話は変わるようですが・・・。
人は、一人では、決してない!
そう言えば、最近、「連帯」という言葉を、聞かなくなりました。悲しい言葉だけれど「現実でも一人、ネットでも一人」・・・秋葉原通り魔殺傷事件の加害の青年の、書き込みの言葉です。
昨夜、テレビで「爆問学問」を見ました。爆笑問題さんと政治学者姜尚中さんの会話を聞きながら、政治とは何か、人が人を認め合う社会の仕組みとは何かについて 、考えていました。
私が、ブログを書くのも、きっと、誰かの目に留まりたいからだろう。定年退職して数ヶ月、社会から取り残されたみたいな感じになって、毎日、家でテレビと睨めっこしているような日々が続きました。体も弱くなるし、マイナスなことばかり考えるようになるし、全く「小人、閑居して不善」状態に陥りました。これは、いかんと、私は、強引に表へ出、働くようになりました。そして、ブログを始めました。アクセスやコメントを頂いて、励まされたり、勇気を頂いたり、本当に有り難い。だけど、今日こそブログを休もうかな~、だけど休めない自分が居たりして、ブログ熱中症候群にならないように、気をつけなきゃ~!
年いって、こんな悠長なこと言ってられる自分は、まだ幸せだと思うけれど、
現実に、社会と隔絶されたようになっている人は、どんな思いなのだろう? 今、日本では、孤独・孤立の中で、自分や子どもや通りすがりの人の命を絶ってしまう、悲しい事件が起こっています。
社会的に、“日のあたる坂道”をのぼってきた人が、決して肯定できませんが、孤独・孤立に苦しんで最悪の選択をする人の生き方や考え方を批判するだけで、ことは解決するのでしょうか?
番組の中で、「他者も、自分も受け容れる」政治のあり方が語られていました。
誰もが、孤独・孤立の淵に立つことはある。手をどう差し伸べるか? 言葉を、どうかけあうか?
表へ出て、人を信じて、人と話して・・・。例え家の中に居ても、人のつながり抜きには、決して人は生きていけないことに気づいて・・・。 それが「連帯」、決して、人は一人ではあり得ない! 勇気を出して、表に出て、町のおばちゃん、おじちゃんや子どもたちに、まず「おはよう」と声をかけましょう! 例え表に出なくても、心だけでも、人は支え合って生きていくものだと・・・。
※ 昨日は、エルの初七日でした。妻と動物霊園に行きました。孫たちは、日曜日とかに行ったとのことでした。小さな骨壺に入ったエル、17歳。祭壇には、他の多くのペットたちの骨壺が並んでいました。骨壺に貼られた紙には、17歳がぽつぽつとあってそれが最年長のようでした。どこかの女性が、ペットの骨壺を指でさすって泣いておられました。今にも雨が降り出しそうな曇り空の午後、静かな静かな霊園でした。
人は、一人では、決してない!
そう言えば、最近、「連帯」という言葉を、聞かなくなりました。悲しい言葉だけれど「現実でも一人、ネットでも一人」・・・秋葉原通り魔殺傷事件の加害の青年の、書き込みの言葉です。
昨夜、テレビで「爆問学問」を見ました。爆笑問題さんと政治学者姜尚中さんの会話を聞きながら、政治とは何か、人が人を認め合う社会の仕組みとは何かについて 、考えていました。
私が、ブログを書くのも、きっと、誰かの目に留まりたいからだろう。定年退職して数ヶ月、社会から取り残されたみたいな感じになって、毎日、家でテレビと睨めっこしているような日々が続きました。体も弱くなるし、マイナスなことばかり考えるようになるし、全く「小人、閑居して不善」状態に陥りました。これは、いかんと、私は、強引に表へ出、働くようになりました。そして、ブログを始めました。アクセスやコメントを頂いて、励まされたり、勇気を頂いたり、本当に有り難い。だけど、今日こそブログを休もうかな~、だけど休めない自分が居たりして、ブログ熱中症候群にならないように、気をつけなきゃ~!
年いって、こんな悠長なこと言ってられる自分は、まだ幸せだと思うけれど、
現実に、社会と隔絶されたようになっている人は、どんな思いなのだろう? 今、日本では、孤独・孤立の中で、自分や子どもや通りすがりの人の命を絶ってしまう、悲しい事件が起こっています。
社会的に、“日のあたる坂道”をのぼってきた人が、決して肯定できませんが、孤独・孤立に苦しんで最悪の選択をする人の生き方や考え方を批判するだけで、ことは解決するのでしょうか?
番組の中で、「他者も、自分も受け容れる」政治のあり方が語られていました。
誰もが、孤独・孤立の淵に立つことはある。手をどう差し伸べるか? 言葉を、どうかけあうか?
表へ出て、人を信じて、人と話して・・・。例え家の中に居ても、人のつながり抜きには、決して人は生きていけないことに気づいて・・・。 それが「連帯」、決して、人は一人ではあり得ない! 勇気を出して、表に出て、町のおばちゃん、おじちゃんや子どもたちに、まず「おはよう」と声をかけましょう! 例え表に出なくても、心だけでも、人は支え合って生きていくものだと・・・。
※ 昨日は、エルの初七日でした。妻と動物霊園に行きました。孫たちは、日曜日とかに行ったとのことでした。小さな骨壺に入ったエル、17歳。祭壇には、他の多くのペットたちの骨壺が並んでいました。骨壺に貼られた紙には、17歳がぽつぽつとあってそれが最年長のようでした。どこかの女性が、ペットの骨壺を指でさすって泣いておられました。今にも雨が降り出しそうな曇り空の午後、静かな静かな霊園でした。
呑気に、我が家の犬のことを言うのも気が引けるような事件が起こっています。少しだけ、犬のことを言わせてください。昨日は、断続的に痙攣を起こしていました。妻が、口に水を含ませてももどす、というような情況が続いていました。きょうに入ってから、痙攣は収まっていて、今は、静かに眠っています。妻と交代で不寝番しています。あまり静かに眠っているときは、却って心配です。よーく見たら、お腹が小さく膨らんだり凹んだりしていて、ほっとします。体をさすると、すっかり痩せてあばら骨に指があたります。命が、すごく、愛おしい。
命が、すごく、愛おしい!
子どもたちの命が危険にさらされ、奪われてもいます。変な、悲しい予感が当たってしまいました。福岡小学1年生男児殺害事件です。いやな言葉ですが「子殺し」というと、母親の姿がクローズ・アップされてくる。そして、通り魔無差別殺傷事件というと、若い男性の姿がクローズ・アップされてくる。
現代日本を、象徴するような事件です。確かに、行為者の罪は許されるものでは、ありません。ですが、今、日本に何かが欠けている
。。。孤独・孤立・閉塞・・・。地域社会でも、行政の支援体制でも、本音がしゃべり合える、悩みを受け止めてもらえる、お互いに少しでも人の役に立つことを喜べる、助け合える・・・私たち庶民も、政治のリーダーも向き合っていく。
矛盾の結果が、弱い立場の人に向けられています!!!
※ 事件や子どもたちをめぐるその他の記事についてのアドレスです。
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/local/fukuoka_6yearold_murder/?1222073148
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080922-00000003-agara-l30
命が、すごく、愛おしい!
子どもたちの命が危険にさらされ、奪われてもいます。変な、悲しい予感が当たってしまいました。福岡小学1年生男児殺害事件です。いやな言葉ですが「子殺し」というと、母親の姿がクローズ・アップされてくる。そして、通り魔無差別殺傷事件というと、若い男性の姿がクローズ・アップされてくる。
現代日本を、象徴するような事件です。確かに、行為者の罪は許されるものでは、ありません。ですが、今、日本に何かが欠けている
。。。孤独・孤立・閉塞・・・。地域社会でも、行政の支援体制でも、本音がしゃべり合える、悩みを受け止めてもらえる、お互いに少しでも人の役に立つことを喜べる、助け合える・・・私たち庶民も、政治のリーダーも向き合っていく。
矛盾の結果が、弱い立場の人に向けられています!!!
※ 事件や子どもたちをめぐるその他の記事についてのアドレスです。
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/local/fukuoka_6yearold_murder/?1222073148
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080922-00000003-agara-l30



参加者は、75歳以上の方が多く、座談会






そして、これから・・・
1 楽しいことをする、楽しむ、そして柔らかい感性
学ぶ、我以外皆師なり お互いの夢や願いを大切に
老若男女の交流 若い人から学ぶ視点を持つ
趣味の世界から広がる
テレビ・新聞・世相・事件から学ぶ・・・アンテナを高く、柔らかく
活動を楽しむ 楽しいことを活動に持ち込む
2 一つ“使命感”と感謝
私たちは、戦争・戦後の混乱期・貧困という
大変な時代を生きてきた。
しかし、人間関係の面では、よきにつけ、悪しきに濃密だった。
親の苦労する姿も見えたし、親への尊敬・感謝も持てた。
近所の大人から、よく注意もされたし、可愛がってもらった。
いま、若者や子どもたちは、希薄な人間関係の中で
“生き方”を確立できず苦しんでいるのではないか?
秋葉原の通り魔殺傷事件は、なぜ、起こった?
今、テレビやお笑い芸の影響で、年寄ることが嘲られ、
老若の分断が進んでいる。
→→日本の将来の危機。高齢化社会を支えるのは誰?
・・・人生の先輩として、高齢者はどう考え、行動する?
3 “引きこもり”からの脱出
・・・外へ出よう、健康のためにも
子どもたちに声をかけましょう! 若者と交流しよう!
子どもは、たとえ反発したように見えても、
大人からしてもらったことは覚えていて、
いつか社会にお返しをしてくれる。
表へ出て、挨拶をしよう! 社会に、自分なりに働きかけよう!
4 お節介のススメ お節介の復権
・・・“新”井戸端会議を。もちろん人権への感覚は鋭敏に・・・
老若の接点・交流→→老人会への期待
豊かな経験と技術→→お役に立てる
だから、外へ出て、まず、私から声をかけよう!
感謝! 元気! しなやかに、そしてしたたかにお節介を。
参加者の方も役員さんも、何かをと思いながらも、悩んでおられるようでした。終わってから、会館の外でタバコを吸っている男性会員さんが、「川柳もいいなぁ、川柳で会員も楽しめて、若い人に少し発信できないかなぁ」というようなことをおっしゃり、ひとしきり会話が弾みました。もちろん、お節介の私

※ そんな訳で、オリンピックは、あまり見られませんでした。女子ソフトボールと野球を少し見ました。ソフトは、投手の球の速さと長打力にびっくり。野球は日本チームの丸刈り“ブーム(?)”にやや違和感。気持ちは分からんでもないけど・・・実は私も若い頃、したこと

「男の子の漂流?」の途中ですが、実は、秋葉原の通り魔事件のあとに創った詩をお送りします。ああいう悲惨なことがある一方で、その報道とは別に、あのおバカ・キャラ3人組の「羞恥心」が大ブレークしている、そして、お笑い芸人さんの“笑い”が連日テレビ画面を占めています。
なぜ・・・? 今、人は、何を求めているのだろう? そんなことを考えて、例のように、「自己満足・過剰マンゾクの詩(もどき)」を創りました。
窮屈な社会に 右往左往!
きょうは突然に、日本社会の窮屈さについて、言いたきこと
親が、大人が、子に、「そんなことしたらイケマセン」
「かくアルベキだ」という言葉のオンパレード
「これダメ」「あれダメ」「そんなことしてたら負ける!」
一方的な価値だけを 伝えること多き日本
テレビでは、コメンテーターが、もっともな意見をノタマって
いつも思うよ、いわゆる「勝ち組」が、
そうでない人の人生を、シタリ顔で論評する
納得できるような だけど、上辺だけみたいなような
・・・・・・・だが、それだけで ものごとの本質が見えてくる?
国務大臣も、官僚も、役所も、学校も
ドンを衝かれないような、用心深い言葉の羅列
優等生風・・・だけど、裏では、人間くさい“矛盾”のオンパレード
時々、それが、暴露され、
“表”に出されて、うろうろと、ウロウロと
右往左往 うおうさおう UOUSAOU と・・・!
世襲議員は、貧しき大衆の生活の実態を知らず
自分が育ってきた“環境”“境遇”から、モノ申してる
そんな御仁に、人生訓“美しい日本”って言われても、
シラケてしまう ヨネ
一方が、一方しか、分かろうとしない、閉ざされた社会
だけど・・・誰だって、表も、裏もあるだろう
表も裏も、それが、人間の振れ幅と、ちょっとだけでも許容され
あんたの、あるがママが、いんだよ
あんたの、ヘマなところが好き
ドジなところ、だ~い大好き
人生で、つまずいても、それは人生の“肥やし”と認められ
失敗の再チャレンジ
負け組から、勝ち組へのチャンスの芽
今みたいに、固定した価値観でなく
もっと、融通無碍に、考えてもらえないかなぁ・・・?
そんな社会に、なれないかなぁ~
自由なようだけど そうでない社会
窮屈な社会、そんな社会のそんな時、
おバカ・キャラ3人組「羞恥心」の大ブレーク
お笑い芸人さんの 大モテモテ
「羞恥心」の、オバカキャラに、人は心おきなく、解放されたい
人々は、何を求めている?
おつにスマシタ、ルックス勝負の、2枚目スターだけでは、
人は、こころイヤされないコトを
お笑い芸人さんの“自虐ネタ”に酔い
人は、ストレスの解消を
笑ってもよい人・怒られない人に、仮託する
親が 大人が 子どもにかける言葉
子どもの、本当の姿を、消してイマセンカ?
本音を言えて、率直に振る舞えて、矛盾も出せる
そんななかで、人は、自分を表現できる言葉を見つけ出す
押さえつけて、鋳型にはめて、
人は、“自由”になれますか?
自分も出せて 他人様の“矛盾”も 理解する
そんな社会だったら、もっと、人生楽しい、のに
秋葉原の あの加害の青年も
どれほど 自分の人生を 歩んできたことだろう
親の、大人のかけてきた言葉、叱責、そして価値観
だけど 親も大人も 日本社会の真っ只中
窮屈な社会 上辺だけ取り繕って
そこから はみ出す人を 排除していませんか?
なぜ・・・? 今、人は、何を求めているのだろう? そんなことを考えて、例のように、「自己満足・過剰マンゾクの詩(もどき)」を創りました。
窮屈な社会に 右往左往!
きょうは突然に、日本社会の窮屈さについて、言いたきこと
親が、大人が、子に、「そんなことしたらイケマセン」
「かくアルベキだ」という言葉のオンパレード
「これダメ」「あれダメ」「そんなことしてたら負ける!」
一方的な価値だけを 伝えること多き日本
テレビでは、コメンテーターが、もっともな意見をノタマって
いつも思うよ、いわゆる「勝ち組」が、
そうでない人の人生を、シタリ顔で論評する
納得できるような だけど、上辺だけみたいなような
・・・・・・・だが、それだけで ものごとの本質が見えてくる?
国務大臣も、官僚も、役所も、学校も
ドンを衝かれないような、用心深い言葉の羅列
優等生風・・・だけど、裏では、人間くさい“矛盾”のオンパレード
時々、それが、暴露され、
“表”に出されて、うろうろと、ウロウロと
右往左往 うおうさおう UOUSAOU と・・・!
世襲議員は、貧しき大衆の生活の実態を知らず
自分が育ってきた“環境”“境遇”から、モノ申してる
そんな御仁に、人生訓“美しい日本”って言われても、
シラケてしまう ヨネ
一方が、一方しか、分かろうとしない、閉ざされた社会
だけど・・・誰だって、表も、裏もあるだろう
表も裏も、それが、人間の振れ幅と、ちょっとだけでも許容され
あんたの、あるがママが、いんだよ
あんたの、ヘマなところが好き
ドジなところ、だ~い大好き
人生で、つまずいても、それは人生の“肥やし”と認められ
失敗の再チャレンジ
負け組から、勝ち組へのチャンスの芽
今みたいに、固定した価値観でなく
もっと、融通無碍に、考えてもらえないかなぁ・・・?
そんな社会に、なれないかなぁ~
自由なようだけど そうでない社会
窮屈な社会、そんな社会のそんな時、
おバカ・キャラ3人組「羞恥心」の大ブレーク
お笑い芸人さんの 大モテモテ
「羞恥心」の、オバカキャラに、人は心おきなく、解放されたい
人々は、何を求めている?
おつにスマシタ、ルックス勝負の、2枚目スターだけでは、
人は、こころイヤされないコトを
お笑い芸人さんの“自虐ネタ”に酔い
人は、ストレスの解消を
笑ってもよい人・怒られない人に、仮託する
親が 大人が 子どもにかける言葉
子どもの、本当の姿を、消してイマセンカ?
本音を言えて、率直に振る舞えて、矛盾も出せる
そんななかで、人は、自分を表現できる言葉を見つけ出す
押さえつけて、鋳型にはめて、
人は、“自由”になれますか?
自分も出せて 他人様の“矛盾”も 理解する
そんな社会だったら、もっと、人生楽しい、のに
秋葉原の あの加害の青年も
どれほど 自分の人生を 歩んできたことだろう
親の、大人のかけてきた言葉、叱責、そして価値観
だけど 親も大人も 日本社会の真っ只中
窮屈な社会 上辺だけ取り繕って
そこから はみ出す人を 排除していませんか?
Posted by 夢想花 at
00:08
│Comments(0)
「誰でもいいから・・・」といった動機で実行される通り魔事件。何よりも、加害者本人の身勝手さが原因であることは言うまでもありませんが、同時に、今の日本の社会における青年の置かれている状況、すなわち、青年の「生きにくさ」も、さまざま語られています。。。今の日本の社会での「生きにくさ」が事件の加害者だけでなく、多くの若者につらい状況をもたらしている・・・このことを、非常に、心痛めて見ています。生きにくさ・・・それは、男女を問わず、老若を問わずですが、まずは、若い男性から・・・。題して「男の子の漂流?・・・」。
男の子の漂流? 生きにくい社会
近年、わが国では、男の子のあるべき人間像は、どうあって欲しいと思われているのか?・・・これについては、昔と違って、明確なイメージが失われてきているのではないか? 以前、私はブログでも「男の子の“漂流”」と書きました。
“漂流”・・・何が、どう漂流しとんねん? 大げさにモノ言うな、とお叱りを受けそうですが、私は、敢えて、こう申し上げたいのです。
また、昔のことを出して恐縮ですが、昭和20年代の私の子ども時代には、明確な「男の子像(イメージ)」がありました。親からも、まわりの大人からも、よく聞かされたお伽噺・・・それは「桃太郎」と「金太郎」と「一寸法師」でした。ラジオからも、
ももたろさん ももたろさん ♪♪
の歌が流れ、自然とよく歌っていました。
「桃太郎」と「金太郎」は、“気は優しくて、力持ち”の男の子です。さらに、「一寸法師」は、体は小さくても、志を抱いて都に上り立身出世していく話です。
よく聞いた言葉があります。それは、クラーク博士の
Boys,be ambitious!
(少年よ、大志を抱け)
です。学校でもよく聞いたように思っていますが、今の時代なら、なんで“boy”だけなんや、“girl”はどないなっとんねん、と言うことになりそうですが、当時は、さほど違和感なく、クラーク博士の言葉が語られ、私たち子どもも受け止めていた。
それが最近では、どうなってきているでしょうか・・・?。
(長くなりますので、次回以降に続けます。)
男の子の漂流? 生きにくい社会
近年、わが国では、男の子のあるべき人間像は、どうあって欲しいと思われているのか?・・・これについては、昔と違って、明確なイメージが失われてきているのではないか? 以前、私はブログでも「男の子の“漂流”」と書きました。
“漂流”・・・何が、どう漂流しとんねん? 大げさにモノ言うな、とお叱りを受けそうですが、私は、敢えて、こう申し上げたいのです。
また、昔のことを出して恐縮ですが、昭和20年代の私の子ども時代には、明確な「男の子像(イメージ)」がありました。親からも、まわりの大人からも、よく聞かされたお伽噺・・・それは「桃太郎」と「金太郎」と「一寸法師」でした。ラジオからも、
ももたろさん ももたろさん ♪♪
の歌が流れ、自然とよく歌っていました。
「桃太郎」と「金太郎」は、“気は優しくて、力持ち”の男の子です。さらに、「一寸法師」は、体は小さくても、志を抱いて都に上り立身出世していく話です。
よく聞いた言葉があります。それは、クラーク博士の
Boys,be ambitious!
(少年よ、大志を抱け)
です。学校でもよく聞いたように思っていますが、今の時代なら、なんで“boy”だけなんや、“girl”はどないなっとんねん、と言うことになりそうですが、当時は、さほど違和感なく、クラーク博士の言葉が語られ、私たち子どもも受け止めていた。
それが最近では、どうなってきているでしょうか・・・?。
(長くなりますので、次回以降に続けます。)
Posted by 夢想花 at
01:34
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