どうか「人間宣言」を

テレビで、昭和天皇のこと そしてその時代を
 多くの著名人が 語っていた
国 世界 戦争 人間そして人生
時代に翻弄され 昭和を生きた人間に
 さまざまな思いが去来する
そして昭和天皇
この人も 時代に翻弄された人
他の人たちより 圧倒的に
自分自身を 生きられなかったことだろう

現人神と崇められ
一方で 人の子としての幸せはどうだったのか
幸せは 余人には測りきれないことだけど
誰もが味わいうる喜びと幸せはどうだったのか


崇められ 奉られ
誰もが味わいうる喜びと幸せを
余人の思惑で 曲げられなかったか・・・


戦後 天皇の「人間宣言」
人間であること
当たり前の幸せを 当たり前のように
時には 愚痴混じりで 涙ぐんで 
酒をしこたま飲んで 友と語らい
家族に八つ当たりなんかもして
そんな当たり前のようなことを
味あわせてあげたかった 人 そして人生

天皇と それを見詰める私たち
それぞれにそれぞれに
心の外でも そして心の中でも
どうかどうか「人間宣言」を 
  

「民意」って 「民主主義」って何?

  最近の日本の政治を見ると、「民意とは何だっ?」「民主主義とは何だっ」ということを言いたくなることが、数多くある。
山口2区衆議院補欠選挙の結果の受け止め方を見ても、政府・与党の有力者筋かから聞こえてくる同補選の結果は、必ずしも「民意」の現れでないというと言う。

 「民意」とは、何だっ? 国の政治の方向を決める「国のご主人様(主権者)である国民の意思」ということであろうが、その意思は、何によって判定するのだろうか? 

 メディアの実施する「世論調査結果」、請願のための「署名者数」、新聞等への投稿等さまざまあろうが、主権者である国民(日本の場合、成年有権者)が平等な一票行使によって行う「選挙」による結果が、最も、公的にも“納得”できるものではないだろうか?

  政治は、一部の政治家や組織のためにだけあるのではない。「国民の幸福」実現から“逆算”して、どういう政治家・政党・組織に政権を担ってもらうのがよいのか、という観点から、政治が為されるべきではなかろうかと、思う。

 今の政権与党を見ていると、先々代の小泉さんが選挙で獲得した議席数を、あとの世代が、しがみついて食いつないでいるみたいだ。

  政治に、先見性がなければ、国や社会は混迷する。社会に閉塞感が広がって、生き方に展望を失ったり、利己主義がはびこって、おぞましい事件や事故や、絶望からの自死行為が増えてくる。今の日本は、本当に、暗いニュースが多い。

 みんなで苦しさを分かち合い、子どもたちに明るい未来を少しでも提供できる社会や国を造っていくために、指導的立場にある政治家は、どうか「民意とは何か?」「民主主義とは何だっ」という原点を、いつも、忘れずに大切にして欲しい。政治を志した初心は、手練手管の老獪さで言いくるめるこtなんてことは、なかったはずだ。今なら、まだ脈もある。「民意とは何か?」「民主主義とは何だっ」という原点をもう一度、見詰めて欲しい。

  最後に、アメリカ合衆国第16代大統領のリンカーンの言葉と、その影響を受けたと思われる日本国憲法の前文の一部を、載せさせていただきます。

★ リンカーン
「人民の人民による人民のための政治」

  原語の“government of the people, by the people, for the people”は「人民から構成する、人民による、人民のための行政」という意味だそうです。


★ 日本国憲法でもその前文に

  そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。


  「お釈迦様に説法」ですが、皆様、政治に関心をもって、よく見ていきましょう。そうでないと、日本もどこかのような「専制政治」の国にならないとも限りません。しかも「議会制民主政治」のスマートな装いをした政治の下での、実態は「専制政治」に・・・。  

2008年04月28日

一瞬の短慮

 文章か詩かどういう表現の仕方が思いを伝えられるのか、何を語っても不謹慎、軽薄と捉えられるかも知れない、だから黙っている方がいいのか悩みました。ですが、今、「人の命」があまりに軽く扱われている国や世界の現実を少しでも改善できる一石になればと書きました。まだまだ思いを尽くせない、私の思慮の浅さを謝しつつ、お読みになるお一人おひとり様がお受け止め下さいますようお願いして、お送りします。


短慮 人の命 無限の苦しみ
それでも人間に手を差し伸べよう


光市母子殺害事件とその裁判
さまざまな報道がされ、
意見が交わされている

辛い 悲しい そして哀しい
 言葉で尽くせない
被害者お二人の人生と命の重さ
 被害者遺族今32歳になった本村洋さんの
  9年の苦しみの葛藤 
余人の誰もが計り知れない悲しみと衝撃

思慮深い言葉の一つひとつが胸を打つ
「笑ってもいけない」「息抜きもしてはいけない」
自責の念が 彼を襲い
憎しみ、怒り、そして犯人への殺意まで
しかし そうした中でも 
「自分一人では生きていけない」
人への感謝の思い
「犯罪被害者遺族基本法」の制定に
国を動かした
そして今 被告の元少年への思い
被告をきちんと報道する
  メディアの出現の期待まで
    記者会見で語り
同種事件の再発防止のために
 社会として 事件から学ぶ重要性を
     語られる


9年前までは 街にいるごく普通の青年を変えた事件
その犯人とされる 元少年 今は27歳


出会うはずのなかった
 被害者お二人と
 遺族の青年と
 被告の元少年
の 哀しすぎる現実の出会い


「妻と娘アルバムの続くことのない最後のページ」
      への悲しみを語る本村さん


時計の針を 9年前よりもっと前に戻せるなら
そこには 笑いも 喜びも 小さな幸せ 
      もいっぱい あったことだろう
一瞬の短慮が それを打ち砕いた


被告の元少年はどうか 心を自分で語り
次なる 最高裁は
被告の改悛の情と更生の可能性を
   審理尽くして欲しい


もし
私が近く導入される「裁判員制度」の裁判員なら
誰もが 「裁判員制度」の裁判員なら
どう審理して どう判断する?
我が身に置いて 我が人生と命に照らして
どう審理して どう判断する?


事件から学ぶこと
死刑制度の是非 終身刑 刑罰のもつ意味
元少年の生い立ちや環境
短慮に走る人を出さない子育てや教育のありかた
   家庭や学校や社会のあり方
国も 私たち個人も 学んで考えて話し合って
人間に手を差し伸べよう
被害者も 遺族も 加害者も そして私たち誰もが
 幼くして人生を断ち切られた夕夏ちゃんと
         同じ笑いを持っていた。
同じ人間 同じことで喜び悲しむ人間同士
人間が愛おしい  


一瞬の短慮が 命を奪い 人生を消していく
命 人生 命 人生 
事件は 家庭に 学校に 社会に 国に 
そして一人ひとりに
無限のことを 投げかける
 
  

  昨日、記事をUPしてから、後悔と自己嫌悪。お前は、人様に披露するほど、子育てに実績と実力があるのか!!  、と・・・。ですが、何かのお役に立てればと、思っている次第です。乗りかかった舟に乗った手前、昨日に言い足りなかったことを、若干、補足させていただきます。



    ちょっとだけ背伸び
    まず褒めて育てましょう


 昨日の記事で、《何やかや言って、最後まで、やらせ切る“成就感”が大切。》と書いてるけど、何をどの程度やったら、「やらせ切った」ことになるねん?

 私が考えますのに、あまり高すぎる目標を掲げて、尻をたたいてやらせても、無理があります。その子の力をよく見て、その子がやや背伸びしたらできる程度のことに挑戦させて、それができたら、思いっきり褒めてはどうでしょう。

 それに、よしんばできなくても、ちょっとの変化、ちょっとの向上に注目して、努力をしたとか頑張ったとか、むしろ褒める材料を探してでも、褒めてはどうでしょう。
  褒めることは、その子なり、人への「先行投資」と考えております。十分褒めてから、「そやけど、こうしてやるのもイイのと違う!?」と、若干のアドバイスをするのもイイと思います。

  相手の無力をなじるようなような言い方は、その子のやる気や伸びようとする芽をつむ危険性があります。いつか、この子は、やれる力をつけられる、今は、そのための「助走期間」「練習期間」と考えれば、失敗も中途半端も、将来への布石です。長い目で見て、温かく褒めて、ちょっとだけアカンところを指摘しても、基本は褒めることと感激感謝で・・・決してこの子の芽をつむ「専制君主」となりませぬよう・・・。
重ね重ねの生意気、ご寛容のほどをお願い申し上げます。





※ 上の話とは無関係な話です。書くのよそうか、無視しようかと思ったのですが、あまりに壮大な血税が使われて行われたイベントが昨朝テレビ画面を占めていました。悲しい光景。この血税があれば、困っている人が少しでも救われるのに、と思いつつテレビを観ていました。そこで一句。

       生活に 無縁茶番の 火の始末  

Posted by 夢想花 at 00:35Comments(0)TrackBack(0)子ども
  昨日号とは、続いているような、いないような話です。
  昨夕、娘婿が職場の一杯飲みとかで、それに、疲れているのだろう、娘と妻が口喧嘩をしたので、私が、夕方から夜にかけて、娘宅でお手伝い。話は、小2になったばかりのお兄ちゃん孫とのかけあいの一部を披露します。 ・・・ 《  》内は、私が得た教訓です。エラそうに、ご披露して、すみません。


       孫に あの手 この手

① お兄ちゃんは、マンガに夢中。隣の部屋が電気点けっ放しだったので、「消してきて」と言ったら、無視決め込み、または、何やかや言ってイヤがる。そこで、私は環境問題の話をちょっとしたら、孫も学校で習っているらしくて、けっこう喰いついてきた。私も、調子に乗って“低炭素生活の重要性”をウンチク・・・。それからは、 「はい“環境問題”!」 と言って、指で示したら、電気を消しに行くようになった。「はい“環境問題”!」→→隣室の電気、「はい“環境問題”!」→→台所の電気と・・・

→→《私の作戦・・・ダレだってゲームは楽しい。だから 「ゲーム化して、やや記号化して、働きかけましょう」 》



② やがて、話は、吉本のタレントさんのギャグ「グ~」の話、それから「そんなのカンケ~ねぇ!」の話になった。途端にいきなり、音楽を鳴らして踊り出した。1歳の弟孫も、きゃ~きゃ~言って踊り出す。朝青龍関に似た弟孫は、私にも踊れ、と手で示す。私も、そういうことには嫌いでないので、一緒に踊る。娘も、ややメタボ傾向の体躯をゆらしながら踊る。お兄ちゃんの「そんなのカンケ~ねぇ!」の声と踊りは絶好調! 

→→《私の作戦と言うより本性で、自分自身も楽しみましょう! ギャグは、子どもとの“共通語”では、ないでしょうか?》



③ ひとしきり踊った時間が過ぎて、お兄ちゃんと入浴。学校の話、友だちのことあれこれ、「俺」と自称して話す。やや、生意気ぶっている。 

→→《私の留意点・・・子どもの“自尊心”をくすぐりながらも“尊重”・・・》



④ 先に風呂から上がって、その後、風呂に娘と入った弟孫を待つ。やがて、タオルを頭から被った弟孫が登場。「はい、お兄ちゃん、弟の頭と体を拭いたって!」と私。「えっ、オレが?」とお兄ちゃん。そこで、お兄ちゃんに、
《兄の自覚を促す、“おだて”作戦敢行! それから、いつまでも「おばあちゃんもおじいちゃんも生きてへんのやから、お前もできるだけ親を助けなアカン」と言ったら、お兄ちゃんは「そんなこと考えたらスゴク怖いねん」と言う。 実感!!! そうだろうなぁ、私も小学生の頃、本当に、死んだらどうなるのやろう、と考えたら怖かった》

  「頭は、タオルでこすったら痛いので、タオルの上から、手のひらでこすったって!」と私。 《私も、子どものころタオルでこすられるのがイヤだった》 。それから、おむつ、シャツ、ズボンを順に渡して、兄がするのを待つ。娘が風呂から上がってきて、自分でしようとするのを制して、お兄ちゃんにやらせ切る。気候が暖かくなってきたから、これができる。きゃーきゃーと逃げようとする弟孫のタイホ役は、私の役割。シャツのボタンを留めるお兄ちゃんと弟の目が合って、少し感動ドラマチックな瞬間もあった。

→→《何やかや言って、最後まで、やらせ切る“成就感”が大切。基本的には、私がラク(楽)したいのだけれど》。 
 総じて言えば、《私もラクしたい、楽しみたい、たまにするから“余裕”もできて、“楽しめる”のかも・・・。そして何よりも、“平和”なこの瞬間を愛おしく思える“幸せ”に感謝》。《それに、この作戦も、いつまで成功することやら・・・(泣! トホホっ!)》

  

Posted by 夢想花 at 03:58Comments(0)TrackBack(0)子ども
 昨日の午前、ほとんどシニアの方ばかりのパソコン・クラブに、出席しました。

        知識と知恵? 
        人間として「グ~」は?
 
  

 内容は、ビスタとワードの学習会でした。講師先生が、テキストの中から、新しい技術が導入された点などを中心に、教えてくださいました。駆け足で、実習をしながら、聞きながら、私の頭の上を、新しい知識が、わずかにかすめて通り過ぎていきました。

 このクラブに入会当時は、パソコン用語が飛び交っていても、ほとんど分からず、チンプンカンプンでした。今は、私もやや上達したのか、「チンプンカンプ」ぐらいにはなりました。

 「わぁ~、パソコンってカシコイなぁ!」「わぁ~、パソコンって、こんなこともするんや!?」・・・隣の会員さんと、どんどん出てくる新知識にびっくりしながら、やや私語をしながら、感嘆・驚嘆していました。

 「こんだけの技術や知識を考えた人は、どんな頭の構造してんのやろう?」・・・隣の会員さんと、頷きながら、妙にびっくりしていました。


 会が終わって、これだけの技術や知識を開発・創造した人間ということについて考えました。ここで、話はパソコン・クラブのことから、「技術」や「知識」ということについて、やや人間社会全体に広がります。

 これだけの技術・知識を開発・創造した人間という生き物は、なんと素晴らしい生き物なんだろう。だけど、どこか人間は、人間社会は狂ってる。技術や知識を使うのではなく、技術や知識に振り回されていると・・・。
 知識をいっぱい持っていても、人間として「?」のつく人もけっこういいるし、人より先んじた知識を駆使して犯罪に走る人もいる。今、日本では、高学歴志向が強くなって、高学歴だとそれでOK「グ~」みたいな見方もけっこうあります。私は、これに「?」なのです。もちろん知識もあって立派な人は、世にいっぱいいますが、例えば、このクラブの先生や会員さんのように・・・。知識だけあって、心のない人もけっこういるように思います。

 また、昔のことを言いますが、私の子ども時代には、家計を助けたり、子守などのために小学校も十分に行けなかったお年寄りや大人が、近くに、いっぱいいました。でもその人たちには、人間として教えてもらえることが多くて、人間としての「人生の知恵」をいっぱい教えてもらいました。
知識と知恵・・・人間として、なにが大事なのでしょうね?

          
以下、やや負け惜しみ(?)の弁は、つづきます。
  

2008年04月24日

男の子問題

 私は、昨日号に「目撃!」といった形で、昔の子どもたちの生活ぶりを書きましたが、所詮は、私の狭い経験に基づくものであるということは否めない、と反省しています。今から思うと、男の子であった私は、当時はよく「男は度胸、女は愛嬌」や「男らしく、女らしく」という言葉を聞かされて育ちました。



  今、男の子は“漂流”している?

 理想の人間像としての典型的なモデルは、桃太郎さんや金太郎さんでした。「気は優しくて力持ち」という分かりやすいスローガン(?)が力を持っている(今から思えば・・・)時代に育てらました。

 最近、青年や少年、男の子をめぐって心配なことが頻発しています。

 死刑になりたいから誰でもいいからとの無差別殺傷事件、光市の母子殺害事件、生き方をなじられて妹を殺害した事件、父親への反抗のために我が家を放火して母親や弟妹を巻き添え死させた事件・・・いずれも、青年や少年の起こした事件です。
 またそこまで行かなくても、自分自身の生き方に悩んでいる、または、人としての自立や意欲や人間関係の構築といった、生きていく上での基本的なことで、生き方を見失っている若者も少なくないと、私も実感していますし、多くのメディアも報じています。

 身近に、情報化社会の進行や地域社会の崩壊や激変のなかで、昔のように身近に生き方のモデルとなるような大人の存在も見つけにくく、自力で社会に立ち向かうには、ノウハウも自信もない、それでいて、男の子としての役割を期待される。だが、その割には、経済的自立を保障されるような仕事にもチャンスにも恵まれず、不安定な雇用環境の中にある。

 少し前まであった、気は優しくて力持ちといった「桃太郎」や「金太郎」への憧憬は、今はほとんで語られず、筋骨隆々・逞しいといった類の男の子や青年を称揚表現する言葉も死語になりつつあります。無骨より可愛さ、マッチョよりもなで肩が称揚されています。

 そういった中で、青年や男の子たちは“漂流”しているといった「男の子問題」・・・この言葉自体はまだまだ社会的に知名度は低いようですが・・・これは日本だけの状況ではなく、白梅学園大学の汐見稔幸教授によれば、先進諸国に共通する課題であり、傾向であるということですが、この「男の子問題」を考えていきましょう、ということで、きょうの号は、次の本とアドレスをご紹介します。

「男の子の育て方」
    別冊PHP(2008年3月増刊号)  定価460円


http://baby.goo.ne.jp/member/comomama/shitsuke/01/index.html  

 昨日のつづきをお送りします。当時の状況のご理解をより容易にするために、かなり前になりますが、昨年の12月28日号につづいて、「目撃戦後日本世相の」変容(3)」という形でお送りします。(文中 敬称略)


昭和20年代後半から昭和30年代前半
   たくましき子どもたちと大人

 
  昭和20年代終わり頃から、街にはすこしずつ白黒テレビが出まわり、力道山がわれら子どもたちのヒーローで、日曜日の昼間、私たち子どもは、学校の校舎に忍び込んでマットを敷き、その上でプロレスごっこをした。

 公園の一角に、街頭テレビが置かれ、相撲やプロレス、野球に熱狂した。後に、さだまさしが「親父の一番長い日」という唄を歌い、その中で、『街頭テレビ・・・』云々といった一節があるが、私はその歌詞を懐かしく聴いた。

 昭和30年代に入って、「もはや戦後ではない」という政府の白書が出たようであるが、まだ、戦後の傷跡もまだ残り、貧しさと繁栄への熱が同居しているような社会だった。この辺は、今井正監督の白黒映画「キクとイサム」にも描かれている。

 白黒テレビ・電気冷蔵庫・電気洗濯機といった、いわゆる「三種の電器」が市場に出回ってきた。が、テレビは、町内でも裕福な1~2軒の家にしかなく、私たち子どもは、大挙して、夜、プロレス中継がある時は、テレビのある家へ押しかけて「おばちゃーん、テレビ見せてー!!」と大声で玄関の扉が開くまでわめき続け、強引に見せてもらった。多分、百姓一揆もこんな風だっただろうと思わせるほどの(?)、ド迫力な押しかけだった。なお、テレビのある間の座敷には泥や砂よけのための新聞紙が敷き詰めてあった。

  また、当時、子どもたちの人気番組は大村昆ちゃん、芦屋雁乃助、小雁、茶川一郎出演の30分ものの「番頭はんと丁稚どん」だった。口減らしのために奉公にきた昆ちゃんなどの3人の丁稚が雁乃助扮する番頭にいじめられるというお笑い番組で、昆ちゃんが『飴もろうた~』と踊りまくるシーンや、番頭がいじめるけれども間が抜けているのがおかしくて、笑いこけた。この番組も、子どもたちは押しかけ鑑賞をした。やがてもう少しして、藤田まこと・白木みのるの30分舞台劇「てなもんや三度笠」のテレビ放送も人気番組だった。それに「判決」という30分の真面目な弁護士ドラマがあって、『死刑制度』などの社会問題を真摯に取り上げていた。また、実際の指名手配犯人を扱った30分のドキュメント番組を見て、世相の厳しさとこんな人生したらアカンなぁと思った。「番頭はんと丁稚どん」から指名手配犯人のドキュメント番組まで、確か昭和20年代終わりから30年代半ば頃までだった。私は小学校高学年から中学生、高校生とかけて、近所の家のテレビで見て社会観を形成していった。

  社会観を形成と言えば、地域社会、すなわち町内のさまざまな人間関係や出来事も、私に大きな影響を与えた。終戦直後から昭和30年代前半まで、マイカーなんてほとんどの家になかった時期だから、年に1回バスを借り切って(これは20年代後半からかも?)、町内の子どもや大人が揃って、1日バス旅行をした。バスの車中で、マイクで私が唄を歌うとみんなが驚いたように「上手やなぁ」と拍手してくれて嬉しかった。町内は、うるさい大人がたくさんいて、子どもが悪さをすると、注意はもちろんのこと、いつも道ばたで花開いていた『井戸端会議』で悪口も言ってくれてうるさかった。子どもたちは、その中でも、とりわけ悪口好きのおばさんを『NHKババァ』と密かに名付けた。しかし、大人はけっこう親切で、腹を空かしていた私に、「これ食べ」と言ってイモや菓子などをくれたり、夏には町内の子どもたちのために地蔵盆を2日がかりでやって、『当てもの』(抽選のこと。私たちは、こう言っていた)で当てた賞品を、2階の窓から、ロープを伝って子どものいる場所に送ってくれたり、ずいぶん凝ったことをしてくれたりした。 

 毎日夕方に来る紙芝居屋さんにも、子どもたちは『社会』や『生き方』を教えてもらった。テレビが普及してからは駆逐されるように影を潜めていったが、当時紙芝居のおじさんは、確実に、子どもたちの街の先生だった。5円で、お金のない子には3円でも、煎餅に巻いた水飴やアンズを売り、全くお金のない子はタダ見をさせてもらう代わりに、拍子木を叩いて、紙芝居屋さんが来たことを、町内中に触れ回った。子どもたちは、おじさんの名調子の『鞍馬天狗』で鞍馬天狗や杉作少年の生き方に触れ、『鉄仮面』で夢の世界へ飛んだ。
(つづく)  

 あまり“濃~い”のばかり連日だと読者の方も私も疲れるから、きょうこそはブログを休もうと思って、早めに寝てしまいましたが、真夜中に目が覚めて、何気なくテレビを観ていたら、映画監督の山崎貴さんがNHK番組「Top Runner」に出ておられました。と言うと、いかにも山崎貴さんを知っていそうですが、私は彼を知ったのはきょうが初めて、しかも、昭和30年代の日本を描いた映画「ALWAYS3丁目の夕日」を撮った監督と聞いて、しかも昭和39年生まれと知って、2度も3度もびっくりしました。番組の司会者も代わっていて、前はタイトルは片仮名書きの「トップ・ランナー」だったと記憶しているのですが、その変わり方にもややびっくり。この番組の山崎さんに触発されて、書いてみようと思った次第です。

 私版
ALWAYS 3丁目の夕日の舞台 


 昭和39(1964)年と言えば「東京オリンピック」の年。テレビはカラーテレビが大きく普及しました。東京~大阪間の新幹線ができて、日本の高度経済成長も本格化。日本の風景が大きく変わりました。私は、高校を出て働いていて19歳から20歳の青年期、恋もしていました(余計!)。当時の日本社会の活気は、大変なもので、今の中国の都会の状況と似たものであったかも知れません。

 映画「ALWAYS 3丁目の夕日」の舞台となったのは、それより数年前、私が小学生高学年から高校生にかけての頃です・・・と言いながら、私はこの映画をまだ観ていません。(観てないのに感動してすみません)。

 番組では、テレビ(白黒テレビですが・・・)の話題が出ていました。
 昭和30年代前半は、テレビは町内でも裕福な家にしかなくて、私の家には当然になくて、当時の人気番組であったドラマ「番頭はんと丁稚どん」「てなもんや三度笠」力道山大人気の「プロレス中継」は、近所の悪ガキ十数人が、テレビのある家に押しかけて、ドンドンどんどんと玄関のドアー(と言っても今風のドアーではなくて、ガラス格子の引き戸です)をドンドンどんどんドンドンと叩いて、「おばちゃん、テレビ見せて~」。・・・と、ガラスが割れるような勢いで叩きまくって、扉を開けてくれるまで叩いて、おばちゃんかおっちゃんが根負けして開けてくれて、私たち悪ガキどもが大挙してテレビの前に陣取って、きゃ~きゃ~言いながら、テレビを観ていました。当時、そうして観た番組に「判決」という法廷ドラマもあって、子どもごころなりに、社会と人間の一断面を、結果的に学習したものでした。
 以下、つづきます。  

2008年04月21日

失いつつあること

幸せってなに? 人間って何?

  ここ数日、シルバーさんのお世話で、配布物を各戸に配り、足棒状態でくたくたです。ですが、健康一杯になり、妻手作りの夕食もビールも酒も格別においしく、妻と私の余計なひとことの応酬合戦もなく、夕食後、極めて気分よくパタンキュ~で夢想花が夢の世界へ入り、今から1時間半ほど前に目が覚め、酒の酔いも醒めて、今、パソコンに向かっています。そうしたくたくた足棒状態の中で、2日前の土曜日の午後、 「遠野の伝承に学ぶ わらべうた」の学習会 に参加しました。本当言えば、そのことを詳しく書こうと思ったのですが、睡魔がまた忍び込みつつありますので、きょうは、事前に送られてきたファックスの中の一文で、お茶を濁そうと思います。(コラッ! 「濁す」なんて、読者の皆様に失礼やないか! でも「泣く子と地と“睡魔”には勝てません」ので、失礼をお許しください。)

伝承の子育て、人育てには、人としての心豊かな生き方や、子育ての知恵が奥深くひそんでいます。情報化社会の中で、人らしく生きていくことの原点を見直すきっかけにしたいものです。
・・・ と。


  私、思いますのに、昔の人、とくに庶民は、物質的には貧しい中で、お金も乏しく、それこそ、我が身をくたくたに疲れさせて、身を粉にして、日々、暮らすのが一般的だったのでしょう。

  終戦後、日本が経済大国になるまでは、そんな感じで、私には、父親は小六で他界しましたので、特に、母親が身を粉にして働いて、私たち子どもに食べさせていたことを思い出します。

だから、今、特に足棒状態で我が身を使って、働くことの素晴らしさを実感できている今の私故に、私とは比べものになりませんが、昔の人、特に庶民は、せめて自分の言うことを聞いてくれる自分の体を目一杯使っての労働の大切さ、その中で人と人の助け合いなしに生きていけない、そして人のお陰様で生きていることを実感していたのでしょう・・・というようなことを、おこがましくも夢想しているのです。今の子どもたちには、


♪母さんが 夜なべをして 手袋あんでくれた~♪

の歌を実感できるかなぁ? 年寄りは、つい昔のことを言いたがりますが、昔貧しくても豊かにあったものが、今豊かになってきても貧しくなったり、なくなりつつあるものへの心配に、身を焦がすのです。睡魔がウィンクして寄って来ました。どうか、よい夢がみられますよう・・・。もうひとつ、蛇足の詩(もどき)にて、今宵ではない、今朝は失礼します。
  

      失いつつあること

貧しくても 豊かにあったものが
いま、豊かになっても、失いつつあることに
心乱れる
幸せってなに? 
人間って何?

幸せってなに? 
人間って何?
  

2008年04月20日

チョ~納得

 内藤選手の話題に並んで、胸にストンと落ちた“納得”スポーツ、特に五輪に関する話題2話・・・

  納得スポーツ、特に五輪2話

① 善光寺さんが、その境内が、聖火リレーの出発地になることを辞退したこと。
  福田首相が、来日した中国外相に、チベット問題への適切な対処方を申し入れたこと。


 ~~~もし、チベット問題について、日本の国が、ノーコメント・ノーアクションで「知らぬ顔の半兵衛」を決め込んだら、世界に恥ずかしいな、と思っていましたが、善光寺さんも、福田首相も、チョー納得な行動をしてくださいました。何しろ、日本は、次のようなことを、日本国憲法に載せて、世界に誓っている国ですから・・・。そうした国が「美しい国」ということになるのでは、と思ったりもします。

「日本国憲法」の前文の一節

われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。


と。・・・やたらと難しい言葉が並んでいますが、身近な例を言えば「ご近所づきあいや学校や会社などで、暴力や脅迫によって弱いものイジメがされたら許しません。きちっとモノ申していきます」ということだろうと思います。
  当たり前の道理が大切にされなければ、ご近所でも学校でも会社でも、国でも世界でも、無茶苦茶になっていきます。道理を、当たり前に、主張できる社会、主張してもイヤな目に遭わない社会を造っていきましょう。


② 競泳のオリンピック代表選手の決まり方が、スッキリしていること。

~~~日本水泳選手権で、2位以内に入り、しかも五輪派遣標準記録を突破したら、代表選手になれるという、やり方は、本当にスッキリしている。代表になれた選手の喜びに本当に共感できる。どの競技団体も、スカッとスッキリして欲しいものだ。北島康介選手風に言えば「チョ~、気持ちイイ~」の一言です。




《参考資料》4月19日10時24分配信 毎日新聞
 
 福田康夫首相は18日、首相官邸で中国の楊潔チ(ようけつち)外相と約35分会談した。首相はチベット問題について「国際的な問題となっている現実を直視する必要があり、北京五輪に影響させるべきではない。中国側は解決のために全力を尽くしてほしい」と述べ、改めて中国側に事態打開へ向けた努力を求めた。
 首相は26日に長野市で行われる聖火リレーについて「日本の警察がしっかり守る」と述べ、中国の「聖火警備隊」などの警備は不要との考えを間接的に伝えた。楊外相は「ダライ側がオリンピック破壊活動を停止すれば対話の扉は開かれている」と、これまでの主張を繰り返した。
  

Posted by 夢想花 at 00:05Comments(0)TrackBack(0)共感・頑張って!
 NHKTV「スポーツ大陸」でプロボクシングフライ級世界チャンピオン内藤大助選手の生き方に励まされました。

              内藤選手

~~~彼の言葉で印象に残ったこと~~~
  ボクは、しょうもない、嫌われてきた男です。その人間が、ボクシングを始めて、多くの人に出会い、親しくしてもらい「おい内藤、飲みに行こう」と声をかけられるようになった。ボク個人としては、それだけで満足で、十分です。ただ、ファンの人や応援してくれるの声に応えたい、喜んでもらいたい、という気持ちでボクシングを続けてる。だから、今のボクは、自分のためよりも、人のために、きつい練習をしているのです。    と・・・。

~~~おこがましくも、私の意見・感想~~~
  ボクシングは、ハングリー・スポーツと言われます。何かに飢え、それを強烈に意識し、それを克服する気持ちがあればこそ、きついボクシングに耐えられる・・・そういうことではないでしょうか。内藤選手は、中学時代にいじめられた経験があるそうです。そういう体験が、逆に、人間の愛情に敏感になって、人の愛に真剣に応えたい、ということになっていったのではないでしょうか? ただ、いじめらても、人間への信頼は、根本的には失わなかった・・・そこには親や家族、まわりの人の愛が、それまでも、そのときも、彼には、豊かに注がれていた、と私は想像しています。  内藤選手、勝手な私の解釈にご勘弁下さい。

  彼の生き方の真摯さに比べて、とても語れる私ではありませんが、彼の言葉に触発されて、私の幼い頃の“潤沢と欠乏”の経験、そして今の“潤沢”の中で(つい“感謝”を忘れがちな“潤沢”の中で)、日頃考えていることを書いてみました。

    潤沢と欠乏
 
人は、生まれて、生きて、死んでゆく。
そのことは、誰もが同じ。
だけど、生きていく上で
   時間や物や人から受ける愛は
   みんな ばらばら。

人は、時間・物・愛がありすぎると、
  それが当たり前になって、
      感謝の気持ちを忘れ鈍感になる。

時間や物や人の愛に恵まれない人が、
どれほど、
時間や物や人の愛を求めるか・・・。
私もそうだった
  物がなく、食べるものがなく
    腹ぺこが当たり前だった子ども時代
 幸いに、愛や時間には恵まれてきたけれど
    “飢え”の体験が、今の私を造ってる



だけど、そのすべてのベース(基盤)は、
  身近な人に愛されて、人への信頼があること
人の愛、人への信頼をベースに
 人は、“欠乏”からも、
      “欠乏”だからこそ
      多くを心に刻みつづける


  

Posted by 夢想花 at 06:41Comments(0)TrackBack(0)共感・頑張って!
 30分ほど前、テレビの報道番組「NEWS ZERO」で中田英寿選手のことが、報じられていました。



 プラス ワン を持ち寄れば・・・


サッカーの中田英寿選手が現役引退後
世界への自分探しの旅に出て得た ひとつの結論
サッカーを通して 何かを伝えよう 考えよう
彼は 「プラス 1」と冠した 
        サッカーの試合を計画しているという


「プラス 1」
・・・誰もが中田選手のように、世界に飛翔できる訳ではないけれど、
誰もが各自の生活の場でも、何かを発見できる。
                    発見できる。


私の立っている場所は、小さな小さな一地点。
だけどこの地点は、世界につながっている。
            人類につながっている。
            地球全体につながっている。
また、世界も、人類も、地球も、
       この一地点に立つ私に働きかける。


それぞれの人生の、それぞれの場所での、
                      「プラス 1」。
人のために、社会のために、地球のために
               私ができる「プラス 1」
一人ひとりができる・・・「プラス 1」


小さくてもいい。
目立たなくてもいい。
一人ひとりが「プラス 1」を持ち寄れば、
社会で、日本中で、世界中で、地球上で
   幸福につながる「プラス 1」が満ちてくる。
  

Posted by 夢想花 at 00:19Comments(0)TrackBack(0)共感・頑張って!

2008年04月17日

なぁ 同志エル

 ご迷惑だと思いますが、我が家歴17年の犬についての自己満足or自己陶酔気味の詩(もどき)を書きました。 


       なぁ 同志エル

立とうとする 立とうとする
エル
おしっこがしたいんだネ エル

前足を踏ん張って
だが後ろ足が なかなか踏ん張れない
だから前足だけで 這ったまま 前へ行こうとする

エサの欲しいときもそう
立とうとする 立とうとする
エル

前足を踏ん張って
だが後ろ足が なかなか踏ん張れない
だから前足だけで 這ったまま 前へ行こうとする


だけど行けない
すぐにへたってしまう
人間の顔を すがるような眼で 見上げる

「エル 頑張って がんばって」
励ましはするけれど
「仕様がない奴やなぁ」、とぶつくさ言いながら
人間は エルの腰を持ち上げる

エル 歩き出す あるきだす
ヨロヨロと ヨタヨタと
腰を揺らし ヨロヨロと ヨタヨタと


こんな状態で この冬を越して
いま 春になって
少しずつ すこしずつ
立ち上がりにくく
歩きにくく
その度合いが増している
中肉中背 だけど すっかり痩せこけて

かつて 過剰な番犬ぶりに 飼い主達を悩ませた
    吠え声は 今は もうない いまは もうない
女の子のように細い声でなく
野太い声で お前にとっての“不審人物”を
限りなく 吠えつづけた
番犬勤務に忠実だった エル


いまは もう鳴かない
我が家に来て 17年
2年前に天国へ行った
もう一匹の犬サンタの上に 君臨して
サンタのエサを 横取りしていた エル
人間さまは ずっと お見通しだったんだゾ!!


エルも サンタも雑種
捨て犬 または捨てられ寸前に 子どもが 拾ってきて もらってきて
その時の 子どもも 今は もういい大人

飼い主夫婦の奥さんには 優しくされたけど
亭主の私には そのしつこい吠え声に
「うるさ~い!」と怒鳴られたことも しばしば
 

今は 誰も お前を怒鳴らない
「エルちゃん」 
そして お前の怪妖ぶりについたあだ名
「エルギラくん」と 人間さまに 声かけられて
ずいぶんと穏やかになった眼で 人間を見上げる
エル


今まで いろんなことがあった
病気で 入院 そして 手術
我が家から脱走を企てて
だから 塀を高くしたけれど
別のルートから 逃げ出したエル
自由を求めて 行動したエル


だけど 今は いつも寝ているエル
飼い主夫婦と 近所にいる孫 を見たら
シッポだけ振って 愛想を振りまくエル

それだけでいい それだけでいい
飼い主 とくに 亭主は 今は すっかり“猫”なで声
「エルちゃん」「エルギラくん」と・・・
猫と犬の共存
これが ずっと続きますように
そして 共に老いていけますように なぁ同志エル

  

Posted by 夢想花 at 06:17Comments(0)TrackBack(0)ごめんね。

2008年04月16日

花咲くを願って

  一昨日、「まず、誉めましょう」の終わりの部分で、私の考え方を、次のように記しましたが、その続きを記させていただきます。

※ どうも、日本と言う国は、照れがあるのか、謙譲の精神か、ひどい言い方ですが、「豚児」とか「馬鹿息子」とか「愚妻」とか「宿六」とか、けなす傾向が強いです。テレビドラマでも、けなし合って親子や夫婦の情愛を示すようなシーンが多いように、思います。 (以下、つづきます)




日本人の苦手・・・私も・・・愛と感謝の言葉

  ずーと以前、別のある講演で「豚もおだてりゃ、木に登る」と言って、講師が聴衆の笑いを取っておられましたが、私も、心底、おだててくれれば木に登るにと、思いました。皮肉とイヤミとあてこすりを言う前に、まず感謝と愛の言葉を言いましょう・・・むつかしい(?)けど。むつかしいと思うこと自体がイカン!。なんで、家族にそんなに気を遣わなアカンのや、というご意見もあろうと思いますが、損して得取れ、家族にこそ気を遣うべし、は人生の鉄則では、と考えてオリマス。

 それから、親野さんは、 「自分を、誉めましょう」 とも言っておられましたが、全く、同感です。
 
  他人が、誉めてくれないなら、せめて自分だけでも自分を誉めましょう。歌にもありました。「着てはもらえぬセーターを ♪♪」を、「読んでもらえぬブログを ♪♪」をと、(これって、イヤミ or ヒガミ?!) 自分自身を慰め、鼓舞しましょう。



※ 昨日昼前の約2時間、公園にゴザを敷いて、自治会の女性の方が頑張って、桜の花見の宴がありました。女性陣お手製の桜餅がおいしかったです。妻も、その中に入って、家ではあまり見せない満面の笑みをしていました。いい天気で、やや暑いぐらい。若いお母さん方や子どもも参加し、私はひとりで行くのはやや照れくさいので、娘・1歳の孫と参加しました。男性陣の参加は、やや少ないようでした。世は後期高齢者医療制度の施行に伴う年金からの保険料天引きの開始・・・そういうこともしばし忘れ、ともすれば、地域社会の連帯が失われ、人が孤立しつつある今、こういう取り組みは素晴らしい! 昔は、こういうことがよくあって、子育てや時にはお節介なことも言い合って、やや干渉気味なれど、助け合うこともよくあった。
  アリガトウ、これからも、粘り強く、ネバ~リづよく、いつか、人の心に花が咲くことを願って・・・
 ここでへたな二句を。


     桜咲く こころ花咲く 人が咲く    

    桜見て 手のぬくもりで 開く笑み
  

2008年04月15日

いい遺言の日

♪♪ あなたの後姿にそっと別れを告げるとき 
 あなたの髪のあたりにぽっとあかりがさしたような
 うらの木戸をあけて
 ひとり夜に出れば、あかりの消えた街角に
 足も重くなるけれど
 ぼくの遠いあこがれ 遠い旅は捨てられない

 許してくれるだろうか ぼくの若いわがままを
 わかってくれるだろうか ぼくの遥かな彷徨いを
 いつか疲れ果てて
 あなたのもとへきっとたどり着くだろう
 
 ぼくの遠いあこがれ 遠い旅が終わるときに
          ・・・(中略)・・・ 

 あなたには見えずとも
 語りきれない実りを 
    ぼくはきっと持ち帰ります。きっと ♪♪





  別れ そして 想い・・・
きょうは、いい遺言の日


 ・・・昨日の午後、小椋桂さんの「木戸をあけて」を聴きました。少年が自立の旅立ちのために家を出るときの母親への想いを歌ったものですが、この歌を聴くたびに、私自身の母親との別れ、また息子や娘との思い出が蘇って、しんみりします。聴きながら、数年前の年賀状を手にして読み返していました。懐かしい名前と筆跡。その内、何人かの方は故人になっています。

  人生に別れは避けられないことですが、どんな思いを伝えたかったのか、受け止めることができたのか・・・
  話は、突然変わるようですが、実は、人が思いを伝えるための智恵のような「遺言」・・・きょうは「いい遺言の日」だそうです。


子や孫や後世の人たちに何かを伝えたい・・・そういう思いの人も多いと思います。 私もそのひとりです。 と同時に、親や先人の人たちの思いに気づかないまま今に至っていることにやっと気づいている・・・そんな思いにとらわれる人もいると思います。私も、そのひとりです。

 
遺言というのは、単に、財産や法律的なことだけでなく、人と人の出会いと別れを深く考える・・・そういう契機になるものではないでしょうか?



  そういった契機になればと、ここでは、財産や法律的なことの遺言について、適切に書いておられるHP「やぶき行政書士事務所-相続・遺言サポート-」をご紹介しますので、下記アドレスをクリックしてみてください。

http://www.yabuki-office.com/page023.html



 
※ 話は変わりますが、ある方から、コメントを受け付けないのかとご質問を頂きました。私には、技術的にももうひとつ自信がなくて、全面開放ではなく、今のような状態にしています。一方通行的なようで心苦しいですが、ご寛容の程をお願い申し上げます。

  

 日曜日のあさ、「テレビ寺子屋」という番組で、教育評論家の親野智可等さんが講演されていました。その講演で強調されていたことを、お送りします。

 まず誉めよう とりあえず誉めよう


 親御さんに言いたいことは、我が子に対して、ケチをつける前に、まず、なにかよいところを探してでも誉めましょう、よい点が見つからなくてもとりあえず誉めるようにしましょう。

 たとえば宿題の字が汚くても、「この字はいいねぇ、だけどこの字はもうちょっと丁寧に書いたらもっと良くなるんと違う?」と、まず誉めることから始めると、次の時には、子どもは字の丁寧さに気を遣うようになります。良くなったから誉めるのではなく、誉めるから良くなるのです。

 夫婦の関係でも同じで、奥さんが旦那さんのやることが気に入らなくても、 と 「やってよー!!」と (金切り声で・・・これは、私夢想花の補足です) 言う前に、 「助かるわ~、有り難う」 と言うと、旦那さんは、せっせせっせと家事・育児を喜んでするようになります。 




※ どうも、日本と言う国は、照れがあるのか、謙譲の精神か、ひどい言い方ですが、「豚児」とか「馬鹿息子」とか「愚妻」とか「宿六」とか、けなす傾向が強いです。テレビドラマでも、けなし合って親子や夫婦の情愛を示すようなシーンが多いように、思います。(以下、つづきます)

 
 なお、テレビ静岡とテレビ寺子屋のHPのアドレスです。
   http://www.sut-tv.com/  

Posted by 夢想花 at 00:09Comments(0)TrackBack(0)子ども

2008年04月13日

すざくの子ども

 いきなり50年以上前にフィード・バックしますが、私が京都市内の小学校へ入学したのが1950(昭和25)年、卒業したのが1956(昭和31)年です。その小学校は、戦後の風土の中で、非常に活発な教育活動をされていました。


             すざくら教育

  当時子どもだった、私にはもうひとつ分からなかったのですが、全国から学校の先生が見学や勉強会に来ていたこと、運動会だったかの前日に「前夜祭」があったこと、運動会のあと、子どもたちが全員集団の列をつくって、校区内を歌って校区内を歩いて、校区の人たちに笑顔と拍手で見てもらったこと、かなり多くの愛唱歌があったこと・・・私はあまり覚えていないのですが・・・。
その名は「すざくら教育」。私は、人生で多くの校長先生に出会ってきた中で、名前を覚えているのは、たった一人。その当時の校長さんの名前だけです。
 多くあった愛唱歌の一つ・・・その校長さんの作詞した愛唱歌を紹介します。

       すざくの子ども

     すざくの子ども ぼくたちは
     平和の小鳩だ のびのびと
     のぞみの空を 飛んでいる
     羽音に力 見せるのだ
     仲良く伸びよう どこまでも

     すざくの子ども わたしらは
      文化の花よ 朱桜よ
     民主の園に 咲いている
     姿にこころ見せるのよ
     仲良く伸びよう どこまでも

                

※ 男の子の私は、当時、自分のことに忙しくてピンと来てなかったようですが、今、50数年たって記憶のよい同窓生と話していると、校長先生を中心に先生方がいろいろな取り組みをされていたようです。今、子どもたちが隊列を組んで校区内を歌って回るなんてことは、考えにくいことですが、当時、子どもであった私は、運動会の後でちょっとしんどかった(ひもじい空腹経験は一杯あったのですが、よく歩いて、脚力はありました)のですが、好きな女の子と手をつないで歩ける(おマセさん!)ということで、うれしかった思い出です。
 今、同窓生で当時何曲かあった愛唱歌を合唱したいな、という声も一部からあり、当時の学校愛唱歌の資料を集めています。楽譜や録音物が残っておらず、あとは当時の記憶だけです。メロディを復元したくても、できるかな、難しいなという段階で、保存力のある同窓生や恩師、現在の小学校校長先生からも、ご協力いただいて、動き始めた段階です。突然に50数年前にフィードバックしたので、このブログを読む人も、戸惑われたと思いますが、当時の学校教育の雰囲気の一端でも掴んでいただければ、とお送りしました。なお、「すざく」と言うのは「朱雀」のことで、「すざくら」は漢字で書けば「朱桜」と書きます。 

  

Posted by 夢想花 at 00:25Comments(0)TrackBack(0)その他

2008年04月12日

挑戦できる機会と夢

 決して、桑田真澄投手の挑戦にケチをつもりでなく、彼の偉業には驚嘆している私ですが、ただ彼の言った「挑戦」という言葉に触発されて、「挑戦」ということについて、私流の考えを、ご披露したいと思います。

  挑戦できる  は、公平?

  現実には、環境や境遇によって、挑戦できる機会や内容に違いがあります。環境や境遇で許された条件内で、または条件をやや越えたり、または条件を無視したり反発したりして、「挑戦」が生まれる、と思います。ただ、その人が、それまで、育ってきた環境や境遇、文化的土壌や経済的土壌と無縁に、「挑戦」が生まれたり、挑戦できる基盤である「人間として力」ができる訳ではありません。 平和な時代と戦争の時代、豊かな国と貧しい国や地域では、挑戦のスタートとなる「機会」やゴールとなる「夢」のあり方が違います。 戦争時、多くの若者が、機会を奪われ、夢を絶たれました。今、世界中でも、内戦や暴力、貧困や差別のために、「機会」もなく「夢」見ることすらできない子どもたちが多くいます。
 どう自分の夢を追い求め、挑戦するか、例えば、貧しい発展途上国の子どもたちの見ることのできる夢は、日本の子どもたちの見ることのできる夢とは違います。

  だから、オリンピックで金メダルを取るための努力も貴重ですが、潤沢にお金をかけられる国とそうでない国や地域の人たちが、同じ場で競争して順位が決まるという現実にも、日本に住む私たちは眼を向けなければならないのではないかと・・・。

  スポーツは、世界中を同じ価値観で、勝った負けたで興奮させる例があることは、サッカーだけではありません。しかし、同時に、試合場に至るまでの過程での、様々な背景やドラマを理解することも、大げさに言えば、世界理解・人類理解に繋がるのではないかと思います。

メダルを取ることだけに一喜一憂するのではなく、平和にスポーツできる環境に「感謝」して、世界の子どもたちが「挑戦できる」すなわち「夢追える」環境づくりに貢献する・・・それも立派な「スポーツマン or スポーツウーマンシップ」だと思うのです。初めは、個人的な動機から出発しても、スポーツで経験した「広い視野」を活用して、人類の福祉に貢献していく・・・そういった人は、米大リーガーにも多く見られし、他の芸術等の分野でも、見られます。その点、日本のアスリートには、そういう視点が、やや弱いのではないか・・・これは、教育の貧困の成果かも(?)、と思ったりもする、理屈言いの私です。

  選手のシビアな練習の日々に、あんなことは到底真似できんワと、驚嘆しつつ、そんなことも考えています。

  だから、メダルをとった人を賞賛すると同時に、メダルを取るにはほど遠い環境の中で頑張っている、世の多くの無名の「心のメダリスト」にも光りあれ! 
と。 スミマセン、理屈におつきあい頂いて・・・。ですが、スポーツって何だろうと、考える最近の日々なのです。  

2008年04月11日

命ある限り挑戦!

        命ある限り 挑戦

 昨日の朝テレビで、先日、引退を表明した桑田真澄投手へのインタビューがありました。その中で、彼は言います。

★ これだけ永く野球をさせて頂いたことに、ファンや関係者や感謝。

★ ものごとには「光」と「陰」があって、怪我をしてリハビリしているときも、必ず、光のくることを信じて取り組んだ。

★ 命戴いている限り、いろいろな挑戦をしていきたい。

と。彼が、高校時代に、彦根球場へ来たとき、登板しませんでしたが、遠くから見た、帽子を目深にかぶった姿が、今も、鮮明に覚えています。努力の大切さと多くの夢を与えてくれたことに、深く、感謝です。これからも、さまざまなメッセージを伝えて欲しい。
ここで一句。

 挫折越え 道ひたむきに 陽光(ひかり)笑む


 <蛇足> 実は、桑田選手のものの見方は、私の見方とよく似ているなと、勝手に思っています。桑田選手は、すごい人やと思いつつ、同時に、やや、「挑戦」ということについて、私流の意見も持っているのです。(長くなりますので、また、その意見をとうとうと述べますと、結局、何を言っているのか分からなくなるので、後日に、もう少し、私の頭を整理して申し上げます)

 

  

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