「被差別部落出身」を公言し反戦平和を訴え続けた元自民党幹事長・野中広務氏が他界されました。庶民の思いを貫徹された政治家。

夢想花

2018年01月27日 19:42

元自民党幹事長・野中広務さんが、他界されました。
被差別部落出身を公言し、反戦を主張し続けた
元自民党幹事長・野中広務さん、享年92歳です。

故郷、京都でも青年期、お名前を聞き、
    昭和43年に、滋賀県の高校教師に成ってからも
       折あるごとに、お名前とご活躍を見聞きしてました。

当時、京都でも、滋賀県でも、
本人が選びようの無い
出生地とか家庭環境や性別による差別が
    企業とかによって、公然 と行われていました。

※ 当時の、
就職差別に触れたこのブログの号です。
        クリックをお願いします。m(__)m

http://poeny.shiga-saku.net/search.php?csrf=e3548842220b1f52643180e56e1d57c47aa02347&search=%E5%B0%B1%E8%81%B7%E5%B7%AE%E5%88%A5%E6%92%A4%E5%BB%83

そのような厳しい状況の中で、
野中広務さんは、果敢に闘われ
生涯、
反戦・平和の尊さを訴え続けて来られました。

※ この記事を見て下さい。m(__)m
http://blogos.com/article/273823/

昭和43年に滋賀県の高校教師に成った私は、
    やがて、部落差別問題学習のため、
     同和地区隣保館でほぼ毎週の学習会に
     5年通い、差別の不当性への眼を見開かされ、
     高校生の苦しみと、自分の過去の経験が結び付き。
      高教組指導の高校生の集い
      社会問題研究連絡協議会や
      部落問題研究連絡協議会の
       顧問連絡協議会の役員として
        高校生や保護者の苦しみを聞いて来ました。
      ですが、部落差別を苦にして自死した高校生も居ました。
また、当時の教職員は、次代の主権者を育てるべく、、
       高校生の自主活動を大切にしました。

当時の状況は、
このことからも分かって下さればと思います。
住井すゑさん著作の「橋のない川」、や
岡林信康さんの歌♪手紙♪ 
    
https://www.youtube.com/watch?v=lPuv06Rsd8g

野中広務さんは、そのような状況の中の
導きの糸みたいな活動をされてました。

今、
世襲議員が、政権の中枢に居ます。
戦争体験も無いし、
庶民の気持から、ほど遠い施政をして居るのでは、
      ないか?!


改めて、改めて、
野中広務さんを忍び、
   ご冥福を祈り、後世に永く、そのご活動を
      お伝えしたいと、願う次第です。m(__)m



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