先日のブログ10月17日号で、
   戦後の歌謡史めいたものを
    私の思い出史ですが、
      を書きましたkao05

昭和18年生まれの私は、母親の影響で、
歌好きの少年に育ち、それから70年余、
  今もあちこちで歌ってる
  音楽少年ならぬ音楽爺ですicon06


下手の横好きが高じて
戦後の歌謡史にも詳しい、と自負
特に昭和45年頃までは、

    あちこちで話もしてます。


そうした私の数少ない取り柄を
   活用して
昭和45年頃までの戦後歌謡史めいたものを
このブログでも詳述し、
若い人たちにも、知って頂けたら、
    と思うに至りました。

そこで、
まず、私の原点であり、
戦後ヒットしていた
♪ 十三夜 ♪ (唄 市丸さん)の動画です。

https://www.youtube.com/watch?v=NlfjT8UF_K4

作詞:石松秋二、作曲:長津義司、唄:小笠原美都子

1 河岸(かし)の柳の行きずりに
  ふと見合わせる顔と顔
  立ち止まり 懐かしいやら嬉しやら
  青い月夜の十三夜

2 夢の昔よ 別れては
  面影ばかり遠い人
  話すにも何から話す 振袖を
  抱いて泣きたい十三夜

3 空を千鳥が飛んでいる
  今更泣いてなんとしょう
  さよならと こよない言葉かけました
  青い月夜の十三夜

昭和16年(1941)年、
太平洋戦争開戦の年に
小笠原美都子さんの唄で
リリースされたということです。

    私は、まだ生まれていません。

の歌が、今も、多くの方に
そして、素人の私も歌ってる。

歌は世につれ、世は歌につれ
   という言葉がありますが、

発表されたときには、
戦時中とあって大きなヒットにはなりませんでしたが、
戦後はNHK素人のど自慢などで盛んに歌われました。

榎本美佐江さんが歌い継ぎましたが、
レコードに吹き込んだのは昭和38(1964)年、
東京オリンピックの前年、とのこと。
    私は、高卒後2年目、お巡りさん2年目でした。

作詞者の石松秋二さんは、
『満州娘』『九段の母』など、
懐かしい歌をいくつも作詞しています。
終戦時、
侵攻してきたソ連軍により
   非業の死に追いやられたとのことです。

作曲の長津義司さんは
昭和14年(1939)年に、
田端義夫さんの『大利根月夜』で大ヒットを飛ばし、
その後も、
淡谷のり子さんの
『君忘れじのブルース』などのヒット曲を創りました。


    まず、第一回目は、
     このへんで、よかろうたい!
       勝手に西田敏行さん風をお借りして
          締めたいと思う
        不十分ですが、まずは、この辺で、 
         足りない知識、その①です。m(__)m

  

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夢想花
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 うれぴい! 「インフルエンザ予防絶交仮面の歌」に、曲がつきました~! 
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