戦後目撃史(その2)。空腹腹ペコの子ども時代、在日朝鮮人の子への差別、そして・・・。
暑苦しい日が、続いていますが、
このブログでも、
暑苦しい私なりの戦後目撃史
第2弾をお送りします。
いつも食べるものが無く、
空腹・腹ペコの子ども時代で、
小学校入学して嬉しかったのは、
お昼の給食が楽しみで、
その為に、学校へ通ったようなものです。
ただ給食の時間に、
朝鮮人の子が、学校のグラウンドをうろうろ歩いていたのを、
教室の窓から見て、
可哀そうやなぁ、と思って見ていました。
当時は、
在日朝鮮人の子は、
無視されたようなことだったのでしょうか?!
家では、
病気がちの父親の口癖は、
「滋養が欲しい!」でした。
子どもの私もいつも空腹で、
私も、近くの畑に入り込んでは、作物をチョロマカし、
畑のおじさんから追い立てられました。
小学校2年の昭和27年に、
ラジオ放送「君の名は」が始まり、
戦争で離ればなれになった男女が、
戦後再会して、愛を育むというドラマで、
おませな私は、他に楽しみが無かったこともあって、
木箱のラジオにしがみついて聴いてました。
♪君の名は♪ という歌も覚え、
岸恵子・佐田啓二、
そして真知子まきも、白黒映画も見て覚えました。
(以下、次号以下に続けます。)
脳内編集会議で、さらに纏めます。。m(__)m
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