言葉・・・2つの方向
言葉の2つの方向というか、に直面して、筆がなかなか進みません。その内の一つ目は、思いが多く言葉があふれて,まとまりきれない話。二つ目は、言葉を失って、書けないという現実、です。
言葉・・・2つの方向
一つ目の話は、TVドラマ「CHANGE」の中で、深津絵里さん扮する首相主席補佐官の次の言葉です。 「朝倉総理は、“言葉”を持っておられます」・・・と。
この言葉は、恐らく、“国民の心に届く言葉”のことだと思うのですが、本当言えば、このことを、きょうのブログで書こうかな、と思っていました。だが、思いが多く、まとまりきれないままに、時間が経過して、しかも、圧倒的な現実の事件の前に、書く手も止まりがちになって、今に至るも書ききれずにいる、朝倉総理の“言葉”についての感懐です。朝倉総理の持っている“言葉”とは、なにか?
二つ目は、東京秋葉原での、17人殺傷事件です。青年を凶行に駆り立てたものは何か? 報道では、追い詰められた彼の絶望感と“瞬間”に起こった事件の意味も分からずに人生を奪われた7人の方のこれまでの歩んでこられてきたことの一部が、伝えられます。「誰でもよかった」・・・なんという言葉!!!
私は、この事件とこの言葉に、言葉を失いました。報道に触れるたびに、心の淀みが増してきます。テレビでは、いろいろなコメンテーターが様々なコメントをしています。そのどれもが尤もだとも思うし、十分、語り尽くしていないようにも思えるし・・・。 人間とは、何なのでしょうか? 言葉を失って書けない“現実”への思い。
この二つを、私の“宿題”にさせてください。
一つ目は、近々に書こう、自分なりの思いを、と思います。
二つ目は、不十分な思いが、一生、続くかも知れない。一生かかっても解けないかも知れない。言っても言っても言い切れない思いが、これからのブログの端々にでも出てきて、しかもそれが、“現実”の重さのごく一部を撫でることにしかならないかも知れない。すぐには答えは見つかりません。見つかったように見えても、それは一部かも知れない。歯切れの悪い言い方です。ですが、私は、分からないのです。一生の宿題かも知れない。どうすれば、命を粗末にする人の心に、言葉が、届くのか・・・?
この事件は多くの不幸を生みました。その内の一つ、犯人の両親の記者会見がテレビで放映されていました。謝罪する両親、崩れ落ちる母親。顔には、モザイクがかかっています。モザイクが、かかっていようといまいと、ほとんど同じです。誰が、両親を、心の底から、責められる? 青年は、このシーンをどう見るのでしょうか? もし、青年が人の親になっていたら、もし、青年が誰かのお世話をする立場にいたり、経験していたら、このシーンをどう見る? 事件は起こっていたでしょうか?
※ 事件の続報です。7月8日に、新たに載せました。ぜひ、クリックしてみてください。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080707-00000968-san-soci
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