辛いニュースが、頻発しています。
    そんな中、

今、話題の
山里亮太さんの
お母さんのラインでの言葉が、
     含蓄一杯で、感動的です
kao_01

山里さんが母親からのLINEの話を披露したのは
5月8日の「たまむすび」(TBSラジオ系)。
三遊亭兼便の名前で
落語家としても活躍している山里さんは、
お母さんのlineでの励ましを、明らかにした

        という事です。

その内容は、
努力して結果が出ると自信になる。
努力せず結果が出ると驕りになる。
努力せず結果も出ないと後悔が残る。
努力して結果が出ないとしても経験が残る。

・・・努力をしてその日を迎えたんだったら、
何も残らないことはないから行っといで 母。

         というものだったそうです。


      
     う~ん! 深い!
      辛い目に遭っても、
        それを乗り越えたら、
          より逞しく優しく成れる!
        転んでもタダでは起きん・・・!!!
          精神で、
         辛い経験をバネに人生経験を
          積む生き方に共感、
         ご紹介したく、upする次第です。m(__)m

  

豊洲市場の問題を調査する
東京都議会の百条委員会は、
本日午後、
移転を決定した
石原元知事の証人喚問を行います。

昨日の
東京ガスとの用地取得をめぐる交渉役の
浜渦武生元副知事に続いての、証人喚問です。

     ここで、私のことを言うのは恐縮ですが、
     私の小さな自慢の一つは、
     戦後の食糧難の時代に、
       空腹・腹ペコの子ども時代を過ごしたから、
     今まで、食べ物の好き嫌いを言ったことが無いのと、

     20歳で、選挙権を獲得して以来、
     一度も、投票を棄権したことが無い、
       というのも、私の自慢のひとつです。

     投票した党派や候補者については、
     その時点・時点で、
     “最善”の選択をした積もりですが、
    一度だけ、
    今も、“後悔”気味の投票先があります。
       青年警察官だった若き昭和43年に、

石原慎太郎氏が
参議院議員通常選挙で
全国区に自民党公認で出馬・・・
史上最高の301万票の中に、私の一票もあるのです。

芥川賞を受賞した「太陽の季節」からも、
日本に“新風”を!
     と、期待したのです。
以後、さまざまな活躍を観ながらも、
活動に、やや? の方向もあって、
     疑問符と後悔めいたものも、持って来ました。


石原慎太郎元知事に望みたいことは、
新風を吹き込む意欲は買いつつも、
証人喚問では、
晩節を汚さぬよう真相を述べて、
都民の為に、証言されることを、強く期待する次第です。m(_ _)m
  

  ご近所を歩いていると、
何人かのご高齢の方の散歩中と、よく出会います。
乳母車を押されていたり、お歳も、80歳を超えて、
もう、アカンわ! と愚痴りながらも
      精勤に散歩されてます。
また、
いつも背中を丸めて歩かれている人も居て、
背筋を伸ばしましょう! と声を掛けたり、

すっかり、仲良しさんに成って、私は
冗談言ったり、
車に気ぃ付けや!
お茶飲みヤ! 脱水症に成らんように・・・!
      と、声を掛けたり、
ワンちゃん・ニャンちゃんの話をしたり、

皆さま、その日、その時大切に
一日一日を大切に過ごして居られます。 

一方で今、
小中高校生の、
イジメとか、悲しい自死のニュースも、頻繁に報じられています。
  
高齢者も、頑張っているんやし、
若い人たちも、頑張って、
歳取ったら、
若い時には気付けなかった事にも気付けるし、

人生、捨てたもんやない・・・!!! 
オモロイで~~、
思い詰めん、と、気長に長~~く、

後から、
苦しかったことで、
逆に、鍛えられたこと、優しくも成れたこと、
   等々、笑って振り返られる日が来るから、   
  
短気起こさんと、
思い詰めんと、
 
 


自死なんかしたら、遺された家族は、
生涯、苦しむ・・・!!!
     と言うことを、肝に銘じて、
気長に人生見詰めましょう・・・!!!
遺された者の、生涯の苦しみと後悔を、

     と、戦争や貧困・空腹の苦しみを乗り越えて来た、
      ご高齢者は、心配して居るのです。 
  

   教師時代に、自死した高校生の葬儀で、     
こんな殺生な死に方は絶対に、
     したらアカン・・・!!!
  と、お父様が、
参列して居た高校生に、叫ばれた事を
  
     私は、強く、覚えています。kao_01
    あの時、葬儀に参列した高校生も、今は、中年に成って、
    人の親に成っている人も多いでしょう。
     あのお父様の叫びは、今、きっと、
      心に深く、強く、残って居る、と思います。
   

久し振り、スポーツの話題です。

まず、何と言っても、
米メジャーリーガーのイチロー選手、
3000本安打まで、あと6安打に成りました。
   楽しみ & 脱帽です。

大相撲は、まずは、
横綱白鵬関と大関稀勢の里関の健闘!!!
   私の希望では、
   稀勢の里関が、白鵬関を破って、優勝、そして、来場所横綱に!!!
     が理想やけど、そうは問屋が下ろさへん!
         のが、スポーツの世界です。
        ですが、理想通りに行きますように。
        

それと、
リオ五輪に、
日本の選手陣が、出発
、と報じられています。
     棄権選手も出ている中で、
     ブラジル・リオデジャネイロの治安や熱病対策も心配です。

日本プロ野球オールスター戦は、
とりわけ、
大谷翔平選手(日ハム)の大活躍・・・!
     目を細めて見てました。





もう一つ、爽やかな話題は、
生活苦高校球児の頑張りの記事です。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160717-00000010-asahi-spo


生活苦と闘う定時制球児、最後の夏へ
「もう逃げない」
心打たれました・
     この頑張りは、
  生涯、君の人生を、励ますだろう!!!
   そして、多くの人を励ましてる!!!

【時間が経てば、感動の記事が消える可能性がありますので、記事を転載させて下さい。m(_ _)m】
アルバイト先のそば店の厨房(ちゅうぼう)に立つ大庭佳。働き始めて3年目。今では店にとって欠かせない働き手だ=13日、東京都大田区

 練習によく遅刻する。早退も当たり前。定時制に通い、生活苦から脱するためにアルバイトを掛け持ちしているからだ。野球から逃げたこともある。1人で再出発した野球部は11人になった。仲間と最後まで戦ったこの夏は、きっと自分の支えになるだろう。

    ◇

 2日、東京都内のそばチェーン店厨房(ちゅうぼう)。神奈川県立川崎高校定時制3年の大庭佳(おおばけい)(18)が働いていた。家計を助けるために始めたアルバイト。朝6時からのコンビニ勤務も含めて週20時間。仕事を終えて、午後3時すぎの授業まで、全日制と一緒の野球部の練習に充てられたのは1時間だ。

 佳が5歳の時に両親が離婚。中国出身の父と再婚相手に育てられた。実母は7歳のとき亡くなり、顔もはっきり思い出せない。小学5年のとき父が中国留学を勧めてくれた。「帰国子女って格好いいかも」。2歳上の姉と福建省の学校に通った。中国語が操れるようになった。中学2年で帰国した。

 小学生の頃にやった草野球の興奮が忘れられず、県川崎の定時制に入って野球部に入部した。その5月、姉から「お父さん、長くないかも」と告げられた。父は重い病に侵されていた。「親孝行もできていないのに」。涙をこらえるのに必死だった。

 父は入退院を繰り返し、職を失った。稼いだ月約10万円のうち4万円を父の治療費に充てる。残りで野球用具や学費を工面する。

     ◇

 1年の夏、横浜スタジアムであった神奈川大会の開幕試合。ベンチから声援を送った。惜敗し、先輩の前で誓った。「このチームは僕が守っていきます」

 先輩が去り、1人になって監督と2人で練習した。2年の春に1年生5人が入部。主将になった。野球部以外の生徒にも協力してもらって臨んだ夏は初戦でコールド負け。直後の練習試合も大敗した。無気力になり、グラウンド整備に誰一人出なかった。「全員辞めろ」。監督の怒声が響く。1年生が謝りに行く中、1人動けなかった。

 時間をやりくりして練習しても上達しない。チームを守るとの覚悟が消え、練習に行けなくなった。

     ◇

 ある日、学校でキャッチボールをして遊んでいた。「野球部を辞めると絶対後悔するぞ」。横浜スタジアムでの試合で引退し定時制に通う岸井聖弥(20)から言われた。岸井も経済的余裕のない家庭で育った。4人兄弟の次男。母や兄弟と離れて祖父母の家で暮らす。野球を最後まで続けられたことが救いだ。そんな実感から出た言葉だった。

 忙しい毎日の中、悩み考えた。今年4月、久しぶりに練習に行った。部員が増えていた。就任したばかりの古川雅一監督(57)に頭を下げた。「また野球がしたい」。勝手な言葉と分かっていた。振り返ると後輩は笑顔だ。「ごめん」と心でつぶやいて飛び込んだ。「もう、逃げない」。

 17日、神奈川大会初戦。スタンドからは応援に駆けつけた岸井の声が飛ぶ。11点を追う五回、最後の打者になったのは佳だった。打席で「オー!」と雄叫(おたけ)びをあげたが、見逃し三振でゲームセット。唇をかみ、相手校の校歌を聴いた。

 球場の外で岸井に抱きしめられた。「ありがとうな! 最後まで野球を続けてくれて」。グラウンドでは涙が出なかったのに、岸井の肩に顔をうずめ、ひたすら泣きじゃくった。

 これからまた、家族を支えるためのバイトと勉強の日々が始まる。「どんなにつらくても耐えて生きていく」。そう言って球場を後にした。=敬称略(長谷川健)





  

Posted by 夢想花 at 13:54Comments(0)名もなき孤老の訴え生きる
昨日、保釈された
清原和博被告は、報道各社に、
皆様を裏切ってしまったことを
深く後悔するとともに、
これまで応援してくださった
皆様のお気持ちに報いるためにも、
一から出直し、
必ず更生することを決意し、
人の役に立つ人間になることを
心に誓っております。 

    とのコメントを出しました。

これから、
各種の治療と、
本人の決意の続行
生活の改善・・・

    等、険しい道が続きますが、
ご本人の再起、
    を、強く期待・・・

必ず更生されますよう、
まだまだ、若い年齢、
    人生やり直し
    
この道しか、
この道でこそ、
   と、強く願う、
    人生少し先輩の夢想花の願いで御座います。
                  m(_ _)m 

  

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 うれぴい! 「インフルエンザ予防絶交仮面の歌」に、曲がつきました~! 
 このブログの2009年6月12日号を見て下さ~い!

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