セロ弾きのゴーシュみたいに
「年甲斐もなく」という言葉は使いたくないんですが、思わず「年甲斐もなく」と言いたくなるような詩(もどき)を創ってしまいました。しかも、ご大層に、宮沢賢治の「セロ弾きのゴ-シュ」に自分を重ねちゃったりして・・・。不遜・無羞恥? ご迷惑でしょうが、お読み下さい。
セロ弾きのゴーシュみたいに
真夜中に ぽこっと起き出して
することに突き当たって
セロ弾きのゴーシュみたいに
楽器を弾く
ゴーシュはセロだけど
私はキーボード
音のボリュームを 極端に小さく絞り
「恋人」という曲を 間違え間違え弾いている
真夜中のゴーシュには 聞いてくれるものが居た
三毛猫 かっこう たぬき そして野ねずみ 等々
真夜中の私には 聞いてくれるものは居ない
聞いてくれているはずの
犬が もう居ない
聞いてくれるものに せき立てられて
セロを弾くゴーシュ
誰からも せき立てられず
心の隙間に 音を埋めようとする私
だけど
ゴーシュがそうしたように
音に打ち込み 音に悩んで
そんな人生に 私はしたい
そして いつか 音を
天国の犬に届けるんだ
そして いつか
犬の鳴き声と私の演奏のコラボレーションを
きっとするんだ きっとしたい!
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