コミュニケーション能力
昨日の、ゆきひとさんのコメントの続きをお送りします。
コミュニケーション能力
ところで、最近、よく耳にするようになったこと、「コミュニケーション能力の低下」「コミュニケーション不要論?」です。私の勤める会社でも同様に、若い社員の中に進行中?・・・。というのは、PCが、メールが発達したことによって、隣の席の人とも、直接対話するのではなく、メールでやりとりするような時代になりつつあります。怖い上司への報告、連絡、相談も直接話すのではなくメールでやりとりするだけの人も増えているようですね。
こういう状況を憂慮して、大企業では、コミュニケーション能力をアップさせるような研修、セミナーあるいは企業目標にしているところもでてきているそうですよ(うちの会社はそこまでありませんので)。会社ライフ、組織人ライフも、なんだかへんな方向にいってしまっているように感じてしまいます。なんだか、うまくかけなくてすみません。
【ゆきひと】
※ 漠然とではありますが感じていた不安を、ご指摘頂いて、有り難うございます。事件の背景に、人と人の間のつながりの薄さがありますよね。
またぞろ自分の子ども時代のことを言って恐縮ですが、昭和20年代から30年代にかけて、なにか買おうとしますと、必ず、店番のおばさんやおじさん(多くは知り合い)と言葉を交わさなければ、商品を買えませんでした。商品のことについての話の合間に、世間話や人生訓みたいな話も入っていて、子どもごころに「タメになる」話も結構ありました。それが、やがて自動販売機が街角に置かれるようになって、一言も口をきかずとも商品が買えるようになり、最近では、スーパーでも店員さん(多くは、見知らぬ)に言葉を言わなくても、お金さえ出せば商品を買えるようになってきています。「これ下さい」や「有り難う」という言葉もなくても済むし、ましてや、店員さんと世間話をするなんてことは不必要・時間のムダみたいにされています。子どもたちが、そういった環境で育てば・・・。
兄弟数も少なく、子どもたちの遊びも少なく、街の大人と話をする機会も少なく、そこへパソコンとメールです。便利になった反面、人間としての大切な何かが、失われてきている・・・。この状況を、私たちは、どう考えるか? 国はどう考えるか? 放っておいたら、日本の将来が不安。・・・私は、心配になってきました。
そこで、ほんの一例ですが、ご提案します。・・・せめて学校や社員教育で、落語”や“漫才”や“芝居”の台本書きや練習をカリキュラムに入れたり、家庭ではお遊び感覚で、真似ごとでもいいから、落語したり漫才したらどうでしょう・・・? 「話をしよう」と、正面切って対話を持ち込んでも、なかなか、ムードが盛り上がらないと難しいと思いますから・・・。
でも結局は、私の反省も含めて、小さい頃からの、大人の子どもへの日頃のつき合い方と向き合うことの積み重ねが、ものを言うのでしょうね。と分かったようなことを言いながら、「子育ては難しい」「人生は難解!」と、自問自答・堂々巡りの日々です。。。。。
一個人の経験は浅くて狭く、そこから生まれるモノの見方も、浅くて狭い上に偏っていることもアル。それを補うのは、「3人寄れば、文殊の知恵」という昔からの智恵。。どうか、お互いの意見交流を・・・。大人が意見交流を積極的にするような社会であれば、子どもの様子も変わってくるとも、思ったりもします。どうか、お節介・井戸端会議の復権を! もし、青年が、“文殊の知恵”の中で育っていたら、こうした惨事を起こしていたでしょうか?
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