CMに? いたぶる?!
うっむむむ!!!
最近のCMで気になるものがある。それは、ある不動産賃貸仲介会社のCMで、入学試験に合格した若い男性を、どこかの専門学校の教師だろう、年配の男性が、若者が喜んで抱きついてくるのを期待して、中腰で両手を広げて待っているのに、若者はその年配の男性の脇を通り過ぎて、不動産の仲介業者の店へ飛び込んで、確か「これっ!」と指さす内容のCMである。
「くすっ」と笑えればどうってことない、目くじら立てることはないやないかとお叱りを受けるかも知れないが、私はどうもこれに引っ掛かる。確かに、若者と年配の教師らしい男との関心のすれ違いは、私の日常の生活でも、ままあって、年配者である私は、今まで、若い世代の人たちの反応に、勘が狂うような経験をしばしばしてきた。「やっぱりなぁ、義理人情が日本では廃れてきたんヤ」と我が身を慰めて「これからは、余り期待しないでいこう」と教訓を引き出してきたものである。
このCMも、そういう日常の風景をおもしろおかしくからかったものと言えなくはない。若者の感覚と年配者の感覚のすれ違いを、自覚することは、生きていく上で、いわゆる“空気を読む”点で、寂しいけど、必要なことだろう。しかし、このCMは、どうも、【年配=年を取っていること】 を、笑いのタネにしているようで、疑問に思っている。歌手の倖田來未さんの「羊水発言」も、似たような発想ではないか? 昨日のテレビでも、「DJ」を「ださいジジイ」と言って笑いを取っている司会者がいた。
どうも、日本の今の社会では、 【 年を取っていること 】 をからかいや、もっとはっきり言えばあざけりの対象にするようなことが多いような気がする。お笑い芸の世界しかり、テレビの世界などしかり。
かつてのお笑い芸は、街の片隅でひっそりと生きているような庶民の哀感に目を向け、庶民に光を当てるような“お笑い”が主流ではなかったか、そして“笑い”の姿を借りて権力者への反骨や風刺をしたのではなかったか?
あの喜劇王と呼ばれるチャップリンにしても映画「街の灯り」で庶民の哀感に光をあて、「独裁者」を1940年の発表し軍国主義者ヒトラーを風刺した。先日亡くなった植木等さんは、生前、こう語っている。。。。「容貌や下ネタで、笑いをとる芸は、最低」と。
翻って、最近の、お笑い芸はどうか? 容貌や年をとっていることを、笑いの材料にしたり、あざけりの対象にする芸が、氾濫している。
かつて、観客の弱い層に“いたわり”の眼差しをもっていたお笑い芸が、今は、すべてではないけれど、観客の弱い層を“いたぶる”芸をしてそれが面白いと勘違いしている人がいる。
容貌を通して女性を攻撃し、年よることをからかって老人をいたぶっている、風潮が強い。
容貌も年寄ることも、本人の責任でもなく、本人の責任でないことで、笑ったり、攻撃したりすることは、不条理で、差別とも言えることではないだろうか? 今の日本の若者や子どもたちは、幼い頃から、そういう風潮の中で生きてきて、それが当たり前だと思わされ、そこに今深刻な問題になっている“いじめ”が発生しやすい土壌が作られていっているのではないだろうか、と私は懸念している。(つづく)
※ 寒いのに、夕方、庭で調理ごっこをする7歳の孫。夜、テレビ「プロフェッョナル」を見る。先日“三つ星”をもらった33歳のフレンチ・シェフの岸田周三さんのことが描かれていた。孫は、大きくなったら、どんな夢をみているのかなぁ? シェフ、野球選手、それとも・・・。下の1歳の孫は、きょうは無口で、感慨深げに夕食を食べていた。
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