昨日は、米原で行われた、
部落解放研究滋賀県集会 に参加しました。

最初は、
全体集会「人権トークとシンポジウム」で、
★ 一人芝居をされている、中西和久さんの
「しのだづま考」・・・
※ 中西和久「しのだづま考」応援団のFB です。
https://ja-jp.facebook.com/pages/%E3%81%97%E3%81%AE%E3%81%A0%E3%81%A5%E3%81%BE%E8%80%83%E5%BF%9C%E6%8F%B4%E5%9B%A3/244467252373759

★ 辛淑玉さんの、乗り越えネット のお話し、
※ のりこえネットのHPです。
http://www.norikoenet.org/
などのお話しがあり、
日本の社会は、かなり人権感覚が進んだとは言え、
まだまだ、誤解と偏見が、強く残っていること
等が、討議されました。

午後は、私は、
★ 企業の人権研修
★ 障害者の人権と社会参加
★ 歌声による、人権啓発活動
    世直し歩さんとバンド歩歩(ぽぽ)さんのコンサート
に、出ました。



勉強になったし、新しい気づきもありました。
部落問題と私の関わりと言えば、
故郷京都では、世間の大人の口車に乗って、
差別と偏見に疑問を持たない少年・青年期でした。
25歳で、滋賀県の教師に成って、
そこで、高校生の苦しみに出会い、
同和地区隣保館での夜の学習会に参加して、眼を見開かされ、
以後、定年退職時まで、
高校部落研究活動や部落研顧問連絡会議、高校生の集い、同和教育、人権教育に
関わり、人権問題と高校生の自主活動の勉強 をさせて、頂きました。
各地で、合宿学習会をし、
県下の多くの高校生や保護者・地域の方と交流しました。



ただ、残念で、今も強く心に残っていることは、
他校の女子生徒が、部落差別を苦にして、
自死したことです。
昭和40年代、差別が厳しく、街に
高石ともやさんの  ♪もしも、差別がなかったら♪  が
流れていた時代です。
教師になった昭和44年には、映画「橋のない川」 の上映運動がありました。
同和対策特別措置法が制定されました、偏見と差別は厳しく、
高校生は口惜しい思いをしていました。


その時の経験が、定年退職後も、私の活動に大きく影響しています。
自死した高校生の思いを、
   無にしてはならん!!!


あれから40年余、日本社会では、
人権感覚は進んだけど、部落問題や在日朝鮮人のことは、
なんとなく、話しにくい!
それでいて、ヘイトスピーチ、
状況は、まだ、残っていると、私は、思って居ます。
忌避するのではなく、
分からんことは、分からんと言い、
思ったことを交流出来て、
お互いの誤解をなくしていく!!!

若き日、解放運動の活動家が、こう教えてくれました。

“違い”は“違い”と認めつつ、
“共通の基盤”で連帯する!!!

例えば、部落差別と女性差別は違います。
ですが、“共通の課題”を共有することによって、
連帯して、差別をなくす運動は、出来る!!! と。

例えば、部落差別と貧困問題は違います。
ですが、“共通の課題”を共有することによって、
連帯して、矛盾をなくす運動は、出来る!!! と。



どの人権問題でも、タブーなく、話し合いを進め、
いつか、みんなが、腹の底から笑い合える!!!
人を、出自などで、決めつける残酷さを持たない!!!
そんな社会が実現することを願って、
老いは老い故の思いでもって、進んでいきたい、と思って居ます。

  

2013年06月23日

大先輩!!!!!

  人のならい、とは言え、昨日は、しゅんとして過ごしましたkao_01。  私的な話題で、すみません。


       大先輩・・・!!!!!

大正15年生まれ、86歳、
大先輩の葬儀に行きました。
キリスト教会での葬儀、
賛美歌を歌って、
花を手向けて、
以前と変わらぬ表情の寝顔に頭を下げました。


教員時代、昭和40年代からずっと
共に高校部落研活動を顧問連として支援をし、
高校生の自主活動運動を支援してきた
大先輩がお亡くなりになりました。


大正15年生まれ、86歳。
1945(昭和20)年終戦の時、私2歳、先輩16歳

私より16歳も年上なのに、
いつも侃々諤々
子どもたちのことや学校のこと、
組合活動、平和運動について、
議論をし、
時には罵倒したり、

お酒大好き人間で、
お酒呑みながら、流暢な英語、
べろんべろんの笑顔で、
ドイツ・フランチェ・モンゴール
とか意味不明のことを言って、
その時の表情kao_10が、
           今も鮮明に記憶に残っています。

剣道もして、いつも背筋を伸ばし、
ダンディな先生でした。
信条とされるお言葉は、
碎啄同機(そったくどうき)

雛が外に出ようとして、たまごの殻を内側 からコツコツとつつく「碎」、
親鳥がそれを助けようとくちばしで外側から殻をつつき 返す「啄」。
その行為が同期であること
・・・クリスチャンだけれど、禅の言葉もお心に留めて
実践されてました。


息子さん、先生の奥さん、ご遺族、
教会の牧師さんご夫婦、
かつての教員仲間ともお話ししました。


時の移ろい、
命あるものの定め、
人の宿命とは言え、
久し振りの青空も曇るような、
そんな思いで、家に帰りました。


合掌、大先輩!
いつか先輩が先着した場で、
また酒を飲もう、
かつての仲間も加わって、
侃々諤々、
子どもたちのこと、
世のさまざまを、議論しよう!
合掌、大先輩!!!
それまで飲み過ぎて、健康を壊さんときヤkao10iconN06
  

Posted by 夢想花 at 05:14Comments(0)生きる
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