あの広島原爆投下の日から、
73回目の8月6日を迎えました。

広島の様子を伝える
日テレニュース24の動画です。

http://www.news24.jp/articles/2018/08/06/07400690.html

ひろしま県民テレビ「平和の象徴 広島」 の動画です。

https://www.pref.hiroshima.lg.jp/hc-movie/hiro-ch/h30-tv-009.html

国際平和拠点ひろしま構想 です。
https://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/peace/

そして、
広島原爆忌における
安倍首相あいさつ全文です。

1発の原子爆弾が、街を一瞬にして破壊し、
十数万ともいわれる貴い命を奪いました。

あれから73年、
一命を取りとめた方々にも、
筆舌に尽くし難い苦難の日々をもたらしました。

若者の夢や明るい未来が容赦なく奪われました。

原子爆弾の犠牲となられた数多くの方々のみ霊に対し、
       謹んで、哀悼の誠をささげます。
そして、今なお
被爆の後遺症に苦しまれている方々に、
       心からお見舞いを申し上げます。

広島、長崎の悲劇を再び繰り返してはならない。
唯一の戦争被爆国として、
「核兵器のない世界」の実現に向けて、
粘り強く努力を重ねていくこと。
    それは、わが国の使命です。

近年、核軍縮の進め方について、
各国の考え方の違いが顕在化しています。

真に「核兵器のない世界」を実現するためには、
被爆の悲惨な実相の正確な理解を出発点として、
核兵器国と非核兵器国双方の協力を得ることが必要です。

わが国は、非核三原則を堅持しつつ、
粘り強く双方の橋渡しに努め、
    国際社会の取り組みを主導していく決意です。

その具体的な取り組みとして昨年、
核軍縮に関する「賢人会議」を、ここ広島で開催しました。

「賢人会議」を通じて有識者の知見も得ながら、
核拡散防止条約(NPT)発効50周年となる
2020年のNPT運用検討会議が意義あるものとなるよう、
        積極的に貢献してまいります。

また、その非人道性を、
後の世に、また世界に、
       伝え続ける務めがわれわれにはあります。

若い世代が、
被爆者の方々から伝えられた被爆体験を語り継ぐ。
     政府として、そうした取り組みを
         しっかりと推し進めてまいります。

被爆者の方々への援護施策については、
保健、医療、福祉にわたる支援の必要性を
しっかりと受け止め、
被爆者の方々に寄り添いながら、
今後とも、
総合的に推進してまいります。

特に、原爆症の認定について、
引き続き、
一日も早く結果をお知らせできるよう、
   できる限り迅速な審査を行ってまいります。

結びに、
永遠の平和が祈られ続けている、
ここ広島市において、
「核兵器のない世界」と恒久平和の実現に向けて
       力を尽くすことをお誓い申し上げます。

原子爆弾の犠牲となられた方々のご冥福と、 
ご遺族、被爆者の皆さま、
ならびに参列者、広島市民の皆さまの
   ご平安を祈念いたしまして、
     私のあいさつといたします。 (2018/08/06-08:49)

        ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
      73年前、私は2歳の赤ちゃんでした。
        戦後、学校で、日本国憲法と
         文部省副読本「新しい憲法の話」を
          しっかり学び、ラジオやテレビ、
       親や近所の大人から、
       平和主義の有難さをしっかり学んで来ました。
       
        語り継ぐことの大切さ、不十分ながら
          色を付けて強調したり、
      ひたすら、平和が恒久に続きますよう
    切望する当時2歳赤子、今老爺の願いです。m(__)m


  

71年前の朝、8時15分、
広島の上空から、投下された原子爆弾が、
多くの人の命と生活を奪い、
戦後、多くの人の生活を苦しめました。

71年後の今朝、広島市で
平和記念式典が行われ、          
その時、広島市長により出された「平和宣言」です。



【平和宣言】
1945年8月6日午前8時15分。
澄みきった青空を切り裂き、
かつて人類が経験したことのない
「絶対悪」が広島に放たれ、
一瞬のうちに街を焼き尽くしました。
朝鮮半島や、
中国、
東南アジアの人々、
米軍の捕虜などを含め、
子どもからお年寄りまで罪もない人々を殺りくし、
その年の暮れまでに14万もの尊い命を奪いました。

辛うじて生き延びた人々も、
放射線の障害に苦しみ、
就職や結婚の差別に遭い、
心身に負った深い傷は
今なお消えることがありません。
破壊し尽くされた広島は
美しく平和な街として生まれ変わりましたが、
あの日、
「絶対悪」に奪い去られた川辺の景色や暮らし、
歴史と共に育まれた
伝統文化は、二度と戻ることはないのです。

当時17歳の男性は
「真っ黒の焼死体が道路を塞(ふさ)ぎ、
異臭が鼻を衝き、
見渡す限り火の海の広島は生き地獄でした。」
            と語ります。

当時18歳の女性は
「私は血だらけになり、
周りには背中の皮膚が足まで垂れ下がった人や、
水を求めて泣き叫ぶ人がいました
            と振り返ります。

あれから71年、依然として世界には、
あの惨禍をもたらした
原子爆弾の威力をはるかに上回り、
地球そのものを破壊しかねない
1万5千発を超える核兵器が存在します。
核戦争や核爆発に至りかねない
数多くの事件や事故が明らかになり、
テロリストによる使用も懸念されています。

私たちは、この現実を前にしたとき、
生き地獄だと語った男性の
「これからの世界人類は、
命を尊び平和で幸福な人生を送るため、
皆で助け合っていきましょう。」という呼び掛け、

そして、血だらけになった女性の
「与えられた命を全うするため、
次の世代の人々は、
皆で核兵器はいらないと叫んでください。」
との訴えを受け止め、
更なる行動を起こさなければなりません。

そして、多様な価値観を認め合いながら、
「共に生きる」世界を目指し
    努力を重ねなければなりません。

今年5月、
原爆投下国の現職大統領として初めて広島を訪問した
オバマ大統領は、
「私自身の国と同様、核を保有する国々は、
恐怖の論理から逃れ、
核兵器のない世界を追求する
     勇気を持たなければならない。」と訴えました。

それは、被爆者の
「こんな思いを他の誰にもさせてはならない」
という心からの叫びを受け止め、
今なお存在し続ける核兵器の
廃絶に立ち向かう「情熱」を、
米国をはじめ世界の人々に示すものでした。
そして、あの「絶対悪」を許さないという
ヒロシマの思いが
オバマ大統領に届いたことの証しでした。


今こそ、私たちは、
非人道性の極みである「絶対悪」を
この世から消し去る道筋をつけるため
にヒロシマの思いを基に、
「情熱」を持って「連帯」し、
行動を起こすべきではないでしょうか。

今年、G7の外相が初めて広島に集い、
核兵器を持つ国、持たない国という立場を超えて
世界の為政者に広島・長崎訪問を呼び掛け、
包括的核実験禁止条約の早期発効や
核不拡散条約に基づく核軍縮交渉
義務を果たすことを求める宣言を発表しました。
これは、正に「連帯」に向けた一歩です。

為政者には、
こうした「連帯」をより強固なものとし、
信頼と対話による安全保障の仕組みづくりに、
「情熱」を持って臨んでもらわなければなりません。
そのため、各国の為政者に、
改めて被爆地を訪問するよう要請します。
その訪問は、オバマ大統領が広島で示したように、
必ずや、被爆の実相を心に刻み、
被爆者の痛みや悲しみを共有した上での
決意表明につながるものと確信しています。

被爆者の平均年齢は80歳を超え、
自らの体験を生の声で語る時間は
           少なくなっています。
未来に向けて被爆者の思いや言葉を伝え、広めていくには、

若い世代の皆さんの力も必要です。
世界の7千を超える都市で構成する平和首長会議は、
世界の各地域では20を超えるリーダー都市が、
また、世界規模では広島・長崎が中心となって、
若者の交流を促進します。
そして、
若い世代が核兵器廃絶に立ち向かうための思いを共有し、
具体的な行動を開始できるようにしていきます。

この広島の地で
「核兵器のない世界を必ず実現する」
との決意を表明した安倍首相には、
オバマ大統領と共に
リーダーシップを発揮することを期待します。

核兵器のない世界は、
日本国憲法が掲げる崇高な平和主義を体現する世界でもあり、
その実現を確実なものとするためには
核兵器禁止の法的枠組みが不可欠となります。
また、日本政府には、
平均年齢が80歳を超えた被爆者をはじめ、
放射線の影響により
心身に苦しみを抱える多くの人々の苦悩に寄り添い、
その支援策を充実するとともに、
「黒い雨降雨地域」を拡大するよう強く求めます。

私たちは、本日、思いを新たに、
原爆犠牲者の御霊に心からの哀悼の誠を捧げ、
被爆地長崎と手を携え、世界の人々と共に、
核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向けて
     力を尽くすことを誓います。

               平成28年(2016年)8月6日
                  広島市長 松井 一實


       71年前と言えば、私は2歳、
        もの心付いた戦後の混乱期は
        記憶にありますが
        原爆投下に、ついては、戦後、様々聴く機会があって
         広島市にも以後何度も訪れました。
        私の小学生時代の恩師が、
       広島原爆被爆者で、辛いご体験から、命と人を大切にを実践され、
          私たち生徒を慈しまれ、私も悪戯小僧だったのですが、
           優しく、粘り強く、指導して下さいました。
           
           今、被爆者が高齢化して、
          原爆、核兵器の恐怖が“風化”する危険が叫ばれています。
           このブログでも、当時の被爆者も目撃談等を
      次号以下に載せたいと思って居ますので、お読み下さい。m(_ _)m

  

おはようございます。
70年前の日も、こんなに暑かったのでしょうか?!
今日は、8月6日
広島原爆投下の日、です。


70年前、私は2歳の赤ちゃんでしたので、
当時のことを、実感できません。
そこで、次のサイトで、少しでも、心に刻んでいきたいと思います。

【峠三吉さんの詩、です。】
    

ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ

わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ

にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわをへいわをかえせ


  八月六日

あの閃光が忘れえようか
瞬時に街頭の三万は消え
押しつぶされた暗闇の底で
五万の悲鳴は絶え

渦巻くきいろい煙がうすれると
ビルディングは裂け、橋は崩れ
満員電車はそのまま焦げ
涯しない瓦礫と燃えさしの堆積であった広島

やがてボロ切れのような皮膚を垂れた
両手を胸に
くずれた脳漿を踏み
焼け焦げた布を腰にまとって
泣きながら群れ歩いた裸体の行列


石地蔵のように散乱した練兵場の屍体
つながれた筏へ這いより折り重なった河岸の群れも
灼けつく日ざしの下でしだいに屍体とかわり
夕空をつく火光の中に
下敷きのまま生きていた母や弟や町のあたりも
焼けうつり
兵器廠の糞尿のうえに
のがれ横たわった女学生らの
太鼓腹の、片目つぶれの、半身あかむけの、
誰がたれとも分からぬ一群の上に朝日がさせば
すでに動くものもなく
異臭のよどんだなかで
金ダライにとぶ蝿の羽音だけ


三十万の全市をしめた
あの静寂が忘れえようか
そのしずけさの中で
帰らなかった妻や子のしろい眼窩が
俺たちの心魂をたち割って
込めたねがいを
忘れえようか!


【吉永小百合さん原爆詩朗読会 ピアノ坂本龍一さん
           於:ロンドン 、等、です。】
    
https://www.youtube.com/watch?v=lEalWrdso8w


  

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 うれぴい! 「インフルエンザ予防絶交仮面の歌」に、曲がつきました~! 
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