昨日のつづきです。
おばちゃ~ん、テレビ見せて~
正月は、正月で、近所の子どものどこかの家に集まり、カルタ、トランプ、福笑いなどで遊んだ。その家の大人は、子どもたちにお餅やみかんやお菓子をサービスし、小学校低学年の頃から回りきらぬ舌で「感謝・感激・雨あられ」と私は言ってみんなを笑わし、大人を喜ばせたものだった。
テレビがあるのは、近所で一軒ぐらいで、金曜夜だったか「プロレス中継」のある時は、子どもが大挙して押しかけ「おばちゃ~ん、テレビ見せて~」と連呼。根負けして、その家の大人が玄関をあけてくれたら、どーっと家の中に入ったら、テレビある座敷には、新聞紙が敷いてある、という状態だった。
昔のことを話しました。何も、昔礼賛・昔回顧で終わろうと言う訳ではありません。私は、今の子どもたちが、どういう社会環境の中で育ってきているか、ということを言いたいのです。
日本の社会環境が大きく変わったのは、昭和30年代に始まり、35年(1960)年頃から本格化した「高度経済成長」以降だと思います。
社会も、自然も大きく変わり、多くの地域で、核家族化が進み、町内づきあいも減り、子どもたちに地域社会の大人の目が注がれるということも減っていった。子どもたちが危ないことをしても声をかけられること減り、非行をしてもたしなめてくれる大人が減った。以前は、町内にあった一文菓子屋さんや雑貨屋さんがなくなり、商品が溢れるほどに陳列されているショッピング・ストアーが一般化していった。店番の人も、以前のように、知り合いのおばさんやおじさんではなく、見知らぬ店員さんということになった。商品を買うときの“会話”も減り、コミュニケーション能力を磨く機会も減っていった。商品が溢れ店番の人の目が届きにくい、ということから、万引きが増えてきた。以前「地域社会」があった頃は、“世間体”という世間からの眼差しや、その集大成みたいな“井戸端会議”の“噂話”が、非行や犯罪の抑止になったけれど、いまは、その抑止のタガが外れ、判断力が十分育っていない子どもや若者にとっては、万引きなどの犯罪をしないという当たり前の、しかも、無責任な金儲けのためなら何でもアリの「刺激と誘惑の波」が社会だけでなく家の中にまで飛び込んでくるようになり、まさに「清く正しく生きること」が困難な時代に入ってしまった。
私の子ども時代は、悪さや失敗を小刻みにやって“教訓”を学び“判断力”を養っていけたけど、また貧しかったから親の苦労も見えて、今は、それまでおとなしいと見られていた子だった人が“いきなり”大ごとの犯罪をするという事件を起こして、“理解不能”という状況になってきている。
(次回以降につづきます。)
おばちゃ~ん、テレビ見せて~
正月は、正月で、近所の子どものどこかの家に集まり、カルタ、トランプ、福笑いなどで遊んだ。その家の大人は、子どもたちにお餅やみかんやお菓子をサービスし、小学校低学年の頃から回りきらぬ舌で「感謝・感激・雨あられ」と私は言ってみんなを笑わし、大人を喜ばせたものだった。
テレビがあるのは、近所で一軒ぐらいで、金曜夜だったか「プロレス中継」のある時は、子どもが大挙して押しかけ「おばちゃ~ん、テレビ見せて~」と連呼。根負けして、その家の大人が玄関をあけてくれたら、どーっと家の中に入ったら、テレビある座敷には、新聞紙が敷いてある、という状態だった。
昔のことを話しました。何も、昔礼賛・昔回顧で終わろうと言う訳ではありません。私は、今の子どもたちが、どういう社会環境の中で育ってきているか、ということを言いたいのです。
日本の社会環境が大きく変わったのは、昭和30年代に始まり、35年(1960)年頃から本格化した「高度経済成長」以降だと思います。
社会も、自然も大きく変わり、多くの地域で、核家族化が進み、町内づきあいも減り、子どもたちに地域社会の大人の目が注がれるということも減っていった。子どもたちが危ないことをしても声をかけられること減り、非行をしてもたしなめてくれる大人が減った。以前は、町内にあった一文菓子屋さんや雑貨屋さんがなくなり、商品が溢れるほどに陳列されているショッピング・ストアーが一般化していった。店番の人も、以前のように、知り合いのおばさんやおじさんではなく、見知らぬ店員さんということになった。商品を買うときの“会話”も減り、コミュニケーション能力を磨く機会も減っていった。商品が溢れ店番の人の目が届きにくい、ということから、万引きが増えてきた。以前「地域社会」があった頃は、“世間体”という世間からの眼差しや、その集大成みたいな“井戸端会議”の“噂話”が、非行や犯罪の抑止になったけれど、いまは、その抑止のタガが外れ、判断力が十分育っていない子どもや若者にとっては、万引きなどの犯罪をしないという当たり前の、しかも、無責任な金儲けのためなら何でもアリの「刺激と誘惑の波」が社会だけでなく家の中にまで飛び込んでくるようになり、まさに「清く正しく生きること」が困難な時代に入ってしまった。
私の子ども時代は、悪さや失敗を小刻みにやって“教訓”を学び“判断力”を養っていけたけど、また貧しかったから親の苦労も見えて、今は、それまでおとなしいと見られていた子だった人が“いきなり”大ごとの犯罪をするという事件を起こして、“理解不能”という状況になってきている。
(次回以降につづきます。)

