そうですね。納得! 思い詰めたら、アカン、ということやろね
。
悲劇と喜劇
人生は、
近くで見ると悲劇だが、
遠くで見ると、喜劇である。
(by チャップリン)
【夢想花的反省!】 う~ん、納得です。凄惨な事件が、連日、報道されていますが、ちょっと待ちぃや!!! ちょっと見方を変えれば、別の光明が見えてくるかも・・・?! だから、決して、短慮を起こしたら、アカン、アカン、オカン
!!!
近くで見たり、遠くで見たり、下から見たり、横から見たり、斜めから見たり、中から見たり、外から見たり・・・、それぞれが、勉強・勉強。。。。。人生は、一筋縄で行くほど単純ではない。短気癖、単純夢想花も、大いに、反省です
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悲劇と喜劇
人生は、
近くで見ると悲劇だが、
遠くで見ると、喜劇である。
(by チャップリン)
【夢想花的反省!】 う~ん、納得です。凄惨な事件が、連日、報道されていますが、ちょっと待ちぃや!!! ちょっと見方を変えれば、別の光明が見えてくるかも・・・?! だから、決して、短慮を起こしたら、アカン、アカン、オカン

近くで見たり、遠くで見たり、下から見たり、横から見たり、斜めから見たり、中から見たり、外から見たり・・・、それぞれが、勉強・勉強。。。。。人生は、一筋縄で行くほど単純ではない。短気癖、単純夢想花も、大いに、反省です

この名言にも、う~んです
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人生は近くで見ると
悲劇だが、
遠くから見れば
喜劇である。
(by チャップリン)
【夢想花的注釈】 人生、遠近法・・・
う~ん、その通り。深刻なことに直面していても、横っちょから見ればアレレ! ということもあるし、時間が経てば、より醒めて事態を見られる。
この言葉、金言! 短慮を起こさずに、今を、耐えて、人生遠近法の見方肝要と、改めて、教えて頂いた言葉でした
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人生は近くで見ると
悲劇だが、
遠くから見れば
喜劇である。
(by チャップリン)
【夢想花的注釈】 人生、遠近法・・・
う~ん、その通り。深刻なことに直面していても、横っちょから見ればアレレ! ということもあるし、時間が経てば、より醒めて事態を見られる。
この言葉、金言! 短慮を起こさずに、今を、耐えて、人生遠近法の見方肝要と、改めて、教えて頂いた言葉でした


最近、人権尊重上、憂慮するブログがあります。管理者の方も改善する方向で取り組んでおられるようですが、ブログのあり方について考えさせられる事象でした。ブログは個人の私信みたいな面もあるのですが、同時に多くの人が見る小さなテレビ局みたいなものです。暴言や差別の言葉の影響、言われた人や子どもたちが見たときの悲しみ・・・それを考えると、反発を買うかも知れませんが、どうか、老骨の言うことに耳を傾けて頂けたら、と厚顔にも私の作っている「夢想花放送局倫理規定」を載せますので、ご参考までにして頂いたらうれしいいです。
・・・
夢想花放送局倫理規定
「夢想花放送局倫理規定」と言えば、大層ですが、次の3ヶ条を心の中で意識しております。先の号で、一部、言っていることと重複しますが・・・。
① 人権を尊重する。
人権について、最近、強く思っていることを言いますと、今、メディアでも、お笑い芸でも、人の容貌容姿をあげつらい、高齢の方を笑いものにするような風潮が、蔓延しています。亡くなった植木等さんは、「人の容貌や下ネタは、最低!」と言われています。卓見です。あのチャップリンも、社会の底辺で、ひっそりと生きている人たちに“いたわり”の眼差しを注ぎ、弱い立場の人を励ます“温かい”眼差しをもっていました。一方、権力ある者には、批判・反骨の精神を持っていた。
それに対して、今、日本のメディアや一部お笑い芸人には、観客の弱い層の人たちを、「いたわる」のではなくて「いたぶる」ことによって、笑いを取ろう、注目を得ようとする風潮が蔓延しています。一方、権力ある者には、批判や反骨精神が弱い! テレビ局のあり方に批判があって、テレビ離れが進んだり
国からの規制が強まるかも知れない。そういう中で、人間軽視の風がはびこっています! ブログ文化も、みんなで楽しめようにしまよう!
世の体制や大勢におもねて、立場の弱い人を嘲っている・・・そんな風潮に、憤りも憶えるし、批判力や判断力が育っていない子どもたちや多くの人たちの人間観をゆがめて、苦しめているように思います。外見や容姿や民族や人種で価値判断をし、それが“いじめ”や“人間軽視”に繋がっている。こういう風潮の中で、人生を狂わしたり、苦しんでいる人がいることにも、思いを寄せて欲しい・・・。
② 判断に迷ったら、「日本国憲法の前文」の精神に立ち返る。
③ できれば、人の心を温めたい!
(理屈こき夢想
花のお節介お許し下さい。私以上のお節介「つむぐさん」も心を痛めています。お名前を出すことに、ご本人の了解も得ています
。)

夢想花放送局倫理規定
「夢想花放送局倫理規定」と言えば、大層ですが、次の3ヶ条を心の中で意識しております。先の号で、一部、言っていることと重複しますが・・・。
① 人権を尊重する。
人権について、最近、強く思っていることを言いますと、今、メディアでも、お笑い芸でも、人の容貌容姿をあげつらい、高齢の方を笑いものにするような風潮が、蔓延しています。亡くなった植木等さんは、「人の容貌や下ネタは、最低!」と言われています。卓見です。あのチャップリンも、社会の底辺で、ひっそりと生きている人たちに“いたわり”の眼差しを注ぎ、弱い立場の人を励ます“温かい”眼差しをもっていました。一方、権力ある者には、批判・反骨の精神を持っていた。
それに対して、今、日本のメディアや一部お笑い芸人には、観客の弱い層の人たちを、「いたわる」のではなくて「いたぶる」ことによって、笑いを取ろう、注目を得ようとする風潮が蔓延しています。一方、権力ある者には、批判や反骨精神が弱い! テレビ局のあり方に批判があって、テレビ離れが進んだり
国からの規制が強まるかも知れない。そういう中で、人間軽視の風がはびこっています! ブログ文化も、みんなで楽しめようにしまよう!
世の体制や大勢におもねて、立場の弱い人を嘲っている・・・そんな風潮に、憤りも憶えるし、批判力や判断力が育っていない子どもたちや多くの人たちの人間観をゆがめて、苦しめているように思います。外見や容姿や民族や人種で価値判断をし、それが“いじめ”や“人間軽視”に繋がっている。こういう風潮の中で、人生を狂わしたり、苦しんでいる人がいることにも、思いを寄せて欲しい・・・。
② 判断に迷ったら、「日本国憲法の前文」の精神に立ち返る。
③ できれば、人の心を温めたい!
(理屈こき夢想


アメリカで、顔面移植手術を受けた女性が記者会見されました。
“いたわり”から“いたぶり”へ
彼女は、訴えます・・・「外見で人を判断しないで」・・・と。
今、わが国のテレビを観ても、容貌や容姿によって、人を決めつける言葉が氾濫しています。お笑い芸の世界でも、容貌を笑いものにする悲しい芸風が氾濫しています。
いわく、イケメンタレント、美女図鑑、ブサイクタレント、とか・・・。観る私たちは、感覚が麻痺し、批判力や判断力が十分育っていない子どもたちの間では、イジメの言葉として使われます

。
かつて、あの植木等さんは、「容貌と下ネタは、芸として最低!」という発言をしています。かつてのお笑い芸は、観客の中の“弱い立場にある人”に光をあて、いたわるような芸風が主流でした。あのチャップリンにしても、社会の片隅で生きている人たちに勇気を与える映画を創りました。いはく、「街の灯り」「ライムライト」と。あの「独裁者」という映画にしても、庶民の目線から、1930年代、当時の独裁者ヒトラーを強烈に風刺する映画を創りました。
私の印象では、日本の落語にしても、江戸時代、侍批判を許されなかった町人たちが、笑いの姿を借りて、権力持つ人を、風刺する反骨精神が満ちたものとして、庶民の間に根づいてきました。
かつてのお笑い芸には、“弱い立場の人”を労り、光をあて、さらに、力ある者を風刺する、庶民への愛情・力ある者への反骨
があったように思います。
それが、今のお笑い芸には、観客の中の“弱い立場の人”をいたわるのではなく、弱い立場の人をイタブって、下卑た笑いをとり、力ある者にはほとんど“批判”も“風刺”もしない、反骨精神が見うけられない悲しい芸風
が、氾濫しています。
やってる本人たちは、それで面白い、観客も笑ってる、と思っているようですが、複雑な思いでテレビ画面を観ている人への思いに気づかないか、無視している・・・

。
“いたわり”から“いたぶり”へ・・・。女性や高齢者がそのターゲットに、なっています。 (長くなりますので、明日以降につづけます)
“いたわり”から“いたぶり”へ
彼女は、訴えます・・・「外見で人を判断しないで」・・・と。
今、わが国のテレビを観ても、容貌や容姿によって、人を決めつける言葉が氾濫しています。お笑い芸の世界でも、容貌を笑いものにする悲しい芸風が氾濫しています。
いわく、イケメンタレント、美女図鑑、ブサイクタレント、とか・・・。観る私たちは、感覚が麻痺し、批判力や判断力が十分育っていない子どもたちの間では、イジメの言葉として使われます





かつてのお笑い芸には、“弱い立場の人”を労り、光をあて、さらに、力ある者を風刺する、庶民への愛情・力ある者への反骨

それが、今のお笑い芸には、観客の中の“弱い立場の人”をいたわるのではなく、弱い立場の人をイタブって、下卑た笑いをとり、力ある者にはほとんど“批判”も“風刺”もしない、反骨精神が見うけられない悲しい芸風

やってる本人たちは、それで面白い、観客も笑ってる、と思っているようですが、複雑な思いでテレビ画面を観ている人への思いに気づかないか、無視している・・・



“いたわり”から“いたぶり”へ・・・。女性や高齢者がそのターゲットに、なっています。 (長くなりますので、明日以降につづけます)

アン・ビリバボー・・・
イレーナー・センドラー
・・・「ビンの中の命」
若い頃から、私はアンネ・フランクという少女を描いた映画「アンネの日記」を観て、ナチス・ドイツに青春と人生をねじ曲げられ命を奪われた多くのユダヤ人の悲劇に衝撃を受けました。そして、そしてチャップリンの「独裁者」という映画を観て共感し、さらに、多くのユダヤ人の命を救った日本の外交官杉原千畝の「命のピザ」の発行や映画「シンドラーのリスト」にも、心を動かされてきました。
このアドレスを、ぜひ、クリックしてください。
番組「アン・ビリバボー」の中の「瓶の中の命」のHPのアドレスです。
http://wwwz.fujitv.co.jp/unb/contents/prevfrm.html
「イレーナー・センドラー・・・ビンの中の命」の記事のアドレスです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%BC
いま、ガザで砲撃をしているイスラエルは、ユダヤ人が永い迫害を越えて建国した国です。歴史の悲劇、歴史の教訓から、人間は何を学ぶのか? アン・ビリバボーを観ながら、考えさせられました。
終わりに、98歳で亡くなったイレーナー・センドラーの晩年の言葉を紹介します。
・・・「“英雄”という言葉で呼ばれることに私は大きな抵抗を感じます。実は私はその反対なのですから。私はほんの少しの子供たちしか助けることができなかったことで良心の呵責にさいなまれて生きつづけているのです。」 そして
「最後は、愛が勝つと信じています。」 ・・・と。
※ ここでさらに、夢想

力を信奉する人は、愛や善意や信頼は、青臭い議論だと言って、嘲ります。しかい、永い人類の歴史で、何やかや言っても、愛を大切にする方向に歴史は動いてきているのではないでしょうか? 憎しみの連鎖は、一体、何が止めるのでしょうか?