オリンピックって?
オリンピックって何? と考えさせることが起こっている。ひとつは、聖火リレーに対する中国のチベット人への仕打ちに対する抗議行動、きょうの報道のもうひとつは、柔道の日本代表候補に体重別選手権大会の優勝者が、必ずしも、選ばれなかったことだ。どちらも、命の輝きから遠いことから起こったことだと、いうことではないだろうか?
命の精一杯の輝きを・・・
そもそも、五輪大会は、人類の平和、人間の命の輝きの祭典ではないのか?
道理でなく無理で、誰かの命の輝きを押さえつけて、一つの形、一人の勝者をつくるより、もっと大事な、全人類が輝く祭典であるということを、私たちは、考えるべきではないでしょうか?
まじめにこつこつと努力して生きる者が報われる、チャンスを与えられる、平等のスタートラインに立って競争できる・・・現実の社会が、不平等が多い故、せめてスポーツの場だけでも、平等・公正がより期待される・・・大会の表面的な成功や金メダル獲得よりも、もっと大事なモノがある、と、熱狂できない思いでオリンピックを見ざるを得なくなっていくのが悲しい。
スポーツ界でうれしかった報が、テニスの伊達公子さんの現役復帰宣言。私も体がまだまだ動いた頃、テニスに打ち込んで、そのころ、伊達選手とシュティフィ・グラフ選手の死闘のテレビに釘付けになった。それに、巨人軍の上原浩治投手の米大リーグへの挑戦の報。長嶋監督当時、敬遠の指令をベンチから出されて、彼が、口惜しそうに、マウンドの砂を蹴っていたシーンを思い出します。
勝つために試合をするのだけれど、勝った負けたは数字として残るけれど、ファンは(私も一フアン)は、その時の準備・表情・仕草・思い・命の精一杯の輝きに感動し、鮮烈に覚えている。せめてスポーツだけでも、勝つためには手段を選ばないといった薄汚れたことはして欲しくない、して欲しくありません、オリンピックをわだかまりなく、見たい。あと何回、オリンピックを見られるか分からない私としては・・・。
※
川内康範さんの訃報にも驚きました。享年88歳、最後まで、自分の気持ちを言い続けたことは立派です。「おふくろさん」をめぐって、森進一さんに思いを投げかけられたけれど、
森進一さんもさらに頑張って、天国の川内さんに誉めてもらえるように、歌手として活躍して欲しい。
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