さっき、
NHKスペシャル
ママたちが非常事態!?
を見ました。
どき~ん!!!
納得!!!
お母さん達の体内にある
オキシトシン・ホルモン。。。
つらい子育ての“見方”が変わる!?
成る程、そうやったんか・・・!!!
あらゆる動物にある、
人間にもある、
オキシトシン・ホルモン。。。
別名
愛情ホルモン、
満たされなかったら、
孤立・孤独感に苛まれ、
理解しない相手に
憎悪や敵意まで、抱かせる、憎しみのホルモン
動物が、人間が
その種の保存のため、
体内に、脳内で働く
オキシトシン・・・!!!
人間界の
愛と憎悪のシンクロも、
このオキシトシンが、絡んでる??!!
私も、今までを振り返って
反省多い人生です。
教師時代も、仕事の忙しさにかこつけて、
我が子よりも、
他人様の子たちに眼が行って、
あんまり、立派な父親とは、言えず、
妻に迷惑かけました。
そんな私は、
明治生まれの母親のオキシトシンにまみれて、
母親の喜怒哀楽にまみれて、育ちました。
だから、母親が他界して、四半世紀に成るというのに、
今も、立派なマザコンです。
今、核家族化が進んで、
若い親の孤立、
老若世代の背反傾向、
が、進んでいます。
また、
為政者のオキシトシンの不足が、
軍備拡張や
核兵器競争に、駆り立てるのだろうか・・・??!!
話しが、弾み過ぎたかな?
反省と自戒を込めて、
オキシトシンを勉強したく、UPしました。
番組HP と ブログ です。
http://www.nhk.or.jp/special/mama/
http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20160327
このブログの号でも、オキシトシンに触れて居ます。
http://poeny.shiga-saku.net/search.php?csrf=8d320adb59201375740a48364e7f6a02b0cc8a1c&search=%E3%82%AA%E3%82%AD%E3%82%B7%E3%83%88%E3%82%B7%E3%83%B3
NHKスペシャル
ママたちが非常事態!?
を見ました。
どき~ん!!!
納得!!!
お母さん達の体内にある
オキシトシン・ホルモン。。。
つらい子育ての“見方”が変わる!?
成る程、そうやったんか・・・!!!
あらゆる動物にある、
人間にもある、
オキシトシン・ホルモン。。。
別名
愛情ホルモン、
満たされなかったら、
孤立・孤独感に苛まれ、
理解しない相手に
憎悪や敵意まで、抱かせる、憎しみのホルモン
動物が、人間が
その種の保存のため、
体内に、脳内で働く
オキシトシン・・・!!!
人間界の
愛と憎悪のシンクロも、
このオキシトシンが、絡んでる??!!
私も、今までを振り返って
反省多い人生です。
教師時代も、仕事の忙しさにかこつけて、
我が子よりも、
他人様の子たちに眼が行って、
あんまり、立派な父親とは、言えず、
妻に迷惑かけました。
そんな私は、
明治生まれの母親のオキシトシンにまみれて、
母親の喜怒哀楽にまみれて、育ちました。
だから、母親が他界して、四半世紀に成るというのに、
今も、立派なマザコンです。
今、核家族化が進んで、
若い親の孤立、
老若世代の背反傾向、
が、進んでいます。
また、
為政者のオキシトシンの不足が、
軍備拡張や
核兵器競争に、駆り立てるのだろうか・・・??!!
話しが、弾み過ぎたかな?
反省と自戒を込めて、
オキシトシンを勉強したく、UPしました。
番組HP と ブログ です。
http://www.nhk.or.jp/special/mama/
http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20160327
このブログの号でも、オキシトシンに触れて居ます。
http://poeny.shiga-saku.net/search.php?csrf=8d320adb59201375740a48364e7f6a02b0cc8a1c&search=%E3%82%AA%E3%82%AD%E3%82%B7%E3%83%88%E3%82%B7%E3%83%B3
不戦の誓、核兵器廃絶を訴える、8月9日の
長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典での、平和宣言を、
改めて噛みしめたい!!!
と思います。
平成27年長崎平和宣言
昭和20年8月9日午前11時2分、
一発の原子爆弾により、長崎の街は一瞬で廃墟と化しました。
大量の放射線が人々の体をつらぬき、
想像を絶する熱線と爆風が街を襲いました。
24万人の市民のうち、
7万4千人が亡くなり、7万5千人が傷つきました。
70年は草木も生えない、といわれた
廃墟の浦上の丘は今、こうして緑に囲まれています。
しかし、
放射線に体を蝕まれ、後障害に苦しみ続けている被爆者は、
あの日のことを1日たりとも忘れることはできません。
原子爆弾は戦争の中で生まれました。
そして、戦争の中で使われました。
原子爆弾の凄まじい破壊力を身をもって知った被爆者は、
核兵器は存在してはならない、
そして二度と戦争をしてはならない
と深く、強く、心に刻みました。
日本国憲法における平和の理念は、
こうした辛く厳しい経験と戦争の反省の中から生まれ、
戦後、我が国は平和国家としての道を歩んできました。
長崎にとっても、日本にとっても、
戦争をしないという平和の理念は
永久に変えてはならない原点です。
今、
戦後に生まれた世代が国民の多くを占めるようになり、
戦争の記憶が私たちの社会から急速に失われつつあります。
長崎や広島の被爆体験だけでなく、
東京をはじめ多くの街を破壊した空襲、
沖縄戦、
そして
アジアの多くの人々を苦しめた
悲惨な戦争の記憶を忘れてはなりません。
70年を経た今、私たちに必要なことは、
その記憶を語り継いでいくことです。
原爆や戦争を体験した日本、そして世界の皆さん、
記憶を風化させないためにも、その経験を語ってください。
若い世代の皆さん、
過去の話だと切り捨てずに、
未来のあなたの身に起こるかもしれない話だからこそ
伝えようとする、平和への思いをしっかりと受け止めてください。
「私だったらどうするだろう」と想像してみてください。
そして、
「平和のために、私にできることは何だろう」と考えてみてください。
若い世代の皆さんは、国境を越えて新しい関係を築いていく力を持っています。
世界の皆さん、
戦争と核兵器のない世界を実現するための
最も大きな力は私たち一人ひとりの中にあります。
戦争の話に耳を傾け、
核兵器廃絶の署名に賛同し、
原爆展に足を運ぶといった一人ひとりの活動も、
集まれば大きな力になります。
長崎では、
被爆二世、三世をはじめ、
次の世代が思いを受け継ぎ、動き始めています。
私たち一人ひとりの力こそが、
戦争と核兵器のない世界を実現する最大の力です。
市民社会の力は、政府を動かし、世界を動かす力なのです。
今年5月、核不拡散条約(NPT)再検討会議は、
最終文書を採択できないまま閉幕しました。
しかし、最終文書案には、
核兵器を禁止しようとする国々の努力により、
核軍縮について
一歩踏み込んだ内容も盛り込むことができました。
NPT加盟国の首脳に訴えます。
今回の再検討会議を決して無駄にしないでください。
国連総会などあらゆる機会に、
核兵器禁止条約など法的枠組みを議論する努力を続けてください。
また、会議では
被爆地訪問の重要性が、多くの国々に共有されました。
改めて、長崎から呼びかけます。
オバマ大統領、そして核保有国をはじめ各国首脳の皆さん、
世界中の皆さん、
70年前、原子雲の下で何があったのか、
長崎や広島を訪れて確かめてください。
被爆者が、単なる被害者としてではなく、
“人類の一員”として、
今も懸命に伝えようとしていることを感じとってください。
日本政府に訴えます。
国の安全保障は、
核抑止力に頼らない方法を検討してください。
アメリカ、日本、韓国、中国など多くの国の研究者が提案しているように、
北東アジア非核兵器地帯の設立によって、それは可能です。
未来を見据え、
“核の傘”から“非核の傘”への転換について、
ぜひ検討してください。
この夏、
長崎では世界の122の国や地域の子どもたちが、
平和について考え、話し合う、「世界こども平和会議」を開きました。
11月には、
長崎で初めての「パグウォッシュ会議世界大会」が開かれます。
核兵器の恐ろしさを知った
アインシュタインの訴えから始まったこの会議には、
世界の科学者が集まり、
核兵器の問題を語り合い、
平和のメッセージを長崎から世界に発信します。
「ピース・フロム・ナガサキ」。
平和は長崎から。
私たちはこの言葉を大切に守りながら、
平和の種を蒔き続けます。
また、東日本大震災から4年が過ぎても、
原発事故の影響で苦しんでいる福島の皆さんを、
長崎はこれからも応援し続けます。
現在、国会では、
国の安全保障のあり方を決める法案の審議が行われています。
70年前に心に刻んだ誓いが、日本国憲法の平和の理念が、
今揺らいでいるのではないかという不安と懸念が広がっています。
政府と国会には、
この不安と懸念の声に耳を傾け、英知を結集し、
慎重で真摯な審議を行うことを求めます。
被爆者の平均年齢は今年80歳を超えました。
日本政府には、国の責任において、
被爆者の実態に即した援護の充実と
被爆体験者が生きているうちの被爆地域拡大を強く要望します。
原子爆弾により亡くなられた方々に追悼の意を捧げ、
私たち長崎市民は広島とともに、
核兵器のない世界と平和の実現に向けて、
全力を尽くし続けることを、ここに宣言します。
2015年(平成27年)8月9日
長崎市長 田上 富久
【お断り】
宣言文を読みやすくするため、
改行と文字の色づけをしました。
ご了承をお願いします。m(_ _)m
英文も添付したかったのですが、
技術的にうまくいかなかったので、
長崎平和宣言の英文のアドレスを紹介します。
http://www.chugoku-np.co.jp/column/article/article.php?comment_id=176464&comment_sub_id=0&category_id=637
長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典での、平和宣言を、
改めて噛みしめたい!!!
と思います。
平成27年長崎平和宣言
昭和20年8月9日午前11時2分、
一発の原子爆弾により、長崎の街は一瞬で廃墟と化しました。
大量の放射線が人々の体をつらぬき、
想像を絶する熱線と爆風が街を襲いました。
24万人の市民のうち、
7万4千人が亡くなり、7万5千人が傷つきました。
70年は草木も生えない、といわれた
廃墟の浦上の丘は今、こうして緑に囲まれています。
しかし、
放射線に体を蝕まれ、後障害に苦しみ続けている被爆者は、
あの日のことを1日たりとも忘れることはできません。
原子爆弾は戦争の中で生まれました。
そして、戦争の中で使われました。
原子爆弾の凄まじい破壊力を身をもって知った被爆者は、
核兵器は存在してはならない、
そして二度と戦争をしてはならない
と深く、強く、心に刻みました。
日本国憲法における平和の理念は、
こうした辛く厳しい経験と戦争の反省の中から生まれ、
戦後、我が国は平和国家としての道を歩んできました。
長崎にとっても、日本にとっても、
戦争をしないという平和の理念は
永久に変えてはならない原点です。
今、
戦後に生まれた世代が国民の多くを占めるようになり、
戦争の記憶が私たちの社会から急速に失われつつあります。
長崎や広島の被爆体験だけでなく、
東京をはじめ多くの街を破壊した空襲、
沖縄戦、
そして
アジアの多くの人々を苦しめた
悲惨な戦争の記憶を忘れてはなりません。
70年を経た今、私たちに必要なことは、
その記憶を語り継いでいくことです。
原爆や戦争を体験した日本、そして世界の皆さん、
記憶を風化させないためにも、その経験を語ってください。
若い世代の皆さん、
過去の話だと切り捨てずに、
未来のあなたの身に起こるかもしれない話だからこそ
伝えようとする、平和への思いをしっかりと受け止めてください。
「私だったらどうするだろう」と想像してみてください。
そして、
「平和のために、私にできることは何だろう」と考えてみてください。
若い世代の皆さんは、国境を越えて新しい関係を築いていく力を持っています。
世界の皆さん、
戦争と核兵器のない世界を実現するための
最も大きな力は私たち一人ひとりの中にあります。
戦争の話に耳を傾け、
核兵器廃絶の署名に賛同し、
原爆展に足を運ぶといった一人ひとりの活動も、
集まれば大きな力になります。
長崎では、
被爆二世、三世をはじめ、
次の世代が思いを受け継ぎ、動き始めています。
私たち一人ひとりの力こそが、
戦争と核兵器のない世界を実現する最大の力です。
市民社会の力は、政府を動かし、世界を動かす力なのです。
今年5月、核不拡散条約(NPT)再検討会議は、
最終文書を採択できないまま閉幕しました。
しかし、最終文書案には、
核兵器を禁止しようとする国々の努力により、
核軍縮について
一歩踏み込んだ内容も盛り込むことができました。
NPT加盟国の首脳に訴えます。
今回の再検討会議を決して無駄にしないでください。
国連総会などあらゆる機会に、
核兵器禁止条約など法的枠組みを議論する努力を続けてください。
また、会議では
被爆地訪問の重要性が、多くの国々に共有されました。
改めて、長崎から呼びかけます。
オバマ大統領、そして核保有国をはじめ各国首脳の皆さん、
世界中の皆さん、
70年前、原子雲の下で何があったのか、
長崎や広島を訪れて確かめてください。
被爆者が、単なる被害者としてではなく、
“人類の一員”として、
今も懸命に伝えようとしていることを感じとってください。
日本政府に訴えます。
国の安全保障は、
核抑止力に頼らない方法を検討してください。
アメリカ、日本、韓国、中国など多くの国の研究者が提案しているように、
北東アジア非核兵器地帯の設立によって、それは可能です。
未来を見据え、
“核の傘”から“非核の傘”への転換について、
ぜひ検討してください。
この夏、
長崎では世界の122の国や地域の子どもたちが、
平和について考え、話し合う、「世界こども平和会議」を開きました。
11月には、
長崎で初めての「パグウォッシュ会議世界大会」が開かれます。
核兵器の恐ろしさを知った
アインシュタインの訴えから始まったこの会議には、
世界の科学者が集まり、
核兵器の問題を語り合い、
平和のメッセージを長崎から世界に発信します。
「ピース・フロム・ナガサキ」。
平和は長崎から。
私たちはこの言葉を大切に守りながら、
平和の種を蒔き続けます。
また、東日本大震災から4年が過ぎても、
原発事故の影響で苦しんでいる福島の皆さんを、
長崎はこれからも応援し続けます。
現在、国会では、
国の安全保障のあり方を決める法案の審議が行われています。
70年前に心に刻んだ誓いが、日本国憲法の平和の理念が、
今揺らいでいるのではないかという不安と懸念が広がっています。
政府と国会には、
この不安と懸念の声に耳を傾け、英知を結集し、
慎重で真摯な審議を行うことを求めます。
被爆者の平均年齢は今年80歳を超えました。
日本政府には、国の責任において、
被爆者の実態に即した援護の充実と
被爆体験者が生きているうちの被爆地域拡大を強く要望します。
原子爆弾により亡くなられた方々に追悼の意を捧げ、
私たち長崎市民は広島とともに、
核兵器のない世界と平和の実現に向けて、
全力を尽くし続けることを、ここに宣言します。
2015年(平成27年)8月9日
長崎市長 田上 富久
【お断り】
宣言文を読みやすくするため、
改行と文字の色づけをしました。
ご了承をお願いします。m(_ _)m
英文も添付したかったのですが、
技術的にうまくいかなかったので、
長崎平和宣言の英文のアドレスを紹介します。
http://www.chugoku-np.co.jp/column/article/article.php?comment_id=176464&comment_sub_id=0&category_id=637
今号は、この8月6日に平和記念式典で、広島市長より発せられた平和宣言を、じっくりと噛みしめたい、と思います。
平和宣言
私たちの故郷(ふるさと)には、
温かい家族の暮らし、人情あふれる地域の絆、
季節を彩る祭り、歴史に育まれた伝統文化や建物、
子どもたちが遊ぶ川辺などがありました。
1945年8月6日午前8時15分、
その全てが一発の原子爆弾で破壊されました。
きのこ雲の下には、
抱き合う黒焦げの親子、無数の遺体が浮かぶ川、
焼け崩れた建物。
幾万という人々が炎に焼かれ、
その年の暮れまでにかけがえのない14万もの命が奪われ、
その中には
朝鮮半島や、中国、東南アジアの人々、米軍の捕虜なども
含まれていました。
辛うじて生き延びた人々も
人生を大きく歪められ、
深刻な心身の後遺症や
差別・偏見に苦しめられてきました。
生きるために盗みと喧嘩を繰り返した子どもたち、
幼くして原爆孤児となり今も一人で暮らす男性、
被爆が分かり離婚させられた女性など
――苦しみは続いたのです。
「広島をまどうてくれ!」
これは、故郷(ふるさと)や家族、そして
身も心も元通りにしてほしいという
被爆者の悲痛な叫びです。
広島県物産陳列館として開館し100年、
被爆から70年。歴史の証人として、
今も広島を見つめ続ける原爆ドームを前に、
皆さんと共に、
改めて原爆被害の実相を受け止め、
被爆者の思いを噛みしめたいと思います。
しかし、世界には、
いまだに1万5千発を超える核兵器が存在し、
核保有国等の為政者は、自国中心的な考えに陥ったまま、
核による威嚇にこだわる言動を繰り返しています。
また、
核戦争や核爆発に至りかねない
数多くの事件や事故が明らかになり、
テロリストによる使用も懸念されています。
核兵器が存在する限り、
いつ誰が被爆者になるか分かりません。
ひとたび発生した被害は国境を越え無差別に広がります。
世界中の皆さん、
被爆者の言葉とヒロシマの心をしっかり受け止め、
自らの問題として真剣に考えてください。
当時16歳の女性は
「家族、友人、隣人などの和を膨らませ、
大きな和に育てていくことが世界平和につながる。
思いやり、やさしさ、連帯。
理屈ではなく体で感じなければならない。」と訴えます。
当時12歳の男性は
「戦争は大人も子どもも同じ悲惨を味わう。
思いやり、いたわり、
他人や自分を愛することが平和の原点だ。」と強調します。
辛く悲しい境遇の中で思い悩み、
「憎しみ」や「拒絶」を乗り越え、
紡ぎ出した悲痛なメッセージです。
その心には、
人類の未来を見据えた「人類愛」と「寛容」があります。
人間は、
国籍や民族、宗教、言語などの違いを乗り越え、
同じ地球に暮らし一度きりの人生を懸命に生きるのです。
私たちは「共に生きる」ために、
「非人道性の極み」、「絶対悪」である核兵器の廃絶を
目指さなければなりません。
そのための行動を始めるのは今です。
既に若い人々による署名や投稿、行進など
様々な取組も始まっています。
共に大きなうねりを創りましょう。
被爆70年という節目の今年、
被爆者の平均年齢は80歳を超えました。
広島市は、被爆の実相を守り、世界中に広め、
次世代に伝えるための取組を強化するとともに、
加盟都市が6,700を超えた平和首長会議の会長として、
2020年までの
核兵器廃絶と核兵器禁止条約の交渉開始に向けた
世界的な流れを加速させるために、
強い決意を持って全力で取り組みます。
今、各国の為政者に求められているのは、
「人類愛」と「寛容」を基にした国民の幸福の追求
ではないでしょうか。
為政者が顔を合わせ、対話を重ねることが
核兵器廃絶への第一歩となります。
そうして得られる信頼を基礎にした、
武力に依存しない幅広い安全保障の仕組みを創り出し
ていかなければなりません。
その実現に忍耐強く取り組むことが重要であり、
日本国憲法の平和主義が示す
真の平和への道筋を世界へ広めることが求められます。
来年、日本の伊勢志摩で開催される主要国首脳会議、それに先立つ広島での外相会合は、核兵器廃絶に向けたメッセージを発信する絶好の機会です。オバマ大統領をはじめとする各国の為政者の皆さん、被爆地を訪れて、被爆者の思いを直接聴き、被爆の実相に触れてください。核兵器禁止条約を含む法的枠組みの議論を始めなければならないという確信につながるはずです。
日本政府には、核保有国と非核保有国の橋渡し役として、
議論の開始を主導するよう期待するとともに、
広島を議論と発信の場とすることを提案します。
また、高齢となった被爆者をはじめ、
今この時も放射線の影響に苦しんでいる多くの人々の
苦悩に寄り添い、支援策を充実すること、
とりわけ「黒い雨降雨地域」を拡大するよう強く求めます。
私たちは、
原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、
被爆者をはじめ先人が、
これまで核兵器廃絶と広島の復興に
生涯をかけ尽くしてきたことに感謝します。
そして、
世界の人々に対し、
決意を新たに、
共に核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向けて
力を尽くすよう訴えます。
平成27年(2015年)8月6日
広島市長 松井 一實
【お断り】
読んで頂きやすくするために、
改行を多くし、
字に色を付けました。 m(_ _)m
------------【英語版です】---------------
PEACE DECLARATION
In our town, we had the warmth of family life, the deep human bonds of community, festivals heralding each season, traditional culture and buildings passed down through history, as well as riversides where children played. At 8:15 a.m., August 6, 1945, all of that was destroyed by a single atomic bomb. Below the mushroom cloud, a charred mother and child embraced, countless corpses floated in rivers, and buildings burned to the ground. Tens of thousands were burned in those flames. By year’s end, 140,000 irreplaceable lives had been taken, that number including Koreans, Chinese, Southeast Asians, and American prisoners of war.
Those who managed to survive, their lives grotesquely distorted, were left to suffer serious physical and emotional aftereffects compounded by discrimination and prejudice. Children stole or fought routinely to survive. A young boy rendered an A-bomb orphan still lives alone; a wife was divorced when her exposure was discovered. The suffering continues.
“Madotekure!” This is the heartbroken cry of hibakusha who want Hiroshima—their hometown, their families, their own minds and bodies—put back the way it was.
One hundred years after opening as the Hiroshima Prefectural Commercial Exhibition Hall and 70 years after the atomic bombing, the A-bomb Dome still watches over Hiroshima. In front of this witness to history, I want us all, once again, to face squarely what the A-bomb did and embrace fully the spirit of the hibakusha.
Meanwhile, our world still bristles with more than 15,000 nuclear weapons, and policymakers in the nuclear-armed states remain trapped in provincial thinking, repeating by word and deed their nuclear intimidation. We now know about the many incidents and accidents that have taken us to the brink of nuclear war or nuclear explosions. Today, we worry as well about nuclear terrorism.
As long as nuclear weapons exist, anyone could become a hibakusha at any time. If that happens, the damage will reach indiscriminately beyond national borders. People of the world, please listen carefully to the words of the hibakusha and, profoundly accepting the spirit of Hiroshima, contemplate the nuclear problem as your own.
A woman who was 16 at the time appeals, “Expanding ever wider the circle of harmony that includes your family, friends, and neighbors links directly to world peace. Empathy, kindness, solidarity—these are not just intellectual concepts; we have to feel them in our bones.” A man who was 12 emphasizes, “War means tragedy for adults and children alike. Empathy, caring, loving others and oneself—this is where peace comes from.”
These heartrending messages, forged in a cauldron of suffering and sorrow, transcend hatred and rejection. Their spirit is generosity and love for humanity; their focus is the future of humankind.
Human beings transcend differences of nationality, race, religion, and language to live out our one-time-only lives on the planet we share. To coexist we must abolish the absolute evil and ultimate inhumanity that is nuclear weapons. Now is the time to start taking action. Young people are already starting petition drives, posting messages, organizing marches and launching a variety of efforts. Let’s all work together to build an enormous ground swell.
In this milestone 70th year, the average hibakusha is now over 80 years old. The city of Hiroshima will work even harder to preserve the facts of the bombing, disseminate them to the world, and convey them to coming generations. At the same time, as president of Mayors for Peace, now with more than 6,700 member cities, Hiroshima will act with determination, doing everything in our power to accelerate the international trend toward negotiations for a nuclear weapons convention and abolition of nuclear weapons by 2020.
Is it not the policymakers’ proper role to pursue happiness for their own people based on generosity and love of humanity? Policymakers meeting tirelessly to talk—this is the first step toward nuclear weapons abolition. The next step is to create, through the trust thus won, broadly versatile security systems that do not depend on military might. Working with patience and perseverance to achieve those systems will be vital, and will require that we promote throughout the world the path to true peace revealed by the pacifism of the Japanese Constitution.
The summit meeting to be held in Japan’s Ise-Shima next year and the foreign ministers’ meeting to be held in Hiroshima prior to that summit are perfect opportunities to deliver a message about the abolition of nuclear weapons. President Obama and other policymakers, please come to the A-bombed cities, hear the hibakusha with your own ears, and encounter the reality of the atomic bombings. Surely, you will be impelled to start discussing a legal framework, including a nuclear weapons convention.
We call on the Japanese government, in its role as bridge between the nuclear- and non-nuclear-weapon states, to guide all states toward these discussions, and we offer Hiroshima as the venue for dialogue and outreach. In addition, we ask that greater compassion for our elderly hibakusha and the many others who now suffer the effects of radiation be expressed through stronger support measures. In particular, we demand expansion of the “black rain areas.”
Offering our heartfelt prayers for the peaceful repose of the A-bomb victims, we express as well our gratitude to the hibakusha and all our predecessors who worked so hard throughout their lives to rebuild Hiroshima and abolish nuclear weapons. Finally, we appeal to the people of the world: renew your determination. Let us work together with all our might for the abolition of nuclear weapons and the realization of lasting world peace.
August 6, 2015
MATSUI Kazumi
Mayor The City of Hiroshima
平和宣言
私たちの故郷(ふるさと)には、
温かい家族の暮らし、人情あふれる地域の絆、
季節を彩る祭り、歴史に育まれた伝統文化や建物、
子どもたちが遊ぶ川辺などがありました。
1945年8月6日午前8時15分、
その全てが一発の原子爆弾で破壊されました。
きのこ雲の下には、
抱き合う黒焦げの親子、無数の遺体が浮かぶ川、
焼け崩れた建物。
幾万という人々が炎に焼かれ、
その年の暮れまでにかけがえのない14万もの命が奪われ、
その中には
朝鮮半島や、中国、東南アジアの人々、米軍の捕虜なども
含まれていました。
辛うじて生き延びた人々も
人生を大きく歪められ、
深刻な心身の後遺症や
差別・偏見に苦しめられてきました。
生きるために盗みと喧嘩を繰り返した子どもたち、
幼くして原爆孤児となり今も一人で暮らす男性、
被爆が分かり離婚させられた女性など
――苦しみは続いたのです。
「広島をまどうてくれ!」
これは、故郷(ふるさと)や家族、そして
身も心も元通りにしてほしいという
被爆者の悲痛な叫びです。
広島県物産陳列館として開館し100年、
被爆から70年。歴史の証人として、
今も広島を見つめ続ける原爆ドームを前に、
皆さんと共に、
改めて原爆被害の実相を受け止め、
被爆者の思いを噛みしめたいと思います。
しかし、世界には、
いまだに1万5千発を超える核兵器が存在し、
核保有国等の為政者は、自国中心的な考えに陥ったまま、
核による威嚇にこだわる言動を繰り返しています。
また、
核戦争や核爆発に至りかねない
数多くの事件や事故が明らかになり、
テロリストによる使用も懸念されています。
核兵器が存在する限り、
いつ誰が被爆者になるか分かりません。
ひとたび発生した被害は国境を越え無差別に広がります。
世界中の皆さん、
被爆者の言葉とヒロシマの心をしっかり受け止め、
自らの問題として真剣に考えてください。
当時16歳の女性は
「家族、友人、隣人などの和を膨らませ、
大きな和に育てていくことが世界平和につながる。
思いやり、やさしさ、連帯。
理屈ではなく体で感じなければならない。」と訴えます。
当時12歳の男性は
「戦争は大人も子どもも同じ悲惨を味わう。
思いやり、いたわり、
他人や自分を愛することが平和の原点だ。」と強調します。
辛く悲しい境遇の中で思い悩み、
「憎しみ」や「拒絶」を乗り越え、
紡ぎ出した悲痛なメッセージです。
その心には、
人類の未来を見据えた「人類愛」と「寛容」があります。
人間は、
国籍や民族、宗教、言語などの違いを乗り越え、
同じ地球に暮らし一度きりの人生を懸命に生きるのです。
私たちは「共に生きる」ために、
「非人道性の極み」、「絶対悪」である核兵器の廃絶を
目指さなければなりません。
そのための行動を始めるのは今です。
既に若い人々による署名や投稿、行進など
様々な取組も始まっています。
共に大きなうねりを創りましょう。
被爆70年という節目の今年、
被爆者の平均年齢は80歳を超えました。
広島市は、被爆の実相を守り、世界中に広め、
次世代に伝えるための取組を強化するとともに、
加盟都市が6,700を超えた平和首長会議の会長として、
2020年までの
核兵器廃絶と核兵器禁止条約の交渉開始に向けた
世界的な流れを加速させるために、
強い決意を持って全力で取り組みます。
今、各国の為政者に求められているのは、
「人類愛」と「寛容」を基にした国民の幸福の追求
ではないでしょうか。
為政者が顔を合わせ、対話を重ねることが
核兵器廃絶への第一歩となります。
そうして得られる信頼を基礎にした、
武力に依存しない幅広い安全保障の仕組みを創り出し
ていかなければなりません。
その実現に忍耐強く取り組むことが重要であり、
日本国憲法の平和主義が示す
真の平和への道筋を世界へ広めることが求められます。
来年、日本の伊勢志摩で開催される主要国首脳会議、それに先立つ広島での外相会合は、核兵器廃絶に向けたメッセージを発信する絶好の機会です。オバマ大統領をはじめとする各国の為政者の皆さん、被爆地を訪れて、被爆者の思いを直接聴き、被爆の実相に触れてください。核兵器禁止条約を含む法的枠組みの議論を始めなければならないという確信につながるはずです。
日本政府には、核保有国と非核保有国の橋渡し役として、
議論の開始を主導するよう期待するとともに、
広島を議論と発信の場とすることを提案します。
また、高齢となった被爆者をはじめ、
今この時も放射線の影響に苦しんでいる多くの人々の
苦悩に寄り添い、支援策を充実すること、
とりわけ「黒い雨降雨地域」を拡大するよう強く求めます。
私たちは、
原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、
被爆者をはじめ先人が、
これまで核兵器廃絶と広島の復興に
生涯をかけ尽くしてきたことに感謝します。
そして、
世界の人々に対し、
決意を新たに、
共に核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向けて
力を尽くすよう訴えます。
平成27年(2015年)8月6日
広島市長 松井 一實
【お断り】
読んで頂きやすくするために、
改行を多くし、
字に色を付けました。 m(_ _)m
------------【英語版です】---------------
PEACE DECLARATION
In our town, we had the warmth of family life, the deep human bonds of community, festivals heralding each season, traditional culture and buildings passed down through history, as well as riversides where children played. At 8:15 a.m., August 6, 1945, all of that was destroyed by a single atomic bomb. Below the mushroom cloud, a charred mother and child embraced, countless corpses floated in rivers, and buildings burned to the ground. Tens of thousands were burned in those flames. By year’s end, 140,000 irreplaceable lives had been taken, that number including Koreans, Chinese, Southeast Asians, and American prisoners of war.
Those who managed to survive, their lives grotesquely distorted, were left to suffer serious physical and emotional aftereffects compounded by discrimination and prejudice. Children stole or fought routinely to survive. A young boy rendered an A-bomb orphan still lives alone; a wife was divorced when her exposure was discovered. The suffering continues.
“Madotekure!” This is the heartbroken cry of hibakusha who want Hiroshima—their hometown, their families, their own minds and bodies—put back the way it was.
One hundred years after opening as the Hiroshima Prefectural Commercial Exhibition Hall and 70 years after the atomic bombing, the A-bomb Dome still watches over Hiroshima. In front of this witness to history, I want us all, once again, to face squarely what the A-bomb did and embrace fully the spirit of the hibakusha.
Meanwhile, our world still bristles with more than 15,000 nuclear weapons, and policymakers in the nuclear-armed states remain trapped in provincial thinking, repeating by word and deed their nuclear intimidation. We now know about the many incidents and accidents that have taken us to the brink of nuclear war or nuclear explosions. Today, we worry as well about nuclear terrorism.
As long as nuclear weapons exist, anyone could become a hibakusha at any time. If that happens, the damage will reach indiscriminately beyond national borders. People of the world, please listen carefully to the words of the hibakusha and, profoundly accepting the spirit of Hiroshima, contemplate the nuclear problem as your own.
A woman who was 16 at the time appeals, “Expanding ever wider the circle of harmony that includes your family, friends, and neighbors links directly to world peace. Empathy, kindness, solidarity—these are not just intellectual concepts; we have to feel them in our bones.” A man who was 12 emphasizes, “War means tragedy for adults and children alike. Empathy, caring, loving others and oneself—this is where peace comes from.”
These heartrending messages, forged in a cauldron of suffering and sorrow, transcend hatred and rejection. Their spirit is generosity and love for humanity; their focus is the future of humankind.
Human beings transcend differences of nationality, race, religion, and language to live out our one-time-only lives on the planet we share. To coexist we must abolish the absolute evil and ultimate inhumanity that is nuclear weapons. Now is the time to start taking action. Young people are already starting petition drives, posting messages, organizing marches and launching a variety of efforts. Let’s all work together to build an enormous ground swell.
In this milestone 70th year, the average hibakusha is now over 80 years old. The city of Hiroshima will work even harder to preserve the facts of the bombing, disseminate them to the world, and convey them to coming generations. At the same time, as president of Mayors for Peace, now with more than 6,700 member cities, Hiroshima will act with determination, doing everything in our power to accelerate the international trend toward negotiations for a nuclear weapons convention and abolition of nuclear weapons by 2020.
Is it not the policymakers’ proper role to pursue happiness for their own people based on generosity and love of humanity? Policymakers meeting tirelessly to talk—this is the first step toward nuclear weapons abolition. The next step is to create, through the trust thus won, broadly versatile security systems that do not depend on military might. Working with patience and perseverance to achieve those systems will be vital, and will require that we promote throughout the world the path to true peace revealed by the pacifism of the Japanese Constitution.
The summit meeting to be held in Japan’s Ise-Shima next year and the foreign ministers’ meeting to be held in Hiroshima prior to that summit are perfect opportunities to deliver a message about the abolition of nuclear weapons. President Obama and other policymakers, please come to the A-bombed cities, hear the hibakusha with your own ears, and encounter the reality of the atomic bombings. Surely, you will be impelled to start discussing a legal framework, including a nuclear weapons convention.
We call on the Japanese government, in its role as bridge between the nuclear- and non-nuclear-weapon states, to guide all states toward these discussions, and we offer Hiroshima as the venue for dialogue and outreach. In addition, we ask that greater compassion for our elderly hibakusha and the many others who now suffer the effects of radiation be expressed through stronger support measures. In particular, we demand expansion of the “black rain areas.”
Offering our heartfelt prayers for the peaceful repose of the A-bomb victims, we express as well our gratitude to the hibakusha and all our predecessors who worked so hard throughout their lives to rebuild Hiroshima and abolish nuclear weapons. Finally, we appeal to the people of the world: renew your determination. Let us work together with all our might for the abolition of nuclear weapons and the realization of lasting world peace.
August 6, 2015
MATSUI Kazumi
Mayor The City of Hiroshima
本日の11時2分、私は「介護員初任者研修講座」を受けていました。帰宅して、改めて、長崎平和宣言を、噛みしめています。
皆さまも、
このユーチューブで
市長さんの声と宣言文を合わせお受け止め下さればとお示しします。
http://www.youtube.com/watch?v=kCWu1jkPhiY
平成25年長崎平和宣言
68年前の今日、このまちの上空に
アメリカの爆撃機が一発の原子爆弾を投下しました。
熱線、爆風、放射線の威力は凄まじく、
直後から起こった火災は一昼夜続きました。
人々が暮らしていたまちは一瞬で廃墟となり、
24万人の市民のうち15万人が傷つき、
そのうち7万4千人の方々が命を奪われました。
生き残った被爆者は、68年たった今もなお、
放射線による白血病やがん発病への不安、
そして深い心の傷を抱え続けています。
このむごい兵器をつくったのは人間です。
広島と長崎で、二度までも使ったのも人間です。
核実験を繰り返し地球を汚染し続けているのも人間です。
人間はこれまで数々の過ちを犯してきました。
ここで、忘れてははならない過去の誓いを、
立ち返るべき原点を、
折にふれ確かめなければなりません。
日本政府に、被爆国としての原点に返ることを求めます。
今年4月、ジュネーブで開催された
核不拡散条約(NPT)再検討会議準備委員会で提出された
核兵器の非人道性を訴える共同声明に、
80か国が賛同しました。
南アフリカなどの提案国は、わが国にも賛同の署名を求めました。
しかし、
日本政府は署名せず、世界の期待を裏切りました。
人類はいかなる状況においても核兵器を使うべきではない、
という文言が受け入れられないとすれば、
核兵器の使用を状況によっては認めるという姿勢を
日本政府は示したことになります。
これは二度と、
世界の誰にも被爆の経験をさせないという、
被爆国としての原点
に反します。
インドとの原子力協定交渉の再開についても同じです。
NPTに加盟せず核保有したインドへの原子力協力は、
核兵器保有国をこれ以上増やさないための
ルールを定めたNPTを形骸化することになります。
NPTを脱退して核保有をめざす
北朝鮮などの動きを正当化する口実を与え、
朝鮮半島の非核化の妨げにもなります。
日本政府には、被爆国としての原点に返ることを求めます。
非核三原則の法制化への取り組み、
北東アジア非核兵器地帯検討の呼びかけなど、
被爆国としてのリーダーシップを
具体的な行動に移すことを求めます。
核兵器保有国には、NPTの中で核軍縮への誠実な努力義務が課されています。これは世界に対する約束です。
2009年4月、
アメリカのオバマ大統領はプラハで
「核兵器のない世界」を目指す決意を示しました。
今年6月にはベルリンで、
「核兵器が存在する限り、
私たちは真に安全ではない」と述べ、
さらなる核軍縮に取り組むことを明らかにしました。
被爆地はオバマ大統領の姿勢を支持します。
しかし、
世界には今も1万7千発以上の核弾頭が存在し、
その90%以上がアメリカとロシアのものです。
オバマ大統領、プーチン大統領、
もっと早く、もっと大胆
に核弾頭の削減に取り組んでください。
「核兵器のない世界」を遠い夢とするのではなく、
人間が早急に解決すべき課題として、
核兵器の廃絶に取り組み、
世界との約束を果たすべきです。
核兵器のない世界の実現を、
国のリーダーだけにまかせるのではなく、
市民社会を構成する私たち一人ひとりにも
できることがあります。
「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」
という日本国憲法前文には、
平和を希求するという
日本国民の固い決意がこめられています。
かつて戦争が多くの人の命を奪い、
心と体を深く傷つけた事実を、
戦争がもたらした数々のむごい光景を、
決して忘れない、決して繰り返さない、
という
平和希求の原点を忘れないためには、
戦争体験、被爆体験を語り継ぐことが
不可欠です。
若い世代の皆さん、被爆者の声を聞いたことがありますか。
ノーモア・ヒロシマ、
ノーモア・ナガサキ、
ノーモア・ウォー、
ノーモア・ヒバクシャ」と叫ぶ声を。
あなた方は被爆者の声を直接聞くことができる最後の世代です。
68年前、原子雲の下で何があったのか。
なぜ被爆者は未来のために身を削りながら
核兵器廃絶を訴え続けるのか。
被爆者の声に耳を傾けてみてください。
そして、
あなたが住む世界、あなたの子どもたちが生きる未来に
核兵器が存在していいのか。
考えてみてください。
互いに話し合ってみてください。
あなたたちこそが未来なのです。
地域の市民としてできることもあります。
わが国では自治体の90%近くが非核宣言をしています。
非核宣言は、核兵器の犠牲者になることを拒み、
平和を求める市民の決意を示すものです。
宣言をした自治体でつくる日本非核宣言自治体協議会は
今月、設立30周年を迎えました。
皆さんが宣言を行動に移そうとするときは、
協議会も、被爆地も、仲間として力をお貸しします。
長崎では、今年11月、
「第5回核兵器廃絶-地球市民集会ナガサキ」を開催します。
市民の力で、核兵器廃絶を被爆地から世界へ発信します。
東京電力福島第一原子力発電所の事故は、未だ収束せず、
放射能の被害は拡大しています。
多くの方々が平穏な日々を突然奪われたうえ、
将来の見通しが立たない暮らしを強いられています。
長崎は、福島の一日も早い復興を願い、応援していきます。
先月、
核兵器廃絶を訴え、被爆者援護の充実に力を尽くしてきた
山口仙二さんが亡くなられました。
被爆者はいよいよ少なくなり、平均年齢は78歳を超えました。
高齢化する被爆者の援護の充実をあらためて求めます。
原子爆弾により亡くなられた方々に心から哀悼の意を捧げ、
広島市と協力して
核兵器のない世界の実現に努力し続けることを
ここに宣言します。
2013(平成25)年8月9日
長崎市長 田上 富久
↓ ↓ ↓
【言い訳とお詫び!】
夢想花、恒例の言い訳ですが、
独断で、読みやすいように、
改行しました。
色付けや太字も試みたのですが、
技術的にうまくいきませんでしたので・・・(^^;)
最近、じっくりと勉強する時間が取れず、
この宣言文を基に、
現在の問題点・未来への思い等を、勉強したいと思っています
。
皆さまも、
このユーチューブで
市長さんの声と宣言文を合わせお受け止め下さればとお示しします。
http://www.youtube.com/watch?v=kCWu1jkPhiY
平成25年長崎平和宣言
68年前の今日、このまちの上空に
アメリカの爆撃機が一発の原子爆弾を投下しました。
熱線、爆風、放射線の威力は凄まじく、
直後から起こった火災は一昼夜続きました。
人々が暮らしていたまちは一瞬で廃墟となり、
24万人の市民のうち15万人が傷つき、
そのうち7万4千人の方々が命を奪われました。
生き残った被爆者は、68年たった今もなお、
放射線による白血病やがん発病への不安、
そして深い心の傷を抱え続けています。
このむごい兵器をつくったのは人間です。
広島と長崎で、二度までも使ったのも人間です。
核実験を繰り返し地球を汚染し続けているのも人間です。
人間はこれまで数々の過ちを犯してきました。
ここで、忘れてははならない過去の誓いを、
立ち返るべき原点を、
折にふれ確かめなければなりません。
日本政府に、被爆国としての原点に返ることを求めます。
今年4月、ジュネーブで開催された
核不拡散条約(NPT)再検討会議準備委員会で提出された
核兵器の非人道性を訴える共同声明に、
80か国が賛同しました。
南アフリカなどの提案国は、わが国にも賛同の署名を求めました。
しかし、
日本政府は署名せず、世界の期待を裏切りました。
人類はいかなる状況においても核兵器を使うべきではない、
という文言が受け入れられないとすれば、
核兵器の使用を状況によっては認めるという姿勢を
日本政府は示したことになります。
これは二度と、
世界の誰にも被爆の経験をさせないという、
被爆国としての原点
に反します。
インドとの原子力協定交渉の再開についても同じです。
NPTに加盟せず核保有したインドへの原子力協力は、
核兵器保有国をこれ以上増やさないための
ルールを定めたNPTを形骸化することになります。
NPTを脱退して核保有をめざす
北朝鮮などの動きを正当化する口実を与え、
朝鮮半島の非核化の妨げにもなります。
日本政府には、被爆国としての原点に返ることを求めます。
非核三原則の法制化への取り組み、
北東アジア非核兵器地帯検討の呼びかけなど、
被爆国としてのリーダーシップを
具体的な行動に移すことを求めます。
核兵器保有国には、NPTの中で核軍縮への誠実な努力義務が課されています。これは世界に対する約束です。
2009年4月、
アメリカのオバマ大統領はプラハで
「核兵器のない世界」を目指す決意を示しました。
今年6月にはベルリンで、
「核兵器が存在する限り、
私たちは真に安全ではない」と述べ、
さらなる核軍縮に取り組むことを明らかにしました。
被爆地はオバマ大統領の姿勢を支持します。
しかし、
世界には今も1万7千発以上の核弾頭が存在し、
その90%以上がアメリカとロシアのものです。
オバマ大統領、プーチン大統領、
もっと早く、もっと大胆
に核弾頭の削減に取り組んでください。
「核兵器のない世界」を遠い夢とするのではなく、
人間が早急に解決すべき課題として、
核兵器の廃絶に取り組み、
世界との約束を果たすべきです。
核兵器のない世界の実現を、
国のリーダーだけにまかせるのではなく、
市民社会を構成する私たち一人ひとりにも
できることがあります。
「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」
という日本国憲法前文には、
平和を希求するという
日本国民の固い決意がこめられています。
かつて戦争が多くの人の命を奪い、
心と体を深く傷つけた事実を、
戦争がもたらした数々のむごい光景を、
決して忘れない、決して繰り返さない、
という
平和希求の原点を忘れないためには、
戦争体験、被爆体験を語り継ぐことが
不可欠です。
若い世代の皆さん、被爆者の声を聞いたことがありますか。
ノーモア・ヒロシマ、
ノーモア・ナガサキ、
ノーモア・ウォー、
ノーモア・ヒバクシャ」と叫ぶ声を。
あなた方は被爆者の声を直接聞くことができる最後の世代です。
68年前、原子雲の下で何があったのか。
なぜ被爆者は未来のために身を削りながら
核兵器廃絶を訴え続けるのか。
被爆者の声に耳を傾けてみてください。
そして、
あなたが住む世界、あなたの子どもたちが生きる未来に
核兵器が存在していいのか。
考えてみてください。
互いに話し合ってみてください。
あなたたちこそが未来なのです。
地域の市民としてできることもあります。
わが国では自治体の90%近くが非核宣言をしています。
非核宣言は、核兵器の犠牲者になることを拒み、
平和を求める市民の決意を示すものです。
宣言をした自治体でつくる日本非核宣言自治体協議会は
今月、設立30周年を迎えました。
皆さんが宣言を行動に移そうとするときは、
協議会も、被爆地も、仲間として力をお貸しします。
長崎では、今年11月、
「第5回核兵器廃絶-地球市民集会ナガサキ」を開催します。
市民の力で、核兵器廃絶を被爆地から世界へ発信します。
東京電力福島第一原子力発電所の事故は、未だ収束せず、
放射能の被害は拡大しています。
多くの方々が平穏な日々を突然奪われたうえ、
将来の見通しが立たない暮らしを強いられています。
長崎は、福島の一日も早い復興を願い、応援していきます。
先月、
核兵器廃絶を訴え、被爆者援護の充実に力を尽くしてきた
山口仙二さんが亡くなられました。
被爆者はいよいよ少なくなり、平均年齢は78歳を超えました。
高齢化する被爆者の援護の充実をあらためて求めます。
原子爆弾により亡くなられた方々に心から哀悼の意を捧げ、
広島市と協力して
核兵器のない世界の実現に努力し続けることを
ここに宣言します。
2013(平成25)年8月9日
長崎市長 田上 富久
↓ ↓ ↓
【言い訳とお詫び!】
夢想花、恒例の言い訳ですが、
独断で、読みやすいように、
改行しました。
色付けや太字も試みたのですが、
技術的にうまくいきませんでしたので・・・(^^;)
最近、じっくりと勉強する時間が取れず、
この宣言文を基に、
現在の問題点・未来への思い等を、勉強したいと思っています

昨日も、朝から夕方前まで、「介護士初任者研修」を受けてきました。やっと、パソコンに向かえています。
昨日の朝、8時15分、
68年前の狂気の原爆投下で、
人生を奪われ狂わされた方々への黙祷の
テレビ報道を横目に、
研修会場に向かい、
いま、改めて、
広島市長の発した広島平和宣言
を噛みしめています。
見過ごすことの出来ない、血反吐を吐くような思いの込められた宣言!
どの言葉も重い重い大切な言葉ですが、
その中でも、敢えて次の言葉に触れさせて下さい。
・・・太文字や色付けなども、
私の思い込めて付けさせて頂きました。)<(_ _)>
★ ★ ★ ★ ★
「あの日」から68年目の朝が巡ってきました。
1945年8月6日午前8時15分、一発の原子爆弾により
そのすべてを消し去られた家族がいます。
「無事、男の子を出産して、家族みんなで祝っているちょうどその時、
原爆が炸裂(さくれつ)。
無情にも喜びと希望が、
新しい『生命』とともに一瞬にして消え去ってしまいました。
幼くして家族を奪われ、辛うじて生き延びた原爆孤児がいます。
苦難と孤独、病に耐えながら生き、生涯を通じ家族を持てず、
孤老となった被爆者。
「生きていてよかったと思うことは一度もなかった」と
長年にわたる塗炭の苦しみを振り返り、
深い傷跡は今も消えることはありません。
生後8カ月で被爆し、
差別や偏見に苦しめられた女性もいます。
その女性は結婚はしたものの1カ月後、
被爆者健康手帳を持っていることを知った途端、
優しかった義母に
『あんたー、被爆しとるんねー、被爆した嫁はいらん、すぐ出て行けー』
と離婚させられました。
放射線の恐怖は、時に、
人間の醜さや残忍さを引き出し、
謂れのない風評によって、
結婚や就職、出産という人生の節目節目で、
多くの被爆者を苦しめてきました。
無差別に罪もない多くの市民の命を奪い、人々の人生をも一変させ、また、終生にわたり心身を苛(さいな)み続ける原爆は、非人道兵器の極みであり「絶対悪」です。原爆の地獄を知る被爆者は、その「絶対悪」に挑んできています。
(中略)
被爆者は平均年齢が78歳を超えた今も、
平和への思いを訴え続け、
世界の人々が、その思いを共有し、
進むべき道を正しく選択するよう願っています。
私たちは
苦しみや悲しみを乗り越えてきた多くの被爆者の願いに応え、
核兵器廃絶に取り組むための原動力とならねばなりません。
(中略)
そのために、広島市は、
平和市長会議を構成する5700を超える加盟都市とともに、
国連や志を同じくするNGOなどと連携して、
2020年までの核兵器廃絶をめざし、
核兵器禁止条約の早期実現に全力を尽くします。
世界の為政者の皆さん、
いつまで、疑心暗鬼に陥っているのですか。
威嚇によって国の安全を
守り続けることができると思っているのですか。
広島を訪れ、被爆者の思いに接し、
過去にとらわれず
人類の未来を見据えて、
信頼と対話に基づく安全保障体制への転換を
決断すべきではないですか。
広島は、
日本国憲法が掲げる崇高な平和主義を体現する地であると同時に、
人類の進むべき道を示す地でもあります。 (中略)
この夏も、
東日本では大震災や原発事故の影響に苦しみながら
故郷の再生に向けた懸命な努力が続いています。
復興の困難を知る広島市民は
被災者の皆さんの思いに寄り添い、応援し続けます。
そして、
日本政府が国民の暮らしと安全を最優先にした
責任あるエネルギー政策を
早期に構築し、実行することを強く求めます。
私たちは、
あらためてここに68年間の先人の努力に思いを致し、
「絶対悪」である核兵器の廃絶と
平和な世界の実現に向け力を尽くすことを誓い、
原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げます。
平成25年8月6日
広島市長 松井一実
★ ★ ★ ★ ★
↓ ↓ ↓
【夢想花、ただ、感じ入っています!】
これこそ、人類が、日本が、進むべき道!!!
日本国憲法全文にみなぎる、人類jの崇高な理念、が語られています!
先日も、自衛隊関係者の方と、お話しする機会がありました。
世界に貢献できる、信頼される、自衛隊でありたい!!!
決して、国防軍になることを望んでいない!
と仰有っていました。
世界の為政者の皆さん、
いつまで、疑心暗鬼に陥っているのですか。
威嚇によって国の安全を
守り続けることができると思っているのですか。
私も、深く賛同し、強く、お訴え申し上げます
。
昨日の朝、8時15分、
68年前の狂気の原爆投下で、
人生を奪われ狂わされた方々への黙祷の
テレビ報道を横目に、
研修会場に向かい、
いま、改めて、
広島市長の発した広島平和宣言
を噛みしめています。
見過ごすことの出来ない、血反吐を吐くような思いの込められた宣言!
どの言葉も重い重い大切な言葉ですが、
その中でも、敢えて次の言葉に触れさせて下さい。
・・・太文字や色付けなども、
私の思い込めて付けさせて頂きました。)<(_ _)>
★ ★ ★ ★ ★
「あの日」から68年目の朝が巡ってきました。
1945年8月6日午前8時15分、一発の原子爆弾により
そのすべてを消し去られた家族がいます。
「無事、男の子を出産して、家族みんなで祝っているちょうどその時、
原爆が炸裂(さくれつ)。
無情にも喜びと希望が、
新しい『生命』とともに一瞬にして消え去ってしまいました。
幼くして家族を奪われ、辛うじて生き延びた原爆孤児がいます。
苦難と孤独、病に耐えながら生き、生涯を通じ家族を持てず、
孤老となった被爆者。
「生きていてよかったと思うことは一度もなかった」と
長年にわたる塗炭の苦しみを振り返り、
深い傷跡は今も消えることはありません。
生後8カ月で被爆し、
差別や偏見に苦しめられた女性もいます。
その女性は結婚はしたものの1カ月後、
被爆者健康手帳を持っていることを知った途端、
優しかった義母に
『あんたー、被爆しとるんねー、被爆した嫁はいらん、すぐ出て行けー』
と離婚させられました。
放射線の恐怖は、時に、
人間の醜さや残忍さを引き出し、
謂れのない風評によって、
結婚や就職、出産という人生の節目節目で、
多くの被爆者を苦しめてきました。
無差別に罪もない多くの市民の命を奪い、人々の人生をも一変させ、また、終生にわたり心身を苛(さいな)み続ける原爆は、非人道兵器の極みであり「絶対悪」です。原爆の地獄を知る被爆者は、その「絶対悪」に挑んできています。
(中略)
被爆者は平均年齢が78歳を超えた今も、
平和への思いを訴え続け、
世界の人々が、その思いを共有し、
進むべき道を正しく選択するよう願っています。
私たちは
苦しみや悲しみを乗り越えてきた多くの被爆者の願いに応え、
核兵器廃絶に取り組むための原動力とならねばなりません。
(中略)
そのために、広島市は、
平和市長会議を構成する5700を超える加盟都市とともに、
国連や志を同じくするNGOなどと連携して、
2020年までの核兵器廃絶をめざし、
核兵器禁止条約の早期実現に全力を尽くします。
世界の為政者の皆さん、
いつまで、疑心暗鬼に陥っているのですか。
威嚇によって国の安全を
守り続けることができると思っているのですか。
広島を訪れ、被爆者の思いに接し、
過去にとらわれず
人類の未来を見据えて、
信頼と対話に基づく安全保障体制への転換を
決断すべきではないですか。
広島は、
日本国憲法が掲げる崇高な平和主義を体現する地であると同時に、
人類の進むべき道を示す地でもあります。 (中略)
この夏も、
東日本では大震災や原発事故の影響に苦しみながら
故郷の再生に向けた懸命な努力が続いています。
復興の困難を知る広島市民は
被災者の皆さんの思いに寄り添い、応援し続けます。
そして、
日本政府が国民の暮らしと安全を最優先にした
責任あるエネルギー政策を
早期に構築し、実行することを強く求めます。
私たちは、
あらためてここに68年間の先人の努力に思いを致し、
「絶対悪」である核兵器の廃絶と
平和な世界の実現に向け力を尽くすことを誓い、
原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げます。
平成25年8月6日
広島市長 松井一実
★ ★ ★ ★ ★
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【夢想花、ただ、感じ入っています!】
これこそ、人類が、日本が、進むべき道!!!
日本国憲法全文にみなぎる、人類jの崇高な理念、が語られています!
先日も、自衛隊関係者の方と、お話しする機会がありました。
世界に貢献できる、信頼される、自衛隊でありたい!!!
決して、国防軍になることを望んでいない!
と仰有っていました。
世界の為政者の皆さん、
いつまで、疑心暗鬼に陥っているのですか。
威嚇によって国の安全を
守り続けることができると思っているのですか。
私も、深く賛同し、強く、お訴え申し上げます
