無慈悲な殺戮と悲劇を
   生んだ、あの戦争から
     75年


75年前、私は2歳でした。
   私自身も勉強したく、
    この素晴らしいHPを
     アップしたいです。

NHK戦争証言アーカイブス です。
https://www2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/bangumi/list.cgi


    じっくりと、あちこちを、検索して
      あの戦争を、勉強したい!
     そして、未来に、
      核兵器なき世界、
      戦争なき世界と日本の在り方を
       切に求め、

        勉強したい私です。


そして、
これからの
地球の平和と繁栄は、
  若者や子どもたち、未来世代の人たちの
    幸福と安寧に、繋がること、

     だから、あの戦争の痛ましさを、勉強して貰いたく、
       自分自身の勉強も含めて
       これからの世代の人たち
        に読んで戴くことを願って
          アップしたい私です。m(__)m







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75年前の8月9日、
長崎市に、原爆が投下され、
  辛い惨劇が起こされました。
そして、
本日、長崎市で
被爆75年周年
長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典
     が、行われました。

【KTNテレビ長崎】の動画
 です。
https://www.youtube.com/watch?v=eg7D3j8xmHQ

そして、
長崎市HP です。
https://www.city.nagasaki.lg.jp/heiwa/index.html



    慰霊祭の、他の様子にも
      触れたいのですが、
     特に、
     14歳の時に、被爆され
     家族や友人の突然の死を
      目撃された
今、89歳の被爆者代表
深堀繁美さんの、ご証言 
に触れたい、と思います。


   川に真っ黒な人、「水…水…」 

 原爆が投下された1945年、
旧制中学3年生だった私は、
神父になるため親元を離れ、
大浦天主堂の隣にあった
羅典(らてん)神学校で生活をしていました。
中学校の授業はなく、勤労学生として
飽の浦町の三菱長崎造船所で働く毎日でした。

 8月9日、仲間とともに工場で作業をしていた時、
突然強い光が見え、大きな音が聞こえました。
近くに爆弾が落ちたと思い、とっさに床に伏せましたが、
天井から割れた瓦が落ちてきたので、
工場内にあるトンネルに逃げ込みました。
夕方になり、トンネルを出て神学校に帰りました。
夜遅くには浦上で働いていた
5人の先輩が帰ってきましたが、
一日もたたずに全員が亡くなりました。

 翌10日の昼には、
浦上の実家へ戻ることを許されたので、
歩いて帰ることにしました。
途中には、
車輪だけとなった電車や
白骨が転がっており、
川には真っ黒になった人が折り重なっていました。
生きているのか死んでいるのかもわかりません。
時々「水……、水……」という声が聞こえますが、
助けることはできません。
浦上天主堂は大きく崩れ、
その裏手にあった実家も爆風で壊れていました。
父は防空壕の中の
  兵器工場で働いていたので助かりましたが、
姉2人と弟と妹は亡くなっていました。
しかし、たくさんの死体を見てきたためか、
不思議と涙も出ません。
今思えば、
  普通の精神状態ではなかったのだと思います。

 まちには
亡くなった人を焼くにおいが、しばらく立ち込めていました。
何のけがもない人が
次々に亡くなっていく現実を目の当たりにすると、
次は自分が死んでしまうのではないかという恐怖感が、
なかなか振り払えなかったことを覚えています。
このような思いは、
もう二度とどこの誰にもしてほしくないと思います。

 昨年11月、「平和の使者」として、
フランシスコ教皇が長崎を訪問されました。
最初の訪問地、
爆心地公園に足を運んだ教皇とともに
原爆犠牲者に献花した、
    あの時の場面が蘇ります。
そして、39年前に
広島でヨハネ・パウロ二世教皇の
戦争は人間のしわざです」との印象深い言葉を、
より具体化し、
核兵器廃絶に踏み込んだ
フランシスコ教皇の言葉に、どんなにか勇気づけられたことでしょう。

さらに、
「長崎は核攻撃が
人道上も環境上も壊滅的な結末をもたらすことの証人である町」とし、
まさに私たち長崎の被爆者の使命の大きさを感じる言葉をいただきました。

 また、「平和な世界を実現するには、
すべての人の参加が必要」との教皇の呼びかけに呼応し、
一人でも多くの皆さんがつながってくれることを願ってやみません。
特に若い人たちには、
この平和のバトンをしっかりと受け取り、
走り続けていただくことをお願いしたいと思います。

 私は89歳を過ぎました。
被爆者には、もう限られた時間しかありません。
今年、被爆から75年が経過し、
被爆者が一人また一人といなくなる中にあって、
私は、「核兵器はなくさなければならない」との
教皇のメッセージを糧に、
「長崎を最後の被爆地に」との思いを
訴え続けていくことを決意し、
「平和への誓い」といたします。

2020年(令和2年)8月9日被爆者代表 深堀繁美



   75年前、私は、2歳でした。
    被爆者の思いが、
   後世に、語り継がれて欲しい!!!

     若い世代の人たちに
        思いが伝承されますよう、

     非人道的な戦争、そして、核による殺戮が
       起こらないことを願って、

      深堀繁美さんのご証言を、
        アップしたいです。m(__)m





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第二次世界大戦(太平洋戦争)末期
75年前の今日、
8月6日の午前8時15分に、
アメリカ軍が日本の広島市に対して
世界で初めて核兵器「リトルボーイ」を実戦使用し、
   多くの人の命を奪い、
   多くの人が、被爆後遺症、に苦しみ、
   広島市を、焼け野原にしました。
その広島市で、
今日8月6日、午前8時から
平和記念式典が開かれ、
被爆者や遺族の代表をはじめ、
子ども達、若い人達、
首相はじめ世界の国の代表などが
   参列して、行われました。


この祈念式典での
広島市長が訴えた
核軍縮へ建設的対話の継続を・・・・
広島平和宣言全文
、です。

戦後75年
 1945年8月6日、
広島は一発の原子爆弾により破壊し尽くされ、
     「75年間は草木も生えぬ」と言われました。
しかし広島は今、復興を遂げて、
世界中から多くの人々が
    訪れる平和を象徴する都市になっています。


 今、私たちは、
新型コロナウイルスという
人類に対する新たな脅威に立ち向かい、もがいていますが、
この脅威は、
悲惨な過去の経験を反面教師にすることで
      乗り越えられるのではないでしょうか。

 およそ100年前に流行したスペイン風邪は、
第一次世界大戦中で
敵対する国家間での「連帯」が叶かなわなかったため、
数千万人の犠牲者を出し、
      世界中を恐怖に陥おとしいれました。
その後、国家主義の台頭もあって、
第二次世界大戦へと突入し、原爆投下へと繋つながりました。

 こうした過去の苦い経験を決して繰り返してはなりません。
そのために、
私たち市民社会は、
自国第一主義に拠ることなく、
「連帯」して脅威に立ち向かわなければなりません。

 原爆投下の翌日、
「橋の上にはズラリと負傷した人や既に息の絶えている
     多くの被災者が横たわっていた。
大半が火傷やけどで、皮膚が垂れ下がっていた。
『水をくれ、水をくれ』と
    多くの人が水を求めていた」という惨状を体験し、
「自分のこと、あるいは自国のことばかり考えるから
     争いになるのです」
      という当時13歳であった男性の訴え。

 昨年11月、被爆地を訪れ、
「思い出し、ともに歩み、守る。この三つは倫理的命令です」
      と発信されたローマ教皇の力強いメッセージ。

 そして、国連難民高等弁務官として、
難民対策に情熱を注がれた
緒方貞子氏の
「大切なのは苦しむ人々の命を救うこと。
自分の国だけの平和はありえない。
世界はつながっているのだから」という実体験からの言葉。

これらの言葉は、
人類の脅威に対しては、
悲惨な過去を繰り返さないように
  「連帯」して立ち向かうべきであることを
      示唆しています。

 今の広島があるのは、
私たちの先人が互いを思いやり、
    「連帯」して苦難に立ち向かった成果です。

 実際、平和記念資料館を訪れた海外の方々から
「自分たちのこととして悲劇について学んだ」
「人類の未来のための教訓だ」という声も寄せられる中、
これからの広島は、
世界中の人々が
核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向けて「連帯」することを
     市民社会の総意にしていく責務があると考えます。

 ところで、国連に目を向けてみると、
50年前に制定されたNPT(核兵器不拡散条約)と、
3年前に成立した核兵器禁止条約は、
    もに核兵器廃絶に不可欠な条約であり、
次世代に確実に「継続」すべき枠組みであるにもかかわらず、
    その動向が不透明となっています。
世界の指導者は、今こそ、
この枠組みを有効に機能させるための決意を
     固めるべきではないでしょうか。

 そのために広島を訪れ、
被爆の実相を深く理解されることを強く求めます。
その上で、
NPT再検討会議において、
NPTで定められた核軍縮を誠実に交渉する義務を
    踏まえつつ、
建設的対話を「継続」し、
核兵器に頼らない安全保障体制の構築に向け、
      全力を尽くしていただきたい。

 日本政府には、
核保有国と非核保有国の橋渡し役を
    しっかりと果たすためにも、
核兵器禁止条約への署名・批准を求める
   被爆者の思いを誠実に受け止めて
同条約の締約国になり、
唯一の戦争被爆国として、
世界中の人々が被爆地ヒロシマの心に共感し
   「連帯」するよう訴えていただきたい。

また、平均年齢が83歳を超えた被爆者を始め、
心身に悪影響を及ぼす放射線により
   生活面で様々な苦しみを抱える多くの人々の苦悩に寄り添い、
   その支援策を充実するとともに、
「黒い雨降雨地域」の拡大に向けた政治判断を、改めて強く求めます。

 本日、被爆75周年の平和記念式典に当たり、
原爆犠牲者の御霊みたまに
心から哀悼の誠を捧ささげるとともに、
核兵器廃絶とその先にある
世界恒久平和の実現に向け、
被爆地長崎、そして
思いを同じくする世界の人々と
    共に力を尽くすことを誓います。

   令和2年(2020年)8月6日
    広島市長 松井 一実



    広島原爆投下の日、私は、2歳でした。
     私の生涯の恩師である
      小学校の女性の先生は、
       広島原爆被爆者で、
        命の大切さ・重さを一杯教えて下さり、
         私たち子どもを慈しんで下さいました。

日本政府も、
  原爆投下による、多くの人の無念を
    真摯に受け止め、
   核兵器廃絶への努力
   被爆者への支援、
    原爆投下の無慈悲さを、真摯に、誠実に
      後世に語り継ぐ施策をされるよう、

       深く、強く、求めたいです。m(__)m







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 今日、3月10日、

75年前の3月10日は、
アメリカのB29爆撃機によって
東京大空襲では、
26万戸以上の建物が焼け、
およそ10万人が犠牲になりました。


東京大空襲から755年 追悼の慰霊法要
   についてのNHKの報道
 です。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200310/k10012322901000.html


そして、
作家早乙女勝元さん(86歳)の
   証言の動画 
です。
https://www.asahi.com/articles/ASM34578YM34UEHF005.html

 焼夷(しょうい)弾攻撃だけで一夜にして10万人もの人が亡くなったというのは、核兵器の被害と何ら変わらない。通常の火薬兵器でも   核兵器並みの被害を出すんです」。そう語るのは、作家の早乙女勝元さん(86)。館長を務める東京大空襲・戦災資料センター(東京都江東区)によると、原爆被害を除く全国の空襲による民間人の死者数は、東京23区と約530市町村で推定約20万3千人に上る。2014年11月に地域史を調べて積み上げた数字で、これは二つの原爆で亡くなった犠牲者(広島14万人、長崎7万人)に匹敵するという事 です。


そして、 
朝日新聞デジタル です。
https://www.asahi.com/articles/ASN3B221JN33UPQJ013.html


      75年前の今日、私は、京都市内で
        母親に抱かれた赤子、だったと思います。
      何故か、近所の大人が、夜空の航空機の灯を見て、
       B29や! と、叫んでいたのを、何故か?
           記憶しているのです。

       戦後、もの心着いた後に、
        見たニュース映画によるものなのか?
        今も、B29や! の声の記憶が
           残っているのです。

ですが、
あの惨劇を、繰り返さない為にも、
これらの動画をアップさせて頂きたい、と思います。m(__)m

  

ローマ教皇フランシスコさんが、来日されて、
核兵器廃絶や
反戦、平和へのメッセージを、
長崎、広島、皇居等で、
語られています。

この映像を、クリックして下さい。m(_ _)m

https://search.yahoo.co.jp/video/search?p=%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E6%95%99%E7%9A%87&ei=UTF-8&mfb=P012&ts=19620&aq=1&oq=%E3%82%8D%E3%83%BC%E3%81%BE&at=s&ai=LJX120ruRZOlpIs9DAo4fA&fr=top_ga1_sa

お年は82歳、ですが、強行日程にも拘わらず、
長年の、被爆国日本への訪日への思いを胸に、
核兵器廃絶、戦争の悲惨さ、平和のたいせつさを、
訴えておられます。
訪日最終日には、安倍首相とも会談予定、
安倍首相も、平和への思いを、
きちんと受け止めて下さるよう、熱く注目、願う、

昭和18年うまれ、
戦後の日本の動きを目撃して来た、
老爺の熱い、熱い思いです。m(_ _)m
  

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 うれぴい! 「インフルエンザ予防絶交仮面の歌」に、曲がつきました~! 
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