合掌、王者モハメド・アリさん!!! 長く永く、貴方の足跡と業績とメッセージは、多くの人の心を照らします。

夢想花

2016年06月05日 01:14

華麗なるフットワークと鋭いパンチで、
蝶のように舞い、蜂のように刺す、
    と、その圧倒的な強さを讃えられた、
プロボクサー、元世界ヘビー級チャンピオンの、
モハメド・アリさんが、亡くなられました。
享年74歳。


1960年
ローマ五輪ボクシングライトヘビー級で金メダル獲得。
その後プロに転向、


アフリカ系アメリカ人で、
当初は、本名の
カシアス・クレイでリング・デビューしましたが、
これは「奴隷名だ」という理由で、
イスラム教改宗を機に、
リング名を、モハメド・アリに変えて、
1964年には
ソニー・リストンを倒して世界ヘビー級王座を獲得しました。

1964(昭和39)年は
東京オリンピックの年、私は青年警察官時代、
モハメド・アリ王者の一挙手一投足に
   引き寄せられてる日々でした。

彼は、
ベトコンは俺をニガー(黒人の蔑称)とは呼ばなかった、
      と理由を公言して、
ベトナム戦争徴兵も拒否します。

その発言と行動は
当時の米国政府や保守派との深刻な対立をもたらし、
世界タイトル剥奪や試合禁止等様々な圧力が加えられた。
しかし最終的には、
通算3度のチャンピオン奪取成功と
19度の防衛に輝きました。

引退後、
現役時代に受けた頭部へのダメージが原因とされる
パーキンソン病を患い闘病生活を送っていましたが、
一昨日6月3日死去しました。

     悲報に、
      偉大なチャンピオンへの思いを募らせて居ます。

1960年(私は高校2年生でした)勃発し、
のちにアメリカが本格参戦した
ベトナム戦争への徴兵を拒否したことから
無敗のまま
WBAWBC統一世界ヘビー級王座を剥奪され、
3年7か月間ブランクを作りましたが、
復帰後、実力で王座奪還を果たしました。
また露骨な黒人差別を温存するアメリカ社会に
批判的な言動を繰り返しました。
その後公民権運動などの貢献が称えられ、
ドイツの平和賞「オットー・ハーン平和メダル」を
受賞します。

1976(昭和51)年6月に日本武道館で
プロレスラーのアントニオ猪木選手と
「格闘技世界一決定戦」を、
特別ルールで戦い
結果は3分15回を戦い時間切れ引き分けました。


私とほぼ同時代に生きて、
人生の折り目節目に、
モハメド・アリ王者の思い出が絡みます。

    合掌、モハメド・アリさん!
    貴方は、リングを越えて、
   メッセージを世界に送られました。
    貴方の人生は区切りを迎えたけど、
    長く永く、
    貴方の足跡と業績とメッセージは、
   多くの人の心を照らすと確信しています。
                m(_ _)m


  べた賞め、ベタ惚れ記事で、すみません。
  自分のメッセージを持って行動したスポーツマンであった事に、
    敬意を持って居ます。m(_ _)m





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