言い訳野郎、そして人の三大本性?
きのう、朝は早うから仕事に行って、昼頃帰宅。ご飯食べて、パタンキュウ~zzz・・・。目が覚めたら、テレビで「言い訳野郎」という番組やってました。
言い訳野郎そして人の三大本性?
この番組が、けっこう面白い。よう考えたなぁ、この企画!
「言い訳」という点に目を付けたのが出色! 言い訳は、野郎だけのことではないと思うけど、そんなことはどうでもイイ。以下、この番組に触発されて、るる、申し上げる次第。
ここで勝手に、私メが、人の三大本性を“噓”“言い訳”“人の悪口”と決めつけて、もの申しますと・・・。以下、若干“居直りの弁”“強弁”も含めて・・・。
“噓”“言い訳”“人の悪口”は、人の本性と、覚えおり (いきなり文語調 ぇっ!?)。文語調にしたくなるほど、いにしえの昔より、人は“噓”“言い訳”“人の悪口”を人生の「共連れ」にしてキマシタ。それは、現代の口語口調でも亦同じ。
私も、わが人生をつらつら振り返って観るに、さんざん、さんざん、小さな声で、やや大きめの声で、さまざま“噓”“言い訳”“人の悪口”を言ってきました。と反省。・・・ですが、心のどこかで、ちょっとぉぉぉ~! という“うずき”を抱えながら・・・。 同時に、わが人生の“安全弁”、“自己正当化”本能、精神の“バランス・キーパー”、はかない人間の“抵抗”、特に「“悪口”は蜜の味」とは、どこかの格言? “悪口”を言い合う者同士の、奇妙な“連帯感”、瞬時の“仲間意識”。
ともあれ、どこかで、やばいぞ、まずいぞと自責の念に駆られながら、且つ、くすぐり・笑いをまぶして、粋に仕上げられたら、これもまた人生の一つの楽しみ(?)と心得おり・・・。
決定的な破滅に至らない程度で終わることを旨として、人の心を傷つけないよう、自分がされたらカナン・許せんということから人権への配慮・・・さまざま、“理性のリトマス試験紙”を経由して、洗練された “噓”“言い訳”“人の悪口”は蜜の味、と決め込みたい。それによる、自分への“跳ね返り”も、“天につばした報い”との自己責任!
訳分からぬ文章・・・これも、疲れているせい、と言い訳せり。なお、ついでに、言い訳言い訳申し上げますと、私メ、週に2~3日、早朝より昼ごろまで働けり。且つ、モロモロ、人生イロイロありまして、余裕なきとき、ブログを休止することありと、御知らせ申し候。ただ、優柔不断、夢想花ゆえ、これ亦、言い訳のために、ブログ再開・続行、そして結果的にはダラダラ・ブログをしていることもありやなしや、と・・・。要するに、休むことも、それもお断りなしにありますよ、ということの言い訳をダラダラ、クドクド申し上げる次第でございまする。ゴメン!
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