7月28日のつづきです。

     やんちゃ腕白

  また、私の子ども時代の思い出を言うと、小学生から中学生の頃にかけて(昭和20年代後半~昭和30年代前半)、日本ではプロレス・ブーム、力道山ブーム、力道山空手チョップ・ブームで、私たち悪ガキ連中は、どこかの家の畳の間で、親の居ない時を狙ってとか、日曜日、管理の厳しい今なら不可能なことだけれど、よくないと知りつつ、無人の学校校舎に忍び込んで、マットになるようなものを敷き詰めて即席の「プロレス・リング」をつくって、プロレスごっこをしたものだった。レフリーもいて試合を進行させ、対戦相手の両肩をマットに押さえ付けたらすかさずレフリーが「ワン・ツー」とマットを手で叩いて数え出す。押さえられた子どもは、片方の肩を上げる。また、リングの周りにロープがあると想定して、ロープに足をかけて「ロープ、ロープ!」とレフリーにアピールする。と、敵方の子どもは、両腕を頭上に上げて、攻撃を一時ストップする。「ダブルス」の試合の時は、早く試合ごっこをしたいものだから「タッチ、タッチ!」と大声で、交代を催促する・・・そんなことを延々、相手を変え、適当に手加減をしながら、頭や性器などの相手の急所は外しながら、プロレスの真似事を、しかも、かなりの迫力でもって、したものだった。

  相撲も地面に石で土俵の円を描いて一杯したし、野球、特に、ソフトボールも人数が足りないときは、セカンドベースのない「三角ベース」野球も一杯した。
 メンコ遊びや、ビー玉遊びと、遊ぶネタは尽きなかった。女の子とは、「ままごと遊び」をして、男の子はお父さん役、女の子はお母さん役などをした。

  言いにくい話だけれど、銭湯へ行った時に、先輩男子から中学校入った頃にオナニーの仕方を教えて貰ったけれど、その時は、よく分からなかった。先輩男子何人かは「ナンパ」の成果を吹聴しあい、それを横から分かったような分からないような顔をして聞いていた。当時、今の東京都知事の石原慎太郎さんの「太陽の季節」が話題で、その本の中にも性器による“障子破り”の記述もあったし、それも悪ガキどもの、言葉の端に出ていた。

  中学生ぐらいから小学校入るぐらいまでの子どもが一緒に遊び、いいことも悪いことも、いわゆる“異年齢集団”で遊んで学び、その中で、リーダー性や協調性、場合によっては服従する世渡りの術めいたものも覚え、文句言うときのセリフまで、いわゆる「口達者」「コミュニケーション能力」を、幼い段階からワザを磨いていった・・・。

  また、映画の影響も絶大で、石原裕次郎さんが銀幕の大スターで、裕ちゃんの歩き方を真似し、「イカス」というセリフをよく粋ぶって口にしたりもした。小林旭・中村錦之助(後の萬屋錦之介)・東千代之介・市川雷蔵さんにワクワクし、「忠臣蔵」を超満員の映画館で2時間立ち見し、三益愛子さんの悲運に抗して生きる「母もの映画」に泣いた。海外のジェームス・ディーンさん(1955・昭和30年)や後の(1961・昭和36年、私の高校生時代)の自動車事故死に衝撃を受けた  
。。。。。  


※ 「昔のこと、古いこと、言うて何になるねん!」とお叱りを受けるかも知れませんが、年寄りの“恒例”の繰り言 & このあと続く文の“伏線”(流し ?)と思し召して、ご容赦ご理解をお願いします。また、私の経験が、日本の当時のすべての子どもに当てはまるとは限りませんけれど、かなりの“共通項”があるのでは、と思ったりもしています。
                            (次回以降につづきます。)
  

Posted by 夢想花 at 06:29Comments(0)TrackBack(0)
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