子どもを、同じスタートラインに!
ちょっと旧聞に属して、やや色褪せかけた鳩山首相の今国会での所信表明演説ですが、それでも内容は素晴らしい! だから、こだわって、このブログでも、言いたい!
子どもを、同じスタートラインに!
鳩山首相は、言います。
子育てや教育は、もはや個人の問題ではなく、未来への投資として、社会全体が助け合い負担するという発想が必要です。人間らしい社会とは、本来、子どもやお年寄りなどの弱い立場の方々を社会全体で支え合うものであるはずです。子どもを産み育てることを経済的な理由であきらめることのない国、子育てや介護のために仕事をあきらめなくてもよい国、そして、すべての意志ある人が質の高い教育を受けられる国を目指していこうではありませんか。このために、財源をきちんと確保しながら、子ども手当の創設、高校の実質無償化、奨学金の大幅な拡充などを進めていきたいと思っております。
さらに、生活保護の母子加算を年内に復活させるとともに、障害者自立支援法については早期の廃止に向け検討を進めます。また、職場や子育てなど、あらゆる面での男女共同参画を進め、すべての人々が偏見から解放され、分け隔てなく参加できる社会、先住民族であるアイヌの方々の歴史や文化を尊重するなど、多文化が共生し、誰もが尊厳をもって、生き生きと暮らせる社会を実現することが、私の進める友愛政治の目標となります。
ここで夢想花な、一言です。
子どもが勉強ができるとかできないとか、学力があるとかないとか、それは、子ども本人の努力や! 責任や! という見方が、あるようです。確かに、本人の努力の問題もありますが、それだけでしょうか? 私は、それ以上に、その子ども自身をとりまく環境や状況が、子どもの学力に大きく影響している、と思います。
比喩的なたとえ話をしますと、例えば、ランニングの100㍍競争に、お金持ちの家の子が立つスタートラインの位置と、経済的に恵まれない子の立つスタートラインの位置が、初めから違っているように思うのです。経済的に恵まれない環境で育つ子どもは、経済的に豊かな家の子より、何十㍍も後ろからスタートして走ってる! そんな構造があるのではないでしょうか? 勉強ができる・できないを本人のせいにする見方からは、気づきにくいことかも知れませんが、学力は見えにくい差別、貧困や子どもをとりまく文化の状況に影響されているのではないでしょうか?
学力の結果として、学歴があり、学歴によって仕事や社会的地位が規定される・・・こうして、世代間に経済的格差が引き継がれ、その影響が、次の世代以降の子どもの生涯に影響する・・・。
せめて、子どもたちを、社会として、国として、同じスタートラインに立たしてあげられないか・・・! ということを、強く強く言いたいのです。
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