2008年06月05日
愛の反対語は?
昨日、最高裁で、日本の社会に一石を投じる判決が出されました。
両親の婚姻を国籍取得の要件とする
国籍法の規定は違憲
結婚していないフィリピン人の母と日本人の父の間に生まれ、生後に認知された10人の子が日本国籍の確認を求めた2件の訴訟の上告審判決で、最高裁判所は4日、両親の婚姻を国籍取得の要件とする国籍法の規定を違憲と判断し、10人全員の日本国籍を認めました。最高裁が法律の規定に違憲判決を出すのは戦後8件目らしいです。最高裁の違憲判断により、国会は国籍法の改正を迫られることになります。
母親が日本人であったり、胎児のうちに日本人の父親が認知していれば、子どもは日本国籍を取得できていたのですが、生後に日本人の父親が認知した場合、両親が結婚していない、そして母親が日本人でないという理由で、子どもは日本国籍の取得を阻まれていました。阻んだ根拠は「国籍法」。
子どもに責められるべき罪は、全くありません。子どもにはどうしようもないことで、国籍を持てないことの不利益を背負わせていた・・・むしろ責められるべきは、日本の法体制であり、社会ではなかったでしょうか? 今回の判決は、遅まきとは言え、そうした現実に一石を投じる判決でした。私も、今まで、申し訳なかったけど、この件について、あまり知らず、勉強不足でした。私も含めて、知らなかった・無関心という状況が世論を高まらせることもなく、10人の子どもたちにとっての大変な矛盾を支えていたのだと、判決を聞いて思いました。
マザー・テレサこと本名アグネス・ゴンジャ・ボヤジュの言葉です。
なお、少し注釈を加えますと、広くマザー・テレサという呼称で知られていますが、厳密には、「マザー」は指導的な修道女への敬称であり、「テレサ」はカトリック教会の修道名だそうです。は、ともかく・・・、次のエピソードが残っています。。。
マザーテレサがある人に「愛の反対語は?」と聞きました。その人は「憎しみ」と答えた。マザーテレサは返して「憎しみは愛に変わる可能性がある。無関心は愛には絶対ならない。愛の反対語は『無関心』だ。」・・・と。
限られた時間、生活に追われてすべてのことを知ることはできませんが、目にふたをして見ないようにすることは、避けたいものです。昨日のブログでも、政治について、委任状を渡す人、渡される人お互いに顔を見ることの大切さを、申させて頂きました。可能な限り、勉強をして、知っていきたい。
ごめんね、10人の子どもたちに心の中で謝りつつ、一緒に、社会を造ってゆこう、あなたたちの提起と最高裁の英明な判決が、国会と社会、日本を前進させるものであって欲しい。有り難う!
※ 結婚していない両親の間から生まれた子どもの国籍問題については、次のアドレスをみてください。勉強になります。
http://www.nikkei.co.jp/neteye5/nakamura/20050519na85j000_19.html
両親の婚姻を国籍取得の要件とする
国籍法の規定は違憲
結婚していないフィリピン人の母と日本人の父の間に生まれ、生後に認知された10人の子が日本国籍の確認を求めた2件の訴訟の上告審判決で、最高裁判所は4日、両親の婚姻を国籍取得の要件とする国籍法の規定を違憲と判断し、10人全員の日本国籍を認めました。最高裁が法律の規定に違憲判決を出すのは戦後8件目らしいです。最高裁の違憲判断により、国会は国籍法の改正を迫られることになります。
母親が日本人であったり、胎児のうちに日本人の父親が認知していれば、子どもは日本国籍を取得できていたのですが、生後に日本人の父親が認知した場合、両親が結婚していない、そして母親が日本人でないという理由で、子どもは日本国籍の取得を阻まれていました。阻んだ根拠は「国籍法」。
子どもに責められるべき罪は、全くありません。子どもにはどうしようもないことで、国籍を持てないことの不利益を背負わせていた・・・むしろ責められるべきは、日本の法体制であり、社会ではなかったでしょうか? 今回の判決は、遅まきとは言え、そうした現実に一石を投じる判決でした。私も、今まで、申し訳なかったけど、この件について、あまり知らず、勉強不足でした。私も含めて、知らなかった・無関心という状況が世論を高まらせることもなく、10人の子どもたちにとっての大変な矛盾を支えていたのだと、判決を聞いて思いました。
マザー・テレサこと本名アグネス・ゴンジャ・ボヤジュの言葉です。
なお、少し注釈を加えますと、広くマザー・テレサという呼称で知られていますが、厳密には、「マザー」は指導的な修道女への敬称であり、「テレサ」はカトリック教会の修道名だそうです。は、ともかく・・・、次のエピソードが残っています。。。
マザーテレサがある人に「愛の反対語は?」と聞きました。その人は「憎しみ」と答えた。マザーテレサは返して「憎しみは愛に変わる可能性がある。無関心は愛には絶対ならない。愛の反対語は『無関心』だ。」・・・と。
限られた時間、生活に追われてすべてのことを知ることはできませんが、目にふたをして見ないようにすることは、避けたいものです。昨日のブログでも、政治について、委任状を渡す人、渡される人お互いに顔を見ることの大切さを、申させて頂きました。可能な限り、勉強をして、知っていきたい。
ごめんね、10人の子どもたちに心の中で謝りつつ、一緒に、社会を造ってゆこう、あなたたちの提起と最高裁の英明な判決が、国会と社会、日本を前進させるものであって欲しい。有り難う!
※ 結婚していない両親の間から生まれた子どもの国籍問題については、次のアドレスをみてください。勉強になります。
http://www.nikkei.co.jp/neteye5/nakamura/20050519na85j000_19.html
presented by
パッヘルベルによろしく http://news.nifty.com/cs/world/chinadetail/rcdc-20100305001/1.htm"> presented by 地球の名言 http://news.nifty.com/cs/world/chinadetail/rcdc-20100305001/1.htm
今日雨模様の日。テレビで楽しい番組満ちてましたが、吉本新喜劇人情舞台劇放送で人の触れ合いの大切さを知りました。
お天道様の采配に、不満一杯の私、人生論で敬愛する相田みつを様のお言葉で、人生勉強させて下さい。
雨シトシトピッチャん!降ってます。 テレビ見ても眠気が、そこで老脳の私鍛錬に俳句もどき詩もどきを認めさせて下さい。
目が覚め窓外の上空から、カラスの鳴き声‼️ 奇跡の天球地球で、地球の生き物の声に学びますよう。m(_ _)m
ZTVでは、近江八幡市での左義長祭りが紹介されています。地域の人達の熱意と頑張り、ご紹介します。
寒さ厳しい今、途切れがちなご近所の声かけを!そして、社会福祉をより担われる、社会福祉法人全国社会福祉協議会の活動です。
お天道様の采配に、不満一杯の私、人生論で敬愛する相田みつを様のお言葉で、人生勉強させて下さい。
雨シトシトピッチャん!降ってます。 テレビ見ても眠気が、そこで老脳の私鍛錬に俳句もどき詩もどきを認めさせて下さい。
目が覚め窓外の上空から、カラスの鳴き声‼️ 奇跡の天球地球で、地球の生き物の声に学びますよう。m(_ _)m
ZTVでは、近江八幡市での左義長祭りが紹介されています。地域の人達の熱意と頑張り、ご紹介します。
寒さ厳しい今、途切れがちなご近所の声かけを!そして、社会福祉をより担われる、社会福祉法人全国社会福祉協議会の活動です。
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夢想花
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この記事へのコメント
そうです、子供に罪はありません。
どのような形であれ、子供は神様から授かった子なので、国が阻止しようという考えは、間違っていると思います。
子供さんは恨むことなく、すくすく育って欲しいですね。
どのような形であれ、子供は神様から授かった子なので、国が阻止しようという考えは、間違っていると思います。
子供さんは恨むことなく、すくすく育って欲しいですね。
Posted by ノンノン at 2008年06月05日 03:48
今も、何万人という同じ立場の子どもさんがいるそうです。これまで放置されてきたことが、政治と私達が造っている社会のひとつの状況だと思います。でも、子どもたちが勇気ある問題提起(レクラミーレン)をしてくれたので、日本の政治も私たちも前進していく、そのために私たちも、考えて、政治の場に反映させていかねばならない課題だと思います。
Posted by 夢想花
at 2008年06月05日 08:59

レクラミーレンって問題提起のことですね。
政治の中に勇気のある石を投げた事から、見直され子供達の人格が守られる動きになったのですね。
政治の中に勇気のある石を投げた事から、見直され子供達の人格が守られる動きになったのですね。
Posted by ノンノン
at 2008年06月05日 22:27

高校時代の講演の講師先生は、「抗議」という意味のように使っておられたように記憶していますが、私は、それ以後長い歳月を経て、単に、文句の意味の「抗議」だけでなく、広く「問題提起」という風に解釈しています。
Posted by 夢想花
at 2008年06月05日 22:55

新聞やテレビを見ていると、こうして生まれた崩壊家庭が凶悪犯罪の温床になっている現実も否定できない。婚外子の人権擁護も大切ですが、不幸な出生を奨励する結果を危惧する。
Posted by 罵愚 at 2008年06月06日 14:11
罵愚さん、コメント有り難うございます。テレビで報道されていたのですが、父( 日本人)と母(フィリピン人)の間に子どもが生まれて家庭を営み、父子関係は日常的に現実にあった、しかし、父は日本に戸籍上の妻がいてなかなか離婚が成立しないままに、父親が亡くなって、フィリピン人の妻との間に法的な婚姻関係が成立しないまま、母子が取り残されたという事例がありました。この背景はどのようなものであったのかは報道されませんでしたが、倫理的に非難される・避難に値しない、さまざまな理由があるのではないでしょうか? 日本人同士の夫婦でも、婚姻関係が事実上崩壊して何年も経過しているけれど、法的には継続している例もあるようです。こういう場合も、非難に値すると言われれば、それまでですが、一概に、言えない場合もあると思います。それに、子どもにその責めを負わせて、国籍のない不利益を負わせていいものか・・・? 子どもの権利と、婚姻の倫理性の保持は、基本的には別のものだと思います。婚姻の倫理性の保持は、両当事者の努力、社会で発言権を持っている大人の責任だと思います。大人の問題のツケを、子どもに背負わせていいのでしょうか?
Posted by 夢想花
at 2008年06月06日 19:31

罵愚さんへ、私の先ほどのコメントに加えて、崩壊家庭が凶悪犯罪の温床になっている可能性はよく言われて、私もある程度は承知できますが、それが決定的要因であるとは言いきれない、と思っています。家庭崩壊という状況の中でも、立派に成人し、素晴らしい人格を持っている青年を数多く知っています。犯罪と家庭、犯罪と社会、犯罪と病理・・・さまざまな観点から、犯罪を分析して、社会を造っている私達が、自分として何をしていけばよいのか・・・そういうことの積み重ねが、犯罪を減らしていくことにつながるのではないでしょうか? かく言う私も、明確な分析をできている訳ではありません。ただ犯罪の要因を、一つでも減らせたら、と考えて、微力ですが、行動しています。エラそうに言ってすみません。
Posted by 夢想花
at 2008年06月06日 19:50

法の背景にはそれを支える理念とか倫理観があると思うのですが、家族法の背景には両性の合意によった契約関係としての婚姻関係を肯定して成立している。婚外子の存在は、それが生まれる過程をふくめて、その法の理念に反しているわけです。法を否定したものが、法の保護を求めることはできない、の論理で法的差別があったのですが「生まれてくる子供に罪はない」の良識が勝って、今回の判決に結びついている。わたしは、これはよかったと思います。そこまでは、あなたと意見を共有しています。
問題は、しかし、この判決は婚外子と呼ぶ被害者を救済しながら、法の倫理に違反した両親には無関心です。さらに、両親の配偶者や家族の法的利益にも無関心です。
日本人の性倫理の変化に敏感に反応しながら、それが治安の悪化におよぼしている影響には鈍感です。それは法の限界なのかもしれませんが、それなら、それを補完するべきジャーナリズムや、わたしたちブロガーの役目なのかもしれません。
問題は、しかし、この判決は婚外子と呼ぶ被害者を救済しながら、法の倫理に違反した両親には無関心です。さらに、両親の配偶者や家族の法的利益にも無関心です。
日本人の性倫理の変化に敏感に反応しながら、それが治安の悪化におよぼしている影響には鈍感です。それは法の限界なのかもしれませんが、それなら、それを補完するべきジャーナリズムや、わたしたちブロガーの役目なのかもしれません。
Posted by 罵愚 at 2008年06月07日 04:17
罵愚さん、ご意見有り難うございます。子どもの権利実現については、共通する考えであることは、分かりました。後半の、性倫理に関しては、次のように述べさせて頂きます。昔は、性については厳しい世間の目というのがあって、相当、規制していた。しかし、その一方では、封建的な考え方からくる女性差別的なものがあって、金力や権力や腕力を持つ男の甲斐性みたいな言われ方をして、男の横着さを肯定するような向きもあったように思います。だから、平気でセクハラみたいなことが、映画でも描かれ、社会でもけっこうあった。そういう風に記憶しています。近年、人権思想の高まりの中で男女平等が進み、公的には、女性をおとしめるようなことは否定されます。しかし、昔からの考え方の残滓があるのと、近年の金儲けのためなら、なんでもありの、性を商品化する、その結果としての性道徳の退廃は、判断力が十分育っていない青少年を蝕んでいるように、思います。昔もよい・悪い両面があり、今の社会もよい・悪い両面があります。あなたは、ジャ-ナリズムやブロガーの役割を言われましたが、同時に、世間も大事だと思います。今は、多くの地域で“世間”が半(?)崩壊状態で、他人に関心を持たない方がトク、みたいなところがあります。私は、新しい「井戸端会議」みたいなものがあって、老若男女が、ややお節介でも、昔のように悪口・噂話みたいな人権感覚やや ? のではなくて、人権感覚も持ちながら、子育てや料理や生き方みたいなものを話し合う。。。そういう「世間」を夢想しています。お互いに愚痴もこぼせて、年寄りの生活の知恵や若い人の感性を、お互いに学び合う。そういう社会が、日本中にできていっtら、孤立やストレスから来る犯罪は、相当減ると思います。そういう中で、倫理観も共有できるのではないか?
学校教育も、もちろん大事です。ただ、高い倫理観を持てた人が、そうでない人を批判するだけでは、思いは届かないと思います。人間というのは、お互いに、永遠に未熟であって、高齢者の犯罪や政治家の汚職や霞ヶ関のエリート公務員の「居酒屋タクシー」に見られる感覚の麻痺、出来心、横着心、さらに社会の矛盾、家庭の問題も、・・・お互いに、学び合って、社会全体の倫理性を高めていくために、どうしていくか。考えていかねばならない課題だと思います。私も、決定打というものはありませんし、少しでも、安心して暮らせる街づくりにお手伝いしたいと、できることで微力を出しています。的確にお応えできていませんが・・・。
学校教育も、もちろん大事です。ただ、高い倫理観を持てた人が、そうでない人を批判するだけでは、思いは届かないと思います。人間というのは、お互いに、永遠に未熟であって、高齢者の犯罪や政治家の汚職や霞ヶ関のエリート公務員の「居酒屋タクシー」に見られる感覚の麻痺、出来心、横着心、さらに社会の矛盾、家庭の問題も、・・・お互いに、学び合って、社会全体の倫理性を高めていくために、どうしていくか。考えていかねばならない課題だと思います。私も、決定打というものはありませんし、少しでも、安心して暮らせる街づくりにお手伝いしたいと、できることで微力を出しています。的確にお応えできていませんが・・・。
Posted by 夢想花
at 2008年06月07日 06:23

いや、あなたの思いはよく伝わってまいりました。その井戸端会議のメンバーたちが共有できる倫理観、生活の価値観、家族観、家庭に対する共通認識とでも呼ぶようなものをベースにして考えると、念願の最高裁判決を勝ちとった記者会見は…我が家にたとえてみれば、七五三の記念写真のようなものでしょう。どうして、父親不在の写真になってしまうのでしょうか?晴れて、認められた父親が、逃げかくれする理由を、井戸端会議で詮索してみせてください。
Posted by 罵愚 at 2008年06月11日 06:21
七五三の記念写真の意味が分かりませんが、父親については、別に肩を持つ必要もないのですが、それぞれ恐らく個別にある事情をひとくくりにして、評価するのは正確でない、と思います。倫理性の保持のために、法で規制することは、別の問題が出てきます。ともすれば市民の生活道徳から逸脱しがちな人を、どう仲間に迎えていくか、長い目で見れば、「北風より太陽を」では、見方が甘いですかねぇ。
Posted by 夢想花
at 2008年06月11日 06:39

10人の子供たちの、誰一人として父親は出てこなかった現実は「個別にある事情」ではなかったことを、明瞭に証明しています。わたしが「ひとくくり」にしたのではなくって、事実として一種類だった。あなたの事実認識は、ゆがんでいませんか?
お日さまがほほえんでも、ゲジゲジ虫は暗いところに逃げ込んで、出てこなかった。その事実を、画像は明瞭に訴えていました。あのニュースは言語では伝えられなかった、かくされた真実を画像で明確に描写していました。
でもね、そんないやみを言うのが、わたしの目的ではありません。あなたのようなやさしい良心をくすぐって、判断を誤らせる何かが、あるように思う。
この事件でいうと、結果としての差別の救済は、あなたの考えるとおりの方法でいいと思う。しかし、原因としての、家族制度が崩壊して、個人がアトム化されてしまうような風潮…いきすぎた個人主義については、もう一度、考えてみる必要があるのではないのでしょうか?
秋葉原の事件でも垣間見せた、崩壊家庭が放出するアトム化された個人の孤独が、個人の問題ではなくて、社会問題になっている。それを、戦後社会改革の負の遺産とみなした、再評価の時代だと思う。
お日さまがほほえんでも、ゲジゲジ虫は暗いところに逃げ込んで、出てこなかった。その事実を、画像は明瞭に訴えていました。あのニュースは言語では伝えられなかった、かくされた真実を画像で明確に描写していました。
でもね、そんないやみを言うのが、わたしの目的ではありません。あなたのようなやさしい良心をくすぐって、判断を誤らせる何かが、あるように思う。
この事件でいうと、結果としての差別の救済は、あなたの考えるとおりの方法でいいと思う。しかし、原因としての、家族制度が崩壊して、個人がアトム化されてしまうような風潮…いきすぎた個人主義については、もう一度、考えてみる必要があるのではないのでしょうか?
秋葉原の事件でも垣間見せた、崩壊家庭が放出するアトム化された個人の孤独が、個人の問題ではなくて、社会問題になっている。それを、戦後社会改革の負の遺産とみなした、再評価の時代だと思う。
Posted by 罵愚 at 2008年06月13日 03:57
罵愚さん、崩壊・半崩壊の家庭は、今、何処にでもある状況です。さらに地域社会の崩壊・半崩壊の状況、金儲けのためなら何でもありみたいな《刺激》と《誘惑》の氾濫、そいて未来への展望を失わせる政策等々、日本社会に亀裂を走らせるような状況が、現出しています。
どうすればいいのでしょうか? 議論だけでは解決しないと言われそうですが、まず議論して、みんなで意識して、そのために私のブログでも、意見交換をしたいと思っています。
あなたのブログに「引用自由」とありますので、あなたの上の文の一部を、私のブログの文に使わせて頂きます。甘いかも知れないけど、少しずつでも、お互いまわりのことに関心を持って、声を掛け合い、助け合う社会を造っていかねばならない。
どうすればいいのでしょうか? 議論だけでは解決しないと言われそうですが、まず議論して、みんなで意識して、そのために私のブログでも、意見交換をしたいと思っています。
あなたのブログに「引用自由」とありますので、あなたの上の文の一部を、私のブログの文に使わせて頂きます。甘いかも知れないけど、少しずつでも、お互いまわりのことに関心を持って、声を掛け合い、助け合う社会を造っていかねばならない。
Posted by 夢想花
at 2008年06月13日 06:40

罵愚さん、コメント有り難うございます。あなたの言われる家庭と犯罪の統計的なことも含めて、因果関係のようなことについては、私が、現時点では確信を持てませんので、公表を見送らせて頂きます。あなたの言われたことを、さらに勉強させて頂きます。
Posted by 夢想花
at 2008年06月15日 20:16

※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。