失いつつあること
幸せってなに? 人間って何?
ここ数日、シルバーさんのお世話で、配布物を各戸に配り、足棒状態でくたくたです。ですが、健康一杯になり、妻手作りの夕食もビールも酒も格別においしく、妻と私の余計なひとことの応酬合戦もなく、夕食後、極めて気分よくパタンキュ~で夢想花が夢の世界へ入り、今から1時間半ほど前に目が覚め、酒の酔いも醒めて、今、パソコンに向かっています。そうしたくたくた足棒状態の中で、2日前の土曜日の午後、 「遠野の伝承に学ぶ わらべうた」の学習会 に参加しました。本当言えば、そのことを詳しく書こうと思ったのですが、睡魔がまた忍び込みつつありますので、きょうは、事前に送られてきたファックスの中の一文で、お茶を濁そうと思います。(コラッ! 「濁す」なんて、読者の皆様に失礼やないか! でも「泣く子と地と“睡魔”には勝てません」ので、失礼をお許しください。)
伝承の子育て、人育てには、人としての心豊かな生き方や、子育ての知恵が奥深くひそんでいます。情報化社会の中で、人らしく生きていくことの原点を見直すきっかけにしたいものです。
・・・ と。
私、思いますのに、昔の人、とくに庶民は、物質的には貧しい中で、お金も乏しく、それこそ、我が身をくたくたに疲れさせて、身を粉にして、日々、暮らすのが一般的だったのでしょう。
終戦後、日本が経済大国になるまでは、そんな感じで、私には、父親は小六で他界しましたので、特に、母親が身を粉にして働いて、私たち子どもに食べさせていたことを思い出します。
だから、今、特に足棒状態で我が身を使って、働くことの素晴らしさを実感できている今の私故に、私とは比べものになりませんが、昔の人、特に庶民は、せめて自分の言うことを聞いてくれる自分の体を目一杯使っての労働の大切さ、その中で人と人の助け合いなしに生きていけない、そして人のお陰様で生きていることを実感していたのでしょう・・・というようなことを、おこがましくも夢想しているのです。今の子どもたちには、
♪母さんが 夜なべをして 手袋あんでくれた~♪
の歌を実感できるかなぁ? 年寄りは、つい昔のことを言いたがりますが、昔貧しくても豊かにあったものが、今豊かになってきても貧しくなったり、なくなりつつあるものへの心配に、身を焦がすのです。睡魔がウィンクして寄って来ました。どうか、よい夢がみられますよう・・・。もうひとつ、蛇足の詩(もどき)にて、今宵ではない、今朝は失礼します。
失いつつあること
貧しくても 豊かにあったものが
いま、豊かになっても、失いつつあることに
心乱れる
幸せってなに?
人間って何?
幸せってなに?
人間って何?
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