コロナ渦と五輪開催を
      どう、思うか?!
   鬼さんに、
    冷静な人類の在り方を問いたい
     今号です。
     訳分かり憎い今号で
       スンマセン。m(__)m


   何故か、家に、鬼の面  
      があるのです。

     それは、
吉田ピーナッツ食品会社の
鬼の面
 です。
https://www.picuki.com/media/1970898007081422627


   節分会は、もう終わりましたけど
    今日あたり、立春で、
     暖かい筈なのに、
    まだまだ、寒い、さっぶ~!


       と言った今日の天気です。
     日が照らんと、ウォーキングしても
       楽しくないし、
     その分、テレビ、特に
      グッとラックを、見ていますと、
       森IOC会長の、迷妄発言に対して
        番組コメンテーターの田村淳さんの
          コメントの重さ・・・

改めて、
グッとラックのHP です。
https://www.tbs.co.jp/guttoluck-tbs/

 オリンピックは、誰のもん、やねん・・・?!
    一部の人の“暴走”で、成り立つ五輪では、無い!      
       と、改めて、思った、今日の番組でした。


なお、冒頭の
鬼の面、を見ますと、

https://www.picuki.com/media/1970898007081422627
         
   豆まきで追われる鬼さんも
    幾多の悲しと喜びを
     内包した、お顔をされている。

   
    寒さに震えて、人生の哀歓を噛みしめている、
      元少年で、今は後期高齢者の
        哀歓、しきり、です。
      コロナ渦とオリンピック
       この鬼さんは、どう見ているのかな?
      鬼さんの意見、教えて下さい。m(__)m





※ このブログで、
五輪・パラリンピック大会、に触れた号です。
    クリックをお願いします。m(__)m

https://poeny.shiga-saku.net/search.php?csrf=407348b8940a8ddbaa5d21467b9aa496dda4919d&search=%E4%BA%94%E8%BC%AA  

2008年08月17日

オリンピック懐古

 昨日の朝、妻の両親の墓参り。一面田圃の奥の一角にある木木に囲まれた墓地。蝉の鳴き声が響いている。懐かしい。今年は、温暖化の影響か、蝉の鳴き声があまりないとテレビでもやり、私もそう思っていたけど、ここではけっこううるさいほど鳴いている。ややほっとした。
そのあと、妻の姉・兄と食事。いつものように、噂話(は“蜜”の味kao08?)・田畑の話・病気の話さらに北京オリンピック四方山話、日本の将来、さらに回顧談と、話尽きることなく、“一瞬の沈黙”もなく、4時間。家へ帰って、プチっとテレビを点けたら、女子レスリングの伊調千春選手吉田沙保里選手の活躍を報じていた。
  そこできょうは、「回顧」つながりで、私の子ども時代と青年期の五輪回顧を少しお送りします。


         オリンピック 懐古

  日本が、国際社会に復帰して、オリンピック参加が認められたのは、1952(昭和27)年ヘルシンキ夏季大会だった。もちろん、当時小学2年生か3年生だった私は、そんなこと知る由もなく、雑音混じりの、音声が小さくなったり大きくなったりする木製のラジオにしがみついて、水泳の古橋・橋爪選手、体操の小野選手の活躍に胸躍らせていた。今はラジオではなく恐らくテレビだろうけど、テレビを見て当時の私のように一喜一憂している子どもたちも、このオリンピックのこと、北島選手やフェンシングの太田選手などのことを、大人になってから、特に今の私のように老境に入ってからどう思い出すのだろう?  ・・・という、きょうは“回顧、懐古(?)オリンピック”の話。

  さらに、回顧をすると
1972(昭和47)年札幌冬季オリンピック笠谷・金野選手と共に、70m級ジャンプで表彰台を独占した日の丸飛行隊の一員である青野清二選手が亡くなったことも。66歳。合掌。1972年と言えば、私は働いていたし、確かまだ独身or新婚だった。青野選手は、私と一つ違いだったんだ!。トワエ・モアさんの「虹と雪のバラード」の歌声とともに、テレビの映像が鮮明に甦ってくる。

  札幌オリンピックの8年前の、1964(昭和39)年の東京オリンピックも、大きく日本を変わらせた、私の青春face08icon07face05真っ只中だったけどの、五輪大会。中国も、北京オリンピックで大きく変わっていくだろう
願望も含めて・・・。ここで、例によって下手な三首(おことわり:Upした最初は一首でしたが、以後、微妙に増やしてイマス。)

    今むかし 刻む記念碑 五輪の宴
       彼の地此の地の 老いに若きに 

     人の世の 夢を描いて 祈念の碑
       五輪の光彩 永久に放てよ

     一堂に 人集いて 夢語る
       五輪の輝き あまねく永遠に


     ・・・どれもパッとしませんが、 
       気持ちだけ

       ド ド~ンっ

           とお送りします。




※ 古橋選手とヘルシンキ・東京・札幌オリンピックについての記事です。クリックしてください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E6%A9%8B%E5%BA%83%E4%B9%8B%E9%80%B2

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AD%E5%B9%8C%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%94%E3%83%83%E3%82%AF

  

2008年04月08日

オリンピックって?

 オリンピックって何? と考えさせることが起こっている。ひとつは、聖火リレーに対する中国のチベット人への仕打ちに対する抗議行動、きょうの報道のもうひとつは、柔道の日本代表候補に体重別選手権大会の優勝者が、必ずしも、選ばれなかったことだ。どちらも、命の輝きから遠いことから起こったことだと、いうことではないだろうか?

    命の精一杯の輝きを・・・

 そもそも、五輪大会は、人類の平和、人間の命の輝きの祭典ではないのか?
 道理でなく無理で、誰かの命の輝きを押さえつけて、一つの形、一人の勝者をつくるより、もっと大事な、全人類が輝く祭典であるということを、私たちは、考えるべきではないでしょうか?

 まじめにこつこつと努力して生きる者が報われる、チャンスを与えられる、平等のスタートラインに立って競争できる・・・現実の社会が、不平等が多い故、せめてスポーツの場だけでも、平等・公正がより期待される・・・大会の表面的な成功や金メダル獲得よりも、もっと大事なモノがある、と、熱狂できない思いでオリンピックを見ざるを得なくなっていくのが悲しい。

 スポーツ界でうれしかった報が、テニスの伊達公子さんの現役復帰宣言。私も体がまだまだ動いた頃、テニスに打ち込んで、そのころ、伊達選手とシュティフィ・グラフ選手の死闘のテレビに釘付けになった。それに、巨人軍の上原浩治投手の米大リーグへの挑戦の報。長嶋監督当時、敬遠の指令をベンチから出されて、彼が、口惜しそうに、マウンドの砂を蹴っていたシーンを思い出します。

 勝つために試合をするのだけれど、勝った負けたは数字として残るけれど、ファンは(私も一フアン)は、その時の準備・表情・仕草・思い・命の精一杯の輝きに感動し、鮮烈に覚えている。せめてスポーツだけでも、勝つためには手段を選ばないといった薄汚れたことはして欲しくない、して欲しくありません、オリンピックをわだかまりなく、見たい。あと何回、オリンピックを見られるか分からない私としては・・・。


※ 川内康範さんの訃報にも驚きました。享年88歳、最後まで、自分の気持ちを言い続けたことは立派です。「おふくろさん」をめぐって、森進一さんに思いを投げかけられたけれど、森進一さんもさらに頑張って、天国の川内さんに誉めてもらえるように、歌手として活躍して欲しい。  

Posted by 夢想花 at 00:51Comments(0)名もなき孤老の訴え
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 うれぴい! 「インフルエンザ予防絶交仮面の歌」に、曲がつきました~! 
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