


乙武洋匡さん「心のバリアフリー」
ボクは、“五体不満足”に生まれた。・・・だからこそ、声を大にして言いたい。障害を持っていても、ボクは毎日が楽しいよ。健常者として生まれても、ふさぎ込んで、暗い人生を送る人もいる。関係ないのだ、障害なんて・・・。
人間は、一人ひとり何か“使命”なんて大げさだけれど、その人にしかできないことがあるはずだ。この体はそれを見つけるためのヒントなのじゃないか。
背が高い人、低い人もいるように、障害はその人の個性なのだ。
心のバリアフリーに本当に必要なのは、違った他人を認める心。自分が世界でひとりしかいない、かけがえのない自分だと認めれば、他人にもそう思える。
バリアフリーとは、もともとは道の段差をなくすとか、スロープをつけるとか、物理的な“かべ”を取り除こうというものですが、ボクが目指しているのは、心のバリアフリー。(明日につづく)
1999年、私はあるところに次のような文章を寄稿しました。『五体不満足』という本をお覚えでしょうか? 乙武洋匡さんという障害を持った青年が書いた本で、当時、彼の姿や活動がテレビでもよく報じられていました。そこから、私が学んだこと・感動したことを文にしたのです。今、各地で「成人式」が行われている時期でもあり、青年や子どもたちに、さらに中高年の方にもなにかお考えいただければと、本やテレビの内容を紹介しつつ、このブログで私のつたない文を載せることにしました。ぜひ、最後まで読んでください。あまり長いと読み切るのがしんどいので何回かに分けて掲載します。
乙武洋匡さん「心のバリアフリー」
心のバリアフリーに必要なのは、
違った他人を認める心。
自分が世界でひとり、他人も世界にひとり。
その人にしかできないことがあるはず。
どうか、自分自身のバリヤーを打ち破ってほしい
★・・・乙武洋匡(おとたけひろただ)クン・・・
22歳、早稲田大学3回生。彼は生まれつき「先天性四肢切断」という障害を持ち、彼の両手両足はほぼ根元からないのです。彼は、小さい頃から、友だちととっくみあいのけんかをし、鬼ごっこをし山登りをしてきました。中学校に入って、バスケットボール部に入り、ドリブルをし、ボールを味方の選手にトスしました。高校・大学では、アメリカンフットボール部のマネージャーもして、コンピューターにデーターを入力しました。友だちと海外旅行をし、もうしばらくしたらスキューバダイビングにも挑戦するということです。
★・・・障害を持って、不自由な体で、実に明るく前向きに積極的に生きています。車椅子を器用にあやつり、字も書きます。そんな彼が、『五体不満足』(講談社刊)という本を書きました。今、大ベストセラーになっていいます。彼は、ヘレンケラーの言葉を借りて「障害を持っていて不便だけれども、不幸ではない」と言います。
★・・・下に紹介するのは、彼が最近テレビに出て、語った言葉の要旨(ようし)です。画面で見る乙武クンは、明るくてさわやかな好青年です。そんなに、明るく好青年で無理してない(?)、と思わず声をかけてみたくなるほどですが、そんなことを言うこと自体が恥ずかしくなるほど、彼は、圧倒的に明るくて、前向きでです。
★・・・彼も、恐らく苦しんだこともあっただろうし、深い悩みもあるだろうと思います。ですが、彼の言葉の端々(はしばし)に出てくる彼の考え・人生哲学は、重い障害を持って生まれ、育ったということと無関係ではないだろうと思います。
★・・・彼の、前向きな生き方・ものの見方を、ぜひ、参考にして欲しい。そう思って、取り上げました。彼が話したこと、書いたことの一部を紹介します。
生まれたとき、驚いた医者は、理由を付けて、ひと月ほど、母親に僕を会わせなかった。母親のショックを心配したのです。それが対面の瞬間、
母はボクを見て、取り乱しもせず、可愛いと言って、ボク抱きしめたのです。母がボクに対して初めて抱いた感情は、驚きや悲しみではなく、喜びだった。それが、その後のボクの人生にとても大きかったと思います。
ボクは、“五体不満足”に生まれた。・・・だからこそ、声を大にして言いたい。
障害を持っていても、ボクは毎日が楽しいよ。健常者として生まれても、ふさぎ込んで、暗い人生を送る人もいる。関係ないのだ、障害なんて・・・。
心のバリアフリーに必要なのは、違った他人を認める心。
自分が世界でひとり、他人も世界にひとり。
その人にしかできないことがあるはず。
どうか、自分自身のバリヤーを打ち破ってほしい (明日につづく)
乙武洋匡さん「心のバリアフリー」
心のバリアフリーに必要なのは、
違った他人を認める心。
自分が世界でひとり、他人も世界にひとり。
その人にしかできないことがあるはず。
どうか、自分自身のバリヤーを打ち破ってほしい
★・・・乙武洋匡(おとたけひろただ)クン・・・
22歳、早稲田大学3回生。彼は生まれつき「先天性四肢切断」という障害を持ち、彼の両手両足はほぼ根元からないのです。彼は、小さい頃から、友だちととっくみあいのけんかをし、鬼ごっこをし山登りをしてきました。中学校に入って、バスケットボール部に入り、ドリブルをし、ボールを味方の選手にトスしました。高校・大学では、アメリカンフットボール部のマネージャーもして、コンピューターにデーターを入力しました。友だちと海外旅行をし、もうしばらくしたらスキューバダイビングにも挑戦するということです。
★・・・障害を持って、不自由な体で、実に明るく前向きに積極的に生きています。車椅子を器用にあやつり、字も書きます。そんな彼が、『五体不満足』(講談社刊)という本を書きました。今、大ベストセラーになっていいます。彼は、ヘレンケラーの言葉を借りて「障害を持っていて不便だけれども、不幸ではない」と言います。
★・・・下に紹介するのは、彼が最近テレビに出て、語った言葉の要旨(ようし)です。画面で見る乙武クンは、明るくてさわやかな好青年です。そんなに、明るく好青年で無理してない(?)、と思わず声をかけてみたくなるほどですが、そんなことを言うこと自体が恥ずかしくなるほど、彼は、圧倒的に明るくて、前向きでです。
★・・・彼も、恐らく苦しんだこともあっただろうし、深い悩みもあるだろうと思います。ですが、彼の言葉の端々(はしばし)に出てくる彼の考え・人生哲学は、重い障害を持って生まれ、育ったということと無関係ではないだろうと思います。
★・・・彼の、前向きな生き方・ものの見方を、ぜひ、参考にして欲しい。そう思って、取り上げました。彼が話したこと、書いたことの一部を紹介します。
生まれたとき、驚いた医者は、理由を付けて、ひと月ほど、母親に僕を会わせなかった。母親のショックを心配したのです。それが対面の瞬間、
母はボクを見て、取り乱しもせず、可愛いと言って、ボク抱きしめたのです。母がボクに対して初めて抱いた感情は、驚きや悲しみではなく、喜びだった。それが、その後のボクの人生にとても大きかったと思います。
ボクは、“五体不満足”に生まれた。・・・だからこそ、声を大にして言いたい。
障害を持っていても、ボクは毎日が楽しいよ。健常者として生まれても、ふさぎ込んで、暗い人生を送る人もいる。関係ないのだ、障害なんて・・・。
心のバリアフリーに必要なのは、違った他人を認める心。
自分が世界でひとり、他人も世界にひとり。
その人にしかできないことがあるはず。
どうか、自分自身のバリヤーを打ち破ってほしい (明日につづく)