オリンピック懐古

夢想花

2008年08月17日 01:54

 昨日の朝、妻の両親の墓参り。一面田圃の奥の一角にある木木に囲まれた墓地。蝉の鳴き声が響いている。懐かしい。今年は、温暖化の影響か、蝉の鳴き声があまりないとテレビでもやり、私もそう思っていたけど、ここではけっこううるさいほど鳴いている。ややほっとした。
そのあと、妻の姉・兄と食事。いつものように、噂話(は“蜜”の味?)・田畑の話・病気の話さらに北京オリンピック四方山話、日本の将来、さらに回顧談と、話尽きることなく、“一瞬の沈黙”もなく、4時間。家へ帰って、プチっとテレビを点けたら、女子レスリングの伊調千春選手吉田沙保里選手の活躍を報じていた。
  そこできょうは、「回顧」つながりで、私の子ども時代と青年期の五輪回顧を少しお送りします。


         オリンピック 懐古

  日本が、国際社会に復帰して、オリンピック参加が認められたのは、1952(昭和27)年ヘルシンキ夏季大会だった。もちろん、当時小学2年生か3年生だった私は、そんなこと知る由もなく、雑音混じりの、音声が小さくなったり大きくなったりする木製のラジオにしがみついて、水泳の古橋・橋爪選手、体操の小野選手の活躍に胸躍らせていた。今はラジオではなく恐らくテレビだろうけど、テレビを見て当時の私のように一喜一憂している子どもたちも、このオリンピックのこと、北島選手やフェンシングの太田選手などのことを、大人になってから、特に今の私のように老境に入ってからどう思い出すのだろう?  ・・・という、きょうは“回顧、懐古(?)オリンピック”の話。

  さらに、回顧をすると
1972(昭和47)年札幌冬季オリンピック笠谷・金野選手と共に、70m級ジャンプで表彰台を独占した日の丸飛行隊の一員である青野清二選手が亡くなったことも。66歳。合掌。1972年と言えば、私は働いていたし、確かまだ独身or新婚だった。青野選手は、私と一つ違いだったんだ!。トワエ・モアさんの「虹と雪のバラード」の歌声とともに、テレビの映像が鮮明に甦ってくる。

  札幌オリンピックの8年前の、1964(昭和39)年の東京オリンピックも、大きく日本を変わらせた、私の青春真っ只中だったけどの、五輪大会。中国も、北京オリンピックで大きく変わっていくだろう
願望も含めて・・・。ここで、例によって下手な三首(おことわり:Upした最初は一首でしたが、以後、微妙に増やしてイマス。)

    今むかし 刻む記念碑 五輪の宴
       彼の地此の地の 老いに若きに 

     人の世の 夢を描いて 祈念の碑
       五輪の光彩 永久に放てよ

     一堂に 人集いて 夢語る
       五輪の輝き あまねく永遠に


     ・・・どれもパッとしませんが、 
       気持ちだけ

       ド ド~ンっ

           とお送りします。




※ 古橋選手とヘルシンキ・東京・札幌オリンピックについての記事です。クリックしてください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E6%A9%8B%E5%BA%83%E4%B9%8B%E9%80%B2

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AD%E5%B9%8C%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF



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