏で、当時の子どもたちは、食べるものも着るものも不自由しておった。(当時の子どもたちの様子は、マンガ“はだしのゲン”で、かなり分かって頂けると思います。それと、このブログ「夢想花」2月28日号もよかったら読んでください。)
そんな低調な日本の経済も、お隣の不幸のお陰で、上向いていくことになる。お隣の朝鮮半島で、朝鮮戦争が1950年から起こり、資本主義国アメリカの支援を受けた大韓民国と社会主義国ソ連や中国の支援を受けた朝鮮民主主義人民共和国との間で、一つ民族が血で血を洗うという悲劇が起こったのじゃ。当時、アメリカ軍は、日本に戦争に必要な物資を注文した。日本に、いわゆる軍需景気が起こり、日本の経済復興に弾みがついていったという訳じゃ。何か皮肉で悲しいことじゃね。
(後日につづく)
自己チューより 善隣友好
明治時代になって、政府は富国強兵策を掲げ、“欧米に追いつけ、追い越せ”“脱亜入欧”をスローガンに、世界の一等国を目指していった。当時の欧米の強国がやったように、植民地政策をとり、日本は、朝鮮や中国やその他のアジア諸国に出兵して、人々の人生や生活を破壊していった。日本を中心に“大東亜共栄圏”を築くといった、思い上がった考えのもとに、アジアの人々や日本の民衆を不幸にしていった。
そして、やがて日本は、世界中を相手に戦争をすること
になり、1945(昭和20)年、敗戦を迎えることになる。日本は、明治以降の政策を反省し、「恒久平和主義」「国民主権主義」「基本的人権尊重主義」を3大基本原則とする「日本国憲法」を施行する(1947年5月3日)。 素晴らしい憲法はできたが、日本の国土は戦争で荒廃し、経済は混乱していた。日本の国は極度に貧乏で、当時の子どもたちは、食べるものも着るものも不自由しておった。(当時の子どもたちの様子は、マンガ“はだしのゲン”で、かなり分かって頂けると思います。それと、このブログ「夢想花」2月28日号もよかったら読んでください。)
そんな低調な日本の経済も、お隣の不幸のお陰で、上向いていくことになる。お隣の朝鮮半島で、朝鮮戦争が1950年から起こり、資本主義国アメリカの支援を受けた大韓民国と社会主義国ソ連や中国の支援を受けた朝鮮民主主義人民共和国との間で、一つ民族が血で血を洗うという悲劇が起こったのじゃ。当時、アメリカ軍は、日本に戦争に必要な物資を注文した。日本に、いわゆる軍需景気が起こり、日本の経済復興に弾みがついていったという訳じゃ。何か皮肉で悲しいことじゃね。(後日につづく)
韓国の大統領就任式が25日ソウルで行われました。新任の李明博(イ・ミョンバク)大統領と式に参列した日本の福田首相は日韓首脳会議を行い、「未来志向の日韓関係」を謳いました。両国がより近くなることを願って、日本と朝鮮の関係史を、今まで日本の先祖は近くの国々とどう共生してきたか・・・そこで、私なりにまとめた歴史を、本当にかいつまんだ形ですが、お送りします。
チョー古老の話昔からの国際化
自己チューより善隣友好
むかーし昔、地球が今よりもっと寒くて、後に「氷河時代」と呼ばれた時期があった。大陸と日本列島は地つづきで、人も動物も、行き来しておった。それが、約1万年前、地球が今のように暖かくなって、海面が高くなって、今の日本列島が形づくられていった。それから、この日本列島で、人々はやがて独特な生活のやり方や文化をつくっていった訳じゃが、それでも今のアジア大陸、特に朝鮮半島との交流はかなりあって、日本の文化は、中国や朝鮮の影響を、色濃く受けておった。
たとえば、日本の稲作も、大陸から伝わってきたものだし、日本の文化の柱ともいうべき「仏教」や「漢字」や「儒教」にしても、インド・中国・朝鮮から伝わってきたものなんじゃよ。それを日本人が発展させて、今のやり方をつくってきた訳じゃが、まあ、いわば、インドや中国や朝鮮は、日本文化の母国ともいうべき存在なのじゃよ。滋賀県の文化にも、そのあとが多く残っている。因みに、日本では
親孝行とか長幼の序とかと言う「仁義礼智」といった儒教の精神は風前の灯し火じゃが、お隣の国では、まだまだ健在で、今、話題の韓流スターも、日本人が失いつつある儒教の精神を、彼らはしっかりと持っているところに、日本のフアンは惹かれるのじゃないかな?
だから、ながーく長く、大陸と日本は、仲良く交流し合ってきた。ところが、豊臣秀吉の晩年に、大陸進出の野望を持った秀吉が、軍隊を率いて、2度朝鮮出兵をして朝鮮の山河を焼き、多くの人を殺し、日本に拉致(らち)してきたし、朝鮮の文物(ぶんぶつ)を持ち帰った。この出兵は、朝鮮人民の激しい抵抗にあって失敗に終わる訳じゃが、日本に連れてこられた朝鮮の人が、すぐれた文化を日本のあちらこちらに咲かせていった。
秀吉の次に日本を統一した徳川家康は、朝鮮出兵の愚かしさを知っていたので、徳川時代の間は、日本は朝鮮と「善隣友好(ぜんりんゆうこう)」外交を展開し、江戸時代に12回、「朝鮮通信使」の大列が将軍を訪れた。文化先進国の通信使の行列は、日本の各地で“憧れ”を持って迎えられたということじゃ。滋賀県でも、朝鮮人街道と呼ばれる道があるじゃろう。この道を、朝鮮通信使が通っていったのじゃよ。そうそう、それに忘れてならないことは、県の北部にある高月町出身の雨森芳洲(あめのもりほうしゅう)という学者であり政治家が、朝鮮と日本の善隣友好外交に大きな貢献をした、ということじゃ。何かの機会に、高月町近くに行く機会があったら、ぜひ、芳洲の生家を訪ねられるとよい。町あげて、芳洲と日朝友好の歴史にまつわるものを大切に保存しておられる。
長い歴史で、交流・発展してきた時期が、圧倒的に長いことに注目じゃよネ。不幸な関係になったのは、その時の人にとっては長くて深刻な時期じゃけれど、歴史的に見れば、秀吉の時と明治以降という短い時期であるのじゃよ。だから、両国は、昔から親戚以上のつきあいだった明るい面にも注目して、悲観的にばかりにならないようにネ!!
(後日につづく)
※ 「朝鮮通信使」について、詳しくは、このアドレスをクリックしてください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E9%80%9A%E4%BF%A1%E4%BD%BF
チョー古老の話昔からの国際化
自己チューより善隣友好
むかーし昔、地球が今よりもっと寒くて、後に「氷河時代」と呼ばれた時期があった。大陸と日本列島は地つづきで、人も動物も、行き来しておった。それが、約1万年前、地球が今のように暖かくなって、海面が高くなって、今の日本列島が形づくられていった。それから、この日本列島で、人々はやがて独特な生活のやり方や文化をつくっていった訳じゃが、それでも今のアジア大陸、特に朝鮮半島との交流はかなりあって、日本の文化は、中国や朝鮮の影響を、色濃く受けておった。
たとえば、日本の稲作も、大陸から伝わってきたものだし、日本の文化の柱ともいうべき「仏教」や「漢字」や「儒教」にしても、インド・中国・朝鮮から伝わってきたものなんじゃよ。それを日本人が発展させて、今のやり方をつくってきた訳じゃが、まあ、いわば、インドや中国や朝鮮は、日本文化の母国ともいうべき存在なのじゃよ。滋賀県の文化にも、そのあとが多く残っている。因みに、日本では親孝行とか長幼の序とかと言う「仁義礼智」といった儒教の精神は風前の灯し火じゃが、お隣の国では、まだまだ健在で、今、話題の韓流スターも、日本人が失いつつある儒教の精神を、彼らはしっかりと持っているところに、日本のフアンは惹かれるのじゃないかな?
だから、ながーく長く、大陸と日本は、仲良く交流し合ってきた。ところが、豊臣秀吉の晩年に、大陸進出の野望を持った秀吉が、軍隊を率いて、2度朝鮮出兵をして朝鮮の山河を焼き、多くの人を殺し、日本に拉致(らち)してきたし、朝鮮の文物(ぶんぶつ)を持ち帰った。この出兵は、朝鮮人民の激しい抵抗にあって失敗に終わる訳じゃが、日本に連れてこられた朝鮮の人が、すぐれた文化を日本のあちらこちらに咲かせていった。
秀吉の次に日本を統一した徳川家康は、朝鮮出兵の愚かしさを知っていたので、徳川時代の間は、日本は朝鮮と「善隣友好(ぜんりんゆうこう)」外交を展開し、江戸時代に12回、「朝鮮通信使」の大列が将軍を訪れた。文化先進国の通信使の行列は、日本の各地で“憧れ”を持って迎えられたということじゃ。滋賀県でも、朝鮮人街道と呼ばれる道があるじゃろう。この道を、朝鮮通信使が通っていったのじゃよ。そうそう、それに忘れてならないことは、県の北部にある高月町出身の雨森芳洲(あめのもりほうしゅう)という学者であり政治家が、朝鮮と日本の善隣友好外交に大きな貢献をした、ということじゃ。何かの機会に、高月町近くに行く機会があったら、ぜひ、芳洲の生家を訪ねられるとよい。町あげて、芳洲と日朝友好の歴史にまつわるものを大切に保存しておられる。長い歴史で、交流・発展してきた時期が、圧倒的に長いことに注目じゃよネ。不幸な関係になったのは、その時の人にとっては長くて深刻な時期じゃけれど、歴史的に見れば、秀吉の時と明治以降という短い時期であるのじゃよ。だから、両国は、昔から親戚以上のつきあいだった明るい面にも注目して、悲観的にばかりにならないようにネ!!
(後日につづく)
※ 「朝鮮通信使」について、詳しくは、このアドレスをクリックしてください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E9%80%9A%E4%BF%A1%E4%BD%BF
ひたむきが渦巻く2時間ほど前に、テレビ毎日放送で、夕張市を舞台にしたドラマ「おふくろ先生のゆうばり診療日記」がありました。財政破綻の中でも、たくましく明るく生きる人々が描かれていました。困難の中でも、未来を切り拓こうとする人たち・・・翻って、夕張の人の苦しさは、他人事ではない。しかし、財政破綻ゆえ、工夫を凝らし、立ち上がる人々、そして若者。





私は、昨年の1月、夕張市の若者の「成人祭」への取り組みの熱情に感激し、次の句を詠みました。幸いに、全国新聞にのる機会を得、エールを送れたらいいな、と夕張の人たち、そして若者の目に留まることを願ってきました。ひたむきが渦巻く夕張成人祭
私の住む市でも、財政危機が言われています。皆さまのお住みの市町は、いかがでしょうか?
夕張の状況や地方の医療体制の状況等について、元埼玉県庁の職員で、現在は埼玉県の坂戸市にある城西大学の経営学部の准教授で行政マネジメントを教えておられる 伊関友伸さん が次のブログで、研究や取り組みの内容を報告されています。一度、ぜひ。このアドレスを開いてみてください。
http://iseki77.blog65.fc2.com/blog-entry-236.html
この記事を書いている24日朝、外は、雪が降りしきっています。ところで、
日本最高齢者ご逝去 そして・・・
高知県の豊永常代さん113歳(とよなが・つねよ=国内最高齢者)が22日、老衰のためお亡くなりになりました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
豊永さんも、長い歳月で、何度も雪の景色を見てこられたでしょう。私も、一昨年に兄、今年になって義兄を亡くし、私の胸にも、ひとしお寒さがしみてきます。
インターネットで、豊永さんのご逝去を知らせる記事の下に、 「都道府県別生命表」 の事が載せられていました。雪の静かな朝、命をめぐるさまざまな思いに感慨を持ちながら、この表を見ていました。
厚生労働省発表の「都道府県生命表」のアドレスをご紹介しますので、これからの健康に関する決意、日本の過去や現状への思い等、さまざまに思いくゆらしていただければ、とご紹介します。
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/tdfk05/index.html
※ 蛇足ですが、私の凡句を載せさせて頂きます。
降る雪の 音が語りし 人無常
すみません。しんみりし過ぎていて・・・。しんみりし過ぎたままだと、申し訳ないので・・・
雪の下 出番を窺う 春蠢動
日本最高齢者ご逝去 そして・・・
高知県の豊永常代さん113歳(とよなが・つねよ=国内最高齢者)が22日、老衰のためお亡くなりになりました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
豊永さんも、長い歳月で、何度も雪の景色を見てこられたでしょう。私も、一昨年に兄、今年になって義兄を亡くし、私の胸にも、ひとしお寒さがしみてきます。
インターネットで、豊永さんのご逝去を知らせる記事の下に、 「都道府県別生命表」 の事が載せられていました。雪の静かな朝、命をめぐるさまざまな思いに感慨を持ちながら、この表を見ていました。
厚生労働省発表の「都道府県生命表」のアドレスをご紹介しますので、これからの健康に関する決意、日本の過去や現状への思い等、さまざまに思いくゆらしていただければ、とご紹介します。
http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/tdfk05/index.html
※ 蛇足ですが、私の凡句を載せさせて頂きます。
降る雪の 音が語りし 人無常
すみません。しんみりし過ぎていて・・・。しんみりし過ぎたままだと、申し訳ないので・・・
雪の下 出番を窺う 春蠢動
私は、2つの違う職種の公務員経験とその中でも長く外部の人と連絡調整する職務をしてきたことやアルバイトでの民間企業の経験、また自治会での民間企業で働く人たちとの交流もあって、官の世界の良いも悪いも、内側からも外側からも見てきて、いろいろ考えてきました。そこで、「行政と市民が一緒になって街を造ろう! お金のかからない行政改革」 ということをプリントにまとめて、会議に提出し意見を言いました。「お金のかからない行政改革」
~行政と市民のパートナーシップ構築のために~
私も、長い公務員生活をして、公務員やそれに近い職種の方の心情は、よく分かっているつもりです。私も若い頃は、勉強不足から傲慢で、無自覚な考え方をしたこともありま したが、徐々に府民・県民・地域社会の住民・子どもたち・同僚などの言葉に鍛えられ、また自分自身が一生活者として苦しみ、子育てに悩み、病気になったり、老境に入ってくるに及んで、一旦は、相手の立場に立ってものごとを考える大切さと 組織の外側から、組織を見つづけることの大切さ を学んでいきました。
今、公務員およびそれに準ずる人たちや組織のあり方が、しばしば大問題に>なっていますが、私の経験から得たその原因は?
◆・・・組織の 身内のかばい合い意識、隠蔽体質・・・かばいあい意識だけでは、組織は前進しません。私も同僚の批判で反省したことも多くありました。
ことなかれ主義、勉強不足、惰性、前例踏襲主義 自分の任期だけ無難に過ぎればよい、新しい事への挑戦は排除される傾向が強い。
組織や自分たちに対して、
“異質”なものへの嫌悪と排除
しかし、力の強い集団や人たちへの迎合・保身体質・・・ 「強きに弱く、弱きに強い」行政への、住民・国民の不信不満への無感覚無感性 ・・・◆
↓↓
その結果としての、“血税”の意味を理解しない傲慢・無自覚・非民主的な対応の積み重ねが、大きなほころび(大問題)になっていく、
と思っています。これは、たんに本市だけの問題でなく、国も、他、もろもろの半官的組織も、同じような体質を持っていると思います。住民や国民は、一部の人は別ですが、一生懸命働いて、少ない収入の中から税金を納めているのです。 誰のために、何のためにその仕事があるのか・・・ 誰でも、どの組織でも、時には、思い違いもあり、判断ミスもあります。その時、平素から住民や国民の声に柔らかい感性で向き合っていれば、より正しい方向に行けるのではないでしょうか。
官に働く人も、一人の人間・住民・国民であり、生活人です。そのことも大切にされ、 一生活人としての感覚や価値観を仕事に生かせる職場環境づくり ・・・このことは、今、先進的な民間企業では大切にしていることですが、「滅私奉公」ではなく、一生活人・家庭人としても喜びを持って働ける環境づくりこそ、今、日本中が考えなければならない課題 だと思います。
市民に愛され、支持される組織であるために、真に、住民の福祉向上に貢献できる組織を目指して、不断に住民の声を聞き、研鑽・改革をされるよう切望します。ほんの少し、官の体質が変われば、市民と手を結べます。それが、本当の「行政改革」ではないかと・・・。
自分の住んでいる街を少しでもよくしたい、その一念から、またそういう思いを持った人もたくさんいることに気づきながら、声をあげています。イージス艦も、惰性と傲慢さがあったのかも知れませんね。私のような文句言いを排除するのではなく、市を愛し、人を愛するが故の、ひとつの例と理解してください。民主政治は、むしろ反対の意見に寛容であること、大切にすることによって、より発展するものですよね。 昨日につづいて、お送りします。
届け 君が胸に 市民の声!
届け 君が胸に 市民の声
!
市の「行革」担当者も苦労しているうようですが、会議でも、出先の職員も含めてすべての職員の意識の問題、住民自治との連携の問題、住民への広報のあり方など、特に公募委員からですが、私も意見を噴出させました。名もない私のような人間の声は、なかなか県も市も聞く聞くとは言っていますが、軽く無視されます。
私は、市民の間に、今までの施策の不公平さや、さらに最近では病院経営からくる財政危機への不信感や不安感があること、それが周辺の市町との合併の困難さにつながっていると、と言いました。市民の中には、税金も高いし、先行きも暗いし、引っ越ししようかすらとの声もある、当市を第二の夕張(頑張っている夕張の人に、ごめんなさい。悪い例えにお名前を出して・・・)にしたくない、行政も議会も市民も、本音をぶつけあって話し合って、市を「どげんかしていこう!」と、言いました。
「行革」 (行政改革の略) は、お金(経費)、それに伴う施策事業の削減だけではありません。市当局(行政と議会)と市民が啓発し合って、お互いに、育てあって、意識を改革し、よりよい町造りをしていく。なんでも税金でカタをつけるのではなく、協働共同の作業によって、不要不急の事業はカットでき、結果的に、経費をも削減することにつながります。
私の願う街の姿のひとつは、若者が居つき、行き交う街です。そのためには、雇用が促進されなければならないし、そのためには、企業が来たいと思う魅力ある町造り、それに行革ですぐ思いつく公務員の削減のターゲットに、組織を持たない若者の新採用をストップすることの不公正さを言いました。本市は「人権擁護都市宣言」をしている市です。その市が 特定の年齢層の人の人権「職業選択の自由」の門戸を事実上閉ざすことの不公正さ を言いました。組織に断層や積み重ねの切れ目を生まないためにも、また、少子化を防ぐためにも、また高齢化社会を支え、年金体制を維持するためにも 若者の雇用と経済力の向上を国も地方自治体も企業も真剣に考えなければ、日本の未来は危ういものになります。 それを避けるために、法律の改正が必要になるかも知れませんが、「ワーク・シェアリング」という考え方の導入や、既成の既得権益勢力への切り込み等を主張しました。今までの行政は、既成の強い勢力には“オンブに抱っこ”の精神で寄っていきますが、新しい微弱な声には冷たい、という印象を持っています。微弱な声や声なき声も含めて、いろいろなところに目配りする、もっと市民の中に入って、日常の生活の真っ只中にいる庶民の感覚に目線を合わせる努力の大切さを力説しました。
私は、市当局を敵視するものでもないし、行政の事業の削減や民営化等への努力は大変なものだと評価しています。また、かなりの数の項目の事業や補助金負担が今まであったんだなぁ、と改めて気づかされました。市民の私としては、うかつだったのですが、知らないままきました。保育所の民営化など身近な生活に直結する改革もあり、市民も、もっと市政に関心を持っていかねばと思いました。
私は、2つの違う職種の公務員経験とその中でも長く外部の人と連絡調整する職務をしてきたことやアルバイトでの民間企業の経験、また自治会での民間企業で働く人たちとの交流もあって、官の世界の良いも悪いも、内側からも外側からも見てきて、いろいろ考えてきました。そこで、「行政と市民が一緒になって街を造ろう! お金のかからない行政改革」 ということをプリントにまとめて、会議に提出しました。
(明日へつづく)
届け 君が胸に 市民の声!
届け 君が胸に 市民の声
!市の「行革」担当者も苦労しているうようですが、会議でも、出先の職員も含めてすべての職員の意識の問題、住民自治との連携の問題、住民への広報のあり方など、特に公募委員からですが、私も意見を噴出させました。名もない私のような人間の声は、なかなか県も市も聞く聞くとは言っていますが、軽く無視されます。
私は、市民の間に、今までの施策の不公平さや、さらに最近では病院経営からくる財政危機への不信感や不安感があること、それが周辺の市町との合併の困難さにつながっていると、と言いました。市民の中には、税金も高いし、先行きも暗いし、引っ越ししようかすらとの声もある、当市を第二の夕張(頑張っている夕張の人に、ごめんなさい。悪い例えにお名前を出して・・・)にしたくない、行政も議会も市民も、本音をぶつけあって話し合って、市を「どげんかしていこう!」と、言いました。
「行革」 (行政改革の略) は、お金(経費)、それに伴う施策事業の削減だけではありません。市当局(行政と議会)と市民が啓発し合って、お互いに、育てあって、意識を改革し、よりよい町造りをしていく。なんでも税金でカタをつけるのではなく、協働共同の作業によって、不要不急の事業はカットでき、結果的に、経費をも削減することにつながります。
私の願う街の姿のひとつは、若者が居つき、行き交う街です。そのためには、雇用が促進されなければならないし、そのためには、企業が来たいと思う魅力ある町造り、それに行革ですぐ思いつく公務員の削減のターゲットに、組織を持たない若者の新採用をストップすることの不公正さを言いました。本市は「人権擁護都市宣言」をしている市です。その市が 特定の年齢層の人の人権「職業選択の自由」の門戸を事実上閉ざすことの不公正さ を言いました。組織に断層や積み重ねの切れ目を生まないためにも、また、少子化を防ぐためにも、また高齢化社会を支え、年金体制を維持するためにも 若者の雇用と経済力の向上を国も地方自治体も企業も真剣に考えなければ、日本の未来は危ういものになります。 それを避けるために、法律の改正が必要になるかも知れませんが、「ワーク・シェアリング」という考え方の導入や、既成の既得権益勢力への切り込み等を主張しました。今までの行政は、既成の強い勢力には“オンブに抱っこ”の精神で寄っていきますが、新しい微弱な声には冷たい、という印象を持っています。微弱な声や声なき声も含めて、いろいろなところに目配りする、もっと市民の中に入って、日常の生活の真っ只中にいる庶民の感覚に目線を合わせる努力の大切さを力説しました。
私は、市当局を敵視するものでもないし、行政の事業の削減や民営化等への努力は大変なものだと評価しています。また、かなりの数の項目の事業や補助金負担が今まであったんだなぁ、と改めて気づかされました。市民の私としては、うかつだったのですが、知らないままきました。保育所の民営化など身近な生活に直結する改革もあり、市民も、もっと市政に関心を持っていかねばと思いました。
私は、2つの違う職種の公務員経験とその中でも長く外部の人と連絡調整する職務をしてきたことやアルバイトでの民間企業の経験、また自治会での民間企業で働く人たちとの交流もあって、官の世界の良いも悪いも、内側からも外側からも見てきて、いろいろ考えてきました。そこで、「行政と市民が一緒になって街を造ろう! お金のかからない行政改革」 ということをプリントにまとめて、会議に提出しました。
(明日へつづく)
名もなき一市民の声を!!!
昨日と言っても、数時間前、私は我が市の役場の委員会室での会議に出席していました。その名は、「行政改革推進委員会」。私は、その中で役場の募集に応じた公募委員を勤めています。
定年退職後、いわゆる新興住宅団地に住む人間は、特に男性は、旧の字の人のように、お寺や神社の役に当たることもなく、地域の役にも輪番か抽選以外に当たることはなく、その意味では気楽だけれど寂しい孤独な生活に入ります。自分から、積極的に何かを求めて行かないと、家の中でテレビ相手に、家人以外の誰とも話さないという状態になります。私も
、定年後、しばらくは孤立したような状態になって、食っちゃ寝の生活がつづき、「このままではヤバイぞ! ボケてしまうぞ!」と考えまして、ピアノを本格的に始めたり、シルバー人材センターさんに入会してそのお世話で週何日か短時間ずつでも働くようになりました。
定年後しばらくのエアーポケットへ蟄居しているときに、市の広報冊子で「市の行政改革推進委員会委員」の募集を知り、私は「住民の、住民による、住民のための市政」・「旧制度(アンシャン・レジーム)への固執をやめて、アンテナを高く鋭敏に、市民の声を聞き、市民とのパートナーシップの構築を!」と訴える文を書いて、また20代後半から当市に住み着いて当市でお世話になった恩返しということから応募し、5名の公募委員に採用されました。若いときから、住み着いた新興住宅団地で自治会興しに関わり、憲法で保障されている「信教の自由」に配慮しながら地蔵尊の建立に参画し、「新興住宅団地の子どもたちにもふるさとを」という願いから、いろいろ活動してきました。〔何か自己PRみたいですが、それは本意ではなく、きょうは、極めてまじめに冗談抜きで、このブログの文を書いています。いつもも、まじめですが・・・〕
委員会には、他に、大学の教師とか会社経営者や既存の何かの住民自治会の関係者等、いわゆる有識者委員が5名、そこへ市の担当者が入って、「市の行政のあり方、行政改革の方向や計画」について話し合っています。




方向や計画、と言っても、市行政の担当者が原案を細部まで創り、素人同然の委員(特に公募委員)がそれにもの申して、訳が十分分からぬうちに2時間半ほどで閉会という状態が、ここ数年、しかも年に多くて4~5回ほど、今年度は2回、基本的には役場内の仕事の進捗の都合の範囲内で開催されるという状態が続いていました。
それでも、委員会は毎回議論が燃え、特に公募委員は市民ですから、市民としての立場、感覚から意見を言ってきました。私も
、 「行政改革は、お金(経費)だけの改革ではない。お役所から市民に発せられる言葉や行政の姿勢・体質・あり方や市民との連携のあり方の改革も、行革委員会の重大な課題だ」 と言い続けて、行政施策の優先順位のあり方や不公正さについて意見を言い続けてきました。
こうしたことを書くのに勇気がいります。ただ子や孫の代によい郷土を残してやりたいという思いが強く、書くことを決意しました。
政治への無関心が社会問題になってます。一人ひとりが、身の回りのことに目を向けることから、町造りは始まります。
長くなりますので、明日に続けさせて頂きます。
昨日と言っても、数時間前、私は我が市の役場の委員会室での会議に出席していました。その名は、「行政改革推進委員会」。私は、その中で役場の募集に応じた公募委員を勤めています。
定年退職後、いわゆる新興住宅団地に住む人間は、特に男性は、旧の字の人のように、お寺や神社の役に当たることもなく、地域の役にも輪番か抽選以外に当たることはなく、その意味では気楽だけれど寂しい孤独な生活に入ります。自分から、積極的に何かを求めて行かないと、家の中でテレビ相手に、家人以外の誰とも話さないという状態になります。私も
、定年後、しばらくは孤立したような状態になって、食っちゃ寝の生活がつづき、「このままではヤバイぞ! ボケてしまうぞ!」と考えまして、ピアノを本格的に始めたり、シルバー人材センターさんに入会してそのお世話で週何日か短時間ずつでも働くようになりました。
定年後しばらくのエアーポケットへ蟄居しているときに、市の広報冊子で「市の行政改革推進委員会委員」の募集を知り、私は「住民の、住民による、住民のための市政」・「旧制度(アンシャン・レジーム)への固執をやめて、アンテナを高く鋭敏に、市民の声を聞き、市民とのパートナーシップの構築を!」と訴える文を書いて、また20代後半から当市に住み着いて当市でお世話になった恩返しということから応募し、5名の公募委員に採用されました。若いときから、住み着いた新興住宅団地で自治会興しに関わり、憲法で保障されている「信教の自由」に配慮しながら地蔵尊の建立に参画し、「新興住宅団地の子どもたちにもふるさとを」という願いから、いろいろ活動してきました。〔何か自己PRみたいですが、それは本意ではなく、きょうは、極めてまじめに冗談抜きで、このブログの文を書いています。いつもも、まじめですが・・・〕委員会には、他に、大学の教師とか会社経営者や既存の何かの住民自治会の関係者等、いわゆる有識者委員が5名、そこへ市の担当者が入って、「市の行政のあり方、行政改革の方向や計画」について話し合っています。





方向や計画、と言っても、市行政の担当者が原案を細部まで創り、素人同然の委員(特に公募委員)がそれにもの申して、訳が十分分からぬうちに2時間半ほどで閉会という状態が、ここ数年、しかも年に多くて4~5回ほど、今年度は2回、基本的には役場内の仕事の進捗の都合の範囲内で開催されるという状態が続いていました。
それでも、委員会は毎回議論が燃え、特に公募委員は市民ですから、市民としての立場、感覚から意見を言ってきました。私も
、 「行政改革は、お金(経費)だけの改革ではない。お役所から市民に発せられる言葉や行政の姿勢・体質・あり方や市民との連携のあり方の改革も、行革委員会の重大な課題だ」 と言い続けて、行政施策の優先順位のあり方や不公正さについて意見を言い続けてきました。 こうしたことを書くのに勇気がいります。ただ子や孫の代によい郷土を残してやりたいという思いが強く、書くことを決意しました。
政治への無関心が社会問題になってます。一人ひとりが、身の回りのことに目を向けることから、町造りは始まります。
長くなりますので、明日に続けさせて頂きます。
昨日につづいて「夢」について。“夢想花”のひとつのテーマは「夢」です。
心の赴くまま訳の分かったような、分からんような詩(もどき)を書きました。羞恥・躊躇・逡巡を超えて、エエィっ!! 発表しちゃいます。
夢の反対語?
夢の反対語は、何ですか?
夢の反対語は、現実? 挫折?
いいや、夢の反対語は、夢かも知れません
夢は、机上の空論かも
現実を知り 挫折を味わうことによって
夢の中身が深くなる
挫折に苦しみ 越えていくなかで
現実をつかみ 夢への助走が始まっていく
挫折 現実 その延長線上に 夢
向き合い へし合い
それでも ゆっくりと歩みつづける
挫折 それは 人生の小休止
挫折 それは 人生の師
挫折 それは 夢への方程式
そして 現実
現実は 汲めども尽きぬ 大海のよう
だが現実は 同時に
小さな「命」の 小さな「営み」の積み重ね
喜びや 悲しみや 希望や 失望が
声張り上げる
愛しくて 哀しくて 健気が いっぱい 行き交う
街
夢への旅人が ひしめいて
同時に
夢への思いが 置き去りにされる
街
夢は そうした 現実に向き合い
挫折とつきあう中で 姿あらわす
気まぐれ者
夢は やっぱり 追うてゆきたい
挫折 現実 の延長線上
夢追うて より知ることのできる
現実と 挫折
そして 再び・・・
そして 再び・・・
夢の反対語は、何ですか?

心の赴くまま訳の分かったような、分からんような詩(もどき)を書きました。羞恥・躊躇・逡巡を超えて、エエィっ!! 発表しちゃいます。夢の反対語?
夢の反対語は、何ですか?
夢の反対語は、現実? 挫折?
いいや、夢の反対語は、夢かも知れません
夢は、机上の空論かも
現実を知り 挫折を味わうことによって
夢の中身が深くなる
挫折に苦しみ 越えていくなかで
現実をつかみ 夢への助走が始まっていく
挫折 現実 その延長線上に 夢
向き合い へし合い
それでも ゆっくりと歩みつづける
挫折 それは 人生の小休止
挫折 それは 人生の師
挫折 それは 夢への方程式
そして 現実
現実は 汲めども尽きぬ 大海のよう
だが現実は 同時に
小さな「命」の 小さな「営み」の積み重ね
喜びや 悲しみや 希望や 失望が
声張り上げる
愛しくて 哀しくて 健気が いっぱい 行き交う

街
夢への旅人が ひしめいて
同時に
夢への思いが 置き去りにされる
街夢は そうした 現実に向き合い
挫折とつきあう中で 姿あらわす
気まぐれ者夢は やっぱり 追うてゆきたい
挫折 現実 の延長線上
夢追うて より知ることのできる
現実と 挫折
そして 再び・・・
そして 再び・・・
夢の反対語は、何ですか?


きのうに続いて、お送りします。
夢への努力 そして 七転び八起き
テレビ番組で、歌手の藤井フミヤさんが、次のような言葉を・・・。
「夢を持って、そこへの努力が大事。途中で、夢が変わっても平気。それは“挫折”とは言わない」
と。・・・
確かにそうですね。私の人生を振り返ってみても、夢がみんなかなった、ということはない。かなわなかったことも多い。運もあろうし、タイミングもあろうし、ただ夢実現のために積んだ「努力」は、その人の内部に残って、人間として何らかの実力として蓄積されます、と思います。。。ま、「努力」は、よそからの評価いかんに関わらず、自分の内部で、実力の伸びとして確認できます。きのうより、1㎝~2㎝でもいいし、自己満足と言われようと、努力を重ねることが大事、大切、そして very important!!
そして、同時に夢が外れたときに、別の「選択肢」を、心の中の「保険」としてかけて、それへの備えの努力も大事、だというのが、私
の人生の智恵でもありました。みんなが狙う夢の実現は、そう簡単ではない。私も若い頃何社かの就職試験に落ちたとき、自分を選ばなかった企業は将来損をするだろう、との負け惜しみを喚起して、それを発奮材料に別の道を探し求めました。「振られたら振り返せ」・・・これは、兄から聞いた言葉ですが、そのためには自分に力をつけるための努力もしなければならない。己を見つめ、自分を、時には、転身させる勇気も、努力も・・・。
どっちにしても、よく自分をみつめ挫折も大事、人生の肥やし、七転び八起きの精神で・・・したたかに、しなやかに考えて、取り組む姿勢が、夢実現への、パートナーではないかと思う次第であります。夢破れたなれの果ての、私の分かったような講釈でスミマセン。
お詫びに、我が家の壁に掛かっていたカレンダーに載っていた江戸時代の常陸国水戸藩第2代藩主徳川光圀公(水戸黄門さんはその異称)の言葉をご紹介します。
苦は楽の種
楽は苦の種と知るべし
どっちにしても、 「人の一生は重荷を負ふて遠き道をゆくがごとし… 怒りは敵とおもへ」 (江戸幕府初代将軍徳川家康公)のようです。ですが、前へ前へ・・・・「怒り」は「短慮」、怒らずに・・・これがまた難しい。
※ 徳川光圀公と徳川家康公については、よかったら、下記アドレスをクリックしてください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E5%85%89%E5%9C%80
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E5%AE%B6%E5%BA%B7
夢への努力 そして 七転び八起き
テレビ番組で、歌手の藤井フミヤさんが、次のような言葉を・・・。
「夢を持って、そこへの努力が大事。途中で、夢が変わっても平気。それは“挫折”とは言わない」
と。・・・
確かにそうですね。私の人生を振り返ってみても、夢がみんなかなった、ということはない。かなわなかったことも多い。運もあろうし、タイミングもあろうし、ただ夢実現のために積んだ「努力」は、その人の内部に残って、人間として何らかの実力として蓄積されます、と思います。。。ま、「努力」は、よそからの評価いかんに関わらず、自分の内部で、実力の伸びとして確認できます。きのうより、1㎝~2㎝でもいいし、自己満足と言われようと、努力を重ねることが大事、大切、そして very important!!そして、同時に夢が外れたときに、別の「選択肢」を、心の中の「保険」としてかけて、それへの備えの努力も大事、だというのが、私
の人生の智恵でもありました。みんなが狙う夢の実現は、そう簡単ではない。私も若い頃何社かの就職試験に落ちたとき、自分を選ばなかった企業は将来損をするだろう、との負け惜しみを喚起して、それを発奮材料に別の道を探し求めました。「振られたら振り返せ」・・・これは、兄から聞いた言葉ですが、そのためには自分に力をつけるための努力もしなければならない。己を見つめ、自分を、時には、転身させる勇気も、努力も・・・。どっちにしても、よく自分をみつめ挫折も大事、人生の肥やし、七転び八起きの精神で・・・したたかに、しなやかに考えて、取り組む姿勢が、夢実現への、パートナーではないかと思う次第であります。夢破れたなれの果ての、私の分かったような講釈でスミマセン。
お詫びに、我が家の壁に掛かっていたカレンダーに載っていた江戸時代の常陸国水戸藩第2代藩主徳川光圀公(水戸黄門さんはその異称)の言葉をご紹介します。
苦は楽の種
楽は苦の種と知るべし
どっちにしても、 「人の一生は重荷を負ふて遠き道をゆくがごとし… 怒りは敵とおもへ」 (江戸幕府初代将軍徳川家康公)のようです。ですが、前へ前へ・・・・「怒り」は「短慮」、怒らずに・・・これがまた難しい。
※ 徳川光圀公と徳川家康公については、よかったら、下記アドレスをクリックしてください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E5%85%89%E5%9C%80
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E5%AE%B6%E5%BA%B7
人生、万事、塞翁が馬 
三隣亡と言っていいのかな、迷信っぽくてなんだけど、昨日は、最悪なことが続きました。まず、朝。雪が降って、道にも雪が積もっていました。細い道から広い道へ出るT字路の手前で、軽自動車が停まっていました。私は、マイカーで仕事への出勤途上。雪なのでの、いつもより早めに家を出たのですが、このT字路の手前で、前の車が動かないので、1分以上(かなり長く感じた)待ちました、一向に発進する気配がないので、少しイラついて、「プっ」と軽くクラクションを鳴らしました。すると、私は前の車から1メートルちょっと離れて停止していたのですが、何を思ったのか、前の車がズズっと、やや下り坂だった道をずり落ちてきて、走馬燈のように私の眼前に近づいてきて、ドンっと私の車の前のバンバー(正確には、前のナンバープレート)に当たってきました。
「大丈夫ですかぁ?」と言って降りてきたのは、若い女性。おそらく出勤途上でしょう。広い道の交通量の激しさになかなか発進できなかったとのことでした。バンバーを見ても大したことはなかったようなので、私は「大丈夫。エエわ。」と言って、私も急いでいたので、彼女の免許証も電話番号も聞くことなく、お互い分かれて車に乗りました。
また、前の彼女の車の発進を待ったのですが、動く気配がありません。
「これは、なんぼ待ってもアカンわ」と思って、私は車を降り、広い道に出て、やや交通整理をし、彼女の車を誘導しました。
彼女は、さわやかな声で、「有り難うございます」と言って、走り去ってしまいました。
私のオメデタさも、ほどほどに、という朝のワン・シーンでした。ダレや、「女性に甘い」と言うのは・・・? おんなじ、おんなじ。エラそうに反省もしない輩以外は、おんなじ。ただ、今回の対応で、本人も、私も、今後、より慎重になれたかなぁ
、という反省は、ちらっとあるけど・・・。
ここで得た、車の運転にカンする教訓。
① むやみにクラクションを鳴らさない。相手に、精
神的動揺を与える。
② 雪降りのときは、余裕に余裕の時間を計算し
て、いつもよりもっともっと早く、出発しましょう。
③ 〔彼女に関して、多分〕 タイヤを降雪時にふさ
わしいものにして置いてほしい。
④ 〔彼女と私に関して〕 自信がない状況(例え
ば、 雪とか大雨とか)の時には、車の運転を
やめましょう。
⑤ 〔私も、できたら彼女も、今度会ってもお互い
顔も分からないと思いますが、思い出は残りま
すので〕 以上のことを、生涯、忘れずに、今回の
ことを「生涯の教科書・教訓」にしていきましょう。
他、左目がその前の日から充血して(今の仕事場で若い頃に働いていた職場での後輩にあたる人と偶然再会して、その人が眼科医院の電話番号を調べてくれて、感謝
。昼過ぎに、眼科医院に行って治療してもらいましたが・・)していたのと、夜から少し喉がイガラくなってやや風邪気味なのかな、と悪いこと3重奏の三隣亡みたいなのきのうでした。しかし、いずれも大事に至らなくて、昨日のことを教訓にしたり、マズいことがあった故に人の親切に出会えたことを考えたりすれば「人生、万事、塞翁が馬」 と、自分のオメデタさをカバーするためにも、前向きに考えようとしている私でした(自画自賛!?)。
深夜に、ブログで発表するのも、“省エネ”に反して気が引けますが、今朝、車で出勤される読者の方もいらっしゃる(読んでもらえるかな?)、少しでもお役に立てればと思いますので、あえて、この時間帯でも発表させて頂くことにしました。でも、高齢者の夜は長い。
今、パソコンを打っている目の前で、テレビでは、森山直太朗さんが、どこかの高校で女子高生と「さくら」を合唱しています。まるで、天使が舞い降りてきたような(大げさでなく)きれいな声の彼の歌声、そしてきらきらとした目で彼を見て合唱する高校生たち。。。。この人たちにとっても、この合唱は「生涯の思い出・教科書」になっていくのでしょう。 それにしても、音楽はイイ。。。。。とは、天国から笠智衆さんの言葉(
?)。。。
続いてのテレビ番組で、歌手の藤井直也さんが・・・(長いので、明日へ)

三隣亡と言っていいのかな、迷信っぽくてなんだけど、昨日は、最悪なことが続きました。まず、朝。雪が降って、道にも雪が積もっていました。細い道から広い道へ出るT字路の手前で、軽自動車が停まっていました。私は、マイカーで仕事への出勤途上。雪なのでの、いつもより早めに家を出たのですが、このT字路の手前で、前の車が動かないので、1分以上(かなり長く感じた)待ちました、一向に発進する気配がないので、少しイラついて、「プっ」と軽くクラクションを鳴らしました。すると、私は前の車から1メートルちょっと離れて停止していたのですが、何を思ったのか、前の車がズズっと、やや下り坂だった道をずり落ちてきて、走馬燈のように私の眼前に近づいてきて、ドンっと私の車の前のバンバー(正確には、前のナンバープレート)に当たってきました。
「大丈夫ですかぁ?」と言って降りてきたのは、若い女性。おそらく出勤途上でしょう。広い道の交通量の激しさになかなか発進できなかったとのことでした。バンバーを見ても大したことはなかったようなので、私は「大丈夫。エエわ。」と言って、私も急いでいたので、彼女の免許証も電話番号も聞くことなく、お互い分かれて車に乗りました。また、前の彼女の車の発進を待ったのですが、動く気配がありません。
「これは、なんぼ待ってもアカンわ」と思って、私は車を降り、広い道に出て、やや交通整理をし、彼女の車を誘導しました。
彼女は、さわやかな声で、「有り難うございます」と言って、走り去ってしまいました。
私のオメデタさも、ほどほどに、という朝のワン・シーンでした。ダレや、「女性に甘い」と言うのは・・・? おんなじ、おんなじ。エラそうに反省もしない輩以外は、おんなじ。ただ、今回の対応で、本人も、私も、今後、より慎重になれたかなぁ
、という反省は、ちらっとあるけど・・・。ここで得た、車の運転にカンする教訓。
① むやみにクラクションを鳴らさない。相手に、精
神的動揺を与える。
② 雪降りのときは、余裕に余裕の時間を計算し
て、いつもよりもっともっと早く、出発しましょう。
③ 〔彼女に関して、多分〕 タイヤを降雪時にふさ
わしいものにして置いてほしい。
④ 〔彼女と私に関して〕 自信がない状況(例え
ば、 雪とか大雨とか)の時には、車の運転を
やめましょう。
⑤ 〔私も、できたら彼女も、今度会ってもお互い
顔も分からないと思いますが、思い出は残りま
すので〕 以上のことを、生涯、忘れずに、今回の
ことを「生涯の教科書・教訓」にしていきましょう。
他、左目がその前の日から充血して(今の仕事場で若い頃に働いていた職場での後輩にあたる人と偶然再会して、その人が眼科医院の電話番号を調べてくれて、感謝
。昼過ぎに、眼科医院に行って治療してもらいましたが・・)していたのと、夜から少し喉がイガラくなってやや風邪気味なのかな、と悪いこと3重奏の三隣亡みたいなのきのうでした。しかし、いずれも大事に至らなくて、昨日のことを教訓にしたり、マズいことがあった故に人の親切に出会えたことを考えたりすれば「人生、万事、塞翁が馬」 と、自分のオメデタさをカバーするためにも、前向きに考えようとしている私でした(自画自賛!?)。深夜に、ブログで発表するのも、“省エネ”に反して気が引けますが、今朝、車で出勤される読者の方もいらっしゃる(読んでもらえるかな?)、少しでもお役に立てればと思いますので、あえて、この時間帯でも発表させて頂くことにしました。でも、高齢者の夜は長い。
今、パソコンを打っている目の前で、テレビでは、森山直太朗さんが、どこかの高校で女子高生と「さくら」を合唱しています。まるで、天使が舞い降りてきたような(大げさでなく)きれいな声の彼の歌声、そしてきらきらとした目で彼を見て合唱する高校生たち。。。。この人たちにとっても、この合唱は「生涯の思い出・教科書」になっていくのでしょう。 それにしても、音楽はイイ。。。。。とは、天国から笠智衆さんの言葉(
?)。。。続いてのテレビ番組で、歌手の藤井直也さんが・・・(長いので、明日へ)
先週土曜日のテレビドラマ「フルスィング」の中に「啐啄同機」という言葉がありました。ご参考になればと、お送りします。
啐啄同機(そったくどうき)
広辞苑によれば
「啐啄」 の「啐」は、鶏の卵がかえる時、鶏の中で雛がつつく音。「啄」は母鶏が殻を噛み破ること。
① 禅宗で、師家(しけ)と弟子の働きが合致するこ
と。 啐啄同時。
② 逃したら、またと得難い、よい時機。
とあります。
人生における絶妙のタイミングの大切さを言っていると思います。が、親子関係にあっても、子が親の庇護から抜け出す自立への動きと、親が子から離れていく、両者のタイミングを合致させるということは、本当に、難しいことですよね。
親子だけでなく恋人同士でも、夫婦でも、どの人間関係にあっても、機が熟するのを待つ度量というか辛抱強さや冷静な判断力は、さんざん大切だと思い知らされて、失敗を重ねつつ、よろよろたどたどと人生行路を歩んできました。焦りは禁物、だけど「先手必勝」という言葉もあるし、どうせいっちゅねん、と言うのが凡人私メの所感です。
「啐啄同機」(さいたくどうき)とも言われているようで、これについての佐藤栄作元総理大臣とその師安岡正篤氏とのエピソードについては、佐藤元首相のご夫人が述べておられます。よかったら、下記アドレスをクリックしてみてください。
http://www.chichi-yasuoka.com/episode01.html
※ なお、読み方については、「さいたくどうき」が本来だという表記もあり、今後、私なりに、勉強していきたいと思います。
啐啄同機(そったくどうき)
広辞苑によれば
「啐啄」 の「啐」は、鶏の卵がかえる時、鶏の中で雛がつつく音。「啄」は母鶏が殻を噛み破ること。
① 禅宗で、師家(しけ)と弟子の働きが合致するこ
と。 啐啄同時。
② 逃したら、またと得難い、よい時機。
とあります。
人生における絶妙のタイミングの大切さを言っていると思います。が、親子関係にあっても、子が親の庇護から抜け出す自立への動きと、親が子から離れていく、両者のタイミングを合致させるということは、本当に、難しいことですよね。
親子だけでなく恋人同士でも、夫婦でも、どの人間関係にあっても、機が熟するのを待つ度量というか辛抱強さや冷静な判断力は、さんざん大切だと思い知らされて、失敗を重ねつつ、よろよろたどたどと人生行路を歩んできました。焦りは禁物、だけど「先手必勝」という言葉もあるし、どうせいっちゅねん、と言うのが凡人私メの所感です。
「啐啄同機」(さいたくどうき)とも言われているようで、これについての佐藤栄作元総理大臣とその師安岡正篤氏とのエピソードについては、佐藤元首相のご夫人が述べておられます。よかったら、下記アドレスをクリックしてみてください。http://www.chichi-yasuoka.com/episode01.html
※ なお、読み方については、「さいたくどうき」が本来だという表記もあり、今後、私なりに、勉強していきたいと思います。
人間が生きてること自体が リハビリ
最近のテレビで、心に残った、歌手の綾戸智絵さんの言葉。身内の方に「いつまでリハビリしんならんねん?」という問いに答えて、綾戸さんが、このような言葉で答えたという。
・・・人間が生きてること自体がリハビリみたいなもんや。 生きてる限り、リハビリしなアカン。 リハビリやめる時は、死ぬ時や・・・と。
この言葉を聞いて、私はう~んとうなりました。確かに、私が毎日やっていることは、平素使わずに廃れてしまった筋肉や神経を再開発したり、わが人生で全く未開拓な機能や可能性を開くことをしているのだろう。要は、可能性を信じて、前向きに生きろ! ということだろう。 だから、「生きていること自体がリハビリみたいなもんや」に、まったく、納得! う~ん!!!※ 別件ですが、2月12日NHK総合テレビ番組「生活ほっとモーニング」で、「クイズdeなっとく! 家庭で簡単! 節約術」が紹介されていました。省エネ、地球にやさしい私たちの生活を考える上で、参考になる情報満載でしたので、ご紹介します。下記のアドレスを開いてみてください。
http://www.nhk.or.jp/hot/2008/0212/index.html
哀しくも切ない会話
最近の妻との切ない会話。 それは、我が家の犬についての話。
我が家歴16年の犬は、最近めっきり衰えてきて、歩くのも危なっかしいほど、ヨロヨロしている。ずっと、雑種のたくましさで、食べることにも貪欲で、見知らぬ人をあれほどまでに吠えまくっていたエネルギッシュさは、今はもう影もない。
背中をさすれば、こつんと骨に突き当たり、栄養満点風だった腰回りも、すっかり凹んでしまった。
2年前に、我が家には、もう一匹メス犬がいた。それはクリスマスイブに、当時高校生だった娘が、近くの公園で拾ってきた雑種犬がいた。拾ったのがクリスマスイブだったから、その犬は「サンタ」と名付けた。しばらく後に、この我が家歴16年の犬を、いずれかの元飼い主から捨てられる寸前のところで、これまた、娘がもらってきて、体が大きかったから、LargeのLをとって「エル」と名付けた。だから、14年間ほど、サンタとエルの2匹の犬が我が家に同居することになった。16年前、小学生だった息子も、青春期を2匹の犬と共に過ごした。
エルは大きく、「ウウッ」と、見つかったら叱られるものだから、人間の我々に分からないように、実は我々人間は分かっていたけど、サンタにうなって、体の小さいサンタの餌を取ったり、夏は日差しのきつい所にサンタを追いやって、自分は涼しい所で休んでた。長い年月の中で、サンタの上にエルという「力関係」が、厳にできあがってしまっていた。そういう、ストレスがたたったのか、それでも結構長命だったけど、サンタは2年前に他界した。そして、その2年後の今、エルもすっかり衰えてきている。
だから、不謹慎だけれど、「ポスト・エル」についての、最近、次のような妻と私の会話があった。
エルが居んようになったら、また犬飼おう。と、妻。
犬、飼うたら、旅行もどこにも行けへんぞ。と私。
飼わな、不用心やし、寂しいし。
そら、そうやけど、これから犬飼うたら、14~5年以上生きること考えならん。その時、我々も75から80歳ぐらい以上、どういう状態になっているか? 我々が、病気したり、ボケたりしたら、面倒みられんようになったら、その犬可哀想やんけ。

日頃は、娘ん家で飼うてもろうて、寂しい時だけ、うちに引き取ろうか?
と、虫のよい、一応の結論が出ました。まだ、娘には、その結論のことは言っていません。「流動的」だし、娘ん家も、子育て真っ最中で忙しいからです。
いま、パソコンを打っている部屋のドアーの向こうで、エルは、ひたすら寝ています。
犬と我々の生涯をめぐっての、哀しくも切ない最近の我が夫婦の会話でした。・・・おつきあいしてもらってスミマセン。
最近の妻との切ない会話。 それは、我が家の犬についての話。
我が家歴16年の犬は、最近めっきり衰えてきて、歩くのも危なっかしいほど、ヨロヨロしている。ずっと、雑種のたくましさで、食べることにも貪欲で、見知らぬ人をあれほどまでに吠えまくっていたエネルギッシュさは、今はもう影もない。
背中をさすれば、こつんと骨に突き当たり、栄養満点風だった腰回りも、すっかり凹んでしまった。
2年前に、我が家には、もう一匹メス犬がいた。それはクリスマスイブに、当時高校生だった娘が、近くの公園で拾ってきた雑種犬がいた。拾ったのがクリスマスイブだったから、その犬は「サンタ」と名付けた。しばらく後に、この我が家歴16年の犬を、いずれかの元飼い主から捨てられる寸前のところで、これまた、娘がもらってきて、体が大きかったから、LargeのLをとって「エル」と名付けた。だから、14年間ほど、サンタとエルの2匹の犬が我が家に同居することになった。16年前、小学生だった息子も、青春期を2匹の犬と共に過ごした。
エルは大きく、「ウウッ」と、見つかったら叱られるものだから、人間の我々に分からないように、実は我々人間は分かっていたけど、サンタにうなって、体の小さいサンタの餌を取ったり、夏は日差しのきつい所にサンタを追いやって、自分は涼しい所で休んでた。長い年月の中で、サンタの上にエルという「力関係」が、厳にできあがってしまっていた。そういう、ストレスがたたったのか、それでも結構長命だったけど、サンタは2年前に他界した。そして、その2年後の今、エルもすっかり衰えてきている。
だから、不謹慎だけれど、「ポスト・エル」についての、最近、次のような妻と私の会話があった。
エルが居んようになったら、また犬飼おう。と、妻。
犬、飼うたら、旅行もどこにも行けへんぞ。と私。
飼わな、不用心やし、寂しいし。
そら、そうやけど、これから犬飼うたら、14~5年以上生きること考えならん。その時、我々も75から80歳ぐらい以上、どういう状態になっているか? 我々が、病気したり、ボケたりしたら、面倒みられんようになったら、その犬可哀想やんけ。
日頃は、娘ん家で飼うてもろうて、寂しい時だけ、うちに引き取ろうか?と、虫のよい、一応の結論が出ました。まだ、娘には、その結論のことは言っていません。「流動的」だし、娘ん家も、子育て真っ最中で忙しいからです。
いま、パソコンを打っている部屋のドアーの向こうで、エルは、ひたすら寝ています。
犬と我々の生涯をめぐっての、哀しくも切ない最近の我が夫婦の会話でした。・・・おつきあいしてもらってスミマセン。
う~ん 喉から出てこない。
だけどチョコレートへの
思いあふるる!
昨日は、バレンタイン・デイ。昭和20年代に、子ども時代を過ごした私にとっては、チョコレートは「ギブ・ミー・チョコレート」のチョコレート。
私の実感では、バレンタインデイ・チョコレートが世間でよく言われるようになったのは、確か昭和33か34年頃からだと思っています。ルー大柴さん風に言えば、Why? 。。。。。チョコレートへのさまざまな思いについて、以前、詩(もどき)を書いたことがあります。それを書いたモノが、今、見あたりません。
なにか、黙って、バレンタインデイ・チョコレートを通り過ぎるのも「消化不良」みたいな引っかかりがあったまま、きのうが過ぎました。来年以降に向けて詩(もどき)を復元するか、新たなモノを頭の中で、モヤモヤさせモヤ~っとするか・・・チョコっとレット・イット・ビーです。だけど「あるがままに」ではなく、なにか引っかかってる! 訳がわからん消化不良ブログ。 チョコレートは、ベリー好きやけど、消化不良も、人生のスパイスと慰めて・・・?訳の分からん、オンパレード。
だけどチョコレートへの
思いあふるる!
昨日は、バレンタイン・デイ。昭和20年代に、子ども時代を過ごした私にとっては、チョコレートは「ギブ・ミー・チョコレート」のチョコレート。
私の実感では、バレンタインデイ・チョコレートが世間でよく言われるようになったのは、確か昭和33か34年頃からだと思っています。ルー大柴さん風に言えば、Why? 。。。。。チョコレートへのさまざまな思いについて、以前、詩(もどき)を書いたことがあります。それを書いたモノが、今、見あたりません。
なにか、黙って、バレンタインデイ・チョコレートを通り過ぎるのも「消化不良」みたいな引っかかりがあったまま、きのうが過ぎました。来年以降に向けて詩(もどき)を復元するか、新たなモノを頭の中で、モヤモヤさせモヤ~っとするか・・・チョコっとレット・イット・ビーです。だけど「あるがままに」ではなく、なにか引っかかってる! 訳がわからん消化不良ブログ。 チョコレートは、ベリー好きやけど、消化不良も、人生のスパイスと慰めて・・・?訳の分からん、オンパレード。
逃げ出さないことの
難しさについて(その3)
社会の“こうあるべし”という意識も大事だけれど、それにも“クールな目”で、反省と点検を加えねば、“こうあるべし”意識が過剰になってくる。過剰になると、ファシズムにつながってくる危険性もある。“こうあるべし”の過剰例を挙げると、我が市の研修会における「不断の努力によって相互の人権を擁護することを誓う“人権擁護都市宣言”」の“起立・唱和”なるものにも、私は疑問を持っている。「宣言」自体の中身はよいことが書いてあるし、この宣言に至る人々の願いには、私は大いに共感している。それらのことを、研修会の中で説明するだけでも立派な研修会なのに、研修会参加者を“起立”させて“唱和”させる市当局に言いたい。多くの市民は、反発を覚えていると・・・。「ずかずかと心の中に入ってくる“踏み絵”みたい」とか「教育勅語を言わされているみたい」とかの声もある。そういうことをしていると、結果的には研修の目指すものと“逆行”させているのではないか・・・、と私は市当局に提言してきているけれど、なかなか名もなく貧しい市民というか孤老の話は聞いてくれない。「形式」も時には必要だけれど、納得のない強制または半強制(事実上の強制)は危険だ!
個人の人権と社会全体で大事にしていること(憲法では“公共の福祉”と言っているようなこと)のバランスとそれぞれの反省の上に立って、なおかつ「そう簡単には逃げ出さないぞ、向き合っていくぞ」たるものを発見していくことが大事だ、そうして初めて逃げ出さない決意を固めていくのじゃないか、ということを、さんざん理屈をこねた末に言いたかったことのようです。ジャンジャ~ン。
話は、あっちへよろよろ、こっちへたどたど行っていましたが、いろいろなことを考えさせてくれるドラマ「フルスィング」は、やはり真面目でよいドラマなのですネ。と、当時書いていたのですが、先週の土曜日は、つい寝てしまって 見られませんせん でした。ごめんちゃい。
なお、私は決して 「見れません」 とかの「ら」抜き言葉は、使いたくありません。ご参考までに・・・。これも集団ヒステリーか? いや、そうじゃないよね
。
難しさについて(その3)
社会の“こうあるべし”という意識も大事だけれど、それにも“クールな目”で、反省と点検を加えねば、“こうあるべし”意識が過剰になってくる。過剰になると、ファシズムにつながってくる危険性もある。“こうあるべし”の過剰例を挙げると、我が市の研修会における「不断の努力によって相互の人権を擁護することを誓う“人権擁護都市宣言”」の“起立・唱和”なるものにも、私は疑問を持っている。「宣言」自体の中身はよいことが書いてあるし、この宣言に至る人々の願いには、私は大いに共感している。それらのことを、研修会の中で説明するだけでも立派な研修会なのに、研修会参加者を“起立”させて“唱和”させる市当局に言いたい。多くの市民は、反発を覚えていると・・・。「ずかずかと心の中に入ってくる“踏み絵”みたい」とか「教育勅語を言わされているみたい」とかの声もある。そういうことをしていると、結果的には研修の目指すものと“逆行”させているのではないか・・・、と私は市当局に提言してきているけれど、なかなか名もなく貧しい市民というか孤老の話は聞いてくれない。「形式」も時には必要だけれど、納得のない強制または半強制(事実上の強制)は危険だ!
個人の人権と社会全体で大事にしていること(憲法では“公共の福祉”と言っているようなこと)のバランスとそれぞれの反省の上に立って、なおかつ「そう簡単には逃げ出さないぞ、向き合っていくぞ」たるものを発見していくことが大事だ、そうして初めて逃げ出さない決意を固めていくのじゃないか、ということを、さんざん理屈をこねた末に言いたかったことのようです。ジャンジャ~ン。
話は、あっちへよろよろ、こっちへたどたど行っていましたが、いろいろなことを考えさせてくれるドラマ「フルスィング」は、やはり真面目でよいドラマなのですネ。と、当時書いていたのですが、先週の土曜日は、つい寝てしまって 見られませんせん でした。ごめんちゃい。なお、私は決して 「見れません」 とかの「ら」抜き言葉は、使いたくありません。ご参考までに・・・。これも集団ヒステリーか? いや、そうじゃないよね
。 だいぶん旧聞に属しますが、1月28日の記事の続編です。1月28日からいろいろあって、記事自体は早くから書いていたのですが、発表はきょうになってしまいました。1月28日の文と合わせて、私のつたない文を読んでくだされば・・・。
結果的に、本日も「濃厚」になってしまいました・・・。
「逃げ出さないこと」の
難しさについて(その2)
ここで、現実の生活に話を引き戻すと、特に、高齢になった私の実感から言うと、ストレスの高まる集団に居続けることは、相当な体の無理が来て、免疫力が低下し、病気の原因になってくる。現役の時なら、生活のためとか、職場における評価を気にしてとか、果ては出世を意識してとか、それ相当に無理をしてきたけど、退職して、それらにワンクッション置けるようになって、自分の残された人生と天秤にかけながら、毎日、考えている。だから、一層、私は(君子ではないけれど)、「君子危うきに近寄らず」とか「三十六計逃げて」身の安泰を計ることがある。だけど、逃げてばかり居たら、社会との接点がなくなり、ボケの始まりになってくる。過剰なストレスも困るけど、適当なストレスもないと、脳が働かない。
日本社会では、集団ヒステリ-みたいな状況にすぐなるし、そこに浸かる方が集団内で生きやすい場面は結構ある。今さんざん問題になっている組織の“偽装”や“身内のかばい合い”意識や“隠蔽”体質も、そこには風通しの悪い集団ヒステリーとそれに身を委ねる“ことなかれ”主義と“保身”意識が横行しているのでないか?
“火中の栗”を拾ったり、集団ヒステリーにもの申すことには、かなりの勇気と反発覚悟の根性がいるし、陰口や仲間はずれに対する“鈍感力”も必要になってくる。集団ヒステリーは、よきにつけ悪しきにつけ何かをする大きなエネルギーを生むことがよくあるけれど、そこに差別や偏見や弾圧や抑圧や疎外を生む危険性もある。多くの人の苦しみも、ここにあるのではないか?
お互いの“違い”は“違い”と認めつつ、そうした中で何かの“共通の基盤”らしきものを作っていけたら、住みよい社会・よい集団・よい夫婦・よい家庭になるのではないかと夢想する次第でありまする
。
(長いと疲れますので、明日につづく)
結果的に、本日も「濃厚」になってしまいました・・・。「逃げ出さないこと」の
難しさについて(その2)
ここで、現実の生活に話を引き戻すと、特に、高齢になった私の実感から言うと、ストレスの高まる集団に居続けることは、相当な体の無理が来て、免疫力が低下し、病気の原因になってくる。現役の時なら、生活のためとか、職場における評価を気にしてとか、果ては出世を意識してとか、それ相当に無理をしてきたけど、退職して、それらにワンクッション置けるようになって、自分の残された人生と天秤にかけながら、毎日、考えている。だから、一層、私は(君子ではないけれど)、「君子危うきに近寄らず」とか「三十六計逃げて」身の安泰を計ることがある。だけど、逃げてばかり居たら、社会との接点がなくなり、ボケの始まりになってくる。過剰なストレスも困るけど、適当なストレスもないと、脳が働かない。
日本社会では、集団ヒステリ-みたいな状況にすぐなるし、そこに浸かる方が集団内で生きやすい場面は結構ある。今さんざん問題になっている組織の“偽装”や“身内のかばい合い”意識や“隠蔽”体質も、そこには風通しの悪い集団ヒステリーとそれに身を委ねる“ことなかれ”主義と“保身”意識が横行しているのでないか?
“火中の栗”を拾ったり、集団ヒステリーにもの申すことには、かなりの勇気と反発覚悟の根性がいるし、陰口や仲間はずれに対する“鈍感力”も必要になってくる。集団ヒステリーは、よきにつけ悪しきにつけ何かをする大きなエネルギーを生むことがよくあるけれど、そこに差別や偏見や弾圧や抑圧や疎外を生む危険性もある。多くの人の苦しみも、ここにあるのではないか?
お互いの“違い”は“違い”と認めつつ、そうした中で何かの“共通の基盤”らしきものを作っていけたら、住みよい社会・よい集団・よい夫婦・よい家庭になるのではないかと夢想する次第でありまする
。(長いと疲れますので、明日につづく)
きょうは、濃厚でなく、軽目に。表面的には、「軽目に」、といっても、心は「いっぱい」のつもりの俳句です。
空の星 夢一直線に 冬の町
幼稚っぽいと言えば幼稚っぽい、だけど、すごくいろんなことを含んでいる、と言えば含んでいる(自画自賛気味?)。俳句を受け取る方に委ねる・・・17音の言葉に詠み手は思いを込めて、だけど、そんな理屈抜きに、スパーンと、一直線に、届いたらイイな! 俳句、駆け出し、チョー未熟な私の自己弁護論。
右から左へ受け流されたり、流されずに誰かの心にくい込んだり。
自己満足の石を投げて、波紋は、波紋で広がったり、広がらなかったり、瞬間にせよ、「思いの共有」があったり、「思いの併存」があったり、ふっと波紋が消えてしまったり・・・私の俳句は、泡のよう・・・だけど、多分、世界最短の「詩」に泡を委ねて、そんな「泡」に愛を込めて、私の俳句は彷徨います(そんな立派なものか?!)。例によって、理屈をコネる私の、粘り腰の一句。
泡の泡 泡なお夢見る 冬の海
空の星 夢一直線に 冬の町
幼稚っぽいと言えば幼稚っぽい、だけど、すごくいろんなことを含んでいる、と言えば含んでいる(自画自賛気味?)。俳句を受け取る方に委ねる・・・17音の言葉に詠み手は思いを込めて、だけど、そんな理屈抜きに、スパーンと、一直線に、届いたらイイな! 俳句、駆け出し、チョー未熟な私の自己弁護論。右から左へ受け流されたり、流されずに誰かの心にくい込んだり。
自己満足の石を投げて、波紋は、波紋で広がったり、広がらなかったり、瞬間にせよ、「思いの共有」があったり、「思いの併存」があったり、ふっと波紋が消えてしまったり・・・私の俳句は、泡のよう・・・だけど、多分、世界最短の「詩」に泡を委ねて、そんな「泡」に愛を込めて、私の俳句は彷徨います(そんな立派なものか?!)。例によって、理屈をコネる私の、粘り腰の一句。
泡の泡 泡なお夢見る 冬の海
おじさんは、雪かき作業を終えたあと、帰宅の途につき、その途中に、血流をよくするための電子治療器の「ヘルストロン」の店に寄り、宣伝用無料サービスの通電の椅子に座って、仕事の疲れを癒しました。椅子に座っている20分ほどの間に、店の従業員さんが、駐車中のおじさんの車の積もった雪を取ってくれていました。おじさんはいたく感銘し、ここにも、『売り手良し、買い手良し、世間良し』の【三方よし】の精神があると感動しました。そして、家に帰り、ブログの《夢想花》に、【三方よし】を載せるべく、作業を始めるのでした。。。。。おじさんは、おじさんなりに【三方よし】を実践したつもりなのでした。そして彼は、以下、次のように【三方よし】を紹介して、極めて真面目に、その「復権」を訴え始めました。。。。。



いま、金儲けや自己利益の追求のためには、その社会的責任を自覚しない企業や組織の行動が問題になっています。力ある企業や組織が、自分たちの利益追求のみを、臆面もなく、反省もなく最優先し、“民”だけでなく“官”も、偽装し、環境を破壊し、弱い立場の人から収奪し、税金を食い物にして、という、相手や世間への配慮をせずに行動する事件や事故、不祥事が、連日、報道されています。
このままでは、日本の未来はヤバイ!!! 日々の物質的繁栄と享楽の裏で、子や孫たちや子々孫々に伝えるべき、郷土や文化や生活が危機に瀕しています。私たちの足許を見つめ、政治への参加をはじめ、地域社会づくり、エコへの貢献など自分たちが、今、できることを少ずつでも
ということを言いたく、【三方よし】を紹介する次第なのです。
生意気な言いようですが、私は、10年20年50年100年先を心配しています。そこまで、心配するな、というお声もありそうですが、天国か地獄からか見ることになる
「未来の人間界」が怨嗟の声に満ちていないよう、今、私たちの世代がどうしていけばよいのか?

その考える【よすが・・・縁、因、便】として、『売り手良し、買い手良し、世間良し』、私風に言い換えれば『自分よし、客よし、世間よし』の【三方よし】だと思うのです。【三方よし】自体は、ちょっとした心がけや「ちょっとした利他的行為で、逆に豊かな自分を獲得できる」考えだと思うのです。
『損して得取れ』という諺もあります。説教みたいだ、とお叱りのないよう・・・。私は説教するには矛盾だらけの人間です。そういう矛盾だらけの人間でも大きな顔して発言する自由のあることは、国会議員の多くの方が実証済みであることに甘えて、やむにやまれぬ老婆心もあり、エラそうに言わせていただきました。「建国記念の日」でもあり、国の未来を考える、こともあってもいいのでは・・・と。。。。。。
以上、「青年の主張」ならぬ「おじさんの主張」でした。
きのう朝10時半頃から、雪が降り出し、見る見る積もっていきました。本当に、しばれる、寒い。きのうの雪の日の話をお送りします。
<その1>
老犬に雪つぶて 
昼の2時過ぎ、寒い日は屋内に入れて飼っている、我が家歴16年の老犬が、しきりと外へ出してくれとアピールし始めました。多分、おしっこでしょう。ドアーを開けて犬を庭に出してやりました。犬は、
雪の日は喜んで庭駆け回るのが、歌にもありますようにひとつの定番または通り相場のはずですが、我が家の老犬は違います。へたへたと倒れ込むように歩き出しました。その上から雪が容赦なく降ってきます。そういう情景を描写・解説して一句。
よろよろと ゆく老犬に 雪つぶて
ひとしお染みる寒さです。同感、共感、犬に私も・・・。
<その2> 『売り手良し、買い手良し、世間良し』の【三方よし】
それに先立つ12時過ぎ、シルバー人材センターの帽子をかぶった勤務を終えたおじさんが、勤め先のスーパー店の周辺の道路とお客さんの出入り口付近の雪かきをしていました。誰に頼まれた訳でもなく、働かせてもらっている店によかれと、そしてお客さん、とくに高齢者や妊婦さんや子どもたちが滑って転ばないようにとの思いから、自主的に、作業をしているとのことでした。彼は、近江の地の先達の近江商人の残した教えである『売り手良し、買い手良し、世間良し』の【三方よし】に感銘しているおじさんでした。おじさんは、
『売り手良し、買い手良し、世間良し』、自分流に言い換えれば『自分よし、相手よし、世間よし』の【三方よし】の理念の普及こそが、今の日本を救うことになる 
と信じているのでした。
(つづく)
<その1>
老犬に雪つぶて 
昼の2時過ぎ、寒い日は屋内に入れて飼っている、我が家歴16年の老犬が、しきりと外へ出してくれとアピールし始めました。多分、おしっこでしょう。ドアーを開けて犬を庭に出してやりました。犬は、
雪の日は喜んで庭駆け回るのが、歌にもありますようにひとつの定番または通り相場のはずですが、我が家の老犬は違います。へたへたと倒れ込むように歩き出しました。その上から雪が容赦なく降ってきます。そういう情景を描写・解説して一句。
よろよろと ゆく老犬に 雪つぶて
ひとしお染みる寒さです。同感、共感、犬に私も・・・。
<その2> 『売り手良し、買い手良し、世間良し』の【三方よし】
それに先立つ12時過ぎ、シルバー人材センターの帽子をかぶった勤務を終えたおじさんが、勤め先のスーパー店の周辺の道路とお客さんの出入り口付近の雪かきをしていました。誰に頼まれた訳でもなく、働かせてもらっている店によかれと、そしてお客さん、とくに高齢者や妊婦さんや子どもたちが滑って転ばないようにとの思いから、自主的に、作業をしているとのことでした。彼は、近江の地の先達の近江商人の残した教えである『売り手良し、買い手良し、世間良し』の【三方よし】に感銘しているおじさんでした。おじさんは、
『売り手良し、買い手良し、世間良し』、自分流に言い換えれば『自分よし、相手よし、世間よし』の【三方よし】の理念の普及こそが、今の日本を救うことになる 
と信じているのでした。 (つづく)

