騎牛求牛(きぎゅうきゅうぎゅう)・牛に乗って牛を求む
私65歳。ですが、今も、煩悩消えることなく、最近の世情にうろたえ、人生に悩み、人間に迷います。だから、本屋さんに立ち寄って、「人生の言葉」を探しました。そこで出会った本が、『続・ほっとする禅語70』(監修野田大燈・文杉谷みどり・書石橋博光、二玄社刊)でした。その中の言葉に・・・(「珠玉の言葉がちりばめられた」、と、本の宣伝にもなりますので、ほんのちょっとだけお借りすることをお許し願って・・・)。わかりにくい文なので、じっくり読んでください。
騎牛求牛
・・・「牛に乗って、牛を求む」
・・・求めるものは、あなたの手にある
本には、こうありました。
騎牛求牛・・・「牛に乗って、牛を求む」・・・求めるものは、あなたの手にある。
誰ですか? 牛に乗っていながら、牛に乗りたいという人は。。。。(中略)求めるものは、外でなく内にある。自分の牛に愛情を注ぐと思い出せます。いい牛だったこと、いい牛に乗っていたこと。
・・・と。
私は、この言葉は、「恵まれていることを忘れてはイケナイ!」という意味だと考えました。そして、次のように置き換えてみました。
誰ですか? 外装が人間でありながら、人間であることに不満を持ってイル人は???
求めるものは、外でなく内にある。 自分という人間に愛情を注ぐと思い出せます。自分は、値打ちのあるいい人間でアルこと、人間という恵まれた人間の服(外装)を着て生きてイルこと 。。。。。と・・・。
人間が、この地球上に登場したのが、500万年とも、それ以前とも言われます。遺伝子で調べると、人間と共通の先祖を持つ他の動物がいて、その種の動物は、多少は進化したかも知れないけれど、基本的には、今も、そのまま他の動物の姿のままです。人間ほど大きな変化はありません。それはそれで幸せかも知れないけれど、進化した結果の、人間という外装(外観)を着ているが故に、ああでもない、こうでもないと考えることができて、悩むことができて、いろんな種類のおいしいものも食べられて、唄も歌えるし、恋もできるし、芸術にも触れられし、人の愛に感動することも出来るし、笑うことも出来るし、ひいきのプロ野球やJリーグチームの活躍に胸躍らせることも出来ます。
人間であるが故に、悩むことが多く、つらいから人間をやめよう、死んでしまおう、という人もいるけれど、そんなのモッタイナイ!!! 人間って、いいよ。そんなに悪くない!!! つらいことがあっても、悲しいことがあっても。その時期が過ぎると、人間はああでもない、こうでもないと考え直すことが出来る。
悪い人ばかりでなく、よい人もいっぱい居る。悪い人に見えても、本当は、よい面を持っている人もいっぱい居る。いろいろ見極めて、そんなことを考えられるのも、人間ならではのこと・・・。人間ってイイよ!! もし、生まれ変わることができたら、人間に生まれ変わりたい、できれば、今度は女に、とか、男に、とかはアルだろうけれど、鎖につながれて一生を過ごす犬や人間に食べられてしまう魚さんより、人間ってずっと、ずっと、もっとイイよ!!!
少し、私の考えを押しつけすぎかな? だけど、だから、そういう人間の外装を着ているコトの素晴らしさに感謝して、もう一度、ハイ合唱!
誰ですか? 外装が人間でありながら、人間であることに不満を持ってイル人は?
求めるものは、外でなく内にある。自分という人間に愛情を注ぐと思い出せます。自分は、値打ちのあるいい人間でアルこと、人間という恵まれた人間の服(外装)を着て生きてイルこと。。。。。。・・・と。
※ 「段落」を付けても、画面にうまく反映されませんので、ご容赦ください。
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