愛の反対語は?

夢想花

2008年06月05日 01:17

 昨日、最高裁で、日本の社会に一石を投じる判決が出されました。

     両親の婚姻を国籍取得の要件とする
   国籍法の規定は違憲


 結婚していないフィリピン人の母と日本人の父の間に生まれ、生後に認知された10人の子が日本国籍の確認を求めた2件の訴訟の上告審判決で、最高裁判所は4日、両親の婚姻を国籍取得の要件とする国籍法の規定を違憲と判断し、10人全員の日本国籍を認めました。最高裁が法律の規定に違憲判決を出すのは戦後8件目らしいです。最高裁の違憲判断により、国会は国籍法の改正を迫られることになります。

 母親が日本人であったり、胎児のうちに日本人の父親が認知していれば、子どもは日本国籍を取得できていたのですが、生後に日本人の父親が認知した場合、両親が結婚していない、そして母親が日本人でないという理由で、子どもは日本国籍の取得を阻まれていました。阻んだ根拠は「国籍法」。

 子どもに責められるべき罪は、全くありません。子どもにはどうしようもないことで、国籍を持てないことの不利益を背負わせていた・・・むしろ責められるべきは、日本の法体制であり、社会ではなかったでしょうか? 今回の判決は、遅まきとは言え、そうした現実に一石を投じる判決でした。私も、今まで、申し訳なかったけど、この件について、あまり知らず、勉強不足でした。私も含めて、知らなかった・無関心という状況が世論を高まらせることもなく、10人の子どもたちにとっての大変な矛盾を支えていたのだと、判決を聞いて思いました。

  マザー・テレサこと本名アグネス・ゴンジャ・ボヤジュの言葉です。
 なお、少し注釈を加えますと、広くマザー・テレサという呼称で知られていますが、厳密には、「マザー」は指導的な修道女への敬称であり、「テレサ」はカトリック教会の修道名だそうです。は、ともかく・・・、次のエピソードが残っています。。。

  マザーテレサがある人に「愛の反対語は?」と聞きました。その人は「憎しみ」と答えた。マザーテレサは返して「憎しみは愛に変わる可能性がある。無関心は愛には絶対ならない。愛の反対語は『無関心』だ。」・・・と。

  限られた時間、生活に追われてすべてのことを知ることはできませんが、目にふたをして見ないようにすることは、避けたいものです。昨日のブログでも、政治について、委任状を渡す人、渡される人お互いに顔を見ることの大切さを、申させて頂きました。可能な限り、勉強をして、知っていきたい。
 ごめんね、10人の子どもたちに心の中で謝りつつ、一緒に、社会を造ってゆこう、あなたたちの提起と最高裁の英明な判決が、国会と社会、日本を前進させるものであって欲しい。有り難う!
 


※ 結婚していない両親の間から生まれた子どもの国籍問題については、次のアドレスをみてください。勉強になります。

http://www.nikkei.co.jp/neteye5/nakamura/20050519na85j000_19.html


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