守・破・離
ブログ5月26日号で「守・破・離」について、触れました。
守・破・離
学ぶとは、まず、真似ぶこと
若い頃、剣道をした時期があります。そのとき、よく先生が私たち教え子に「守・破・離」ということを、言っていました。冬の寒風吹きすさぶ中、道場の冷たい板敷きに正座して、けっこう長時間、私たちは、しびれる足と剣道着に入ってくる寒気、そして忍び寄る眠気と闘いながら、先生の「守・破・離」を聞いたものでしした。
「守・破・離」は、一般的には「守破離」と点(・)抜きで言うようですが、私は、なぜか点付きで覚えています。意味は、点があろうとなかろうと、全く、同じです。
守とは、武道のみならず、何事も、基礎・基本をきちっと学び、守ること。基礎・基本を学ばないと、“我流”になること。
破は、基礎・基本を身につけた上で、自分なりに「創意工夫」を加えていくこと。
離は、「破」の段階から、さらに「自分の世界」「自分独自の境地」を確立していくこと。
と、いうことでした。だから先生は、「お前たちは、まず、基礎・基本を真似せよ。“学ぶ”とは、まず“真似ぶ”ことだ!」と、喝破されていました。
そうですヨネ、学ぶとは、真似ぶことなんですヨネ。だから、大人は、子どもたちのよいお手本でアラネバならないんですよね。
・・・とエラそうに講釈するのは、未熟・我が儘、日々“お手本”の神様に叱られそうな、と反省しきり、剣道の「ゴトウ先生」の不肖の弟子の私でした、スミマセン。
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