原爆投下から、76年目、
まず、
TBSニュースの動画 です。
https://www.youtube.com/watch?v=jpevOeXa8yw
午前8時ごろ、発信の準備をしていましたが、
正午前に、パソコンを開けると、
ネット通信機能が、不安定に成っています。
以後、原爆慰霊祭の模様を詳しくお送りするつもりでしたが、
まずは、この、動画だけを、iPadから発信して
まず、原爆慰霊祭・・・
人々のお気持ちを、偲びたい、
と、思います。
パソコン音痴で、すみません。m(_ _)m
まず、
TBSニュースの動画 です。
https://www.youtube.com/watch?v=jpevOeXa8yw
午前8時ごろ、発信の準備をしていましたが、
正午前に、パソコンを開けると、
ネット通信機能が、不安定に成っています。
以後、原爆慰霊祭の模様を詳しくお送りするつもりでしたが、
まずは、この、動画だけを、iPadから発信して
まず、原爆慰霊祭・・・
人々のお気持ちを、偲びたい、
と、思います。
パソコン音痴で、すみません。m(_ _)m
諸外国の権力者(たらんとする者)が、
反対する人たちを“弾圧”する、
暗い・辛いニュースが、
頻報されています。
民主化を求める市民の運動を“弾圧”し、
権力者に都合の悪い政治家を弾圧し“幽閉”する
邪な政権把握者の、“迷妄”も、
報じられています。
一応は、
1945(昭和20)年以降、
憲法で、民主主義国家を標榜している、
我が日本国でも、
かつては、
軍国主義勢力が,はびこり
多くの若者が、
そして、空襲で、
原爆投下で、貴重な命を散らされ、
人生を、捻じ曲げられました。
そして、
戦後、
戦争の反省から生まれた筈の
日本国憲法の下でも、
邪まな、政治家もどきが、出現して
日本国憲法の精神を空洞化する動きも
見せて、
そこへ、昭和40年代まであった、
若者の政治運動も、最近は“下火”に成って、
最近は、選挙の投票棄権をする
有権者が増えています。
諸外国の、政変・権力者の横暴は、
他人事・他所事では無い・・・!!!
昭和18年生まれの私も、
何かのはずみで、人生を捻じ曲げられた
かも、知れません
!
世界各国の政治状況を見て、
我が国が学ぶこと、
有権者が、将来世代の平和・安寧の為に
学ぶこと、を訴えたく
理屈っぽいですが、改めて
提起する次第です。m(__)m
※ このブログで、
政治家群像、に触れた号です。
クリックををお願いします。m(__)m
https://poeny.shiga-saku.net/search.php?csrf=0ebd66a38abc35b967d3899fa3c776f9018bc10f&search=%E6%94%BF%E6%B2%BB%E5%AE%B6
反対する人たちを“弾圧”する、
暗い・辛いニュースが、
頻報されています。
民主化を求める市民の運動を“弾圧”し、
権力者に都合の悪い政治家を弾圧し“幽閉”する
邪な政権把握者の、“迷妄”も、
報じられています。
一応は、
1945(昭和20)年以降、
憲法で、民主主義国家を標榜している、
我が日本国でも、
かつては、
軍国主義勢力が,はびこり
多くの若者が、
そして、空襲で、
原爆投下で、貴重な命を散らされ、
人生を、捻じ曲げられました。
そして、
戦後、
戦争の反省から生まれた筈の
日本国憲法の下でも、
邪まな、政治家もどきが、出現して
日本国憲法の精神を空洞化する動きも
見せて、
そこへ、昭和40年代まであった、
若者の政治運動も、最近は“下火”に成って、
最近は、選挙の投票棄権をする
有権者が増えています。
諸外国の、政変・権力者の横暴は、
他人事・他所事では無い・・・!!!
昭和18年生まれの私も、
何かのはずみで、人生を捻じ曲げられた
かも、知れません

世界各国の政治状況を見て、
我が国が学ぶこと、
有権者が、将来世代の平和・安寧の為に
学ぶこと、を訴えたく
理屈っぽいですが、改めて
提起する次第です。m(__)m
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昨日の
TBSサンディ・モーニングでの
風を読む、コーナーで、
偉大な政治家
ウルグアイ ホセ・ムヒカ元大統領の事が
取り上げられました。
番組サンディ・モーニングのHP です。
https://note.com/tbsnews_sunday
世界で一番貧しい大統領と言われた
ホセ・ムヒカ元大統領・・・
<HP 内の記事によると>
貧しい幼少期を過ごし、
若い頃は、
キューバ革命の影響を受けて、
軍事政権に抵抗、
民族解放運動に、身を投じ、
その後、政治家と成って、頭角を現し、
2013年に、ウルグアイの大統領に就任、
貧困層の為のインフラや住宅整備などされ、
また、子ども達の教育向上にも努めました。
ムヒカ大統領の言葉・・・
「学校一つで世界は変えられないが、
変える為には、たくさんの学校が必要だ!」
そして、
2015年、80歳を目前に、大統領を退任。
翌年4月に、日本を訪問・・・
「私たちは、互いに遠く離れていますが、
学ぶべき事が沢山あります。 」
そして、広島を訪れ、原爆資料館で、記します。
「地球上で人間だけが同じ過ちを繰り返す」
「私たちは過去の過ちから学んだだろうか?!」
貧しさの中に、身を置き、
まさに、政治家の要諦・・・
滅私奉公!
先憂後楽! を、生き方で表している
偉大な政治家、ホセ・ムヒカ元大統領
今、世界そして日本には
誰の為に、政治業をしているのか・・・?!
疑問符の多い、自称政治家が跋扈しています。
どうか、庶民感覚を持つ政治家、出でよ!
後世に評価される政治家とは・・・?!
ホセ・ムヒカ元大統領を通して、
有権者国民の一人として、
ホセ・ムヒカ元大統領の治政・生き方から
学びたい、考えたい、私です。m(__)m
※ このブログで、
ホセ・ムヒカ大統領に触れた号です、
クリックをお願いします。m(__)m
https://poeny.shiga-saku.net/search.php?csrf=999bfd5be17fff2b453ac9686b3cbfef588d274e&search=%E3%83%9B%E3%82%BB%E3%83%BB%E3%83%A0%E3%83%92%E3%82%AB%E5%A4%A7%E7%B5%B1%E9%A0%98
TBSサンディ・モーニングでの
風を読む、コーナーで、
偉大な政治家
ウルグアイ ホセ・ムヒカ元大統領の事が
取り上げられました。
番組サンディ・モーニングのHP です。
https://note.com/tbsnews_sunday
世界で一番貧しい大統領と言われた
ホセ・ムヒカ元大統領・・・
<HP 内の記事によると>
貧しい幼少期を過ごし、
若い頃は、
キューバ革命の影響を受けて、
軍事政権に抵抗、
民族解放運動に、身を投じ、
その後、政治家と成って、頭角を現し、
2013年に、ウルグアイの大統領に就任、
貧困層の為のインフラや住宅整備などされ、
また、子ども達の教育向上にも努めました。
ムヒカ大統領の言葉・・・
「学校一つで世界は変えられないが、
変える為には、たくさんの学校が必要だ!」
そして、
2015年、80歳を目前に、大統領を退任。
翌年4月に、日本を訪問・・・
「私たちは、互いに遠く離れていますが、
学ぶべき事が沢山あります。 」
そして、広島を訪れ、原爆資料館で、記します。
「地球上で人間だけが同じ過ちを繰り返す」
「私たちは過去の過ちから学んだだろうか?!」
貧しさの中に、身を置き、
まさに、政治家の要諦・・・
滅私奉公!
先憂後楽! を、生き方で表している
偉大な政治家、ホセ・ムヒカ元大統領
今、世界そして日本には
誰の為に、政治業をしているのか・・・?!
疑問符の多い、自称政治家が跋扈しています。
どうか、庶民感覚を持つ政治家、出でよ!
後世に評価される政治家とは・・・?!
ホセ・ムヒカ元大統領を通して、
有権者国民の一人として、
ホセ・ムヒカ元大統領の治政・生き方から
学びたい、考えたい、私です。m(__)m
※ このブログで、
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昨日、テレビ報道で、
初めて知りました。
こういう、運動体・組織が
あるのですね。
高校生平和大使 です。
https://peacefulworld10000.com/signature
高校生平和大使は、
1998年のインド・パキスタンの核実験を機に
核兵器廃絶と平和な世界の実現を
訴えていくことを目的とし、
若い世代の平和活動育成も兼ねて
市民の支援により、同年から
「高校生平和大使」の国連派遣に
取り組み始めました。
世界で、唯一の戦争被爆国、日本・・・
私が、昭和50年に小学校に入学して、
学校で出会った女性の恩師も、
広島原爆被爆者で、
小学校で代用教員をされてました。
戦争被爆で、
多くの方が命を奪われ、
生涯、原爆被爆の後遺症で
苦しまれました。
小学生から生涯の恩師だった先生は、
戦争の悲惨さと命の尊さを、
私たち生徒に教えて下さいました。
原爆被爆の“語り部”が、年々、減ってきている今、
若い世代の人たちが、
原爆の悲惨さを、訴えておられる!
嬉しいし、有難いです
。
ところが、
日本政府は、核兵器廃絶禁止条約に、
署名していません。
メディアサプリ を読んで下さい。
https://mediasapuri.jp/2018/08/14/5921/
この地球の未来を背負う、若い人達・・・
生物が、豊かに生き、行き交う地球・・・
この地球の
平和と安寧が恒久に保たれますよう、
愚かな為政者によって
戦争の惨禍が起こりませぬよう
高校生平和大使の若い人達への感謝と共感を
このブログでも、表明したいです。m(__)m
※ なお、このブログで
原爆、に触れた号です。
クリックをお願いします。m(__)m
https://poeny.shiga-saku.net/search.php?csrf=6a38c99cc68650d247dec6571db1ec6e7abc2d46&search=%E5%8E%9F%E7%88%86
初めて知りました。
こういう、運動体・組織が
あるのですね。
高校生平和大使 です。
https://peacefulworld10000.com/signature
高校生平和大使は、
1998年のインド・パキスタンの核実験を機に
核兵器廃絶と平和な世界の実現を
訴えていくことを目的とし、
若い世代の平和活動育成も兼ねて
市民の支援により、同年から
「高校生平和大使」の国連派遣に
取り組み始めました。
世界で、唯一の戦争被爆国、日本・・・
私が、昭和50年に小学校に入学して、
学校で出会った女性の恩師も、
広島原爆被爆者で、
小学校で代用教員をされてました。
戦争被爆で、
多くの方が命を奪われ、
生涯、原爆被爆の後遺症で
苦しまれました。
小学生から生涯の恩師だった先生は、
戦争の悲惨さと命の尊さを、
私たち生徒に教えて下さいました。
原爆被爆の“語り部”が、年々、減ってきている今、
若い世代の人たちが、
原爆の悲惨さを、訴えておられる!
嬉しいし、有難いです

ところが、
日本政府は、核兵器廃絶禁止条約に、
署名していません。
メディアサプリ を読んで下さい。
https://mediasapuri.jp/2018/08/14/5921/
この地球の未来を背負う、若い人達・・・
生物が、豊かに生き、行き交う地球・・・
この地球の
平和と安寧が恒久に保たれますよう、
愚かな為政者によって
戦争の惨禍が起こりませぬよう
高校生平和大使の若い人達への感謝と共感を
このブログでも、表明したいです。m(__)m
※ なお、このブログで
原爆、に触れた号です。
クリックをお願いします。m(__)m
https://poeny.shiga-saku.net/search.php?csrf=6a38c99cc68650d247dec6571db1ec6e7abc2d46&search=%E5%8E%9F%E7%88%86
75年前の8月9日、
長崎市に、原爆が投下され、
辛い惨劇が起こされました。
そして、
本日、長崎市で
被爆75年周年
長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典
が、行われました。
【KTNテレビ長崎】の動画 です。
https://www.youtube.com/watch?v=eg7D3j8xmHQ
そして、
長崎市HP です。
https://www.city.nagasaki.lg.jp/heiwa/index.html
慰霊祭の、他の様子にも
触れたいのですが、
特に、
14歳の時に、被爆され
家族や友人の突然の死を
目撃された
今、89歳の被爆者代表
深堀繁美さんの、ご証言 に触れたい、と思います。
川に真っ黒な人、「水…水…」
原爆が投下された1945年、
旧制中学3年生だった私は、
神父になるため親元を離れ、
大浦天主堂の隣にあった
羅典(らてん)神学校で生活をしていました。
中学校の授業はなく、勤労学生として
飽の浦町の三菱長崎造船所で働く毎日でした。
8月9日、仲間とともに工場で作業をしていた時、
突然強い光が見え、大きな音が聞こえました。
近くに爆弾が落ちたと思い、とっさに床に伏せましたが、
天井から割れた瓦が落ちてきたので、
工場内にあるトンネルに逃げ込みました。
夕方になり、トンネルを出て神学校に帰りました。
夜遅くには浦上で働いていた
5人の先輩が帰ってきましたが、
一日もたたずに全員が亡くなりました。
翌10日の昼には、
浦上の実家へ戻ることを許されたので、
歩いて帰ることにしました。
途中には、
車輪だけとなった電車や
白骨が転がっており、
川には真っ黒になった人が折り重なっていました。
生きているのか死んでいるのかもわかりません。
時々「水……、水……」という声が聞こえますが、
助けることはできません。
浦上天主堂は大きく崩れ、
その裏手にあった実家も爆風で壊れていました。
父は防空壕の中の
兵器工場で働いていたので助かりましたが、
姉2人と弟と妹は亡くなっていました。
しかし、たくさんの死体を見てきたためか、
不思議と涙も出ません。
今思えば、
普通の精神状態ではなかったのだと思います。
まちには
亡くなった人を焼くにおいが、しばらく立ち込めていました。
何のけがもない人が
次々に亡くなっていく現実を目の当たりにすると、
次は自分が死んでしまうのではないかという恐怖感が、
なかなか振り払えなかったことを覚えています。
このような思いは、
もう二度とどこの誰にもしてほしくないと思います。
昨年11月、「平和の使者」として、
フランシスコ教皇が長崎を訪問されました。
最初の訪問地、
爆心地公園に足を運んだ教皇とともに
原爆犠牲者に献花した、
あの時の場面が蘇ります。
そして、39年前に
広島でヨハネ・パウロ二世教皇の
「戦争は人間のしわざです」との印象深い言葉を、
より具体化し、
核兵器廃絶に踏み込んだ
フランシスコ教皇の言葉に、どんなにか勇気づけられたことでしょう。
さらに、
「長崎は核攻撃が
人道上も環境上も壊滅的な結末をもたらすことの証人である町」とし、
まさに私たち長崎の被爆者の使命の大きさを感じる言葉をいただきました。
また、「平和な世界を実現するには、
すべての人の参加が必要」との教皇の呼びかけに呼応し、
一人でも多くの皆さんがつながってくれることを願ってやみません。
特に若い人たちには、
この平和のバトンをしっかりと受け取り、
走り続けていただくことをお願いしたいと思います。
私は89歳を過ぎました。
被爆者には、もう限られた時間しかありません。
今年、被爆から75年が経過し、
被爆者が一人また一人といなくなる中にあって、
私は、「核兵器はなくさなければならない」との
教皇のメッセージを糧に、
「長崎を最後の被爆地に」との思いを
訴え続けていくことを決意し、
「平和への誓い」といたします。
2020年(令和2年)8月9日被爆者代表 深堀繁美
75年前、私は、2歳でした。
被爆者の思いが、
後世に、語り継がれて欲しい!!!
若い世代の人たちに
思いが伝承されますよう、
非人道的な戦争、そして、核による殺戮が
起こらないことを願って、
深堀繁美さんのご証言を、
アップしたいです。m(__)m
※ なお、このブログで
原爆、に触れた豪です。
クリックをお願いします。m(__)m
https://poeny.shiga-saku.net/search.php?csrf=6a38c99cc68650d247dec6571db1ec6e7abc2d46&search=%E5%8E%9F%E7%88%86
長崎市に、原爆が投下され、
辛い惨劇が起こされました。
そして、
本日、長崎市で
被爆75年周年
長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典
が、行われました。
【KTNテレビ長崎】の動画 です。
https://www.youtube.com/watch?v=eg7D3j8xmHQ
そして、
長崎市HP です。
https://www.city.nagasaki.lg.jp/heiwa/index.html
慰霊祭の、他の様子にも
触れたいのですが、
特に、
14歳の時に、被爆され
家族や友人の突然の死を
目撃された
今、89歳の被爆者代表
深堀繁美さんの、ご証言 に触れたい、と思います。
川に真っ黒な人、「水…水…」
原爆が投下された1945年、
旧制中学3年生だった私は、
神父になるため親元を離れ、
大浦天主堂の隣にあった
羅典(らてん)神学校で生活をしていました。
中学校の授業はなく、勤労学生として
飽の浦町の三菱長崎造船所で働く毎日でした。
8月9日、仲間とともに工場で作業をしていた時、
突然強い光が見え、大きな音が聞こえました。
近くに爆弾が落ちたと思い、とっさに床に伏せましたが、
天井から割れた瓦が落ちてきたので、
工場内にあるトンネルに逃げ込みました。
夕方になり、トンネルを出て神学校に帰りました。
夜遅くには浦上で働いていた
5人の先輩が帰ってきましたが、
一日もたたずに全員が亡くなりました。
翌10日の昼には、
浦上の実家へ戻ることを許されたので、
歩いて帰ることにしました。
途中には、
車輪だけとなった電車や
白骨が転がっており、
川には真っ黒になった人が折り重なっていました。
生きているのか死んでいるのかもわかりません。
時々「水……、水……」という声が聞こえますが、
助けることはできません。
浦上天主堂は大きく崩れ、
その裏手にあった実家も爆風で壊れていました。
父は防空壕の中の
兵器工場で働いていたので助かりましたが、
姉2人と弟と妹は亡くなっていました。
しかし、たくさんの死体を見てきたためか、
不思議と涙も出ません。
今思えば、
普通の精神状態ではなかったのだと思います。
まちには
亡くなった人を焼くにおいが、しばらく立ち込めていました。
何のけがもない人が
次々に亡くなっていく現実を目の当たりにすると、
次は自分が死んでしまうのではないかという恐怖感が、
なかなか振り払えなかったことを覚えています。
このような思いは、
もう二度とどこの誰にもしてほしくないと思います。
昨年11月、「平和の使者」として、
フランシスコ教皇が長崎を訪問されました。
最初の訪問地、
爆心地公園に足を運んだ教皇とともに
原爆犠牲者に献花した、
あの時の場面が蘇ります。
そして、39年前に
広島でヨハネ・パウロ二世教皇の
「戦争は人間のしわざです」との印象深い言葉を、
より具体化し、
核兵器廃絶に踏み込んだ
フランシスコ教皇の言葉に、どんなにか勇気づけられたことでしょう。
さらに、
「長崎は核攻撃が
人道上も環境上も壊滅的な結末をもたらすことの証人である町」とし、
まさに私たち長崎の被爆者の使命の大きさを感じる言葉をいただきました。
また、「平和な世界を実現するには、
すべての人の参加が必要」との教皇の呼びかけに呼応し、
一人でも多くの皆さんがつながってくれることを願ってやみません。
特に若い人たちには、
この平和のバトンをしっかりと受け取り、
走り続けていただくことをお願いしたいと思います。
私は89歳を過ぎました。
被爆者には、もう限られた時間しかありません。
今年、被爆から75年が経過し、
被爆者が一人また一人といなくなる中にあって、
私は、「核兵器はなくさなければならない」との
教皇のメッセージを糧に、
「長崎を最後の被爆地に」との思いを
訴え続けていくことを決意し、
「平和への誓い」といたします。
2020年(令和2年)8月9日被爆者代表 深堀繁美
75年前、私は、2歳でした。
被爆者の思いが、
後世に、語り継がれて欲しい!!!
若い世代の人たちに
思いが伝承されますよう、
非人道的な戦争、そして、核による殺戮が
起こらないことを願って、
深堀繁美さんのご証言を、
アップしたいです。m(__)m
※ なお、このブログで
原爆、に触れた豪です。
クリックをお願いします。m(__)m
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