すざくの子ども
いきなり50年以上前にフィード・バックしますが、私が京都市内の小学校へ入学したのが1950(昭和25)年、卒業したのが1956(昭和31)年です。その小学校は、戦後の風土の中で、非常に活発な教育活動をされていました。
すざくら教育
当時子どもだった、私にはもうひとつ分からなかったのですが、全国から学校の先生が見学や勉強会に来ていたこと、運動会だったかの前日に「前夜祭」があったこと、運動会のあと、子どもたちが全員集団の列をつくって、校区内を歌って校区内を歩いて、校区の人たちに笑顔と拍手で見てもらったこと、かなり多くの愛唱歌があったこと・・・私はあまり覚えていないのですが・・・。
その名は「すざくら教育」。私は、人生で多くの校長先生に出会ってきた中で、名前を覚えているのは、たった一人。その当時の校長さんの名前だけです。
多くあった愛唱歌の一つ・・・その校長さんの作詞した愛唱歌を紹介します。
すざくの子ども
すざくの子ども ぼくたちは
平和の小鳩だ のびのびと
のぞみの空を 飛んでいる
羽音に力 見せるのだ
仲良く伸びよう どこまでも
すざくの子ども わたしらは
文化の花よ 朱桜よ
民主の園に 咲いている
姿にこころ見せるのよ
仲良く伸びよう どこまでも
※ 男の子の私は、当時、自分のことに忙しくてピンと来てなかったようですが、今、50数年たって記憶のよい同窓生と話していると、校長先生を中心に先生方がいろいろな取り組みをされていたようです。今、子どもたちが隊列を組んで校区内を歌って回るなんてことは、考えにくいことですが、当時、子どもであった私は、運動会の後でちょっとしんどかった(ひもじい空腹経験は一杯あったのですが、よく歩いて、脚力はありました)のですが、好きな女の子と手をつないで歩ける(おマセさん!)ということで、うれしかった思い出です。
今、同窓生で当時何曲かあった愛唱歌を合唱したいな、という声も一部からあり、当時の学校愛唱歌の資料を集めています。楽譜や録音物が残っておらず、あとは当時の記憶だけです。メロディを復元したくても、できるかな、難しいなという段階で、保存力のある同窓生や恩師、現在の小学校校長先生からも、ご協力いただいて、動き始めた段階です。突然に50数年前にフィードバックしたので、このブログを読む人も、戸惑われたと思いますが、当時の学校教育の雰囲気の一端でも掴んでいただければ、とお送りしました。なお、「すざく」と言うのは「朱雀」のことで、「すざくら」は漢字で書けば「朱桜」と書きます。
関連記事