今日、木下容子ワイド・スクランブル、でも、
討議されていましたが、
自衛隊を巡る、岸田内閣の姿勢、
政界の意見、について、
私なりに、思う事を述べたいと
思います。
現内閣や、
政界人の中には、
日本国憲法第九条を改憲して
自衛隊を、
第九条に加えるという
動きも、見られます。
自衛隊が、
警察予備隊、として
発足したのが、
1952(昭和27)年、
私が、小学生2年、の時でした。
当時、小学校の先生が、
憲法第九条の平和主義の大切さと
当時、文部省発行の副読本
「新しいい憲法の話」を
警察予備隊として発足した
自衛隊の意義を、
私たち小学生に、
学級で、講堂で、教えて下さったのを
覚えています。
子ども心なりに、
平和の大切さと、
自衛隊発足の意味を
一生懸命、考えました。
あれから、70年---
戦争を知らない世代の人が、増え、
政治家の中にも、
改憲を主張し、
何とか、国民投票に
持って行こう、とする
動きも、顕著に
成って来て、います。
子ども心なりの記憶なので
あやふやな記憶があるかも
知れませんが、
どうか、
自衛発足の経過と、
自衛隊を志す若者が、
真に、平和への思いを実現できますよう、
一時(いっとき)の思い込みで、
殉職者の増えない、日本でありますよう、
日本国憲法前文と第九条の大切さを
訴えたい、70年前
感動的な授業を受けた、
今も、大切に思っている一老の
ご提起と切望です。m(__)m
次号以降、適宜、新しい憲法の話に
触れます。
これからの。平和と安寧に関わる
日本国憲法へ関心を、
お持ち下さいますよう、
お願いします。m(__)m
※ このブログで、
日本国憲法、に触れた号です。
クリックをお願いします。m(__)m
https://poeny.shiga-saku.net/search.php?csrf=5ca23cf32f5d977a52f401546441052d757b775b&search=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%9B%BD%E6%86%B2%E6%B3%95
討議されていましたが、
自衛隊を巡る、岸田内閣の姿勢、
政界の意見、について、
私なりに、思う事を述べたいと
思います。
現内閣や、
政界人の中には、
日本国憲法第九条を改憲して
自衛隊を、
第九条に加えるという
動きも、見られます。
自衛隊が、
警察予備隊、として
発足したのが、
1952(昭和27)年、
私が、小学生2年、の時でした。
当時、小学校の先生が、
憲法第九条の平和主義の大切さと
当時、文部省発行の副読本
「新しいい憲法の話」を
警察予備隊として発足した
自衛隊の意義を、
私たち小学生に、
学級で、講堂で、教えて下さったのを
覚えています。
子ども心なりに、
平和の大切さと、
自衛隊発足の意味を
一生懸命、考えました。
あれから、70年---
戦争を知らない世代の人が、増え、
政治家の中にも、
改憲を主張し、
何とか、国民投票に
持って行こう、とする
動きも、顕著に
成って来て、います。
子ども心なりの記憶なので
あやふやな記憶があるかも
知れませんが、
どうか、
自衛発足の経過と、
自衛隊を志す若者が、
真に、平和への思いを実現できますよう、
一時(いっとき)の思い込みで、
殉職者の増えない、日本でありますよう、
日本国憲法前文と第九条の大切さを
訴えたい、70年前
感動的な授業を受けた、
今も、大切に思っている一老の
ご提起と切望です。m(__)m
次号以降、適宜、新しい憲法の話に
触れます。
これからの。平和と安寧に関わる
日本国憲法へ関心を、
お持ち下さいますよう、
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夜が明けて、断続的に、
2時間ほど、
パソコンで、あちこち、検索して
求めて・
やっと、滋賀咲くブログ、に到達しました。
あとは、コンスタントに、
この画面に着けるよう、
2時間ほどの検索のテク(技)を
私の“実力”にしなきゃ~~!
と、ほっっとしたり、疲れがでたり・・・
そこで、前号では、十分、お伝え出来なかった
広島市長の平和宣言 です。
広島市は毎年8月6日に、原爆死没者への追悼とともに核兵器廃絶と世界恒久平和の実現を願って平和記念式典を行い、広島市長が「平和宣言」を世界に向けて発表しています。広島・長崎の悲惨な体験を再び世界の人々が経験することのないよう、核兵器をこの地球上からなくし、いつまでも続く平和な世界を確立しようと、これからも平和宣言は訴え続けていきます。
平和宣言
76年前の今日、我が故郷は、一発の原子爆弾によって一瞬で焦土と化し、罪のない多くの人々に惨(むご)たらしい死をもたらしただけでなく、辛うじて生き延びた人々も、放射線障害や健康不安、さらには生活苦など、その生涯に渡って心身に深い傷を残しました。被爆後に女の子を生んだ被爆者は、「原爆の恐ろしさが分かってくると、その影響を思い、我が身よりも子どもへの思いがいっぱいで、悩み、心の苦しみへと変わっていく。娘の将来のことを考えると、一層苦しみが増し、夜も眠れない日が続いた。」と語ります。
「こんな思いは他の誰にもさせてはならない」、これは思い出したくもない辛く悲惨な体験をした被爆者が、放射線を浴びた自身の身体(からだ)の今後や子どもの将来のことを考えざるを得ず、不安や葛藤、苦悩から逃れられなくなった挙句に発した願いの言葉です。被爆者は、自らの体験を語り、核兵器の恐ろしさや非人道性を伝えるとともに、他人を思いやる気持ちを持って、平和への願いを発信してきました。こうした被爆者の願いや行動が、75年という歳月を経て、ついに国際社会を動かし、今年1月22日、核兵器禁止条約の発効という形で結実しました。これからは、各国為政者がこの条約を支持し、それに基づき、核の脅威のない持続可能な社会の実現を目指すべきではないでしょうか。
今、新型コロナウイルスが世界中に蔓延し、人類への脅威となっており、世界各国は、それを早期に終息させる方向で一致し、対策を講じています。その世界各国が、戦争に勝利するために開発され、人類に凄惨(せいさん)な結末をもたらす脅威となってしまった核兵器を、一致協力して廃絶できないはずはありません。持続可能な社会の実現のためには、人々を無差別に殺害する核兵器との共存はあり得ず、完全なる撤廃に向けて人類の英知を結集する必要があります。
核兵器廃絶の道のりは決して平坦ではありませんが、被爆者の願いを引き継いだ若者が行動し始めていることは未来に向けた希望の光です。あの日、地獄を見たと語る被爆者は、「たとえ小さなことからでも、一人一人が平和のためにできることを行い、かけがえのない平和を守り続けてもらいたい。」と、未来を担う若者に願いを託します。これからの若い人にお願いしたいことは、身の回りの大切な人が豊かで健やかな人生を送るためには、核兵器はあってはならないという信念を持ち、それをしっかりと発信し続けることです。
若い人を中心とするこうした行動は、必ずや各国の為政者に核抑止政策の転換を決意させるための原動力になることを忘れてはいけません。被爆から3年後の広島を訪れ、復興を目指す市民を勇気づけたヘレン・ケラーさんは、「一人でできることは多くないが、皆一緒にやれば多くのことを成し遂げられる。」という言葉で、個々の力の結集が、世界を動かす原動力となり得ることを示しています。為政者を選ぶ側の市民社会に平和を享受するための共通の価値観が生まれ、人間の暴力性を象徴する核兵器はいらないという声が市民社会の総意となれば、核のない世界に向けての歩みは確実なものになっていきます。被爆地広島は、引き続き、被爆の実相を「守り」、国境を越えて「広め」、次世代に「伝える」ための活動を不断に行い、世界の165か国・地域の8,000を超える平和首長会議の加盟都市と共に、世界中で平和への思いを共有するための文化、「平和文化」を振興し、為政者の政策転換を促す環境づくりを進めていきます。
核軍縮議論の停滞により、核兵器を巡る世界情勢が混迷の様相を呈する中で、各国の為政者に強く求めたいことがあります。それは、他国を脅すのではなく思いやり、長期的な友好関係を作り上げることが、自国の利益につながるという人類の経験を理解し、核により相手を威嚇し、自分を守る発想から、対話を通じた信頼関係をもとに安全を保障し合う発想へと転換するということです。そのためにも、被爆地を訪れ、被爆の実相を深く理解していただいた上で、核兵器不拡散条約に義務づけられた核軍縮を誠実に履行するとともに、核兵器禁止条約を有効に機能させるための議論に加わっていただきたい。
日本政府には、被爆者の思いを誠実に受け止めて、一刻も早く核兵器禁止条約の締約国となるとともに、これから開催される第1回締約国会議に参加し、各国の信頼回復と核兵器に頼らない安全保障への道筋を描ける環境を生み出すなど、核保有国と非核保有国の橋渡し役をしっかりと果たしていただきたい。また、平均年齢が84歳近くとなった被爆者を始め、心身に悪影響を及ぼす放射線により、生活面で様々な苦しみを抱える多くの人々の苦悩に寄り添い、黒い雨体験者を早急に救済するとともに、被爆者支援策の更なる充実を強く求めます。
本日、被爆76周年の平和記念式典に当たり、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、核兵器廃絶とその先にある世界恒久平和の実現に向け、被爆地長崎、そして思いを同じくする世界の人々と手を取り合い、共に力を尽くすことを誓います。
令和3年(2021年)8月6日
読みやすくする為、
色、等を付けましたが、
ご理解を、お願いします。m(__)m
※ このブログで、
原爆、に触れた号です。
クリックをお願いします。m(__)m
https://poeny.shiga-saku.net/search.php?csrf=6fadf404d52bd4bb3003ddc8651bd2a71330976a&search=%E5%8E%9F%E7%88%86
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そこで、前号では、十分、お伝え出来なかった
広島市長の平和宣言 です。
広島市は毎年8月6日に、原爆死没者への追悼とともに核兵器廃絶と世界恒久平和の実現を願って平和記念式典を行い、広島市長が「平和宣言」を世界に向けて発表しています。広島・長崎の悲惨な体験を再び世界の人々が経験することのないよう、核兵器をこの地球上からなくし、いつまでも続く平和な世界を確立しようと、これからも平和宣言は訴え続けていきます。
平和宣言
76年前の今日、我が故郷は、一発の原子爆弾によって一瞬で焦土と化し、罪のない多くの人々に惨(むご)たらしい死をもたらしただけでなく、辛うじて生き延びた人々も、放射線障害や健康不安、さらには生活苦など、その生涯に渡って心身に深い傷を残しました。被爆後に女の子を生んだ被爆者は、「原爆の恐ろしさが分かってくると、その影響を思い、我が身よりも子どもへの思いがいっぱいで、悩み、心の苦しみへと変わっていく。娘の将来のことを考えると、一層苦しみが増し、夜も眠れない日が続いた。」と語ります。
「こんな思いは他の誰にもさせてはならない」、これは思い出したくもない辛く悲惨な体験をした被爆者が、放射線を浴びた自身の身体(からだ)の今後や子どもの将来のことを考えざるを得ず、不安や葛藤、苦悩から逃れられなくなった挙句に発した願いの言葉です。被爆者は、自らの体験を語り、核兵器の恐ろしさや非人道性を伝えるとともに、他人を思いやる気持ちを持って、平和への願いを発信してきました。こうした被爆者の願いや行動が、75年という歳月を経て、ついに国際社会を動かし、今年1月22日、核兵器禁止条約の発効という形で結実しました。これからは、各国為政者がこの条約を支持し、それに基づき、核の脅威のない持続可能な社会の実現を目指すべきではないでしょうか。
今、新型コロナウイルスが世界中に蔓延し、人類への脅威となっており、世界各国は、それを早期に終息させる方向で一致し、対策を講じています。その世界各国が、戦争に勝利するために開発され、人類に凄惨(せいさん)な結末をもたらす脅威となってしまった核兵器を、一致協力して廃絶できないはずはありません。持続可能な社会の実現のためには、人々を無差別に殺害する核兵器との共存はあり得ず、完全なる撤廃に向けて人類の英知を結集する必要があります。
核兵器廃絶の道のりは決して平坦ではありませんが、被爆者の願いを引き継いだ若者が行動し始めていることは未来に向けた希望の光です。あの日、地獄を見たと語る被爆者は、「たとえ小さなことからでも、一人一人が平和のためにできることを行い、かけがえのない平和を守り続けてもらいたい。」と、未来を担う若者に願いを託します。これからの若い人にお願いしたいことは、身の回りの大切な人が豊かで健やかな人生を送るためには、核兵器はあってはならないという信念を持ち、それをしっかりと発信し続けることです。
若い人を中心とするこうした行動は、必ずや各国の為政者に核抑止政策の転換を決意させるための原動力になることを忘れてはいけません。被爆から3年後の広島を訪れ、復興を目指す市民を勇気づけたヘレン・ケラーさんは、「一人でできることは多くないが、皆一緒にやれば多くのことを成し遂げられる。」という言葉で、個々の力の結集が、世界を動かす原動力となり得ることを示しています。為政者を選ぶ側の市民社会に平和を享受するための共通の価値観が生まれ、人間の暴力性を象徴する核兵器はいらないという声が市民社会の総意となれば、核のない世界に向けての歩みは確実なものになっていきます。被爆地広島は、引き続き、被爆の実相を「守り」、国境を越えて「広め」、次世代に「伝える」ための活動を不断に行い、世界の165か国・地域の8,000を超える平和首長会議の加盟都市と共に、世界中で平和への思いを共有するための文化、「平和文化」を振興し、為政者の政策転換を促す環境づくりを進めていきます。
核軍縮議論の停滞により、核兵器を巡る世界情勢が混迷の様相を呈する中で、各国の為政者に強く求めたいことがあります。それは、他国を脅すのではなく思いやり、長期的な友好関係を作り上げることが、自国の利益につながるという人類の経験を理解し、核により相手を威嚇し、自分を守る発想から、対話を通じた信頼関係をもとに安全を保障し合う発想へと転換するということです。そのためにも、被爆地を訪れ、被爆の実相を深く理解していただいた上で、核兵器不拡散条約に義務づけられた核軍縮を誠実に履行するとともに、核兵器禁止条約を有効に機能させるための議論に加わっていただきたい。
日本政府には、被爆者の思いを誠実に受け止めて、一刻も早く核兵器禁止条約の締約国となるとともに、これから開催される第1回締約国会議に参加し、各国の信頼回復と核兵器に頼らない安全保障への道筋を描ける環境を生み出すなど、核保有国と非核保有国の橋渡し役をしっかりと果たしていただきたい。また、平均年齢が84歳近くとなった被爆者を始め、心身に悪影響を及ぼす放射線により、生活面で様々な苦しみを抱える多くの人々の苦悩に寄り添い、黒い雨体験者を早急に救済するとともに、被爆者支援策の更なる充実を強く求めます。
本日、被爆76周年の平和記念式典に当たり、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、核兵器廃絶とその先にある世界恒久平和の実現に向け、被爆地長崎、そして思いを同じくする世界の人々と手を取り合い、共に力を尽くすことを誓います。
令和3年(2021年)8月6日
読みやすくする為、
色、等を付けましたが、
ご理解を、お願いします。m(__)m
※ このブログで、
原爆、に触れた号です。
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今日、6月23日は、
沖縄県戦没者を追悼する日です。
そこで、
琉球新報DIGITAL版 です。
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1342620.html
まず、
沖縄県玉城デニー知事の平和宣言 です。
【全文】平和宣言(玉城デニー沖縄県知事)2021年度沖縄全戦没者追悼式
2021年6月23日 12:30
平和宣言 (要旨)
太平洋戦争最後の熾烈(しれつ)な地上戦が行われてから、76年目の 6月23日を迎えました。
荒れ狂う戦火は、20万人余りの尊い命を奪い去り、多くの 人々を傷つけ、かけがえのない文化遺産や美しい自然を破壊 しました。
私たちは、想像を絶する悲惨な沖縄戦の記憶を風化させることなく、亡くなられた方々の悲しみや苦しみに思いを寄せ、無念の声を代弁する戦争体験者の証言を後世に語り継 ぎ、平和がいかに尊いものかという人類普遍の教訓を胸に刻み、恒久平和の実現を強く求めながら、復興と発展の道を懸命に歩んでまいりました。
しかしながら、今もなおここ摩文仁を始め県土の各地には、犠牲になられた方々の御遺骨や多くの不発弾が埋もれており、戦争の傷は未だ癒えることがありません。
県民の思いに寄り添い、国の責任において一日も早い御遺骨の収集、不発弾の処理を行っていただきたいと思います。
また、国土面積の約0.6パーセントの沖縄県に米軍専用施設面積の約70.3パーセントが集中し続けていることにより、 騒音、環境問題、米軍関係の事件・事故が後を絶たない状況にあります。
SACO合意から25年が経過し、この間、アジア太平洋地域の安全保障環境が大きく変化し、米軍は部隊の分散化を進 めていると承知しております。
このような中、沖縄県が来年本土復帰50年という大きな節目を迎えるに当たり、日米両政府は、県を含めた積極的な協議の場を作っていただき、辺野古新基地建設が唯一の解決策 という考えにとらわれることなく、「新たな在沖米軍の整理 ・縮小のためのロードマップ」の作成と、目に見える形で沖縄の過重な基地負担の解消を図っていただくことを要望しま す。
ここ沖縄は、世界自然遺産登録に向けた取組を進める「奇跡の森やんばる」と呼ばれる希少な動植物が多く生息・生育する地域や、個性豊かな自然あふれる離島地域など、多様性に富む自然環境を有しています。
未来を担う子どもたち、若者たちに、自然豊かな沖縄、独自の文化が息づく沖縄、平和で真に豊かな世界に誇れる沖縄を託すことが私たちの責務であります。
一方、世界に目を向けると、依然として地域紛争は絶える ことがなく、貧困、飢餓、差別、人権侵害などの多くの問題が存在しています。
「愛の反対は憎しみではなく無関心です」という言葉があります。世界中の人々が連帯し、多様性や価値観の違いを認め合い、対立や分断ではなく、協力して共に歩み、乗り越えていくことが、今求められています。
まさに現在、新型コロナウイルス感染症の脅威にさらされ ている中においては、人々の命と生活を支えるため世界が協力していかなければなりません。
グローバル化した現代において、平和な社会を創造するためには、近隣諸国との相互理解が欠かせません。私たちは、 時間や場所を越え平和への思い、安らかな暮らしへの思いを紡ぎ共に分かち合うことが可能です。困難な状況の今こそ英知を結集し、誰一人取り残すことのない社会の実現に向けて共に歩んでいくことが重要ではないでしょうか。
かつて沖縄の人々は、長い歴史の中で、祖先への敬い、自然への畏敬の念、他者の痛みに寄り添うチムグクルを育むとともに、近隣諸国との交易を通じて友好関係を結び、独自の文化と平和な社会を築いてきました。
私たちは、世界の国々をつなぐ架け橋として活躍した先人の「万国津梁」の精神を受け継ぎ、沖縄の歴史と風土の中で培われた平和を何よりも大切にする「沖縄のこころ・チムグクル」を世界に発信していかなければなりません。
そして、戦争を体験した全ての方々の思いに応え、二度と悲劇を繰り返さないため、戦争体験や教訓を次の世代に正しく伝えていくことは、私たちの大切な使命です。
県民の思いを込め世界の恒久平和の創造に貢献することを目指す沖縄平和賞、平和につながる身近な社会貢献活動に光を当てたちゅらうちな一草の根平和貢献賞などにより、平和のバトンは、様々な活動をとおして人々の手から手へ託されながら未来につながっていきます。
また、沖縄と同様、悲惨な戦争体験などを持つアジア諸国 の若者と沖縄の若者が共に学ぶことで、国籍や文化の違いを超えてつながり、培った平和への思いを共有し、遠く離れて いても、「平和への架け橋」となるネットワークを築いてお ります。
私たちは、沖縄から世界へ平和の輪がつながっていくことを目指し、核兵器の廃絶、戦争の放棄、恒久平和の確立のため不断の努力を続けてまいります。
私の独断で、文字に色を付けたり
大文字にしたりしましたが、
あの戦争の惨禍を忘れる事なく、
未来世代の人たちに、語り継ぐ一環として
このブログでも、
アップさせて下さい。
中学生の少女の詩、
菅首相の言葉、等についても
次号以下
このブログでも、紹介させて
頂きたい、と思っています。
76年前、私は、2歳の赤子でした。
戦後学んだ、
日本国憲法の精神・・・
そして、以前、ブログ仲間さんと
沖縄を訪ねた時の思い出が
今も、鮮明に、よみがえります
。
※ このブログで、
沖縄、に触れた号です。
クリックをお願いします。m(__)m
https://poeny.shiga-saku.net/search.php?csrf=555abc3ab297b3c21ccb0d1e63575b3b873c1127&search=%E6%B2%96%E7%B8%84
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沖縄県戦没者を追悼する日です。
そこで、
琉球新報DIGITAL版 です。
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1342620.html
まず、
沖縄県玉城デニー知事の平和宣言 です。
【全文】平和宣言(玉城デニー沖縄県知事)2021年度沖縄全戦没者追悼式
2021年6月23日 12:30
平和宣言 (要旨)
太平洋戦争最後の熾烈(しれつ)な地上戦が行われてから、76年目の 6月23日を迎えました。
荒れ狂う戦火は、20万人余りの尊い命を奪い去り、多くの 人々を傷つけ、かけがえのない文化遺産や美しい自然を破壊 しました。
私たちは、想像を絶する悲惨な沖縄戦の記憶を風化させることなく、亡くなられた方々の悲しみや苦しみに思いを寄せ、無念の声を代弁する戦争体験者の証言を後世に語り継 ぎ、平和がいかに尊いものかという人類普遍の教訓を胸に刻み、恒久平和の実現を強く求めながら、復興と発展の道を懸命に歩んでまいりました。
しかしながら、今もなおここ摩文仁を始め県土の各地には、犠牲になられた方々の御遺骨や多くの不発弾が埋もれており、戦争の傷は未だ癒えることがありません。
県民の思いに寄り添い、国の責任において一日も早い御遺骨の収集、不発弾の処理を行っていただきたいと思います。
また、国土面積の約0.6パーセントの沖縄県に米軍専用施設面積の約70.3パーセントが集中し続けていることにより、 騒音、環境問題、米軍関係の事件・事故が後を絶たない状況にあります。
SACO合意から25年が経過し、この間、アジア太平洋地域の安全保障環境が大きく変化し、米軍は部隊の分散化を進 めていると承知しております。
このような中、沖縄県が来年本土復帰50年という大きな節目を迎えるに当たり、日米両政府は、県を含めた積極的な協議の場を作っていただき、辺野古新基地建設が唯一の解決策 という考えにとらわれることなく、「新たな在沖米軍の整理 ・縮小のためのロードマップ」の作成と、目に見える形で沖縄の過重な基地負担の解消を図っていただくことを要望しま す。
ここ沖縄は、世界自然遺産登録に向けた取組を進める「奇跡の森やんばる」と呼ばれる希少な動植物が多く生息・生育する地域や、個性豊かな自然あふれる離島地域など、多様性に富む自然環境を有しています。
未来を担う子どもたち、若者たちに、自然豊かな沖縄、独自の文化が息づく沖縄、平和で真に豊かな世界に誇れる沖縄を託すことが私たちの責務であります。
一方、世界に目を向けると、依然として地域紛争は絶える ことがなく、貧困、飢餓、差別、人権侵害などの多くの問題が存在しています。
「愛の反対は憎しみではなく無関心です」という言葉があります。世界中の人々が連帯し、多様性や価値観の違いを認め合い、対立や分断ではなく、協力して共に歩み、乗り越えていくことが、今求められています。
まさに現在、新型コロナウイルス感染症の脅威にさらされ ている中においては、人々の命と生活を支えるため世界が協力していかなければなりません。
グローバル化した現代において、平和な社会を創造するためには、近隣諸国との相互理解が欠かせません。私たちは、 時間や場所を越え平和への思い、安らかな暮らしへの思いを紡ぎ共に分かち合うことが可能です。困難な状況の今こそ英知を結集し、誰一人取り残すことのない社会の実現に向けて共に歩んでいくことが重要ではないでしょうか。
かつて沖縄の人々は、長い歴史の中で、祖先への敬い、自然への畏敬の念、他者の痛みに寄り添うチムグクルを育むとともに、近隣諸国との交易を通じて友好関係を結び、独自の文化と平和な社会を築いてきました。
私たちは、世界の国々をつなぐ架け橋として活躍した先人の「万国津梁」の精神を受け継ぎ、沖縄の歴史と風土の中で培われた平和を何よりも大切にする「沖縄のこころ・チムグクル」を世界に発信していかなければなりません。
そして、戦争を体験した全ての方々の思いに応え、二度と悲劇を繰り返さないため、戦争体験や教訓を次の世代に正しく伝えていくことは、私たちの大切な使命です。
県民の思いを込め世界の恒久平和の創造に貢献することを目指す沖縄平和賞、平和につながる身近な社会貢献活動に光を当てたちゅらうちな一草の根平和貢献賞などにより、平和のバトンは、様々な活動をとおして人々の手から手へ託されながら未来につながっていきます。
また、沖縄と同様、悲惨な戦争体験などを持つアジア諸国 の若者と沖縄の若者が共に学ぶことで、国籍や文化の違いを超えてつながり、培った平和への思いを共有し、遠く離れて いても、「平和への架け橋」となるネットワークを築いてお ります。
私たちは、沖縄から世界へ平和の輪がつながっていくことを目指し、核兵器の廃絶、戦争の放棄、恒久平和の確立のため不断の努力を続けてまいります。
私の独断で、文字に色を付けたり
大文字にしたりしましたが、
あの戦争の惨禍を忘れる事なく、
未来世代の人たちに、語り継ぐ一環として
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菅首相の言葉、等についても
次号以下
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頂きたい、と思っています。
76年前、私は、2歳の赤子でした。
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ローマ教皇フランシスコさんが、来日されて、
核兵器廃絶や
反戦、平和へのメッセージを、
長崎、広島、皇居等で、
語られています。
この映像を、クリックして下さい。m(_ _)m
https://search.yahoo.co.jp/video/search?p=%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E6%95%99%E7%9A%87&ei=UTF-8&mfb=P012&ts=19620&aq=1&oq=%E3%82%8D%E3%83%BC%E3%81%BE&at=s&ai=LJX120ruRZOlpIs9DAo4fA&fr=top_ga1_sa
お年は82歳、ですが、強行日程にも拘わらず、
長年の、被爆国日本への訪日への思いを胸に、
核兵器廃絶、戦争の悲惨さ、平和のたいせつさを、
訴えておられます。
訪日最終日には、安倍首相とも会談予定、
安倍首相も、平和への思いを、
きちんと受け止めて下さるよう、熱く注目、願う、
昭和18年うまれ、
戦後の日本の動きを目撃して来た、
老爺の熱い、熱い思いです。m(_ _)m
核兵器廃絶や
反戦、平和へのメッセージを、
長崎、広島、皇居等で、
語られています。
この映像を、クリックして下さい。m(_ _)m
https://search.yahoo.co.jp/video/search?p=%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E6%95%99%E7%9A%87&ei=UTF-8&mfb=P012&ts=19620&aq=1&oq=%E3%82%8D%E3%83%BC%E3%81%BE&at=s&ai=LJX120ruRZOlpIs9DAo4fA&fr=top_ga1_sa
お年は82歳、ですが、強行日程にも拘わらず、
長年の、被爆国日本への訪日への思いを胸に、
核兵器廃絶、戦争の悲惨さ、平和のたいせつさを、
訴えておられます。
訪日最終日には、安倍首相とも会談予定、
安倍首相も、平和への思いを、
きちんと受け止めて下さるよう、熱く注目、願う、
昭和18年うまれ、
戦後の日本の動きを目撃して来た、
老爺の熱い、熱い思いです。m(_ _)m
戦後74年、
沖縄で戦没者追悼慰霊祭が23・24日に
行われました。
NHKの動画 です。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190623/k10011965531000.html
2019/06/23 13:01
小学生少女の思いに心打たれ、
沖縄県知事の無念の思い、
来賓安倍首相の挨拶・・・
感動し、また、様々な思いも、しつつ見ました。
詩を朗読した少女は
戦争体験を知らない世代も、
戦争体験を語り継ぐ事の大切さを訴えました。
改めて、
~~少女の詩、全文です。~~
平和の詩「本当の幸せ」
炎で包まれた町
そんな沖縄を見たのではないだろうか
緑あふれる大地
この大地はどんな声を聞いたのだろうか
けたたましい爆音
泣き叫ぶ幼子
兵士の声や銃声が入り乱れた戦場
そんな沖縄を聞いたのだろうか
青く澄み渡る空
この空は
どんなことを思ったのだろうか
緑が消え
町が消え
希望の光を失った島
体が震え
心も震えた
いくつもの尊い命が奪われたことを知り
そんな沖縄に涙したのだろうか
平成時代
私はこの世に生まれた
青くきれいな海
緑あふれる大地
青く澄みわたる空しか知らない私
海や大地や空が74年前
何を見て
何を聞き
何を思ったのか
知らない世代が増えている
体験したことはなくとも
戦争の悲惨さを
決して繰り返してはいけないことを
伝え継いでいくことは
今に生きる私たちの使命だ
二度と悲しい涙を流さないために
この島が
この国が
この世界が幸せであるように
お金持ちになることや 有名になることが幸せではない
家族と友達と笑い合える毎日こそが 本当の幸せだ
未来に夢を持つことこそが 最高の幸せだ
「命どぅ宝」
生きているから笑い合える
生きているから未来がある
令和時代
明日への希望を願う新しい時代が始まった
沖縄で戦没者追悼慰霊祭が23・24日に
行われました。
それについての
FNNの動画 です。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190623/k10011965531000.html
2019/06/23 13:01
小学生少女の思いに心打たれ、
沖縄県知事の無念の思い、
来賓安倍首相の挨拶・・・
感動し、また、様々な思いも、しつつ見ました。
詩を朗読した少女は
戦争体験を知らない世代も、
戦争体験を語り継ぐ事の大切さを訴えました。
改めて、
~~少女の詩、全文です。~~
平和の詩「本当の幸せ」
命(ぬち)どう宝、命こそが宝
青くきれいな海
この海は どんな景色を見たのだろうか
爆弾が何発も打ちこまれ 炎で包まれた町
そんな沖縄を見たのではないだろうか
緑あふれる大地
この大地はどんな声を聞いたのだろうか
けたたましい爆音
泣き叫ぶ幼子
兵士の声や銃声が入り乱れた戦場
そんな沖縄を聞いたのだろうか
青く澄み渡る空
この空は
どんなことを思ったのだろうか
緑が消え
町が消え
希望の光を失った島
体が震え
心も震えた
いくつもの尊い命が奪われたことを知り
そんな沖縄に涙したのだろうか
平成時代
私はこの世に生まれた
青くきれいな海
緑あふれる大地
青く澄みわたる空しか知らない私
海や大地や空が74年前
何を見て
何を聞き
何を思ったのか
知らない世代が増えている
体験したことはなくとも
戦争の悲惨さを
決して繰り返してはいけないことを
伝え継いでいくことは
今に生きる私たちの使命だ
二度と悲しい涙を流さないために
この島が
この国が
この世界が幸せであるように
お金持ちになることや 有名になることが幸せではない
家族と友達と笑い合える毎日こそが 本当の幸せだ
未来に夢を持つことこそが 最高の幸せだ
「命どぅ宝」
生きているから笑い合える
生きているから未来がある
令和時代
明日への希望を願う新しい時代が始まった
この幸せをいつまでも
74年前は、2歳の赤ちゃんでした。
私も、勉強したく、upします。
ヤフー未来へ残す戦争の記憶 です。
https://wararchive.yahoo.co.jp/
今、しきりと、為政者の専横が報じられています。
日本の未来をどう築いてゆくのか・・・?!
ともすれば、目先の事に追われて、
政治への無関心、選挙投票の棄権に
走りがちな人も含めて
日本の未来への関心を、
少女からも学びたく、
upしたい、したい
74年前には赤子だった私の願いです。m(__)m
https://wararchive.yahoo.co.jp/
今、しきりと、為政者の専横が報じられています。
日本の未来をどう築いてゆくのか・・・?!
ともすれば、目先の事に追われて、
政治への無関心、選挙投票の棄権に
走りがちな人も含めて
日本の未来への関心を、
少女からも学びたく、
upしたい、したい
74年前には赤子だった私の願いです。m(__)m