~心のバリアフリー~ から

夢想花

2008年01月19日 00:15

昨日につづいて、『心のバリアフリー』 から思うことについての記事を掲載します。しゃ長 と しゃ員の会話です。

     夢想花放送局内の会話で~す
                                              
それで、乙武さんの話をどう思われます。
                                                  
乙武さんが、これほど積極的な考えを持てるのは、彼自身が障害と向き合わざるを得ない状況の中で考えを深めてきたのが第一だろう。それと共に、彼は、彼を認め、障害を受け入れ、支える人に恵まれたということではないだろうか? まず、生まれてきた彼を丸ごと受け入れたお母さん。お母さんは、「できないことを数えるよりも、できることを大切に」と思う人だということだ。彼が今まで出会ってきた人たちも、彼を認め、支えてきたのだろう。それが彼に勇気と人間への信頼を与え、人間的な成長を促してきた。また、その結果、明るく前向きに生きるようになった彼の姿が逆にまわりの人たちに勇気と励ましを与えてきたのだろう。
そうして、まわりの人たちと彼が、相互に触発し合い、刺激し合って相乗的に成長してきたのではないだろうか?
 
彼も人に恵まれてきたのですネ。                                               
そう。彼の言葉のなかに「障害を持っていても、ボクは毎日が楽しいよ。健常者として生まれても、ふさぎ込んで、暗い人生を送る人もいる。関係ないのだ、障害なんて」というのがあるよね。いま、世の中には、健常者でありながら、暗く否定的な見方で生きている人たちも多くいる。その人たちは、人を信頼できないような状況に遭ってきたり、本人の思いこみで否定的後ろ向きに生きて苦しんでいる。だから、彼の言うように「人間の幸福は、障害があろうとなかろうと関係ない」ということになるよね。

 若者や子どもたちの中にも、人間不信に陥ったり、人間関係の持ち方に苦しんで、孤立の中に身を置く人もいる。そういう人たちに言いたいことは、 「まず、自分自身が歩き出さないことには、まわりの状況は変わらないということ、自分自身が歩き出すことによって、まわりの風景が変わってくる」ということを言いたい。乙武さん自身が変わり、動き出したことによって、まわりも変わって行ったことが多かったのではないだろうか? 一見、集団の中で、うまくやっているように見えるときでも、「孤立感」に苛まれることもあるし、そういう時は、大概は人間不信や人間嫌いに陥っていることが多い。かと思ったら、そんな人間が愛おしく思えるときもあるし、勝手に想像したらイカンけど、乙武さんも、本やテレビには表れてこないところで、いろいろな悩みや苦しみをされているのだろう。

 誰でも、100%満足できる境遇にいるなんてことはあり得ない。どこか、足りないところがある。今あることを「これだけしかない」と恨めしく思うか、「まだこれだけある」と喜んで受け止めるか、その差は大きい。乙武さんは、「まだこれだけある」と思える人だろう。いま、多くの人が苦しんでいる。そういうときに、乙武さんの考え方や生き方が、ひとつの参考になればうれしいよネ。
 
しゃ長。いま、テレビで、乙武さんのご長男が生まれたというニュースが報道されていましたよ。

おう、それはめでたい。こいつは、春から縁起がいいわいな、やネ!

                  2008(平成20)年1月19日


関連記事