中居さんが提起した~! 教え

夢想花

2008年12月09日 00:39

昨日からのつづきです。と言っても、昨日中に言い終わってもよいことでしたが、私の文章は「なが~い」「理屈ぽ~い」ということに“負い目”を持っていますので、えらい勿体ぶるようですが、今日につづけました・・・縷々、言い訳から始まって・・・。要するに先日、中居正広さんが朝ズバッ!で映画「私は貝になりたい」の撮影を通して、次のことを考えたということを話されました。私は、それに感銘をいたく受けましたので、次の3点をご紹介し、ついでのマイ・コメントも申し述べます。。。


 中居正広さんが提起した~!


① モノを粗末にしない。
② 家族愛
③ 命の大切さ


  人は、不足しているから気づくこと、失って気付くこと、あり過ぎて忘れること、があります。モノがなくなって、やっとその貴重さに気付いていく。受ける愛がふんだんにあると、その大切さにきづかず、ちょっとした行き違いで、まわりの人を恨んだりする。時間がたっぷりあると思いこんで、時を大切にしない。
 一方では、飢餓や病気や戦争で、日々“命”の重さに向き合っている人が、世界には、多数おられます。 


私も、年老いて、残り時間を、意識するようになりました。若い人たちによく「これからたっぷり時間があっていいなぁ」と冗談交じりに愚痴ります。

  今まで、多くの“命”に出会い、悲しい別れもしてきました。時間は保障・予測されません。ただ、時間を長くする努力、“命”を大切にする取り組みを、人類は営々と続けてきました。食糧増産、経済活動、衛生医療体制の充実・人権理念の創造と普及・平和な社会の建設等々無数無限に。。。だけど一方では、その努力に逆行するような、放棄するような行為も、人であれ国であれ、残念ながらしてきましたし、今もあります。

  そのどちらもあるのが「人間」と言ってしまえば、それまでなのですが、人はしばしば過ちを犯すもの・・・その時、まわりの人間が、社会が、国が、教育が、政治が、マスコミがどう、ひとりの人にコミットメントしていくか・・・。永遠のテーマとも言えるし、喫緊の課題であるとも言えます。
分かりきったことやとお叱りを受けるかも知れません。だけど、敢えて理屈っぽい言葉の数々です。

  これからも、中居さんが提起した3つのことを、心に置いておくべし・・・我が儘、つい忘れがちな私 に言い聞かせる言葉です。


※ コミットメント(関わり合い)についてひとつ問題提起するのですが、千葉県の幼児死体遺棄事件について、テレビ各局は事前に撮った容疑者への街頭での質問に答えるシーンを放映していました。中には、カラオケ・ボックスで一人で歌っているシーンまで放映するテレビ局までありました。容疑者の平素の行動や人柄を知らせたい、という気持ちは分からないではありませんが、もし容疑者が実行犯であるとすればその行為は許し難いことでありますが、裁判で罪が確定するまではあくまで「無罪」の推定を受けるとする日本国憲法の考え方からすれば、公道である街頭でのインタビュー・シーンはさておき、極めて私生活性の強いカラオケを歌うシーンまで撮影し放映する権利があるのでしょうか? 何か、容疑者は精神遅滞と診断されているそうですが、そういった事情に乗じて、撮影をしたようにも思うのです。決して容疑者の肩を一方的に持つ訳ではありません。被害者とそのご家族の心情を思えば、行為は憎んでも憎み足りない行為です。ですが、もし、加害したと言われる青年に有力な弁護士がついていたり、有力者が後ろ盾になっていたら、メディアはこういう報道をするでしょうか?


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