“親父ギャグ”という言葉


 偶然にできた、老若男女6人ほどの集まり。いろいろ世間話をしていると、話が「親父ギャグ」ということに及び、私face08は若い人face05の方を向いて言いました。

  “親父ギャグ”という言葉を、世間でも、テレビでも、よく使っているけれど、これ、どう思う?・・・と質問。若い人「そうやねぇ・・・」と考えてる最中に、私よりもち若そうな中年のおじさんface06が、「じじい、と言われるよりマシですやんか・・・」と大音声! 「そんな、問題ではない!」と、私kao12もお返しの大音声! 

  この一連の会話に集約された日本のひとつの現状・・・みなさんも、お考え下さればうれしいです。。。

 私は、紛れもなき“親父”であり、孫からは“爺ちゃん”と呼ばれています。そのことは、毛頭、否定する気もナイ。その私が、ぜひ、言いたきこと、訴えたきコトあり。ただ、思い長口舌になる可能性がありますので、近日中に、つづきを述べさせて頂きますので、今朝は、これにてお開き、ということでお願いします。
      
               (つづく)      ただ、下手な一句を。

   夏の空 しゃべり声する こだまする
                 ヤッホ~! ヤヤ、描写が大げさface02カナ?!  

2008年05月30日

守・破・離

ブログ5月26日号で「守・破・離」について、触れました。

             守・破・離
      学ぶとは、まず、真似ぶこと

 若い頃、剣道をした時期があります。そのとき、よく先生が私たち教え子に「守・破・離」ということを、言っていました。冬の寒風吹きすさぶ中、道場の冷たい板敷きに正座して、けっこう長時間、私たちは、しびれる足と剣道着に入ってくる寒気、そして忍び寄る眠気と闘いながら、先生の「守・破・離」を聞いたものでしした。

 「守・破・離」は、一般的には「守破離」と点(・)抜きで言うようですが、私は、なぜか点付きで覚えています。意味は、点があろうとなかろうと、全く、同じです。

  とは、武道のみならず、何事も、基礎・基本をきちっと学び、守ること。基礎・基本を学ばないと、“我流”になること。 

 破
は、基礎・基本を身につけた上で、自分なりに「創意工夫」を加えていくこと。

  は、「破」の段階から、さらに「自分の世界」「自分独自の境地」を確立していくこと。 



 と、いうことでした。だから先生は、「お前たちは、まず、基礎・基本を真似せよ。“学ぶ”とは、まず“真似ぶ”ことだ!」と、喝破されていました。

 そうですヨネ、学ぶとは、真似ぶことなんですヨネ。だから、大人は、子どもたちのよいお手本でアラネバならないんですよね。 

・・・とエラそうに講釈するのは、未熟・我が儘、日々“お手本”の神様に叱られそうな、と反省しきり、剣道の「ゴトウ先生」の不肖の弟子の私でした、スミマセン。

  

Posted by 夢想花 at 00:04Comments(0)TrackBack(0)その他雑感など
 きょうは、と言うより昨日のことですが、脳の中の、もやもや感に、悩まされマシタ。      


    お脳様 お脳様 (第2弾) 

  昨日あさ11時過ぎ、NHK確か「総合」テレビを見ていたら、出演者が、人生の一部分にスポットを当てる実に軽妙洒脱な表現の言葉を発しました。。。。。う~ん、これはブログに使える、と思ったままその後、やがて、高齢者の癖で、私はしばしまどろんでシマッテ、昼過ぎに目覚めたら、すっかりその言葉が、私の脳から飛んでしまっている。

  聞いたということは覚えているけれど、その内容は、飛んでとんで回ってまわ~ってしまって、脳に記憶が甦らない。その時間帯の番組のHPを見て蘇らそうとしても、還ってこない。どうにも気になって、古来からの友だちに「テレビ、見てへんかったか~?」と電話するも、「見てへん」との返事。それからしばし、私の駄弁につき合ってもらって(アリガトウ!)、お互いの過ぎ越し日々を回顧して、記憶まだらな私の脳の移ろいに思いを馳せました。

  そんなことって、ないですか? 記憶が、そこらへんまで来てるのに、浮遊したまま、夢の迷走路に入って、還ってこない・・。
そこで「お脳様 お脳様 (第2弾)」の、例によって、訳の分かりにくい詩(もどき)を。


   お脳様 お脳様 (第2弾) 
 Come back to me!  


 私のお脳様 あなたは、本当に気まぐれ浮気性
 あっちへ フラフラ こっちへ 道草
           じっとしてイナイ

 だから、記憶飛び、思い飛び、
 瞬間的に、私の頭に、逗留する

 飛んでとんで回ってまわ~る~
     振れ幅も 大きくて
 だけど、時々は、一点を凝視したりする

 そんなあなたと つき合って64年余
 つき合いにくい奴ヤなぁ、と思いつつ
 だけど そんなあなたが好きだから
 あなたの好きなアミノ酸
 きょうも準備して待っていますから 
 機嫌直して 還ってきて

 Oh No! と言わずに
 シェーン, Come back to me! ならぬ
 お脳様, Come back to me!プリーズ!
 



※ すみません。お時間取らせて・・・。ヒマ人(それも少しアリマスが)としてだけでなく、世の皆さまに、くすぐり笑いをお届けしたいと、年甲斐もなく書きました。第1弾は、3月28日号のブログに載せていますので、よかったら、ご参照ください。

※ 私のブログのファン(?)が、約3名増えて、困った・こまった・コマドリ姉妹・・・ブログを休みにくくなりました。嬉しい悲鳴! トホホッ! です。  

 夕方、近所を孫と歩いていると、女性2人が、犬を引っ張っているのか、引っ張られているのか、イキのいい犬2匹が、鼻つき合わせて、ウーッと唸り合っている。聞くと、それぞれ4歳と5歳犬だという。


   その時は その時の精一杯

  翻って、我が家の犬は、17歳。人間風に言うと、80歳から90歳。実感で言うと、我が家の犬は、120から140歳ぐらい。今の日本の80歳~90歳の方は、もっと元気がよいし、よく喋る。我が家の犬は、食欲はあるけれど、夜はオムツ、半介護状態。ウーともクーとも、声を出さない。

  それを、くだんの2人の女性に言うと、1人は「へぇ、そうやったん。あの元気だった犬が・・・」と、感慨深げ。もう1人の女性は、我が家の犬とは、面識がない。

  栄枯盛衰・盛者必滅は、世の習い。と言えども、改めて、我が家の犬の往事と改めて孫の元気と引き比べ我が身の衰微
(とは言え、体使っての労働の成果、まだまだ動き、使用に耐える、そう簡単に引き下がらんゾ、と自負)に思いが至る、夕暮れでした

 ここで、“半恒例”の下手な一句と一首。


犬と人 栄枯盛衰 夏暮れる

その時は その時の精一杯 やったんやでと
   犬ひたすらに 潤む瞳(め)で言う  

  

Posted by 夢想花 at 00:15Comments(0)TrackBack(0)ごめんね。
 ドラマ「CHANGE」(第3話)を見ました。いよいよ、佳境です。


     ボクのすべては、皆さんと同じです。
     もう一人の主役は?  


 ボクのすべては、皆さんと同じです。 ボクは約束します。
 皆さんと同じ目線で、政治の問題点を見つけ、それを正します。
 弱者と言われる人の、どんな小さな提起でも、皆さんと同じ足で、現場に駆けつけ、皆さんと同じ手で、自分も汗まみれになって、解決に取り組むことを約束します。
 ボクのすべては、皆さんと同じです。


 老脳ゆえ、記憶やや不確かなれど、おおよそ、朝倉日本政友党総裁候補が車上から絶叫した言葉は、こういう内容だったと思います。彼は言います。

 選挙の時だけ、国のご主人様と言われ
 だけど、政治家と国民の距離は大きい。
 庶民の目線で、政治を見つめ
 小学生にでも、分かるような言葉で、政治を語りたい

 政治を分かりにくくするのが、「政治のプロ」と言うのなら
 ボクは、そんな「政治のプロ」になりたくなーい。


 溜飲が下がるような言葉。美しい言葉、だが、いつか、他の誰かも、美しい言葉を使っていたような記憶がある。キムタク・朝倉総理の今後で、言葉を証明して、他のダレかとの違いを示して欲しい。

 国民主権主義、民主主義・・・日本国憲法は、はっきりと謳っています。だけど、現状は、ご主人様たる私たち国民の目に見えないところで、政治のテクが使われ、ダマしたり、ハグラかしたり、ムードを煽ったり人たちが居る。ドラマでも、ふんだんに、その辺が描かれていて、それに振り回されつつ、自分を主張し出す、キムタク候補の演技が絶妙で、痛快。

 だが、現実は、騙したりする方もする方だけれど、騙されたり、はぐらかされたり、煽られたりされる国民(主権者)もたくさん居る結果、その前提として政治への無関心層が多い結果として、今の政治の現状があるのではないでしょうか? 

 だから、このドラマの主人公は、テレビ画面の中の木村拓哉さん演じる朝倉啓太議員だけれど、同時に、このドラマの主人公はテレビの外側でテレビを観ている私たち視聴者であり、そしてそれを心配して見つめている、今は発言権のない「未来の主権者」たる子どもたちのような気がします。ドラマは、子どもたちに“未来”を保障するためにも、もう一人の主役の出番を、促しているのではないか、と・・・。。。。。 

 すべての松明を朝倉総理だけに持たせるのではなく、私たちもそれぞれができる「プラス ワン」を持ち寄って、朝倉総理を育てていくと同時に、私たちも主権者として育っていきましょう。
 

 さまざま提起する優れたドラマであり、それを表現する演技者とスタッフのチームワークの勝利が続いています。この勝利がさらに続いて、
   “沈没”しません。日本そして世界は、
                永久に不滅です。

と高らかに宣言できますよう
、チョ~さんに代わって、老骨も頑張りますので、キムタクさんを初め若い人に期待し、深く希い願う次第であります。
  

2008年05月26日

伝統と変化・CHANGE

 大相撲千秋楽テレビ中継で、解説の舞の海さんが、千秋楽の観客の盛り上がりを見て、印象的なコメント・・・「昨日、琴欧洲の初優勝が決まったのに、千秋楽のきょうも大変な盛り上がり。ファンが、いかに、“変化”を求めているか、ですねぇ。」と。

         伝統と変化・CHANGE
            不易流行       


 私も、同感。琴欧洲関の喜びを素直に謙虚に表す態度、お父さんの喜び、ブルガリア語での母国の人への思いはち切れんばかりのメッセージ・・・初初しくて、見てる私も心が揺すられる。朝青龍のふてぶてしく見える態度にも、やや食傷気味。白鵬も、圧倒的な強さがない。日本人力士の台頭もイマイチ。相撲協会は、暗いイメージ。それを、吹っ飛ばすような、来場所も強いかどうか ? だけれど、ここは琴欧洲の笑顔に、酔ってみたい。

 “変化”“CHANGE”・・・閉塞感ある中で、人は“変化”“CHANGE”を求めている。政治の世界でも同じことなのかも・・・。キムタク首相を求める人の気持ちもよく分かる。

 と思いつつ、イヤ、ここは待てよ、と考え、ひとこと言いたくなるのが、私の特性(取り柄?)。ちょっと、話が飛躍しすぎですが、連想した言葉が 「不易流行」 。この言葉、【広辞苑】には、・・・(芭蕉の俳諧用語)不易は詩の基本である永遠性。流行はその時々の新風の体。・・・とある。抽象的で分かりにくいけれど、転じて私は、、“伝統”と“変化”の相互の関連性とか、伝統と変化相互の啓発・刺激の大切さを言っているように、理解しています。

 何もかも、新しいことがイイのではなく、悪いのでなく、古いことがイイのでなく、悪いのではなく、それぞれが学び、吸収して、さらに発展していく、と理解している。だから、年寄りも若者も、それぞれを、敬遠することなく、お互いに、学びあったら・・・と、祈念する次第です。

 大相撲の基本・伝統は大事。そこに、どう新風を吹き込んで、新しい“命”を宿らせるか。これは、どこの世界でも、同じ。・・・だと、舞の海さん話を聞きつつ、飛躍させつつ思いました。

 例えば、歌舞伎でも、落語でも、何でも、伝統ができるまでは、いろいろ新しいコトを試行錯誤して、伝統様式らしきものを創ります。その上に、安住していては、伝統も干涸らびる。安住と、無反省は、最大の敵で、それを「ゴ-マン」「怠惰」「封建的」「閉鎖的」と言うのかも、知れマセン。 
さまざま、思い巡らせた、夕方から夜でした。

※ 「不易流行」について、さらに、とお思いの方は、このアドレスを見てください。
http://www.yadonet.ne.jp/junior/1314/keieisya/keieisya2/inakumatopix-2.htm

※ 若い頃やっていた剣道では、よく似た意味(ちょっと違うかな?)の言葉として、 「守・破・離」 というのがあります。これについても、近々に、頼まれもシテイマセンガ、お節介ウンチクしたいと思っています。ご迷惑をおかけシマスが、おつきあいのほどを・・・。

※ 琴欧洲は、以前、琴欧州の四股名で、大関になってから伸び悩んで、験担ぎで四股名を「琴欧洲」と変えたようです。24日のブログは、四股名の表記を間違えていましたので、琴欧洲と、訂正させて頂きました。すみません。   

Posted by 夢想花 at 00:41Comments(0)TrackBack(0)その他雑感など
 琴欧洲が、大相撲で優勝しました。ブルガリアから、単身、来日。長い、ながい苦労の末に、勝ち得た優勝。お父さんが、応援に来ていました。

        琴欧洲、初優勝!

 優勝決定後の親子の抱擁。「親孝行」・・・今、日本では、語られづらくなった“親孝行”の3文字を、欧州から来た青年が、私たちの眼前に、運んできてくれました。彼は、元レスリング選手。欧州ジュニア王者にまで なったが、家族を支えるために19歳で来日したそうな・・・。彼は、インタビュウアーの質問に答えて「やっと掴んだ」と答えます。 “苦労”“辛抱”・・・日本では、使われることの少なくなった言葉をも、彷彿させる彼。国際化の進む大相撲。だけど、一方で、日本人が忘れつつあるものを、逆に、多くの外国人力士が体現しているようです。 だけど、やっぱり、大相撲は、ドラマやねぇ。口惜しさも、悲しみも、喜びも、凝縮して見せてくれるドラマですねぇ、おめでとう、琴欧洲関!!!   


【蛇足? 補足? 郷愁?】 私の小学生から中学生の頃は、横綱千代の山、鏡里、吉葉山、栃若時代。誰が早かったか、後だったか、私の記憶が曖昧で、その順番は定かではないですが、とりわけ栃若の技の応酬に興奮し、地面に石ころや釘で土俵の円を描いて、その上で、連れの悪ガキと相撲取るのが、日課でした。当時の楽しみは、相撲とセカンド・ベースなしの三角ベースの野球。グローブは、素手や紙で作ったもの。それでボールを受ました。相撲に話を戻しますと、栃錦が、なぜか好きで、その加減で、彼が所属していた春日野部屋が好きで、だから後に大関になった栃光の押し相撲も、小兵横綱栃ノ海の業師ぶりも好きでした。私の得意技は、押しと、どういう訳か出し投げ。だけど、よく負けた。友だちの中には、鎖骨を折ってもなお、相撲をしていた人もありました。それに大相撲をやめてプロレスに転向した力道山に、興奮しまくりました。以後、柏鵬時代、玉の海、千代の富士、最近では若貴時代。歌は世に連れ、世は歌に連れ。と同じく、お相撲さんも、世の光陰を、強く、彩っていました。昔は、「故郷に錦を飾る」というのが、他郷へ志を持って働きに出る青年の大きなモティべーションだったのですが、それも、朝青龍や白鳳、琴欧洲関などによって体現されているようです。「気は優しくて力持ち」・・・漂流している日本の“男の子”像の復活が、少しは、アッテモイイのじゃないでしょうか、と、ノスタルジーする私でした。

※ なお、この文は、あくまで、相撲の一ファンとして、私の情緒的な記憶というか印象を基に書いた文でありますので、時間の前後が不確かで、また触れていない力士も多くいます、という前提で、お読みくださいますよう・・・。文中の力士から、少年から大人になってからも、私が夢をもらってきたように、本来、大相撲は、夢を与えるものであって欲しい。
 ここで、“勇み足”気味の詩(もどき)を・・・。


      土  俵

人生の 光陰織りなす 大相撲
負けるも 勝つも 繰り返してきた挑戦の末
   土俵に浸みる 汗 涙 そして 

       

Posted by 夢想花 at 00:05Comments(0)TrackBack(0)共感・頑張って!
 久し振りの我が家の犬情報です。

           我が家歴17年 
    犬虚空を掴もうと・・・


 3日ほど前の深夜、私がパソコンをいじって、また寝ようかな、と思って、パソコンを閉め、電気を消して、2階の部屋に向かうべく、階段を上がりつつある時、階下で、何か物音がしました。何かな、と思って降りると、静かに寝ていたはずの我が家の犬が、床に横になったまま、手足をバタバタさせているのです。因みに、我が家歴17年の犬は、本来は家の外に居があるのですが、ここ半年ぐらいは、老衰で極度に弱ったため、家の入り口入ったところで、寝起きさせています。夜はオムツをして、半介護状態です。

 で、我が家の犬は、手足を、まるで虚空を切ったように、空転
(? 「バタバタ」の表現が難しい)させ、見ると少し、モドしているようです。目も定かでない。「どない、したんや?」・・・私の声も上ずって、犬に声をかけるのですが、いつもなら、振ってくれるシッポも振らずに、反応も、ない。これは、ヤバイ。こう判断した私は、妻を、急遽、起こしました。

 二人で、犬を見守り、いよいよ最後のときかな、動物病院へ行くにも深夜だし、救急車もないし、犬に声をかけ、頭をなで、私は、今までのサマザマなことを反省して、「ゴメンな」と謝りました。1時間半ほど、吐瀉物で濡れた床を拭いたり、犬を抱かえて家の外に出しておシッコさせようとしたり
・・・外へ出たとき、その夜は満月で、月光を写す犬の“黒い瞳”は本当に美しかった・・・、口に水を含ませようとしたり、どうやら人間の手で頭を起こしたら少し楽みたい、・・・そうこうしていたでしょうか。妻が、「お父さんは、あした仕事やし、寝」と言いますので、「何かありそうになったら、起こしてヤ」と頼んで、2階の部屋に行きました。

 朝5時半頃に起きて、1階に降りて、犬の様子を見ますと、ピクリともせずに横たわっています。よくよく見ると、すこし腹が動いている。呼吸は、している!!!。

 そうして、朝を迎えました。妻と私の見立てでは、どうやら、妻が犬が欲しがるので、ドッグフードを寝る前に少しやったのが、胃で耐えきれなかったのかな、それと、日中の暑さのため、少し、熱中症状態になったのかな、という結論になりました。

  あれ以後、相変わらずヨロヨロ歩くし、食欲はあるし、すっかり吠えない「歌を忘れた犬」状態ではありますけれど、あの深夜劇は何だったのだろうと思う状態で、ここ2日ほど過ごしています。ですが、ほとんど屋内犬・半介護状態は、続いています。犬の生命力に感動、私たちも、犬を通して、生と死の境界線らしきものを垣間見させて頂きました。お騒がせの一節、おつきあい、有り難うございました。
 ここで、下手な自己満足一句と一首。

     空切れど 初夏の夜長の 犬の意地

    月光を 瞳(め)に宿らせて 老いし犬
        ただひたむきに 生きて見つめて
  

Posted by 夢想花 at 00:40Comments(0)TrackBack(0)ごめんね。
 昨日に続いて、お送りします。暫時、ご辛抱を・・・。


   異質・異端は、貴重な教科書

 官も民も、組織として動いている。現実には、組織の多くが、自分たちにとって“異質”とか“異端”とか“都合の悪い外部”の意見を排除する傾向がつよい。だけど、“異質”“異端”“外部の意見”から学び、内側に入れてこそ、組織としての膨らみ・柔軟性・可能性が広がっていくのではないだろうか? 指摘に対して、議論して、共通の理解に到達した方が、組織にとっても、意見を言う人にとっても、納得できる未来が開けてくる。 

 「生活者」「市民・主権者」として共通の課題を持つ者が、共に社会を構成する組織が、話し合い、議論する・・・これこそ、民主主義であり、話し合い、議論することによって、国民(住民)も、行政組織(公務員組織)も、自分のものの見方の狭さに気づき、より合理的で、より多くの人が納得できる普遍的な考え方に到達できる。

 敵対ではなく話し合いを、敵視ではなく議論を・・・話し合いによる相互理解の道筋を経ない決めつけは、“偏見”になる。 橋元知事の発言は、一面では、心地よい。だけど、なにか釈然としないものも残る。ミイラ取りがミイラになったらアカンけど、民主主義を、とことん、追求して欲しい。古人いはく「もの言わぬは、腹ふくるる技なれば・・・」。確か、「徒然草」の吉田兼好だったでしょうか・・・。町の100人委員会に期待するところ、極めて大なるゆえんです。


【舞台裏】 いつもテンション高いねぇ、と言われますが、そうではござんせん。今年は、プロ野球のロッテが負け続けだし、人様に、ちょっとシカトされると、高齢の孤独・悲哀をことさら感じて寂しい。
 寂しいが故に、少し、気にかけて頂くと、すごく嬉しい。ブログへのご訪問者の数が増えて、嬉しい・テンションUP、という次第でございます。  

 このブログの5月18日号では、公務員に厳しいことを言いましたが、一方では・・・。。。。。
 エラそうに言うな、とお叱りを受けそうですが、少しでも社会の前進につながれば、という思いで、さらに生意気を申し上げます。本人は、極めてマジメに書いておりますので、単なる「世迷いごと」より、もう少し上のランクにお位置づけくださいますよう・・・



      徹底、話し合いのススメ
  
 5月18日号では、公務員に厳しいことを言ったが、一方では公務員も、一生活人であり、一市民であり、一労働者であり一主権者であり、その組織も私企業と同じ、生身の人間の集合体である、という側面を持っている。その意味では、民間企業とか、そこで働く人と変わらない。ただ、大雑把に言えば、民間企業は儲かる・損するというバロメータがあって、世間の経済景気動向に大きく左右され、大もうけ・倒産という浮き沈みがあり、組織も働く人々も、世間の風・影響をモロに受けるという面があるのに対し、官庁は、「親方日の丸」という言葉で揶揄されるような安定感・温室育ちの観がある。最近は、自治体の財政危機でそれも危ういものになってはきているが、それでも民間企業の人から見れば、ダルいものに感じられるようだ。その分、公務員組織には、厳しい眼差しが注がれることになって、私も、現役当時、住民全体からの注目を意識する場面もあって、その不自由さに愚痴をこぼしたこともあった。

 今、働いて生計を立て、家庭生活・社会生活を営んでいる「生活人」とその集合体である組織について、官・民の立場の違いによって、やや科学的視点を欠いた感情的な見方が言いやすい・大向こう(世間)に受けやすい風潮が、かなりあるのではないだろうか?

 巧妙な政治家は、その辺を煽り立て、ひたすら攻めて非難して、一方は、ひたすら謝って、そして結果的に萎縮してしまっている“図式”があるように、見えて仕方がない。なぜ、組織として、「反論」なり「弁明」をブッチャケ堂々と展開しないのか? それが「説明責任」というものでは、ないだろうか?  例えば、悲しいことだが、虐待で子どもが同居の保護者たるべき大人によって虐待されている可能性や証拠などを、折角、医者や学校や近所の者が児童相談所に通報したのに、児童相談所が適切な手を打ったのか打たなかったのか分からないが、結果的に、子どもが死に追いやられたとき、テレビ画面に出てくる児相の所長は、ひたすら謝っているシーが多い。児相の権限、人手、実情等、国民にもっとその時に訴えていけば、国民の虐待防止への理解も進むのではないか?  もちろん別の場では、例えば、広報活動や議会等でその辺もされていると思うけれど、謝るシーンばかりでは、児相に不信感を持ってしまう。例え、記者から詰問されようと、言うべきことは言い、議論すべきは議論する姿勢が、次なる虐待防止の施策の質の向上に繋がり、それが再発防止につながってくるのではないだろうか?  

 学校と親の関係も、言うべきは言い、聞くべきは聞き、共通の理解に到達することによって、結果的には、子どもの権利条約に言うところの、子どもにとっての「最善の利益」の実現につながっていくのではないか?

 役所と住民の関係も、お互いに言うべきは言い、聞くべきは聞くことによって、共に成長できるのでは、ないでしょうか? 
         (長くなりますので、明日につづけます)

  

2008年05月21日

キロにそよ吹く

 連日、長い文ばかりだと、ご高齢につき、息切れ気味になりますので、本日は、俳人(?)「face08夢想花」に戻って一句。世は台風が来ているというのに、全くKYな俳句でありますが、折角、つくった俳句ですので、“日の目”をみせてやりたく、KY・KYで押しまくりますicon09

    キロにそよ吹く
     


     仕事終え 岐路にそよ吹く 初夏の風      

                          ・・・じゃぁ、なかった


   仕事終え 帰路にそよ吹く 初夏の風


 日本語は、難しい。ビミョ~。何度「岐路」に立ったら、気が済む、ねん、と言いたくなるような、あわや、パソコンの入力ミスでした。この程度は、極めて個人的で、社会的な影響はない。だが、あなどるなかれ、p@あs(アレ?)・・・いやいや、パソコン。お粗末。本日は、集中力もお粗末kao12

 別の声・・・誰ヤッ!  
(体重の)キロにそよ吹く
 と言うのは?! キロきろするなっ! ちょっと、おちょけすぎ、メッ!iconN36!!

とにかく、風に乗って、一路退散    
  ♪ サイクリング、サイクリング、やっほ~、やっほ~ kao05
懐かしい、小坂一也さんの歌声と共に・・・退散シマス。
 
      

木村拓也さん主演のテレビドラマ「CHANGE」(第2回目)を見ました。面白かった。ありえね~、ドラマの世界だ、と思いつつ、一方では、さもありなん、と思って納得シマシタ。

CHANGE そして、私の心も CHAIN               グ~ッ! 

 木村拓也さん主演のテレビドラマ「CHANGE」を見ました。面白かった。新人国会議員からいきなり総理大臣・・・、ありえね~、ドラマの世界だ、と思いつつ、一方では胡散臭い古参政治家の言動は、さもありなん、と思って納得。実は、昼間の仕事に疲れて、携帯のめざましをかけておいたのですが、午後9時までに起きられず、はっと気づいたのが9時半頃、泉谷しげるさん扮する猫好きおじさんが朝倉“先生”に陳情しているシーンあたりから見ました。そこからですが、面白くて考えさせられました。
 深津絵里さんの秘書の反応も、さもありなん。納得づくしでした。

 散々、朝倉啓太議員に話して、最後、猫好きおじさんは、次のように(やや、うろ覚えですので・・・)、言います。
「有り難う。先生に話してスッキリしたよ。私のような者の話は、どの先生も聴いてくれはしねぇ。」

実は、コレなんですよねぇ。政治家の先生方は、票につながりそうな、しかも大量の組織票につながるような陳情客には耳を貸すけれど、そうでナイ人には、距離を置く。
 人間としての苦悩に、たとえまわりからは大したことではないと思われる苦悩に対して、誠実な対応をしない現実に、組織票に無縁な人は、政治に期待しなくなっているのでは、ないでしょうか?

議員を「先生」と持ち上げる社会の風潮に、少し文句もあるけれど、ついでに言うと、おなじく「先生」と呼ばれる、学校の先生やお医者さんも、人間の苦悩に向き合わない、向き合えない向きが増えてきたのではないか? 

 「有り難う。先生に話してスッキリしたよ。私のような者の話は、どの先生も聴いてくれはしねぇ。」

 「有り難う。先生に話してスッキリしたよ。私のような者の話は、どの先生も聴いてくれはしねぇ。」


 どうか、全国の朝倉先生、どうぞ人の話に耳を傾けて・・・。お互い、いつ、孤独と孤立の中に苦しむ立場の人間になるのか、分かりませんから・・・。キムタク・朝倉先生、有り難う、私たちの代表みたいな“孤立”真っ只中のおじさんの話を聴いてくれて・・・。 



※ この間の日曜日にあった「CHANGE」第1回目の再放送は、目をかっぽじて(「かっぽじて」は耳のコトを表現する言葉でした)、目は、カッと開いて、しっかり見ました。第2回目の再放送も、高齢につき、つい寝てしまわナイよう、しっかりと見るように、努力します。
  

  拓海くんは、大好きな「おかあさん」の詩を書きました。昨日は、その限りなく好きで信頼していたお母さんの手によって、人生を断たれた西山拓海くんの49日でした。忌明けして、今まで、私なりに封印していた、滋賀咲くブログさん提供の絵文字を、解禁しようと思ったのですけれど、再び、絵文字を使って何事もなくブログを創っていけば、拓海くんのことが“風化”してしまうのではないか、また、子どもの命が絶たれる悲しいニュースが報じられる現実は依然としてあります。だから、これからは、逆に、拓海くんの命日の4月1日に因んで、「1」のつく日に絵文字を使用して、私なりの拓海くんに代表される非業の死に追いやられた子どもたちへの思いや、社会への願いを表現しようと、考えるに至りました。特別な意味に、滋賀咲くブログさん提供の絵文字を使うようで申し訳なく思っておりますが、49日が過ぎて、すべて何事もなかったようには・・・と、思い切れないのです。どうかご理解とご容赦をお願い申し上げます。拓海くん作文を、どうか紹介させてください。


   ぼくはガーデニング王子     
                                      (要旨)

 ぼくは、今、畑の世話にむちゅうです。ぼくの畑からは、命がぴゅこんと毎日生まれます。くわとスコップで一生けん命作った畑は、ぼくの自まんです。

 お休みの日、家の人に、「ぼく、自分の畑を作りたい。」と言いました。お母さんとおばあちゃんは、びっくりして、「本当にできるの。育てられるか。」と聞いてきました。ぼくは、もう心を決めていました。そして、おばあちゃんの畑のとなりをゆずってもらいました。学校よりも広い広い土地でした。

 日曜日、おばあちゃんと朝市に行きました。なえを売っている所で、ぼくの足が動かなくなりました。ぼくの畑にうえたいなえがいっぱいありました。この日から、ぼくのおこづかいは、全部、なえにかわりました。

 トマト、いちご、なすび、ささぎ、さつまいも、すいか、メロン。花は、ひまわり、ほうせん花、レモンバーム、ミント、カモミール、ラムズイヤー、バジル。木は、ポニーテール。全部、ぼくの畑で元気です。

 学校でこの畑のことを発表したら、「拓海くんってガーデニング王子だね。」と言ってくれました。

 そう、ぼくは、ガーデニング王子です。作物が実るのを楽しみに、ミミズいっぱいの畑の世話をするガーデニング王子です。


 

※ 上の記事は、投稿し直しましたので、ご了承ください。このブログの4月3日号と4月6日号も、もう一度、お読みくださいますよう・・・。  

Posted by 夢想花 at 00:02Comments(0)TrackBack(0)拓海くん

2008年05月18日

住民主役委員会

 昨日、ある町の100人委員会全体会に出席し、発言する機会を得ました。

          住民主役委員会
      若者・よそ者・バカ者のパワーを・・・             
 委員会は、2年前から始まったようだが、委員は、当町住民だけでなく、他市町からも参加することができるということで、誘われて私は他市から昨年の6月頃に入って、今回初めて全体会で発言の機会を得た。「思っていることをしゃべれ」、ということだったので、住民の意見を聞くために創られた100人委員会の素晴らしさと、それに引き替え、私の住む市の姿勢を指摘する発言をし、部会からの提案の 「おもてなし」の精神 を補強するために、自己紹介も含め、 「近江商人の三方よし」 の話などをした。

 あとで、参加者から、「浮いていたみたい」と言われても、私はポカ~ン。「思っていることを」しゃべれと言われて、よそ者である私がこの委員会に入ってきた経過、どうすれば思いが伝わるかで、一住民が奮闘してきたことも伝えたくて、準備した文。決して、単純な自己顕示だけではナイ。初めての場で、何が場に合っているか、十分理解しないまま臨んだ私に勘違いがあったと言われればそれまでだが、私も ? だった。

 だけど、言ったことには悔いがない。町の100人員会はなかなかよい。住民が政策形成に参画し、町造りに住民の声が反映される。講演の講師が、 「若者・よそ者・バカ者」の感性の重要性 を指摘していたが、私も異質なものから学ぶ重要性を強調した。講師の言う「バカ者」とは、町造りに、 「ひたすらバカ見ても前へ進む人」 という風に定義されるらしい。エネルギッシュに前へ進める人。私に、それほどの馬力はないけれど、時には、バカになることも意味のあること、と慰めても、なにか割り切れない。

 「若者・よそ者・バカ者」の重要視は、確かに、納得。みんなが優等生なら、議論は深まらないし、前へ進まないだろう。例えば、橋下大阪府知事も、今は、よそ者で、バカ者(いい意味で)、そして若者だから、大胆とも見える(実は繊細な)提起をして、議論を巻き起こしていく。よい・悪いは別にして、彼が、庁舎のよそ者でなくなったら、183万票は遠ざかっていくだろう。
 学科試験重視で、学力を付けるチャンスに恵まれた人が選抜されやすいシステムだからこそ、役所や学校の世界に、問題が起こっているのではないだろうか? 学力を付ける、ということが、いかにも本人の努力だけのことのように捉えられがちだが、実際は何世代にわたっての“格差”による、大きな不平等があるように思えてならない。 

 チャンスに恵まれなかったり、人生の挫折経験者が“再チャレンジ”した結果として、役所や学校の世界に入っていく・・・この道が広がって、例えば、人生に回り道した人や元突っ張りや暴走族、ひきこもりさんなどが、例えば、ボランティア経験や職業体験などを加味されて、公務員や教師になっていく道が広がれば、多様な人生経験の人が入ってきて、どれほど、多様性に富んだ役所や学校になって、住民や子どもたちは救われていくことだろう。
 重ねてくどく言うと(強調して言うと)学力や免許だけが重視されると、それへのチャンスに恵まれなかった人を排除することになる。多様な人生経験がもっと尊重され、採用年齢も40歳代ぐらいまでに引き上げて、再チャレンジのシステムができて、多様な人材で構成される組織をつくっていくべきではないだろうか?

 ここで、閃いた私の造語・・・勇気あるバカ者は、世の中を変えていくために智恵を使い、勇気のナイ賢人は、下手を売らないタメに、智恵を使う。
 今までの、政治家や行政マンは、どっちかと言えば、後の方の人が多かったのと、違う?! 私の反省も含めて・・・。先輩からも聞かされて、上司の姿も見せつけられて、私の長い公務員生活も、下手を売らないことが、ひとつの重要なテーマだった。だから 「前例踏襲主義」や「長いものに巻かれろ」や「ことなかれ」意識が蔓延っていく。それらに抵抗するには、身を削る思いをする。それと講師は、質問に答えて、行政マンは、行政の専門家、と言っていたが、これには、やや ? 。教師でも、同様。住民や子どものためになることから“逆算”して、何を為すべきかを考えるのが “プロ”であり“専門家” であって、自分の保身から出発する行為は、果たして “プロ” と言えるか、どうか? 講師は、「霞ヶ関発の施策」の限界を述べていたが、これには同感。公務員の世界にも、「勇気あるバカ」を保障するセーフティ・ネットや土壌を準備すべきだろう。

 とにかく、参加者と私に ? を残したまま、終わったみたい。まぁ、却って印象に残っただろと、やや居直って、且つ、自分自身を慰めて、それでも割り切れなさは残る。ちょっとしたピエロ?!

 このブログを読む人には、なんのことか分かりづらいと思いますが、人生の理不尽に、新たな人生修行をしました。ただこの町100人委員会の熱気はうらやましいし、子どもから高齢者までが踊った「よさこい踊り」は感動的でした。住民主役のこの熱気が広がっていけば、政治は変わる・行政は変わる・・・そんな予兆を感じさせる集会でした。


  

2008年05月17日

花・たからもの

 朝、小学生登校時でのエピソードです。この詩(もどき)の中の「私」は、別にあやしいオッチャンではないデスヨ! ・・・と、こうことわらなくてはならないところに、日本社会の今日的課題が・・・、スクールガードが活動しなければならない、悲しい現実があるのですよネ・・・。でもソンナノカンケ~ね~、ということで、少女と私の朝のひとコマです。


         花・たからもの

窓際のトットちゃんみたいに
多分 自分の世界に浸っていて
その行動が やや突飛な
          小一かな小二かなの女の子と 
私 スクールガードしてるおじさんとの話

朝 小学校への登校時
私  トットちゃんみたいな少女に
  野に咲いている 白い小さな花をあげました
「根っこからかよ~」と言いながら
花の好きな少女は 
     「ありがとう はい お返し」と言って
別の場所に 小さく咲いていた赤い花を摘んで
                私に くれました

うれしかった
花さんには 迷惑だったかも 知れない けれど
      私にとって ちいさな小さな赤い花は 宝物

写真は撮らないけれど
      私の心に 永遠に 撮っておく

トットちゃんの心にも
どうか 白い花が 残りますように
        できれば 永遠に

  そして 私のような
 あなたと全国のトットちゃんのことを 見守っている
    世の多くの大人のことも
 ついでにちょっこっと 覚えていて欲しい・・・永遠に
 そしていつか ずっと後輩のトットちゃんを見守る
     そういう大人になってくれたら  グ~ッ!


【補足・蛇足】 いつの時代も、ちょっとした“道草”は楽しい。“道草”を楽しめる社会にしていきましょう。  

Posted by 夢想花 at 00:17Comments(0)TrackBack(0)子ども

2008年05月16日

花の言葉 

       花の言葉 
 
  テレビ番組「NEWS ZERO」のHPをいろいろクリックしていたら、華道家・假屋崎省吾さんの、花から学んだ言葉、「か・き・く・け・こ」が、載っていました。ちょっと、紹介させて頂きます。

「か」は  感謝
「き」は  緊張感
「く 」は  くつろぎ
「け」は  決断
「こ」は  好奇心



 私も、生意気ながら、それを真似して、

「あ」は  有り難う
「い」は  イイ気持ち
「う」は  うれしい
「え」は  笑顔で
「お」は  お気に入りの人生を歩きたいなぁ


・・・ちょっと違うかな? ノー・天気の、私の言葉「あ・い・う・え・お」でした。

【補足? 蛇足?】 お気に入りの人生は、おそらく、「誰もの“夢”」。
“お気に入りの人生”を歩んでいるようで、歩んでいないようで、先人もサマザマ申されています。その一例


 人の一生は重荷を負ふて遠き道をゆくがごとし… 怒りは敵とおもへ
                               (徳川 家康)

 毀誉褒貶の激しい徳川家康。すべて納得できる訳ではないけど、学べることも多い人物でした。

苦労して、人生の辛酸を嘗めて、初めて、“自分のお気に入り”が分かるのかも知れません。それに「怒り云々」というのは、「ぷっつん切れたらダメだよ」という意味にもとれますヨネ。私も、怒って、随分、失敗をしてきました。
  また、西川きよしさんの言葉に


        小さな事からこつこつと

と。何ごとも、小さなことから始まるのですよね。例によって、ひとことふたこと余分且つ迷走強引気味のワタクシでした。


 なお、もし假屋崎省吾さんと徳川家康公と西川きよしさんの人生の一端を見たい、という方は、次のアドレスをクリックしてください。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%81%87%E5%B1%8B%E5%B4%8E%E7%9C%81%E5%90%BE

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E5%AE%B6%E5%BA%B7

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%B7%9D%E3%81%8D%E3%82%88%E3%81%97


  

    それにしても
   すごい スゴイ 凄い!


  最近、ほんの少しですが、平日の朝の小学生の登校の際の、交差点での安全のための活動のお手伝いをしています。その交差点には、ご高齢のおじさんがずっと活動されていて、おじさんに聞きますと、「24年間、自治会のことで、1日だけ休んだ以外は、平日の朝は毎日立っている」とのことでした。おじさんは言います。「休んだ翌日に、子どもから、きのう来いひんやったやろう、と言われた」、と。 「わ~、すごい。とても真似できひんワ! 24年前の子どもが、挨拶しますやろ」と私。「さぁ、どうやろう」とおじさん。いつも「ああ、きょうも立ったはるなぁ」と遠目に見ていましたが、まさか、24年とは、しかもたった1日しか休んだことがないやなんて・・・、と絶句しました。

  青信号で、子どもたちが渡り、「おはようさん」と声をかけますと、照れくさそうに挨拶する子、そうでない子、さまざまです。

  それにしても、おじさんはすごい。スゴイ! 凄い! 私は、と言うと、仕事の合間しかできないとかその他言い訳尽くしの、俗っぽい理由がさまざま頭の中を駆け巡る、凡俗・凡庸な私ですが、それは置いといて、地域社会には、他にも朝・放課後と「スクール・ガード」をしておられる多くの高齢者の方がおられます。私の妻も、3年ほど「スクール・ガード」をしています。自身の生き甲斐もあるけれど、子どもたちへの愛情が、凄いのでしょうね。慈悲の化身・・・言葉を尽くしても表現し切れないので、きょうは、この辺で筆を置きます。

実はブログに書こうかどうか悩んだのですが、目立たないところで貢献されている方を知っていただきたく、だけど大きな喧噪が起こるとご迷惑をかけますので、どうか、静かに、淡々と、ボランティア活動に専念できる環境維持のため、見守っていただきますようお願いします。 


【お詫びとお断り】 おとといときのうのブログで、木村拓哉さん主演のドラマの番組名を「チェンジ」とか「Change」と表記しましたが、正しくは「CHANGE」でした。お詫びして、訂正します。
・・・ト言ウヨウナコトヲ、テレビ局気取リデ言ウヨウデ、少し妙な気持ちです。妙だけれど、「お詫び」の気持ちは、本当です。


※ 日本の小さな町で人々の日常の平穏な生活が刻まれていく一方、国内では、人々の目が届かない地域社会のエアー・ポケットのような地点で陰惨な事件や事故が起こり、世界では、ミャンマーに続いて、中国でも自然大災害が起こっています。事件や事故や災害は、「まさか」と思うような瞬間と場所で起こっています。有事にどう備え、日常の生活をどう守り、取り戻していくか・・・ 有事の予防予測・有事即応・危機管理の体制・・・国の施策もそうですが、私たちのつくっている地域社会のあり方(連帯・協力・助け合い体制)も、「まさかの時」に対応できるものになっているでしょうか?  

Posted by 夢想花 at 01:25Comments(0)TrackBack(0)元気印・生きる

2008年05月14日

Change

 きのう、テレビで派遣社員やワーキング・プアーのことを報じていました。格差の広がりはすさまじく、「ネット・カフェ難民」と言われる若者も出てきています。

 Change そして Revolution

 そこで突然、キムタクさんにお願いですが、総理大臣役のドラマの次には、格差に苦しむ若者役、ワーキング・プアーの渦中にいる若者の役をして頂けないでしょうか? ドラマ「チェンジ」・・・「Change」の表記が正しいのかな・・・の、高視聴率も報じられていました。若者に、絶大な人気と、それ故に影響力を持つ木村拓哉さんであるが故に、今の日本の社会の断面をえぐるドラマの企画を、お願いしたいのです。

 今まで、どっちかと言うと、いわゆる世評ではカッコヨイ職業役が多かったキムタクさん。彼が脱皮するためにも、また、社会の現実へのみんなの理解を深めるためにもためにも、キムタクさんに期待するのです。

 若者の、惨状と言ってよい現状をみんなで見詰め、知って、改善・解決の方途を考えていかなければ、日本の未来は惨たるものになっていきます。このブログが、ドラマ関係者の目に留まり、老骨の淡い“夢想”が実現しますよう、敢えて、ブログにたわけ言を述べる次第でございます。

 かつて、あのチャーリー・チャップリンは、街の片隅でひっそりと生活している庶民に光を当てる映画「街の灯り」や「ライムライト」などを創りました。

 チャップリンも問うたもの、それは・・・現状からの「Change」では、なかったでしょうか? 自らの“体現”を「Change」してこそ、アーチストの表現は、人の心に届けられます。自らの“体現”を「Change」して、人の心に「Revolution」を起こして欲しい。      


 街の片隅で生きる、七光りとは無縁な人間の淡い勝手生意気な“夢想”“妄想”でございます。


※ チャップリンについては、このアドレスをご覧ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%B3  

 2時間ほど前、木村拓哉さん主演のドラマ「チェンジ」を、つい、最後まで見てしまいました。「つい、最後まで見てしまい・・・」なんて言い方は、何か、ひっかかるような言い方ですが、初めは、どうせキムタク人気におぶさった、キムタク持ち上げドラマだろうと懐疑的に見ていましたが、最後の方のシーンで、亡くなった国会議員の父親の不正を率直に認めるあたりから、けっこう面白いドラマじゃん、と思い直し、急遽、この文を書くことにしました。


     シンデレラからトンデレラへ

 基本的には、国会議員の世襲化には、疑問どころか大きな不満を持っている。世襲議員が幅をきかし、政権にまでたどり着く現状は、日本の不幸とまで思っている。

 議員を選ぶ選挙には、「選挙の3バン」 という言葉がある。当選するための3バン、すなわち「地盤・看板・カバン」・・・と。
 「地盤」 とは、文字通り選挙区での地盤・支持組織。 「看板」 とは、知名度。 「カバン」 とは、本当に悲しいことですが、カバンの中身、すなわち現金・資金のこと。この構造の前では「名もなく、貧しく、美しい」庶民の当選は、事実上、難しい、 いわゆるタレント候補には看板があるし、世襲候補は、特に、地盤・看板で、時にはカバンで有利な立場に立つ。

 世襲議員が当選しやすい背景には、選挙民の中の有力者が、地元の利益を実現してもらうために、親の議員が亡くなったら、奥さんや子どもを身代わりに立てて、弔い合戦で、選挙民に情緒的に訴えて、という構造があるように思います。「義理人情」や一昔前によくあった「土下座選挙」・・・「一部の奉仕者ではなく、全体の奉仕者たる」(日本国憲法第15条)議員を選ぶには、極めて、変なことが、現実的には、まだまだあるようです。

 このドラマが、課題山積の折、国民が、政治や選挙のあり方に関心を持ち、考えていくことに繋がっていけば素晴らしい。キムタク演じる2世政治家は、親の不正を認め、親の七光りを否定することから始まった。だから、心にストンと落ちる。

 ドラマやん、と言われればそれまでだが、このシンデレラ・ストーリーで、有権者の心==政治や選挙への関心==も「トンデレラ(飛んでれら・・・飛翔)」しますように。。。次回も、見るよう努力します(つい、寝てしまったら別ですが・・・。見るよう努力します)。シンデレラからトンデレラへ。信ジラレナ~イ現実から、トンデレラしますように・・・。
やや、余韻に興奮気味です。見出しは、おフザケのようですが、中身はマジメに日本の未来を考えてオリマス。

【補足? 蛇足?】 ドラマの中で、深津絵里さん扮する秘書らしき人が、選挙の候補者のルックスがよいから、女性票が入るだろうというセリフを言っていました。思わず笑ってしまいましたが、現実はそうだ、と言ってよい状況があるようです。悲しいけれど・・・。だから「看板」の中には
候補者の「ルックス」も入ってくるんだなあぁ!???  

2008年05月12日

まぶたの母

 昨日の「母の日」の朝、テレビで、長谷川伸原作の演劇『瞼の母』を演出している渡辺えりさんが、出演していました。私の子ども時代、『瞼の母』は、映画館で立ち見が出るほど流行っていて、私も、感涙にむせびながら見ていました。


     お母ちゃんが いっぱい
           お節介の『復権』を・・・

 渡辺えりさんは、次のように、言います。

 世の中には、お母さんは、いっぱいいる。本当のお母さんだけでなく、子どもたちを心配して、声をかけたり、世話をしてくれるお母さんが、いっぱいいる。その時には、気づかなくても、ああ、あとからあのおばちゃんやおじちゃんの親切が、今の私を造ってくれたんだ・・・   と。

 テレビをぱっと観ての記憶ですので、細かい部分は違うかも知れませんけど、大きくはこういう趣旨の発言でした。私も、全面的に同感!


 私の心や体内には、記憶は定かでないけれど、今まで出会ってきた人たち、目にもしていない人たちの、有形無形の私への関与や働きかけが、いっぱい、詰まっています。そして、私も、誰か、どこかの人たちの心や体に、影響を与えています(・・・のはずです)。

 今、日本の社会では、ともすれば、敬遠もしくは嫌悪されがちな「お節介」。人間、お互いに、お節介だからこそ、進化してきたし、生きていけるのではアリマセンカ? そんなことを考えさせられる、渡辺エリさんの、「母の日」の言葉でした。

  

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