元自民党幹事長・野中広務さんが、他界されました。
被差別部落出身を公言し、反戦を主張し続けた
元自民党幹事長・野中広務さん、享年92歳です。
故郷、京都でも青年期、お名前を聞き、
昭和43年に、滋賀県の高校教師に成ってからも
折あるごとに、お名前とご活躍を見聞きしてました。
当時、京都でも、滋賀県でも、
本人が選びようの無い
出生地とか家庭環境や性別による差別が
企業とかによって、公然 と行われていました。
※ 当時の、
就職差別に触れたこのブログの号です。
クリックをお願いします。m(__)m
http://poeny.shiga-saku.net/search.php?csrf=e3548842220b1f52643180e56e1d57c47aa02347&search=%E5%B0%B1%E8%81%B7%E5%B7%AE%E5%88%A5%E6%92%A4%E5%BB%83
そのような厳しい状況の中で、
野中広務さんは、果敢に闘われ
生涯、
反戦・平和の尊さを訴え続けて来られました。
※ この記事を見て下さい。m(__)m
http://blogos.com/article/273823/
昭和43年に滋賀県の高校教師に成った私は、
やがて、部落差別問題学習のため、
同和地区隣保館でほぼ毎週の学習会に
5年通い、差別の不当性への眼を見開かされ、
高校生の苦しみと、自分の過去の経験が結び付き。
高教組指導の高校生の集い
社会問題研究連絡協議会や
部落問題研究連絡協議会の
顧問連絡協議会の役員として
高校生や保護者の苦しみを聞いて来ました。
ですが、部落差別を苦にして自死した高校生も居ました。
また、当時の教職員は、次代の主権者を育てるべく、、
高校生の自主活動を大切にしました。
当時の状況は、
被差別部落出身を公言し、反戦を主張し続けた
元自民党幹事長・野中広務さん、享年92歳です。
故郷、京都でも青年期、お名前を聞き、
昭和43年に、滋賀県の高校教師に成ってからも
折あるごとに、お名前とご活躍を見聞きしてました。
当時、京都でも、滋賀県でも、
本人が選びようの無い
出生地とか家庭環境や性別による差別が
企業とかによって、公然 と行われていました。
※ 当時の、
就職差別に触れたこのブログの号です。
クリックをお願いします。m(__)m
http://poeny.shiga-saku.net/search.php?csrf=e3548842220b1f52643180e56e1d57c47aa02347&search=%E5%B0%B1%E8%81%B7%E5%B7%AE%E5%88%A5%E6%92%A4%E5%BB%83
そのような厳しい状況の中で、
野中広務さんは、果敢に闘われ
生涯、
反戦・平和の尊さを訴え続けて来られました。
※ この記事を見て下さい。m(__)m
http://blogos.com/article/273823/
昭和43年に滋賀県の高校教師に成った私は、
やがて、部落差別問題学習のため、
同和地区隣保館でほぼ毎週の学習会に
5年通い、差別の不当性への眼を見開かされ、
高校生の苦しみと、自分の過去の経験が結び付き。
高教組指導の高校生の集い
社会問題研究連絡協議会や
部落問題研究連絡協議会の
顧問連絡協議会の役員として
高校生や保護者の苦しみを聞いて来ました。
ですが、部落差別を苦にして自死した高校生も居ました。
また、当時の教職員は、次代の主権者を育てるべく、、
高校生の自主活動を大切にしました。
当時の状況は、
このことからも分かって下さればと思います。
住井すゑさん著作の「橋のない川」、や
岡林信康さんの歌♪手紙♪
https://www.youtube.com/watch?v=lPuv06Rsd8g
野中広務さんは、そのような状況の中の
導きの糸みたいな活動をされてました。
住井すゑさん著作の「橋のない川」、や
岡林信康さんの歌♪手紙♪
https://www.youtube.com/watch?v=lPuv06Rsd8g
野中広務さんは、そのような状況の中の
導きの糸みたいな活動をされてました。
今、
世襲議員が、政権の中枢に居ます。
戦争体験も無いし、
庶民の気持から、ほど遠い施政をして居るのでは、
ないか?!
戦争体験も無いし、
庶民の気持から、ほど遠い施政をして居るのでは、
ないか?!
改めて、改めて、
野中広務さんを忍び、
ご冥福を祈り、後世に永く、そのご活動を
お伝えしたいと、願う次第です。m(__)m
昨日は、
原爆投下から72年目の朝、
長崎平和祈念式典がありました。
それに、関わる動画を探したのですが、
検索が下手なのか?
うまく出て来ませんでしたので
まず、関連する動画と
田上長崎市長の平和宣言
を載せて
平和・核兵器廃絶への願いを
受け止めさせて頂きたいと思います。m(_ _)m
まず、この動画を見て下さい。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170809/k10011094191000.html?utm_int=movie-new_contents_list-items_005&movie=true
https://mainichi.jp/movie/video/?id=120102102
次に、 「ノーモア ヒバクシャ」
長崎市長、平和宣言で 「姿勢理解できない」と政府を批判しました。
★ 長崎平和宣言・・・田上富久長崎市長 ★ です。
この言葉は、未来に向けて、世界中の誰も、
永久に、核兵器による惨禍を体験することがないように、
という被爆者の心からの願いを表したものです。
その願いが、この夏、世界の多くの国々を動かし、
一つの条約を生み出しました。
核兵器を、使うことはもちろん、
持つことも、配備することも禁止した「核兵器禁止条約」が、
国連加盟国の6割を超える122カ国の賛成で採択されたのです。
それは、
被爆者が長年積み重ねてきた努力がようやく形になった瞬間でした。
私たちは
「ヒバクシャ」の苦しみや努力にも言及したこの条約を
「ヒロシマ・ナガサキ条約」と呼びたいと思います。
そして、
核兵器禁止条約を推進する国々や国連、NGOなどの、
人道に反するものを世界からなくそうとする
強い意志と勇気ある行動に深く感謝します。
しかし、これはゴールではありません。
今も世界には、1万5千発近くの核兵器があります。
核兵器を巡る国際情勢は緊張感を増しており、
遠くない未来に核兵器が使われるのではないか、
という強い不安が広がっています。
しかも、
核兵器を持つ国々は、この条約に反対しており、
私たちが目指す
「核兵器のない世界」にたどり着く道筋は
まだ見えていません。
ようやく生まれたこの条約をいかに活(い)かし、
歩みを進めることができるかが、
今、人類に問われています。
核兵器を持つ国々と核の傘の下にいる国々に訴えます。
安全保障上、核兵器が必要だと言い続ける限り、
核の脅威はなくなりません。
核兵器によって国を守ろうとする政策を見直してください。
核不拡散条約(NPT)は、
すべての加盟国に核軍縮の義務を課しているはずです。
その義務を果たしてください。
世界が勇気ある決断を待っています。
日本政府に訴えます。
核兵器のない世界を目指してリーダーシップをとり、
核兵器を持つ国々と持たない国々の
橋渡し役を務めると明言しているにも関わらず、
核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、
被爆地は到底理解できません。
唯一の戦争被爆国として、
核兵器禁止条約への一日も早い参加を目指し、
核の傘に依存する政策の見直しを進めてください。
日本の参加を国際社会は待っています。
また、二度と戦争をしてはならないと固く決意した
日本国憲法の平和の理念と非核三原則の厳守を世界に発信し、
核兵器のない世界に向けて前進する
具体的方策の一つとして、
今こそ「北東アジア非核兵器地帯」構想の検討を求めます。
私たちは決して忘れません。
1945年8月9日午前11時2分、
今、私たちがいるこの丘の上空で原子爆弾がさく裂し、
15万人もの人々が死傷した事実を。
あの日、原爆の凄(すさ)まじい熱線と爆風によって、
長崎の街は一面の焼野原(やけのはら)となりました。
皮ふが垂れ下がりながらも、
家族を探し、さ迷い歩く人々。
黒焦げの子どもの傍らで、
茫然(ぼうぜん)と立ちすくむ母親。
街のあちこちに地獄のような光景がありました。
十分な治療も受けられずに、多くの人々が死んでいきました。
そして72年経った今でも、
放射線の障害が被爆者の体をむしばみ続けています。
原爆は、いつも側にいた
大切な家族や友だちの命を
無差別に奪い去っただけでなく、
生き残った人たちのその後の人生を
も無惨(むざん)に狂わせたのです。
世界各国のリーダーの皆さん。被爆地を訪れてください。
遠い原子雲の上からの視点ではなく、
原子雲の下で何が起きたのか、
原爆が人間の尊厳をどれほど残酷に踏みにじったのか、
あなたの目で見て、耳で聴いて、
心で感じてください。
もし自分の家族がそこにいたら、と考えてみてください。
人はあまりにもつらく苦しい体験をしたとき、
その記憶を封印し、語ろうとはしません。
語るためには思い出さなければならないからです。
それでも被爆者が、
心と体の痛みに耐えながら体験を語ってくれるのは、
人類の一員として、私たちの未来を守るために、
懸命に伝えようと決意しているからです。
世界中のすべての人に呼びかけます。
最も怖いのは無関心なこと、
そして忘れていくことです。
戦争体験者や被爆者からの
平和のバトンを途切れさせることなく
未来へつないでいきましょう。
今、長崎では平和首長会議の総会が開かれています。
世界の7400の都市が参加する
このネットワークには、
戦争や内戦などつらい記憶を持つまちの代表も大勢参加しています。
被爆者が私たちに示してくれたように、
小さなまちの平和を願う思いも、力を合わせれば、
そして
あきらめなければ、世界を動かす力になることを、
ここ長崎から、
平和首長会議の仲間たちとともに世界に発信します。
そして、
被爆者が声をからして訴え続けてきた
「長崎を最後の被爆地に」
という言葉が、
人類共通の願いであり、意志であることを示します。
被爆者の平均年齢は81歳を超えました。
「被爆者がいる時代」の終わりが近づいています。
日本政府には、
被爆者のさらなる援護の充実と、
被爆体験者の救済を求めます。
福島の原発事故から6年が経ちました。
長崎は放射能の脅威を経験したまちとして、
福島の被災者に寄り添い、応援します。
原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意を捧げ、
私たち長崎市民は、
核兵器のない世界を願う世界の人々と連携して、
核兵器廃絶と恒久平和の実現に
力を尽くし続けることをここに宣言します。
2017年(平成29年)8月9日 長崎市長 田上富久
今、核戦争に繫がりかねない、きな臭い報が、
駆け巡っています。
起こってからでは遅いし、
地球・人類の破滅です。
私が夢描くことは、日本の政治家が、
緊張する国々の“橋渡し役”を誠実に実行して、
ノーベル平和賞、を貰って、
歴史に、レガシーを刻まないか・・・?!
という、願いです。m(_ _)m(T_T)m(_ _)m
原爆投下から72年目の朝、
長崎平和祈念式典がありました。
それに、関わる動画を探したのですが、
検索が下手なのか?
うまく出て来ませんでしたので
まず、関連する動画と
田上長崎市長の平和宣言
を載せて
平和・核兵器廃絶への願いを
受け止めさせて頂きたいと思います。m(_ _)m
まず、この動画を見て下さい。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170809/k10011094191000.html?utm_int=movie-new_contents_list-items_005&movie=true
https://mainichi.jp/movie/video/?id=120102102
次に、 「ノーモア ヒバクシャ」
長崎市長、平和宣言で 「姿勢理解できない」と政府を批判しました。
★ 長崎平和宣言・・・田上富久長崎市長 ★ です。
この言葉は、未来に向けて、世界中の誰も、
永久に、核兵器による惨禍を体験することがないように、
という被爆者の心からの願いを表したものです。
その願いが、この夏、世界の多くの国々を動かし、
一つの条約を生み出しました。
核兵器を、使うことはもちろん、
持つことも、配備することも禁止した「核兵器禁止条約」が、
国連加盟国の6割を超える122カ国の賛成で採択されたのです。
それは、
被爆者が長年積み重ねてきた努力がようやく形になった瞬間でした。
私たちは
「ヒバクシャ」の苦しみや努力にも言及したこの条約を
「ヒロシマ・ナガサキ条約」と呼びたいと思います。
そして、
核兵器禁止条約を推進する国々や国連、NGOなどの、
人道に反するものを世界からなくそうとする
強い意志と勇気ある行動に深く感謝します。
しかし、これはゴールではありません。
今も世界には、1万5千発近くの核兵器があります。
核兵器を巡る国際情勢は緊張感を増しており、
遠くない未来に核兵器が使われるのではないか、
という強い不安が広がっています。
しかも、
核兵器を持つ国々は、この条約に反対しており、
私たちが目指す
「核兵器のない世界」にたどり着く道筋は
まだ見えていません。
ようやく生まれたこの条約をいかに活(い)かし、
歩みを進めることができるかが、
今、人類に問われています。
核兵器を持つ国々と核の傘の下にいる国々に訴えます。
安全保障上、核兵器が必要だと言い続ける限り、
核の脅威はなくなりません。
核兵器によって国を守ろうとする政策を見直してください。
核不拡散条約(NPT)は、
すべての加盟国に核軍縮の義務を課しているはずです。
その義務を果たしてください。
世界が勇気ある決断を待っています。
日本政府に訴えます。
核兵器のない世界を目指してリーダーシップをとり、
核兵器を持つ国々と持たない国々の
橋渡し役を務めると明言しているにも関わらず、
核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、
被爆地は到底理解できません。
唯一の戦争被爆国として、
核兵器禁止条約への一日も早い参加を目指し、
核の傘に依存する政策の見直しを進めてください。
日本の参加を国際社会は待っています。
また、二度と戦争をしてはならないと固く決意した
日本国憲法の平和の理念と非核三原則の厳守を世界に発信し、
核兵器のない世界に向けて前進する
具体的方策の一つとして、
今こそ「北東アジア非核兵器地帯」構想の検討を求めます。
私たちは決して忘れません。
1945年8月9日午前11時2分、
今、私たちがいるこの丘の上空で原子爆弾がさく裂し、
15万人もの人々が死傷した事実を。
あの日、原爆の凄(すさ)まじい熱線と爆風によって、
長崎の街は一面の焼野原(やけのはら)となりました。
皮ふが垂れ下がりながらも、
家族を探し、さ迷い歩く人々。
黒焦げの子どもの傍らで、
茫然(ぼうぜん)と立ちすくむ母親。
街のあちこちに地獄のような光景がありました。
十分な治療も受けられずに、多くの人々が死んでいきました。
そして72年経った今でも、
放射線の障害が被爆者の体をむしばみ続けています。
原爆は、いつも側にいた
大切な家族や友だちの命を
無差別に奪い去っただけでなく、
生き残った人たちのその後の人生を
も無惨(むざん)に狂わせたのです。
世界各国のリーダーの皆さん。被爆地を訪れてください。
遠い原子雲の上からの視点ではなく、
原子雲の下で何が起きたのか、
原爆が人間の尊厳をどれほど残酷に踏みにじったのか、
あなたの目で見て、耳で聴いて、
心で感じてください。
もし自分の家族がそこにいたら、と考えてみてください。
人はあまりにもつらく苦しい体験をしたとき、
その記憶を封印し、語ろうとはしません。
語るためには思い出さなければならないからです。
それでも被爆者が、
心と体の痛みに耐えながら体験を語ってくれるのは、
人類の一員として、私たちの未来を守るために、
懸命に伝えようと決意しているからです。
世界中のすべての人に呼びかけます。
最も怖いのは無関心なこと、
そして忘れていくことです。
戦争体験者や被爆者からの
平和のバトンを途切れさせることなく
未来へつないでいきましょう。
今、長崎では平和首長会議の総会が開かれています。
世界の7400の都市が参加する
このネットワークには、
戦争や内戦などつらい記憶を持つまちの代表も大勢参加しています。
被爆者が私たちに示してくれたように、
小さなまちの平和を願う思いも、力を合わせれば、
そして
あきらめなければ、世界を動かす力になることを、
ここ長崎から、
平和首長会議の仲間たちとともに世界に発信します。
そして、
被爆者が声をからして訴え続けてきた
「長崎を最後の被爆地に」
という言葉が、
人類共通の願いであり、意志であることを示します。
被爆者の平均年齢は81歳を超えました。
「被爆者がいる時代」の終わりが近づいています。
日本政府には、
被爆者のさらなる援護の充実と、
被爆体験者の救済を求めます。
福島の原発事故から6年が経ちました。
長崎は放射能の脅威を経験したまちとして、
福島の被災者に寄り添い、応援します。
原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意を捧げ、
私たち長崎市民は、
核兵器のない世界を願う世界の人々と連携して、
核兵器廃絶と恒久平和の実現に
力を尽くし続けることをここに宣言します。
2017年(平成29年)8月9日 長崎市長 田上富久
今、核戦争に繫がりかねない、きな臭い報が、
駆け巡っています。
起こってからでは遅いし、
地球・人類の破滅です。
私が夢描くことは、日本の政治家が、
緊張する国々の“橋渡し役”を誠実に実行して、
ノーベル平和賞、を貰って、
歴史に、レガシーを刻まないか・・・?!
という、願いです。m(_ _)m(T_T)m(_ _)m
深夜、眼が覚めて、見入ってしまいました。
NHKTV NEXT未来のために です。
http://www4.nhk.or.jp/next-mirai/2/
オバマ米大統領が、今年、広島を訪れた時、
被爆者として、出会い、握手をし、会話した
坪井直さん(91歳)。
被爆後長く、
被爆後遺症に襲われ、怯えた時を過ごしていましたが、
奥さんの明るさ、前向き姿勢に感化され、
やがて、
被爆体験を、後世に語り継ぐ活動を始め、
ノーモアヒロシマ
ノーモアナガサキ
ノーモア被爆者
を、世界に、後世の人に、訴えて居られます。
坪井直さんの活動記録映像に、感動し、
これからも、
健康・元気で、ご活躍を期待して、
その後、なかなか、寝付けませんでした。
昭和18年生まれで、辛うじて、戦後の経験を通して
戦争の悲惨さに触れた私ですが、
最近、
戦争を知らない世代の政治家の
暴走や
分かったふり、が目立って来て居ます。
先人の教えに、謙虚に耳を傾け、
謙虚に、
発言され、
政策を構築されることを、強く願うものであります。m(_ _)m
また、
この番組
NHKTV NEXT未来のために
が、もっと多くの人が視聴出来る時間帯放映を希望し、
政治家諸氏も、
襟を糺して、
戦争体験者の声に、
謙虚に向き合うよう、強く求めます。(>_<)
字の大文字化や色など、技術的に
何故か付けられませんでしたので、
見にくいかも知れませんが、
後ほど、直したいと思っています。
それと、視聴直後、
番組HPに載っていた
坪井さんの映像紹介が、何故か消えています???
NHKTV NEXT未来のために です。
http://www4.nhk.or.jp/next-mirai/2/
オバマ米大統領が、今年、広島を訪れた時、
被爆者として、出会い、握手をし、会話した
坪井直さん(91歳)。
被爆後長く、
被爆後遺症に襲われ、怯えた時を過ごしていましたが、
奥さんの明るさ、前向き姿勢に感化され、
やがて、
被爆体験を、後世に語り継ぐ活動を始め、
ノーモアヒロシマ
ノーモアナガサキ
ノーモア被爆者
を、世界に、後世の人に、訴えて居られます。
坪井直さんの活動記録映像に、感動し、
これからも、
健康・元気で、ご活躍を期待して、
その後、なかなか、寝付けませんでした。
昭和18年生まれで、辛うじて、戦後の経験を通して
戦争の悲惨さに触れた私ですが、
最近、
戦争を知らない世代の政治家の
暴走や
分かったふり、が目立って来て居ます。
先人の教えに、謙虚に耳を傾け、
謙虚に、
発言され、
政策を構築されることを、強く願うものであります。m(_ _)m
また、
この番組
NHKTV NEXT未来のために
が、もっと多くの人が視聴出来る時間帯放映を希望し、
政治家諸氏も、
襟を糺して、
戦争体験者の声に、
謙虚に向き合うよう、強く求めます。(>_<)
字の大文字化や色など、技術的に
何故か付けられませんでしたので、
見にくいかも知れませんが、
後ほど、直したいと思っています。
それと、視聴直後、
番組HPに載っていた
坪井さんの映像紹介が、何故か消えています???
71年前の朝11時2分、人類史上、許されない惨劇がまた起こされました
71年後の今日、長崎平和祈念式典が開かれ、そこで、
長崎市長から、世界に発せられた【平和宣言】です。
宣言の意味を、噛みしめたいと思います。
★ ★ ★ ★ ★
1945年8月9日午前11時2分、
米軍機が投下した一発の原子爆弾が、
上空でさく裂した瞬間、
長崎の街に猛烈な爆風と熱線が襲いかかりました。
あとには、
黒焦げの亡骸、
全身が焼けただれた人、
内臓が飛び出した人、
無数のガラス片が体に刺さり苦しむ人があふれ、
長崎は地獄と化しました。
原爆から放たれた放射線は人々の体を貫き、
そのために引き起こされる病気や障害は、
辛うじて生き残った人たちを
今も苦しめています。
核兵器は
人間を壊し続ける残酷な兵器なのです。
今年5月、
アメリカの現職大統領として初めて、
オバマ大統領が被爆地・広島を訪問しました。
大統領は、その行動によって、
自分の目と、耳と、心で感じることの大切さを
世界に示しました。
核兵器保有国をはじめとする
各国のリーダーの皆さん、
そして
世界中の皆さん。
長崎や広島に来てください。
原子雲の下で
人間に何が起きたのかを知ってください。
事実を知ること、
それこそが
核兵器のない未来を考えるスタートラインです。
今年、ジュネーブの国連欧州本部で、
核軍縮交渉を前進させる法的な枠組みについて
話し合う会議が開かれています。
法的な議論を行う場ができたことは、大きな前進です。
しかし、
まもなく結果がまとめられるこの会議に、
核兵器保有国は出席していません。
そして、
会議の中では、核兵器の抑止力に依存する国々と、
核兵器禁止の交渉開始を主張する国々との
対立が続いています。
このままでは、
核兵器廃絶への道筋を示すことができないまま、
会議が閉会してしまいます。
核兵器保有国のリーダーの皆さん、
今からでも遅くはありません。
この会議に出席し、議論に参加してください。
国連、各国政府及び国会、
NGOを含む市民社会に訴えます。
核兵器廃絶に向けて、法的な議論を行う場を
決して絶やしてはなりません。
今年秋の国連総会で、
核兵器のない世界の実現に向けた
法的な枠組みに関する協議と交渉の場を設けてください。
そして、
人類社会の一員として、
解決策を見出す努力を続けてください。
核兵器保有国では、
より高性能の核兵器に置き換える計画が進行中です。
このままでは
核兵器のない世界の実現がさらに遠のいてしまいます。
今こそ、
人類の未来を壊さないために、
持てる限りの「英知」を結集してください。
日本政府は、
核兵器廃絶を訴えながらも、
一方では
核抑止力に依存する立場をとっています。
この矛盾を超える方法として、
非核三原則の法制化とともに、
核抑止力に頼らない安全保障の枠組みである
「北東アジア非核兵器地帯」の創設を
検討してください。
核兵器の非人道性をよく
知る唯一の戦争被爆国として、
非核兵器地帯という
人類のひとつの「英知」を行動に移す
リーダーシップを発揮してください。
核兵器の歴史は、不信感の歴史です。
国同士の不信の中で、
より威力のある、より遠くに飛ぶ核兵器が
開発されてきました。
世界には未だに
1万5000発以上もの核兵器が存在し、
戦争、事故、テロなどにより、
使われる危険が続いています。
この流れを断ち切り、
不信のサイクルを
信頼のサイクルに転換するためにできることの
ひとつは、
粘り強く信頼を生み続けることです。
我が国は日本国憲法の平和の理念に基づき、
人道支援など、世界に貢献することで信頼を広げようと
努力してきました。
ふたたび戦争をしないために、
平和国家としての道を
これからも歩み続けなければなりません。
市民社会の一員である
私たち一人ひとりにも、できることがあります。
国を越えて人と交わることで、
言葉や文化、考え方の違いを理解し合い、
身近に信頼を生み出すことです。
オバマ大統領を
温かく迎えた広島市民の姿もそれを表しています。
市民社会の行動は、
一つひとつは小さく見えても、
国同士の信頼関係を築くための、
強くかけがえのない礎となります。
被爆から71年がたち、
被爆者の平均年齢は80歳を越えました。
世界が
「被爆者のいない時代」を迎える日が
少しずつ近づいています。
戦争、そして
戦争が生んだ被爆の体験をどう受け継いでいくかが、
今、問われています。
若い世代の皆さん、
あなたたちが当たり前と感じる日常、
例えば、
お母さんの優しい手、お父さんの温かいまなざし、
友だちとの会話、好きな人の笑顔…。
そのすべてを奪い去ってしまうのが戦争です。
戦争体験、被爆者の体験に、
ぜひ一度耳を傾けてみてください。
つらい経験を語ることは苦しいことです。
それでも語ってくれるのは、
未来の人たちを守りたいからだということを
知ってください。
長崎では、被爆者に代わって
子どもや孫の世代が
体験を語り伝える活動が始まっています。
焼け残った城山小学校の校舎などを
国の史跡として後世に残す活動も進んでいます。
若い世代の皆さん、
未来のために、
過去に向き合う一歩を踏み出してみませんか。
福島での原発事故から5年が経過しました。
長崎は、放射能による苦しみを体験した街として、
福島を応援し続けます。
日本政府には、
今なお原爆の後遺症に苦しむ
被爆者のさらなる援護の充実とともに、
被爆地域の拡大をはじめとする
被爆体験者の一日も早い
救済を強く求めます。
原子爆弾で亡くなられた方々に
心から追悼の意を捧さ)げ、
私たち長崎市民は、
世界の人々とともに、
核兵器廃絶と恒久平和の実現に
力を尽くすことを
ここに宣言します。
2016年(平成28年)8月9日
長崎市長 田上 富久
71年後の今日、長崎平和祈念式典が開かれ、そこで、
長崎市長から、世界に発せられた【平和宣言】です。
宣言の意味を、噛みしめたいと思います。
★ ★ ★ ★ ★
1945年8月9日午前11時2分、
米軍機が投下した一発の原子爆弾が、
上空でさく裂した瞬間、
長崎の街に猛烈な爆風と熱線が襲いかかりました。
あとには、
黒焦げの亡骸、
全身が焼けただれた人、
内臓が飛び出した人、
無数のガラス片が体に刺さり苦しむ人があふれ、
長崎は地獄と化しました。
原爆から放たれた放射線は人々の体を貫き、
そのために引き起こされる病気や障害は、
辛うじて生き残った人たちを
今も苦しめています。
核兵器は
人間を壊し続ける残酷な兵器なのです。
今年5月、
アメリカの現職大統領として初めて、
オバマ大統領が被爆地・広島を訪問しました。
大統領は、その行動によって、
自分の目と、耳と、心で感じることの大切さを
世界に示しました。
核兵器保有国をはじめとする
各国のリーダーの皆さん、
そして
世界中の皆さん。
長崎や広島に来てください。
原子雲の下で
人間に何が起きたのかを知ってください。
事実を知ること、
それこそが
核兵器のない未来を考えるスタートラインです。
今年、ジュネーブの国連欧州本部で、
核軍縮交渉を前進させる法的な枠組みについて
話し合う会議が開かれています。
法的な議論を行う場ができたことは、大きな前進です。
しかし、
まもなく結果がまとめられるこの会議に、
核兵器保有国は出席していません。
そして、
会議の中では、核兵器の抑止力に依存する国々と、
核兵器禁止の交渉開始を主張する国々との
対立が続いています。
このままでは、
核兵器廃絶への道筋を示すことができないまま、
会議が閉会してしまいます。
核兵器保有国のリーダーの皆さん、
今からでも遅くはありません。
この会議に出席し、議論に参加してください。
国連、各国政府及び国会、
NGOを含む市民社会に訴えます。
核兵器廃絶に向けて、法的な議論を行う場を
決して絶やしてはなりません。
今年秋の国連総会で、
核兵器のない世界の実現に向けた
法的な枠組みに関する協議と交渉の場を設けてください。
そして、
人類社会の一員として、
解決策を見出す努力を続けてください。
核兵器保有国では、
より高性能の核兵器に置き換える計画が進行中です。
このままでは
核兵器のない世界の実現がさらに遠のいてしまいます。
今こそ、
人類の未来を壊さないために、
持てる限りの「英知」を結集してください。
日本政府は、
核兵器廃絶を訴えながらも、
一方では
核抑止力に依存する立場をとっています。
この矛盾を超える方法として、
非核三原則の法制化とともに、
核抑止力に頼らない安全保障の枠組みである
「北東アジア非核兵器地帯」の創設を
検討してください。
核兵器の非人道性をよく
知る唯一の戦争被爆国として、
非核兵器地帯という
人類のひとつの「英知」を行動に移す
リーダーシップを発揮してください。
核兵器の歴史は、不信感の歴史です。
国同士の不信の中で、
より威力のある、より遠くに飛ぶ核兵器が
開発されてきました。
世界には未だに
1万5000発以上もの核兵器が存在し、
戦争、事故、テロなどにより、
使われる危険が続いています。
この流れを断ち切り、
不信のサイクルを
信頼のサイクルに転換するためにできることの
ひとつは、
粘り強く信頼を生み続けることです。
我が国は日本国憲法の平和の理念に基づき、
人道支援など、世界に貢献することで信頼を広げようと
努力してきました。
ふたたび戦争をしないために、
平和国家としての道を
これからも歩み続けなければなりません。
市民社会の一員である
私たち一人ひとりにも、できることがあります。
国を越えて人と交わることで、
言葉や文化、考え方の違いを理解し合い、
身近に信頼を生み出すことです。
オバマ大統領を
温かく迎えた広島市民の姿もそれを表しています。
市民社会の行動は、
一つひとつは小さく見えても、
国同士の信頼関係を築くための、
強くかけがえのない礎となります。
被爆から71年がたち、
被爆者の平均年齢は80歳を越えました。
世界が
「被爆者のいない時代」を迎える日が
少しずつ近づいています。
戦争、そして
戦争が生んだ被爆の体験をどう受け継いでいくかが、
今、問われています。
若い世代の皆さん、
あなたたちが当たり前と感じる日常、
例えば、
お母さんの優しい手、お父さんの温かいまなざし、
友だちとの会話、好きな人の笑顔…。
そのすべてを奪い去ってしまうのが戦争です。
戦争体験、被爆者の体験に、
ぜひ一度耳を傾けてみてください。
つらい経験を語ることは苦しいことです。
それでも語ってくれるのは、
未来の人たちを守りたいからだということを
知ってください。
長崎では、被爆者に代わって
子どもや孫の世代が
体験を語り伝える活動が始まっています。
焼け残った城山小学校の校舎などを
国の史跡として後世に残す活動も進んでいます。
若い世代の皆さん、
未来のために、
過去に向き合う一歩を踏み出してみませんか。
福島での原発事故から5年が経過しました。
長崎は、放射能による苦しみを体験した街として、
福島を応援し続けます。
日本政府には、
今なお原爆の後遺症に苦しむ
被爆者のさらなる援護の充実とともに、
被爆地域の拡大をはじめとする
被爆体験者の一日も早い
救済を強く求めます。
原子爆弾で亡くなられた方々に
心から追悼の意を捧さ)げ、
私たち長崎市民は、
世界の人々とともに、
核兵器廃絶と恒久平和の実現に
力を尽くすことを
ここに宣言します。
2016年(平成28年)8月9日
長崎市長 田上 富久
悲しくなるので、ブログでは触れまい、
と思っていましたが、
どうしても、避けて通れない
妖怪漫画作家
水木しげるさんが、逝去されました。
93歳
今ごろ、妖怪たちと遊んで居られるかな?!
今回の、あさが来た、もよく見てますが、
5年ほど前の
NHKTV連ドラ「ゲゲゲの女房」もよく見ました。
水木さんは、私が生を受けた
昭和43年に徴兵され、
パプアニューギニアのラバウルに出征。
玉砕を命じられながら生き延びたが、
マラリアに苦しまれました。
米軍の爆撃を受け、左腕を失い、
戦後、「総員玉砕せよ!」「娘に語るお父さんの戦記」など
戦争体験に根差した作品も発表されました。
作家活動を通して、
平和の大切さを、訴えられました。
私が、想像している、水木さんの【妖怪世界】ですが、
妖怪たちの世界には、
戦争もなく、
平和な状態で、悪戯をして、楽しんで居る・・・!!!
可愛らしい妖怪群像・・・
政界の「妖怪」は、食傷気味なので、
水木しげるさん、天国から、
戦争の愚を繰り返すな、
平和を守れ・・・!!!
と、渇、を入れて下さい。
m(_ _)m
と思っていましたが、
どうしても、避けて通れない
妖怪漫画作家
水木しげるさんが、逝去されました。
93歳
今ごろ、妖怪たちと遊んで居られるかな?!
今回の、あさが来た、もよく見てますが、
5年ほど前の
NHKTV連ドラ「ゲゲゲの女房」もよく見ました。
水木さんは、私が生を受けた
昭和43年に徴兵され、
パプアニューギニアのラバウルに出征。
玉砕を命じられながら生き延びたが、
マラリアに苦しまれました。
米軍の爆撃を受け、左腕を失い、
戦後、「総員玉砕せよ!」「娘に語るお父さんの戦記」など
戦争体験に根差した作品も発表されました。
作家活動を通して、
平和の大切さを、訴えられました。
私が、想像している、水木さんの【妖怪世界】ですが、
妖怪たちの世界には、
戦争もなく、
平和な状態で、悪戯をして、楽しんで居る・・・!!!
可愛らしい妖怪群像・・・
政界の「妖怪」は、食傷気味なので、
水木しげるさん、天国から、
戦争の愚を繰り返すな、
平和を守れ・・・!!!
と、渇、を入れて下さい。
m(_ _)m