人として「グ~」は? 負け惜しみ?
昨日の午前、ほとんどシニアの方ばかりのパソコン・クラブに、出席しました。
知識と知恵?
人間として「グ~」は?
内容は、ビスタとワードの学習会でした。講師先生が、テキストの中から、新しい技術が導入された点などを中心に、教えてくださいました。駆け足で、実習をしながら、聞きながら、私の頭の上を、新しい知識が、わずかにかすめて通り過ぎていきました。
このクラブに入会当時は、パソコン用語が飛び交っていても、ほとんど分からず、チンプンカンプンでした。今は、私もやや上達したのか、「チンプンカンプ」ぐらいにはなりました。
「わぁ~、パソコンってカシコイなぁ!」「わぁ~、パソコンって、こんなこともするんや!?」・・・隣の会員さんと、どんどん出てくる新知識にびっくりしながら、やや私語をしながら、感嘆・驚嘆していました。
「こんだけの技術や知識を考えた人は、どんな頭の構造してんのやろう?」・・・隣の会員さんと、頷きながら、妙にびっくりしていました。
会が終わって、これだけの技術や知識を開発・創造した人間ということについて考えました。ここで、話はパソコン・クラブのことから、「技術」や「知識」ということについて、やや人間社会全体に広がります。
これだけの技術・知識を開発・創造した人間という生き物は、なんと素晴らしい生き物なんだろう。だけど、どこか人間は、人間社会は狂ってる。技術や知識を使うのではなく、技術や知識に振り回されていると・・・。
知識をいっぱい持っていても、人間として「?」のつく人もけっこういいるし、人より先んじた知識を駆使して犯罪に走る人もいる。今、日本では、高学歴志向が強くなって、高学歴だとそれでOK「グ~」みたいな見方もけっこうあります。私は、これに「?」なのです。もちろん知識もあって立派な人は、世にいっぱいいますが、例えば、このクラブの先生や会員さんのように・・・。知識だけあって、心のない人もけっこういるように思います。
また、昔のことを言いますが、私の子ども時代には、家計を助けたり、子守などのために小学校も十分に行けなかったお年寄りや大人が、近くに、いっぱいいました。でもその人たちには、人間として教えてもらえることが多くて、人間としての「人生の知恵」をいっぱい教えてもらいました。
知識と知恵・・・人間として、なにが大事なのでしょうね?
以下、やや負け惜しみ(?)の弁は、つづきます。
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