激動、空腹、ラジオ、昭和20~街頭テレビ、30年代前半、戦後世相目撃史(その2)

夢想花

2015年05月09日 03:04

小学校に入ったのが、1950(昭和25)年。あとから勉強して分かったのだが、朝鮮戦争の始まった年である。

小学校に入った前後、戦後昭和20年代、空腹にもめげず、子どもたちは逞しかった。戦後の世相の激変に、したたかについて行ったし、私の場合は、
明治生まれの母親の口やラジオから流れる流行歌や浪曲に熱中した。母親が機嫌の良いときに歌った♪十三夜♪ 夕方、空腹で動けなくなって床に寝そべってラジオで聞いた笠置シヅ子の♪東京ブギウギ♪、美空ひばりの♪越後獅子♪、浪曲広沢虎三の♪浪曲子守歌♪は、私の生涯の音楽好きを決定づけた。
また、ラジオで、
水泳の古橋・橋爪の活躍
に胸躍らせ、
ボクシングの白井義男の活躍
に興奮した。
子ども心に、父親に煽られたも面もあるが、敗戦国日本の意気地に快哉を叫ぶ、小さな愛国者だった。      

確か、昭和27年だと思うが、
岸惠子・佐田啓二のラジオドラマ「君の名は?」で、戦争で裂かれた男女の出会いに思いを巡らせ、
春日八郎の♪お冨さんは♪は近所の盆踊りの定番の歌! 
歌詞の意味を完璧に理解し、小さい少年は、粹ぶって踊った。
 

昭和27年と言えば、その4月28日は、
サンフランシスコ講和条約発効の日!
私たち児童は、小学校の講堂に立って整列させられ、
壇上で、校長先生が、いつになく熱弁して居た! 
と、あまりの長演説に、
少しグラッと振らついた少し後ろの児童の傍へ駆け下りて来て、
今日の良き日に、そんな、弱い日本国民でどうするんだ!!!  
と、いったようなことを、大声で、叱咤したのを覚えてる。
       (以後、次号以下に続けます。)


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