2020年08月16日
太平洋戦争終結後75年全国戦没者追悼式。二度と戦争の惨禍を起こさない、起こさせない! 振り返りたい、平和を誓いたいです。
昨日は、
あの、凄絶な太平洋戦争終結から75年
多くの人の命が奪われ、
人生が蹂躙され、
今も、その後遺症は、
我が国のあちこちに、
外地に、影を一杯遺しています。
終戦の1945年8月15日、
私は、2歳の赤子でした。
今まで、いろいろ聞いて
ニュース映画等で見て、
戦争の事を知ってるようで、
知らない私です。
そこで、まず、
ヤフー・ニュース
どれだけ知っていますか?
ビジュアルで見る太平洋戦争 です、
https://news.yahoo.co.jp/feature/1784
そして、
昨日行われた
政府主催の「全国戦没者追悼式」の模様 です。
https://news.yahoo.co.jp/articles/eddddb07e85314d8f2c39b77ccc2d1621b41a74b
<天皇のお言葉です。>
本日、戦没者を追悼し平和を祈念する日にあたり、
全国戦没者追悼式に臨み、
先の大戦において
かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、
深い悲しみを新たにいたします。
終戦以来75年、
人々のたゆみない努力により、
今日の我が国の平和と繁栄が築きあげられましたが、
多くの苦難に満ちた国民の歩みを思うとき、
誠に感慨深いものがあります。
私たちは今、
新型コロナウイルス感染症の感染拡大により、
新たな苦難に直面していますが、
私たち皆が手をともに携えて、
この困難な状況を乗り越え、
今後とも人々の幸せと平和を希求し続けることを
心から願います。
ここに
戦後の長きに渡る平和な歳月に思いを致しつつ、
過去を顧み、深い反省の上に立って、
再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、
戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、
全国民とともに心から追悼の意を表し、
世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。
そして、式の中で、
遺族代表の当時5歳だった
杉山英夫さん(82歳)が、
召集令状が届いた日の
父親甚作さんの思い出を、
次のように、語っておられます。
終戦から75年がたち遺族の高齢化が進む中、
戦争遺族を二度と出さない、と、
静岡県遺族会では、後継者育成に取り組んでいる。
1943年3月、
自宅で農作業の準備をしていた父のもとに召集令状が届いた。
当時杉山さんは5歳。
父の記憶は少ないが、この日の声は忘れられないという。
父は浜松市の高射砲連隊などを経てフィリピンに渡り、
45年6月に同国ルソン島で戦死した。
父の死を知ったのは終戦から数年後。
周囲が続々と復員し、
父もそのうち帰ってくるんじゃないか、と思っていたが、
自宅には紙の入ったつぼが届いただけだった。
近所の復員兵らに可愛がられて育ったものの、
生き方に悩んだ若い頃は、
父がいれば相談に乗ってくれただろうに」とつらい思いをした。
父の最期の地を訪ねたのは2013年だった。
緑豊かな場所で、
海の中や何もないところではなく、環境の良いところで休んでいるのか、
と安らかな気持ちで手を合わせた。
今回の悼辞も、
父らすべての戦没者に慰霊の思いが届くよう、
なるべく大きな声で読み上げたつもりです。
杉山さんが会長を務める静岡県遺族会では、
遺族の高齢化による記憶の風化を防ごうと、
後継者を育てる研修会を今年度から始める。
現在は新型コロナウイルスの流行により準備段階で中断しているが、
戦争を二度とせず、
われわれのような遺族を二度と出さない事が
今の遺族会の目的です。
戦争の悲惨さを、思うにつけ。
当時の為政者の誤った判断が、
民衆を巻き込み、
多くの人の人生を、惨禍に追い込んだ、
為政者の我執・誤った判断、に行き当たります。
主権在民国家の日本で、
私たちが、
政治をどう見詰めて、
判断するか?
私たち民衆の声発信や政治への関心を
切望しつつ、
戦争について語りたい、戦後の日本を
見詰めて来た私の願いです。m(__)m
※ なお、このブログで、
戦争、に触れた号 です。
さまざま述べていますので、
ぜひ、クリックをお願いします。m(__)m
https://poeny.shiga-saku.net/search.php?csrf=2b378d166e5be639950063706e09388d2c4b0b22&search=%E6%88%A6%E4%BA%89
あの、凄絶な太平洋戦争終結から75年
多くの人の命が奪われ、
人生が蹂躙され、
今も、その後遺症は、
我が国のあちこちに、
外地に、影を一杯遺しています。
終戦の1945年8月15日、
私は、2歳の赤子でした。
今まで、いろいろ聞いて
ニュース映画等で見て、
戦争の事を知ってるようで、
知らない私です。
そこで、まず、
ヤフー・ニュース
どれだけ知っていますか?
ビジュアルで見る太平洋戦争 です、
https://news.yahoo.co.jp/feature/1784
そして、
昨日行われた
政府主催の「全国戦没者追悼式」の模様 です。
https://news.yahoo.co.jp/articles/eddddb07e85314d8f2c39b77ccc2d1621b41a74b
<天皇のお言葉です。>
本日、戦没者を追悼し平和を祈念する日にあたり、
全国戦没者追悼式に臨み、
先の大戦において
かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、
深い悲しみを新たにいたします。
終戦以来75年、
人々のたゆみない努力により、
今日の我が国の平和と繁栄が築きあげられましたが、
多くの苦難に満ちた国民の歩みを思うとき、
誠に感慨深いものがあります。
私たちは今、
新型コロナウイルス感染症の感染拡大により、
新たな苦難に直面していますが、
私たち皆が手をともに携えて、
この困難な状況を乗り越え、
今後とも人々の幸せと平和を希求し続けることを
心から願います。
ここに
戦後の長きに渡る平和な歳月に思いを致しつつ、
過去を顧み、深い反省の上に立って、
再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、
戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、
全国民とともに心から追悼の意を表し、
世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。
そして、式の中で、
遺族代表の当時5歳だった
杉山英夫さん(82歳)が、
召集令状が届いた日の
父親甚作さんの思い出を、
次のように、語っておられます。
終戦から75年がたち遺族の高齢化が進む中、
戦争遺族を二度と出さない、と、
静岡県遺族会では、後継者育成に取り組んでいる。
1943年3月、
自宅で農作業の準備をしていた父のもとに召集令状が届いた。
当時杉山さんは5歳。
父の記憶は少ないが、この日の声は忘れられないという。
父は浜松市の高射砲連隊などを経てフィリピンに渡り、
45年6月に同国ルソン島で戦死した。
父の死を知ったのは終戦から数年後。
周囲が続々と復員し、
父もそのうち帰ってくるんじゃないか、と思っていたが、
自宅には紙の入ったつぼが届いただけだった。
近所の復員兵らに可愛がられて育ったものの、
生き方に悩んだ若い頃は、
父がいれば相談に乗ってくれただろうに」とつらい思いをした。
父の最期の地を訪ねたのは2013年だった。
緑豊かな場所で、
海の中や何もないところではなく、環境の良いところで休んでいるのか、
と安らかな気持ちで手を合わせた。
今回の悼辞も、
父らすべての戦没者に慰霊の思いが届くよう、
なるべく大きな声で読み上げたつもりです。
杉山さんが会長を務める静岡県遺族会では、
遺族の高齢化による記憶の風化を防ごうと、
後継者を育てる研修会を今年度から始める。
現在は新型コロナウイルスの流行により準備段階で中断しているが、
戦争を二度とせず、
われわれのような遺族を二度と出さない事が
今の遺族会の目的です。
戦争の悲惨さを、思うにつけ。
当時の為政者の誤った判断が、
民衆を巻き込み、
多くの人の人生を、惨禍に追い込んだ、
為政者の我執・誤った判断、に行き当たります。
主権在民国家の日本で、
私たちが、
政治をどう見詰めて、
判断するか?
私たち民衆の声発信や政治への関心を
切望しつつ、
戦争について語りたい、戦後の日本を
見詰めて来た私の願いです。m(__)m
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presented by
パッヘルベルによろしく http://news.nifty.com/cs/world/chinadetail/rcdc-20100305001/1.htm"> presented by 地球の名言 http://news.nifty.com/cs/world/chinadetail/rcdc-20100305001/1.htm
真夜中に、目が覚めて、今日は土曜日、楽しみの吉本新喜劇の舞台放送の日! 人生行路の意味を、噛み締めなくちゃ~~~~~!
高齢者の転倒骨折問題注意点をブログに載せてよろしいか?と医療法人様に問い合わせたら認めますとのご返信、有難うございます。
戦時中ネット通信に無縁の時期に生まれた私、ネット社会との付き合い方に、戸惑い、しかし興味ある高齢の私デス。
雨模様の今日、老人の生き方につての、素晴らしい、お医者様の動画に出会えました。有難うございます。頑張ります。
吃驚!江藤農相は佐賀市の党県連で、私はコメを買ったことは無い。支援者に貰って売るほどあると講演、への思いに??デス。
テレビでは、明暗様々な行為が報道されています。大切な人生行路に誤りなきよう、美空ひばりさんの名曲を、お聴き下さい。
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夢想花
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