広島平和宣言、そして・・・
昨日も、朝から夕方前まで、「介護士初任者研修」を受けてきました。やっと、パソコンに向かえています。
昨日の朝、8時15分、
68年前の狂気の原爆投下で、
人生を奪われ狂わされた方々への黙祷の
テレビ報道を横目に、
研修会場に向かい、
いま、改めて、
広島市長の発した広島平和宣言
を噛みしめています。
見過ごすことの出来ない、血反吐を吐くような思いの込められた宣言!
どの言葉も重い重い大切な言葉ですが、
その中でも、敢えて次の言葉に触れさせて下さい。
・・・太文字や色付けなども、
私の思い込めて付けさせて頂きました。)
★ ★ ★ ★ ★
「あの日」から68年目の朝が巡ってきました。
1945年8月6日午前8時15分、一発の原子爆弾により
そのすべてを消し去られた家族がいます。
「無事、男の子を出産して、家族みんなで祝っているちょうどその時、
原爆が炸裂(さくれつ)。
無情にも喜びと希望が、
新しい『生命』とともに一瞬にして消え去ってしまいました。
幼くして家族を奪われ、辛うじて生き延びた原爆孤児がいます。
苦難と孤独、病に耐えながら生き、生涯を通じ家族を持てず、
孤老となった被爆者。
「生きていてよかったと思うことは一度もなかった」と
長年にわたる塗炭の苦しみを振り返り、
深い傷跡は今も消えることはありません。
生後8カ月で被爆し、
差別や偏見に苦しめられた女性もいます。
その女性は結婚はしたものの1カ月後、
被爆者健康手帳を持っていることを知った途端、
優しかった義母に
『あんたー、被爆しとるんねー、被爆した嫁はいらん、すぐ出て行けー』
と離婚させられました。
放射線の恐怖は、時に、
人間の醜さや残忍さを引き出し、
謂れのない風評によって、
結婚や就職、出産という人生の節目節目で、
多くの被爆者を苦しめてきました。
無差別に罪もない多くの市民の命を奪い、人々の人生をも一変させ、また、終生にわたり心身を苛(さいな)み続ける原爆は、非人道兵器の極みであり「絶対悪」です。原爆の地獄を知る被爆者は、その「絶対悪」に挑んできています。
(中略)
被爆者は平均年齢が78歳を超えた今も、
平和への思いを訴え続け、
世界の人々が、その思いを共有し、
進むべき道を正しく選択するよう願っています。
私たちは
苦しみや悲しみを乗り越えてきた多くの被爆者の願いに応え、
核兵器廃絶に取り組むための原動力とならねばなりません。
(中略)
そのために、広島市は、
平和市長会議を構成する5700を超える加盟都市とともに、
国連や志を同じくするNGOなどと連携して、
2020年までの核兵器廃絶をめざし、
核兵器禁止条約の早期実現に全力を尽くします。
世界の為政者の皆さん、
いつまで、疑心暗鬼に陥っているのですか。
威嚇によって国の安全を
守り続けることができると思っているのですか。
広島を訪れ、被爆者の思いに接し、
過去にとらわれず
人類の未来を見据えて、
信頼と対話に基づく安全保障体制への転換を
決断すべきではないですか。
広島は、
日本国憲法が掲げる崇高な平和主義を体現する地であると同時に、
人類の進むべき道を示す地でもあります。 (中略)
この夏も、
東日本では大震災や原発事故の影響に苦しみながら
故郷の再生に向けた懸命な努力が続いています。
復興の困難を知る広島市民は
被災者の皆さんの思いに寄り添い、応援し続けます。
そして、
日本政府が国民の暮らしと安全を最優先にした
責任あるエネルギー政策を
早期に構築し、実行することを強く求めます。
私たちは、
あらためてここに68年間の先人の努力に思いを致し、
「絶対悪」である核兵器の廃絶と
平和な世界の実現に向け力を尽くすことを誓い、
原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げます。
平成25年8月6日
広島市長 松井一実
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↓ ↓ ↓
【夢想花、ただ、感じ入っています!】
これこそ、人類が、日本が、進むべき道!!!
日本国憲法全文にみなぎる、人類jの崇高な理念、が語られています!
先日も、自衛隊関係者の方と、お話しする機会がありました。
世界に貢献できる、信頼される、自衛隊でありたい!!!
決して、国防軍になることを望んでいない!
と仰有っていました。
世界の為政者の皆さん、
いつまで、疑心暗鬼に陥っているのですか。
威嚇によって国の安全を
守り続けることができると思っているのですか。
私も、深く賛同し、強く、お訴え申し上げます。
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