米国前大統領のオバマさん
のツイッターが、凄く、
話題を呼んでいるとのことです。
現在のトランプ大統領の施政が
国民の間の“分断”を煽るようなやり方なので、
それに批判的な
米国前大統領のオバマさん
のツイッターが、凄く、
話題を呼んでいると言われています。
私は、ブログやってる割りには、
ツイッターが何たるか分かって居ませんので、
以下、
1993年、ネルソン・マンデラさんは、
デクラークさんと共にノーベル平和賞を受賞。
1994年に南アフリカ初の全人種参加選挙が実施され、
ANCが勝利。
時の政権の弾圧・投獄に抗して闘い、そして、
ネルソン氏は南アフリカ共和国大統領に就任し、
民族和解・協調を呼びかけ、
アパルトヘイト体制下での白人・黒人との
対立や格差の是正、
黒人間の対立の解消、
経済不況からの回復として
復興開発計画などを実施した。
一部ですが、私が感銘を受けたお言葉です。
★ ネルソン・マンデラ氏の名言 ★ です。
私は白人による支配に反対し、
そして黒人による支配にも反対してきました。
全ての人々が協調して平等な機会の下で共に暮らしていく、
民主的で自由な社会という理想を大切にしています。
この理想に
人生を捧げて実現を目指すことができれば
最も望ましいですが、
必要であれば、この理想のために死をもいといません。
成し遂げたことで私を判断するのではなく、
失敗して再び立ち上がった回数で判断してほしい。
憎しみは心を曇らす。
憎しみによってあれこれ余計なことを考えてしまう。
指導者には誰かを憎んでいる余裕はない。
人は憎しみを学べるのなら、
愛を教えてもらうこともできるはずだ。
なぜなら、
人の心にとって
愛することは憎むことよりも自然なことだから。
憎しみを持って生まれてくる人はいない。
勇気ある人は平和のために許すことを恐れない。
報復するよりも情けをかける方が、
この世界では
より多くのことを成し遂げられる。
私は人種差別を嫌悪する。それは、
白人からであれ黒人からであれ
野蛮なことだと思うからだ。
勇敢な人とは、
恐れを知らない人のことではなく、
恐れを克服する人のことだ。
自由になるとは、
単に束縛から解放されることではなく、
他人の自由を
尊重かつ促進しながら生きるようになることだ。
教育は、
世界を変えるために使える最も強力な武器だ。
生まれたときから、
肌の色や育ち、
宗教で他人を憎む人などいない。
人は憎むことを学ぶのだ。
もし憎しみを学べるのなら、
愛を教えることもできる。
愛は、憎しみに比べ、
より自然に人間の心にとどく。
生きるうえで最も偉大な栄光は、
決して転ばないことにあるのではない。
転ぶたびに起き上がり続けることにある。
マンデラさんのお言葉を噛みしめ、
政治とは、人生とは、を
さらに考えていきたい、と思います。m(_ _)m
のツイッターが、凄く、
話題を呼んでいるとのことです。
現在のトランプ大統領の施政が
国民の間の“分断”を煽るようなやり方なので、
それに批判的な
米国前大統領のオバマさん
のツイッターが、凄く、
話題を呼んでいると言われています。
私は、ブログやってる割りには、
ツイッターが何たるか分かって居ませんので、
以下、
1993年、ネルソン・マンデラさんは、
デクラークさんと共にノーベル平和賞を受賞。
1994年に南アフリカ初の全人種参加選挙が実施され、
ANCが勝利。
時の政権の弾圧・投獄に抗して闘い、そして、
ネルソン氏は南アフリカ共和国大統領に就任し、
民族和解・協調を呼びかけ、
アパルトヘイト体制下での白人・黒人との
対立や格差の是正、
黒人間の対立の解消、
経済不況からの回復として
復興開発計画などを実施した。
一部ですが、私が感銘を受けたお言葉です。
★ ネルソン・マンデラ氏の名言 ★ です。
私は白人による支配に反対し、
そして黒人による支配にも反対してきました。
全ての人々が協調して平等な機会の下で共に暮らしていく、
民主的で自由な社会という理想を大切にしています。
この理想に
人生を捧げて実現を目指すことができれば
最も望ましいですが、
必要であれば、この理想のために死をもいといません。
成し遂げたことで私を判断するのではなく、
失敗して再び立ち上がった回数で判断してほしい。
憎しみは心を曇らす。
憎しみによってあれこれ余計なことを考えてしまう。
指導者には誰かを憎んでいる余裕はない。
人は憎しみを学べるのなら、
愛を教えてもらうこともできるはずだ。
なぜなら、
人の心にとって
愛することは憎むことよりも自然なことだから。
憎しみを持って生まれてくる人はいない。
勇気ある人は平和のために許すことを恐れない。
報復するよりも情けをかける方が、
この世界では
より多くのことを成し遂げられる。
私は人種差別を嫌悪する。それは、
白人からであれ黒人からであれ
野蛮なことだと思うからだ。
勇敢な人とは、
恐れを知らない人のことではなく、
恐れを克服する人のことだ。
自由になるとは、
単に束縛から解放されることではなく、
他人の自由を
尊重かつ促進しながら生きるようになることだ。
教育は、
世界を変えるために使える最も強力な武器だ。
生まれたときから、
肌の色や育ち、
宗教で他人を憎む人などいない。
人は憎むことを学ぶのだ。
もし憎しみを学べるのなら、
愛を教えることもできる。
愛は、憎しみに比べ、
より自然に人間の心にとどく。
生きるうえで最も偉大な栄光は、
決して転ばないことにあるのではない。
転ぶたびに起き上がり続けることにある。
マンデラさんのお言葉を噛みしめ、
政治とは、人生とは、を
さらに考えていきたい、と思います。m(_ _)m
昨日は、
原爆投下から72年目の朝、
長崎平和祈念式典がありました。
それに、関わる動画を探したのですが、
検索が下手なのか?
うまく出て来ませんでしたので
まず、関連する動画と
田上長崎市長の平和宣言
を載せて
平和・核兵器廃絶への願いを
受け止めさせて頂きたいと思います。m(_ _)m
まず、この動画を見て下さい。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170809/k10011094191000.html?utm_int=movie-new_contents_list-items_005&movie=true
https://mainichi.jp/movie/video/?id=120102102
次に、 「ノーモア ヒバクシャ」
長崎市長、平和宣言で 「姿勢理解できない」と政府を批判しました。
★ 長崎平和宣言・・・田上富久長崎市長 ★ です。
この言葉は、未来に向けて、世界中の誰も、
永久に、核兵器による惨禍を体験することがないように、
という被爆者の心からの願いを表したものです。
その願いが、この夏、世界の多くの国々を動かし、
一つの条約を生み出しました。
核兵器を、使うことはもちろん、
持つことも、配備することも禁止した「核兵器禁止条約」が、
国連加盟国の6割を超える122カ国の賛成で採択されたのです。
それは、
被爆者が長年積み重ねてきた努力がようやく形になった瞬間でした。
私たちは
「ヒバクシャ」の苦しみや努力にも言及したこの条約を
「ヒロシマ・ナガサキ条約」と呼びたいと思います。
そして、
核兵器禁止条約を推進する国々や国連、NGOなどの、
人道に反するものを世界からなくそうとする
強い意志と勇気ある行動に深く感謝します。
しかし、これはゴールではありません。
今も世界には、1万5千発近くの核兵器があります。
核兵器を巡る国際情勢は緊張感を増しており、
遠くない未来に核兵器が使われるのではないか、
という強い不安が広がっています。
しかも、
核兵器を持つ国々は、この条約に反対しており、
私たちが目指す
「核兵器のない世界」にたどり着く道筋は
まだ見えていません。
ようやく生まれたこの条約をいかに活(い)かし、
歩みを進めることができるかが、
今、人類に問われています。
核兵器を持つ国々と核の傘の下にいる国々に訴えます。
安全保障上、核兵器が必要だと言い続ける限り、
核の脅威はなくなりません。
核兵器によって国を守ろうとする政策を見直してください。
核不拡散条約(NPT)は、
すべての加盟国に核軍縮の義務を課しているはずです。
その義務を果たしてください。
世界が勇気ある決断を待っています。
日本政府に訴えます。
核兵器のない世界を目指してリーダーシップをとり、
核兵器を持つ国々と持たない国々の
橋渡し役を務めると明言しているにも関わらず、
核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、
被爆地は到底理解できません。
唯一の戦争被爆国として、
核兵器禁止条約への一日も早い参加を目指し、
核の傘に依存する政策の見直しを進めてください。
日本の参加を国際社会は待っています。
また、二度と戦争をしてはならないと固く決意した
日本国憲法の平和の理念と非核三原則の厳守を世界に発信し、
核兵器のない世界に向けて前進する
具体的方策の一つとして、
今こそ「北東アジア非核兵器地帯」構想の検討を求めます。
私たちは決して忘れません。
1945年8月9日午前11時2分、
今、私たちがいるこの丘の上空で原子爆弾がさく裂し、
15万人もの人々が死傷した事実を。
あの日、原爆の凄(すさ)まじい熱線と爆風によって、
長崎の街は一面の焼野原(やけのはら)となりました。
皮ふが垂れ下がりながらも、
家族を探し、さ迷い歩く人々。
黒焦げの子どもの傍らで、
茫然(ぼうぜん)と立ちすくむ母親。
街のあちこちに地獄のような光景がありました。
十分な治療も受けられずに、多くの人々が死んでいきました。
そして72年経った今でも、
放射線の障害が被爆者の体をむしばみ続けています。
原爆は、いつも側にいた
大切な家族や友だちの命を
無差別に奪い去っただけでなく、
生き残った人たちのその後の人生を
も無惨(むざん)に狂わせたのです。
世界各国のリーダーの皆さん。被爆地を訪れてください。
遠い原子雲の上からの視点ではなく、
原子雲の下で何が起きたのか、
原爆が人間の尊厳をどれほど残酷に踏みにじったのか、
あなたの目で見て、耳で聴いて、
心で感じてください。
もし自分の家族がそこにいたら、と考えてみてください。
人はあまりにもつらく苦しい体験をしたとき、
その記憶を封印し、語ろうとはしません。
語るためには思い出さなければならないからです。
それでも被爆者が、
心と体の痛みに耐えながら体験を語ってくれるのは、
人類の一員として、私たちの未来を守るために、
懸命に伝えようと決意しているからです。
世界中のすべての人に呼びかけます。
最も怖いのは無関心なこと、
そして忘れていくことです。
戦争体験者や被爆者からの
平和のバトンを途切れさせることなく
未来へつないでいきましょう。
今、長崎では平和首長会議の総会が開かれています。
世界の7400の都市が参加する
このネットワークには、
戦争や内戦などつらい記憶を持つまちの代表も大勢参加しています。
被爆者が私たちに示してくれたように、
小さなまちの平和を願う思いも、力を合わせれば、
そして
あきらめなければ、世界を動かす力になることを、
ここ長崎から、
平和首長会議の仲間たちとともに世界に発信します。
そして、
被爆者が声をからして訴え続けてきた
「長崎を最後の被爆地に」
という言葉が、
人類共通の願いであり、意志であることを示します。
被爆者の平均年齢は81歳を超えました。
「被爆者がいる時代」の終わりが近づいています。
日本政府には、
被爆者のさらなる援護の充実と、
被爆体験者の救済を求めます。
福島の原発事故から6年が経ちました。
長崎は放射能の脅威を経験したまちとして、
福島の被災者に寄り添い、応援します。
原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意を捧げ、
私たち長崎市民は、
核兵器のない世界を願う世界の人々と連携して、
核兵器廃絶と恒久平和の実現に
力を尽くし続けることをここに宣言します。
2017年(平成29年)8月9日 長崎市長 田上富久
今、核戦争に繫がりかねない、きな臭い報が、
駆け巡っています。
起こってからでは遅いし、
地球・人類の破滅です。
私が夢描くことは、日本の政治家が、
緊張する国々の“橋渡し役”を誠実に実行して、
ノーベル平和賞、を貰って、
歴史に、レガシーを刻まないか・・・?!
という、願いです。m(_ _)m(T_T)m(_ _)m
原爆投下から72年目の朝、
長崎平和祈念式典がありました。
それに、関わる動画を探したのですが、
検索が下手なのか?
うまく出て来ませんでしたので
まず、関連する動画と
田上長崎市長の平和宣言
を載せて
平和・核兵器廃絶への願いを
受け止めさせて頂きたいと思います。m(_ _)m
まず、この動画を見て下さい。
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20170809/k10011094191000.html?utm_int=movie-new_contents_list-items_005&movie=true
https://mainichi.jp/movie/video/?id=120102102
次に、 「ノーモア ヒバクシャ」
長崎市長、平和宣言で 「姿勢理解できない」と政府を批判しました。
★ 長崎平和宣言・・・田上富久長崎市長 ★ です。
この言葉は、未来に向けて、世界中の誰も、
永久に、核兵器による惨禍を体験することがないように、
という被爆者の心からの願いを表したものです。
その願いが、この夏、世界の多くの国々を動かし、
一つの条約を生み出しました。
核兵器を、使うことはもちろん、
持つことも、配備することも禁止した「核兵器禁止条約」が、
国連加盟国の6割を超える122カ国の賛成で採択されたのです。
それは、
被爆者が長年積み重ねてきた努力がようやく形になった瞬間でした。
私たちは
「ヒバクシャ」の苦しみや努力にも言及したこの条約を
「ヒロシマ・ナガサキ条約」と呼びたいと思います。
そして、
核兵器禁止条約を推進する国々や国連、NGOなどの、
人道に反するものを世界からなくそうとする
強い意志と勇気ある行動に深く感謝します。
しかし、これはゴールではありません。
今も世界には、1万5千発近くの核兵器があります。
核兵器を巡る国際情勢は緊張感を増しており、
遠くない未来に核兵器が使われるのではないか、
という強い不安が広がっています。
しかも、
核兵器を持つ国々は、この条約に反対しており、
私たちが目指す
「核兵器のない世界」にたどり着く道筋は
まだ見えていません。
ようやく生まれたこの条約をいかに活(い)かし、
歩みを進めることができるかが、
今、人類に問われています。
核兵器を持つ国々と核の傘の下にいる国々に訴えます。
安全保障上、核兵器が必要だと言い続ける限り、
核の脅威はなくなりません。
核兵器によって国を守ろうとする政策を見直してください。
核不拡散条約(NPT)は、
すべての加盟国に核軍縮の義務を課しているはずです。
その義務を果たしてください。
世界が勇気ある決断を待っています。
日本政府に訴えます。
核兵器のない世界を目指してリーダーシップをとり、
核兵器を持つ国々と持たない国々の
橋渡し役を務めると明言しているにも関わらず、
核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、
被爆地は到底理解できません。
唯一の戦争被爆国として、
核兵器禁止条約への一日も早い参加を目指し、
核の傘に依存する政策の見直しを進めてください。
日本の参加を国際社会は待っています。
また、二度と戦争をしてはならないと固く決意した
日本国憲法の平和の理念と非核三原則の厳守を世界に発信し、
核兵器のない世界に向けて前進する
具体的方策の一つとして、
今こそ「北東アジア非核兵器地帯」構想の検討を求めます。
私たちは決して忘れません。
1945年8月9日午前11時2分、
今、私たちがいるこの丘の上空で原子爆弾がさく裂し、
15万人もの人々が死傷した事実を。
あの日、原爆の凄(すさ)まじい熱線と爆風によって、
長崎の街は一面の焼野原(やけのはら)となりました。
皮ふが垂れ下がりながらも、
家族を探し、さ迷い歩く人々。
黒焦げの子どもの傍らで、
茫然(ぼうぜん)と立ちすくむ母親。
街のあちこちに地獄のような光景がありました。
十分な治療も受けられずに、多くの人々が死んでいきました。
そして72年経った今でも、
放射線の障害が被爆者の体をむしばみ続けています。
原爆は、いつも側にいた
大切な家族や友だちの命を
無差別に奪い去っただけでなく、
生き残った人たちのその後の人生を
も無惨(むざん)に狂わせたのです。
世界各国のリーダーの皆さん。被爆地を訪れてください。
遠い原子雲の上からの視点ではなく、
原子雲の下で何が起きたのか、
原爆が人間の尊厳をどれほど残酷に踏みにじったのか、
あなたの目で見て、耳で聴いて、
心で感じてください。
もし自分の家族がそこにいたら、と考えてみてください。
人はあまりにもつらく苦しい体験をしたとき、
その記憶を封印し、語ろうとはしません。
語るためには思い出さなければならないからです。
それでも被爆者が、
心と体の痛みに耐えながら体験を語ってくれるのは、
人類の一員として、私たちの未来を守るために、
懸命に伝えようと決意しているからです。
世界中のすべての人に呼びかけます。
最も怖いのは無関心なこと、
そして忘れていくことです。
戦争体験者や被爆者からの
平和のバトンを途切れさせることなく
未来へつないでいきましょう。
今、長崎では平和首長会議の総会が開かれています。
世界の7400の都市が参加する
このネットワークには、
戦争や内戦などつらい記憶を持つまちの代表も大勢参加しています。
被爆者が私たちに示してくれたように、
小さなまちの平和を願う思いも、力を合わせれば、
そして
あきらめなければ、世界を動かす力になることを、
ここ長崎から、
平和首長会議の仲間たちとともに世界に発信します。
そして、
被爆者が声をからして訴え続けてきた
「長崎を最後の被爆地に」
という言葉が、
人類共通の願いであり、意志であることを示します。
被爆者の平均年齢は81歳を超えました。
「被爆者がいる時代」の終わりが近づいています。
日本政府には、
被爆者のさらなる援護の充実と、
被爆体験者の救済を求めます。
福島の原発事故から6年が経ちました。
長崎は放射能の脅威を経験したまちとして、
福島の被災者に寄り添い、応援します。
原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意を捧げ、
私たち長崎市民は、
核兵器のない世界を願う世界の人々と連携して、
核兵器廃絶と恒久平和の実現に
力を尽くし続けることをここに宣言します。
2017年(平成29年)8月9日 長崎市長 田上富久
今、核戦争に繫がりかねない、きな臭い報が、
駆け巡っています。
起こってからでは遅いし、
地球・人類の破滅です。
私が夢描くことは、日本の政治家が、
緊張する国々の“橋渡し役”を誠実に実行して、
ノーベル平和賞、を貰って、
歴史に、レガシーを刻まないか・・・?!
という、願いです。m(_ _)m(T_T)m(_ _)m
すみません。
前号で。
ボブディランさんが、ノーベル平和賞と思い込んで、
文学賞だったのに、私がなにか思い込んでしまったのですね。
途中、ある方にご指摘頂いたのですが、
パソコンに向かう時間がなくて、
iPad が手許に無くて、
日を越してしまいました。
誠にすみません。
伏して、お詫び申し上げます。m(_ _)m
でも、
ボブ・ディランさんが、ノーベル賞受賞決定は嬉しく
また、
平和への願いは、強う御座いますので、
引き続き、
このブログで、駄文を認めて参りたい、
と、老爺、念じて居ります。
鈍くさい私をお許しを
そして、引き続き、
このブログへのご愛顧をお願いします。m(_ _)m
すみません。
ですが、重ねがさね、
ボブ・ディランさんの、ノーベル賞受賞決定は、嬉しいです。(^^)/
前号で。
ボブディランさんが、ノーベル平和賞と思い込んで、
文学賞だったのに、私がなにか思い込んでしまったのですね。
途中、ある方にご指摘頂いたのですが、
パソコンに向かう時間がなくて、
iPad が手許に無くて、
日を越してしまいました。
誠にすみません。
伏して、お詫び申し上げます。m(_ _)m
でも、
ボブ・ディランさんが、ノーベル賞受賞決定は嬉しく
また、
平和への願いは、強う御座いますので、
引き続き、
このブログで、駄文を認めて参りたい、
と、老爺、念じて居ります。
鈍くさい私をお許しを
そして、引き続き、
このブログへのご愛顧をお願いします。m(_ _)m
すみません。
ですが、重ねがさね、
ボブ・ディランさんの、ノーベル賞受賞決定は、嬉しいです。(^^)/
Posted by 夢想花 at
02:33
│Comments(0)
今号も、音楽絡みの話題ですが、
ミュージシャンのボブ・ディラン氏に
今年度のノーベル賞受賞、が決定しました。
ボブ・ディランさんの曲にそれほど詳しくない私でも、
彼の歌声は耳にしていますし、
その歌詞の、反戦平和への願いには、共感して来ました。
ネット検索して、
ボブ・ディランさんの♪風に吹かれて♪の日本語訳付き
忌野清志郎さんの歌の動画に着きました。
https://www.youtube.com/watch?v=d9ieZEWzJQ4
1941年生まれのディランさん、
彼が世間化から認知され出したの、1971年とか、
私は、20代真っ盛りの青年巡査で、
愛と懊悩の(気障かな?
)人生行路の中で、
♪風に吹かれて♪ を聴いて居ました。
ベトナム戦争や
苛烈な学生運動の風が吹き荒れる中、
この歌を聴いてました。
忌野清志郎さんの歌を、聴いて当時が蘇って来ます。
もし、忌野清志郎さん生きて居たら、
ノーベル平和賞候補に成ったかな?!
と思ったり、思いが膨らんで
このブログで主張した、
アース・マラソンで、世界の大陸を繋いだ、、
間寛平ちゃん!
そして、
憲法第九条の平和主義を守り続けて居る日本国民にも、
平和賞貰えたらな・・・!
そのためにも、安倍首相の格別のご協力を・・・
と、思いが膨らむ、
ボブ・ディランさんの
ノーベル賞受賞決定の報、でした。(^^)/
ミュージシャンのボブ・ディラン氏に
今年度のノーベル賞受賞、が決定しました。
ボブ・ディランさんの曲にそれほど詳しくない私でも、
彼の歌声は耳にしていますし、
その歌詞の、反戦平和への願いには、共感して来ました。
ネット検索して、
ボブ・ディランさんの♪風に吹かれて♪の日本語訳付き
忌野清志郎さんの歌の動画に着きました。
https://www.youtube.com/watch?v=d9ieZEWzJQ4
1941年生まれのディランさん、
彼が世間化から認知され出したの、1971年とか、
私は、20代真っ盛りの青年巡査で、
愛と懊悩の(気障かな?

♪風に吹かれて♪ を聴いて居ました。
ベトナム戦争や
苛烈な学生運動の風が吹き荒れる中、
この歌を聴いてました。
忌野清志郎さんの歌を、聴いて当時が蘇って来ます。
もし、忌野清志郎さん生きて居たら、
ノーベル平和賞候補に成ったかな?!
と思ったり、思いが膨らんで
このブログで主張した、
アース・マラソンで、世界の大陸を繋いだ、、
間寛平ちゃん!
そして、
憲法第九条の平和主義を守り続けて居る日本国民にも、
平和賞貰えたらな・・・!
そのためにも、安倍首相の格別のご協力を・・・
と、思いが膨らむ、
ボブ・ディランさんの
ノーベル賞受賞決定の報、でした。(^^)/
昨日は、
キーボード持って、奥さんとボランティア活動への道すがら、
農家出身の奥さんが、休耕田についての薀蓄を傾けてくれました。
終わって、家に帰って、お酒飲んで、バタンq〜〜
真夜中に起きて見たテレビ
TBS の さまノーベル賞 、
初めて見たけど、これが凄く 面白くて、タメに成りました。
ノミネート4人の方の取り組みは
http://www.tbs.co.jp/summernobel/
この中で、私が特に注目したのは、
芋を、栽培して、
化石燃料の代わり、に使って、
自動車走行の燃料にする、
そして、
発電の燃料にする、
と言うものでした。
http://www.imo-lab.jp/
これは、素晴らしい!!!
休耕田の活用にも成るし、
環境に、完璧に、優しいし、
年間20兆円の化石燃料購入費の節約にも成るし、
安定供給が可能に成るし、
まさに、新しい産業起こし、
そして、化石燃料による環境汚染や、
原発使用汚染からも、オサラバ出来ます。
この取り組みは、
さまノーベル賞どころか、
人類の未来を救う、
超弩級、本物の、
ノーベル賞受賞に該当する研究取り組みと見受け、
ノーベル賞に、推薦するものです。
因みに、
このブログで、過去に推薦したのは、
間寛平ちゃんの、
アースマラソン、世界を繋ぐ取り組みで、ノーベル平和賞、
そして、
憲法第九条を守り続ける日本国民に、
ノーベル平和賞、
をに、次いで、3例めです。
ノーベル賞、実現しますように、
そして、
人類の未来に、曙光を・・・!!!
m(_ _)m
キーボード持って、奥さんとボランティア活動への道すがら、
農家出身の奥さんが、休耕田についての薀蓄を傾けてくれました。
終わって、家に帰って、お酒飲んで、バタンq〜〜

真夜中に起きて見たテレビ
TBS の さまノーベル賞 、
初めて見たけど、これが凄く 面白くて、タメに成りました。
ノミネート4人の方の取り組みは
http://www.tbs.co.jp/summernobel/
この中で、私が特に注目したのは、
芋を、栽培して、
化石燃料の代わり、に使って、
自動車走行の燃料にする、
そして、
発電の燃料にする、
と言うものでした。
http://www.imo-lab.jp/
これは、素晴らしい!!!
休耕田の活用にも成るし、
環境に、完璧に、優しいし、
年間20兆円の化石燃料購入費の節約にも成るし、
安定供給が可能に成るし、
まさに、新しい産業起こし、
そして、化石燃料による環境汚染や、
原発使用汚染からも、オサラバ出来ます。
この取り組みは、
さまノーベル賞どころか、
人類の未来を救う、
超弩級、本物の、
ノーベル賞受賞に該当する研究取り組みと見受け、
ノーベル賞に、推薦するものです。
因みに、
このブログで、過去に推薦したのは、
間寛平ちゃんの、
アースマラソン、世界を繋ぐ取り組みで、ノーベル平和賞、
そして、
憲法第九条を守り続ける日本国民に、
ノーベル平和賞、
をに、次いで、3例めです。
ノーベル賞、実現しますように、
そして、
人類の未来に、曙光を・・・!!!
m(_ _)m