ギョギョ・・・!!!
驚くと同時に、怖ろしい気もしますが・・・
米大統領選挙で、共和党のトランプ氏が、
民主党のクリントン氏に勝ちました。
まさか?! と思いつつ、
さもありなん、
アメリカ国内の鬱屈した、経済力の弱い人たちの怒りの表れ・閉塞感、
既成の政治家への怒りが、
反クリントン票を増やし、相対的に、トランプ票を増やしたのではないか・・・?!
でも、
核兵器発射権限や、宣戦布告権も持つ、
行政府の長たる米大統領・・・
トランプ氏に疎外される、黒人やヒスパニック系住民の辛さ・・・
彼も大統領に就けば、
議会の言い分も無視できないだろうし、
もう少し穏便な施策を採る、だろうと、期待しつつ、
政治経験皆無のトランプ氏・・・
ここは、政治経験豊富で
大接戦の末敗れた
クリントン氏を政権の中枢に据える、
例えば、副大統領に据える
連立政権を敷けば、
米国民世論の圧倒的大多数に応える、
政権に成ると思うのですが、
如何でしょうか・・・?!
それでは、この選挙戦は何の為にやったんや、
と声在るかも知れません。
だから、選挙戦で距離置いた
共和党の政治家が、政権内部に入って、
政権運営に参加するかも・・・
と、読みにくい今後を、思案して居ます。
トランプ氏は、これからは、
党派を超えた政治をしたい!
の気持ちにも、期待です。
また、日本政府がこれで、過剰に反応して、
軍事防衛の拡充、
他国と“戦端”を開く、
反日本国憲法路線に、走らぬよう、
暴走せぬよう・・・
日本国内にも在る
国民の中に在る
閉塞感に、どう真摯に誠実に向き合うか・・・
心配が心配を生み、だけど、期待もしたい、
と夢想花も、迷走気味の、
トランプ氏の勝利の報です。(>_<)
驚くと同時に、怖ろしい気もしますが・・・
米大統領選挙で、共和党のトランプ氏が、
民主党のクリントン氏に勝ちました。
まさか?! と思いつつ、
さもありなん、
アメリカ国内の鬱屈した、経済力の弱い人たちの怒りの表れ・閉塞感、
既成の政治家への怒りが、
反クリントン票を増やし、相対的に、トランプ票を増やしたのではないか・・・?!
でも、
核兵器発射権限や、宣戦布告権も持つ、
行政府の長たる米大統領・・・
トランプ氏に疎外される、黒人やヒスパニック系住民の辛さ・・・
彼も大統領に就けば、
議会の言い分も無視できないだろうし、
もう少し穏便な施策を採る、だろうと、期待しつつ、
政治経験皆無のトランプ氏・・・
ここは、政治経験豊富で
大接戦の末敗れた
クリントン氏を政権の中枢に据える、
例えば、副大統領に据える
連立政権を敷けば、
米国民世論の圧倒的大多数に応える、
政権に成ると思うのですが、
如何でしょうか・・・?!
それでは、この選挙戦は何の為にやったんや、
と声在るかも知れません。
だから、選挙戦で距離置いた
共和党の政治家が、政権内部に入って、
政権運営に参加するかも・・・
と、読みにくい今後を、思案して居ます。
トランプ氏は、これからは、
党派を超えた政治をしたい!
の気持ちにも、期待です。
また、日本政府がこれで、過剰に反応して、
軍事防衛の拡充、
他国と“戦端”を開く、
反日本国憲法路線に、走らぬよう、
暴走せぬよう・・・
日本国内にも在る
国民の中に在る
閉塞感に、どう真摯に誠実に向き合うか・・・
心配が心配を生み、だけど、期待もしたい、
と夢想花も、迷走気味の、
トランプ氏の勝利の報です。(>_<)
71年前の朝11時2分、人類史上、許されない惨劇がまた起こされました
71年後の今日、長崎平和祈念式典が開かれ、そこで、
長崎市長から、世界に発せられた【平和宣言】です。
宣言の意味を、噛みしめたいと思います。
★ ★ ★ ★ ★
1945年8月9日午前11時2分、
米軍機が投下した一発の原子爆弾が、
上空でさく裂した瞬間、
長崎の街に猛烈な爆風と熱線が襲いかかりました。
あとには、
黒焦げの亡骸、
全身が焼けただれた人、
内臓が飛び出した人、
無数のガラス片が体に刺さり苦しむ人があふれ、
長崎は地獄と化しました。
原爆から放たれた放射線は人々の体を貫き、
そのために引き起こされる病気や障害は、
辛うじて生き残った人たちを
今も苦しめています。
核兵器は
人間を壊し続ける残酷な兵器なのです。
今年5月、
アメリカの現職大統領として初めて、
オバマ大統領が被爆地・広島を訪問しました。
大統領は、その行動によって、
自分の目と、耳と、心で感じることの大切さを
世界に示しました。
核兵器保有国をはじめとする
各国のリーダーの皆さん、
そして
世界中の皆さん。
長崎や広島に来てください。
原子雲の下で
人間に何が起きたのかを知ってください。
事実を知ること、
それこそが
核兵器のない未来を考えるスタートラインです。
今年、ジュネーブの国連欧州本部で、
核軍縮交渉を前進させる法的な枠組みについて
話し合う会議が開かれています。
法的な議論を行う場ができたことは、大きな前進です。
しかし、
まもなく結果がまとめられるこの会議に、
核兵器保有国は出席していません。
そして、
会議の中では、核兵器の抑止力に依存する国々と、
核兵器禁止の交渉開始を主張する国々との
対立が続いています。
このままでは、
核兵器廃絶への道筋を示すことができないまま、
会議が閉会してしまいます。
核兵器保有国のリーダーの皆さん、
今からでも遅くはありません。
この会議に出席し、議論に参加してください。
国連、各国政府及び国会、
NGOを含む市民社会に訴えます。
核兵器廃絶に向けて、法的な議論を行う場を
決して絶やしてはなりません。
今年秋の国連総会で、
核兵器のない世界の実現に向けた
法的な枠組みに関する協議と交渉の場を設けてください。
そして、
人類社会の一員として、
解決策を見出す努力を続けてください。
核兵器保有国では、
より高性能の核兵器に置き換える計画が進行中です。
このままでは
核兵器のない世界の実現がさらに遠のいてしまいます。
今こそ、
人類の未来を壊さないために、
持てる限りの「英知」を結集してください。
日本政府は、
核兵器廃絶を訴えながらも、
一方では
核抑止力に依存する立場をとっています。
この矛盾を超える方法として、
非核三原則の法制化とともに、
核抑止力に頼らない安全保障の枠組みである
「北東アジア非核兵器地帯」の創設を
検討してください。
核兵器の非人道性をよく
知る唯一の戦争被爆国として、
非核兵器地帯という
人類のひとつの「英知」を行動に移す
リーダーシップを発揮してください。
核兵器の歴史は、不信感の歴史です。
国同士の不信の中で、
より威力のある、より遠くに飛ぶ核兵器が
開発されてきました。
世界には未だに
1万5000発以上もの核兵器が存在し、
戦争、事故、テロなどにより、
使われる危険が続いています。
この流れを断ち切り、
不信のサイクルを
信頼のサイクルに転換するためにできることの
ひとつは、
粘り強く信頼を生み続けることです。
我が国は日本国憲法の平和の理念に基づき、
人道支援など、世界に貢献することで信頼を広げようと
努力してきました。
ふたたび戦争をしないために、
平和国家としての道を
これからも歩み続けなければなりません。
市民社会の一員である
私たち一人ひとりにも、できることがあります。
国を越えて人と交わることで、
言葉や文化、考え方の違いを理解し合い、
身近に信頼を生み出すことです。
オバマ大統領を
温かく迎えた広島市民の姿もそれを表しています。
市民社会の行動は、
一つひとつは小さく見えても、
国同士の信頼関係を築くための、
強くかけがえのない礎となります。
被爆から71年がたち、
被爆者の平均年齢は80歳を越えました。
世界が
「被爆者のいない時代」を迎える日が
少しずつ近づいています。
戦争、そして
戦争が生んだ被爆の体験をどう受け継いでいくかが、
今、問われています。
若い世代の皆さん、
あなたたちが当たり前と感じる日常、
例えば、
お母さんの優しい手、お父さんの温かいまなざし、
友だちとの会話、好きな人の笑顔…。
そのすべてを奪い去ってしまうのが戦争です。
戦争体験、被爆者の体験に、
ぜひ一度耳を傾けてみてください。
つらい経験を語ることは苦しいことです。
それでも語ってくれるのは、
未来の人たちを守りたいからだということを
知ってください。
長崎では、被爆者に代わって
子どもや孫の世代が
体験を語り伝える活動が始まっています。
焼け残った城山小学校の校舎などを
国の史跡として後世に残す活動も進んでいます。
若い世代の皆さん、
未来のために、
過去に向き合う一歩を踏み出してみませんか。
福島での原発事故から5年が経過しました。
長崎は、放射能による苦しみを体験した街として、
福島を応援し続けます。
日本政府には、
今なお原爆の後遺症に苦しむ
被爆者のさらなる援護の充実とともに、
被爆地域の拡大をはじめとする
被爆体験者の一日も早い
救済を強く求めます。
原子爆弾で亡くなられた方々に
心から追悼の意を捧さ)げ、
私たち長崎市民は、
世界の人々とともに、
核兵器廃絶と恒久平和の実現に
力を尽くすことを
ここに宣言します。
2016年(平成28年)8月9日
長崎市長 田上 富久
71年後の今日、長崎平和祈念式典が開かれ、そこで、
長崎市長から、世界に発せられた【平和宣言】です。
宣言の意味を、噛みしめたいと思います。
★ ★ ★ ★ ★
1945年8月9日午前11時2分、
米軍機が投下した一発の原子爆弾が、
上空でさく裂した瞬間、
長崎の街に猛烈な爆風と熱線が襲いかかりました。
あとには、
黒焦げの亡骸、
全身が焼けただれた人、
内臓が飛び出した人、
無数のガラス片が体に刺さり苦しむ人があふれ、
長崎は地獄と化しました。
原爆から放たれた放射線は人々の体を貫き、
そのために引き起こされる病気や障害は、
辛うじて生き残った人たちを
今も苦しめています。
核兵器は
人間を壊し続ける残酷な兵器なのです。
今年5月、
アメリカの現職大統領として初めて、
オバマ大統領が被爆地・広島を訪問しました。
大統領は、その行動によって、
自分の目と、耳と、心で感じることの大切さを
世界に示しました。
核兵器保有国をはじめとする
各国のリーダーの皆さん、
そして
世界中の皆さん。
長崎や広島に来てください。
原子雲の下で
人間に何が起きたのかを知ってください。
事実を知ること、
それこそが
核兵器のない未来を考えるスタートラインです。
今年、ジュネーブの国連欧州本部で、
核軍縮交渉を前進させる法的な枠組みについて
話し合う会議が開かれています。
法的な議論を行う場ができたことは、大きな前進です。
しかし、
まもなく結果がまとめられるこの会議に、
核兵器保有国は出席していません。
そして、
会議の中では、核兵器の抑止力に依存する国々と、
核兵器禁止の交渉開始を主張する国々との
対立が続いています。
このままでは、
核兵器廃絶への道筋を示すことができないまま、
会議が閉会してしまいます。
核兵器保有国のリーダーの皆さん、
今からでも遅くはありません。
この会議に出席し、議論に参加してください。
国連、各国政府及び国会、
NGOを含む市民社会に訴えます。
核兵器廃絶に向けて、法的な議論を行う場を
決して絶やしてはなりません。
今年秋の国連総会で、
核兵器のない世界の実現に向けた
法的な枠組みに関する協議と交渉の場を設けてください。
そして、
人類社会の一員として、
解決策を見出す努力を続けてください。
核兵器保有国では、
より高性能の核兵器に置き換える計画が進行中です。
このままでは
核兵器のない世界の実現がさらに遠のいてしまいます。
今こそ、
人類の未来を壊さないために、
持てる限りの「英知」を結集してください。
日本政府は、
核兵器廃絶を訴えながらも、
一方では
核抑止力に依存する立場をとっています。
この矛盾を超える方法として、
非核三原則の法制化とともに、
核抑止力に頼らない安全保障の枠組みである
「北東アジア非核兵器地帯」の創設を
検討してください。
核兵器の非人道性をよく
知る唯一の戦争被爆国として、
非核兵器地帯という
人類のひとつの「英知」を行動に移す
リーダーシップを発揮してください。
核兵器の歴史は、不信感の歴史です。
国同士の不信の中で、
より威力のある、より遠くに飛ぶ核兵器が
開発されてきました。
世界には未だに
1万5000発以上もの核兵器が存在し、
戦争、事故、テロなどにより、
使われる危険が続いています。
この流れを断ち切り、
不信のサイクルを
信頼のサイクルに転換するためにできることの
ひとつは、
粘り強く信頼を生み続けることです。
我が国は日本国憲法の平和の理念に基づき、
人道支援など、世界に貢献することで信頼を広げようと
努力してきました。
ふたたび戦争をしないために、
平和国家としての道を
これからも歩み続けなければなりません。
市民社会の一員である
私たち一人ひとりにも、できることがあります。
国を越えて人と交わることで、
言葉や文化、考え方の違いを理解し合い、
身近に信頼を生み出すことです。
オバマ大統領を
温かく迎えた広島市民の姿もそれを表しています。
市民社会の行動は、
一つひとつは小さく見えても、
国同士の信頼関係を築くための、
強くかけがえのない礎となります。
被爆から71年がたち、
被爆者の平均年齢は80歳を越えました。
世界が
「被爆者のいない時代」を迎える日が
少しずつ近づいています。
戦争、そして
戦争が生んだ被爆の体験をどう受け継いでいくかが、
今、問われています。
若い世代の皆さん、
あなたたちが当たり前と感じる日常、
例えば、
お母さんの優しい手、お父さんの温かいまなざし、
友だちとの会話、好きな人の笑顔…。
そのすべてを奪い去ってしまうのが戦争です。
戦争体験、被爆者の体験に、
ぜひ一度耳を傾けてみてください。
つらい経験を語ることは苦しいことです。
それでも語ってくれるのは、
未来の人たちを守りたいからだということを
知ってください。
長崎では、被爆者に代わって
子どもや孫の世代が
体験を語り伝える活動が始まっています。
焼け残った城山小学校の校舎などを
国の史跡として後世に残す活動も進んでいます。
若い世代の皆さん、
未来のために、
過去に向き合う一歩を踏み出してみませんか。
福島での原発事故から5年が経過しました。
長崎は、放射能による苦しみを体験した街として、
福島を応援し続けます。
日本政府には、
今なお原爆の後遺症に苦しむ
被爆者のさらなる援護の充実とともに、
被爆地域の拡大をはじめとする
被爆体験者の一日も早い
救済を強く求めます。
原子爆弾で亡くなられた方々に
心から追悼の意を捧さ)げ、
私たち長崎市民は、
世界の人々とともに、
核兵器廃絶と恒久平和の実現に
力を尽くすことを
ここに宣言します。
2016年(平成28年)8月9日
長崎市長 田上 富久
71年前の朝、8時15分、
広島の上空から、投下された原子爆弾が、
多くの人の命と生活を奪い、
戦後、多くの人の生活を苦しめました。
71年後の今朝、広島市で
平和記念式典が行われ、
その時、広島市長により出された「平和宣言」です。
【平和宣言】
1945年8月6日午前8時15分。
澄みきった青空を切り裂き、
かつて人類が経験したことのない
「絶対悪」が広島に放たれ、
一瞬のうちに街を焼き尽くしました。
朝鮮半島や、
中国、
東南アジアの人々、
米軍の捕虜などを含め、
子どもからお年寄りまで罪もない人々を殺りくし、
その年の暮れまでに14万もの尊い命を奪いました。
辛うじて生き延びた人々も、
放射線の障害に苦しみ、
就職や結婚の差別に遭い、
心身に負った深い傷は
今なお消えることがありません。
破壊し尽くされた広島は
美しく平和な街として生まれ変わりましたが、
あの日、
「絶対悪」に奪い去られた川辺の景色や暮らし、
歴史と共に育まれた
伝統文化は、二度と戻ることはないのです。
当時17歳の男性は
「真っ黒の焼死体が道路を塞(ふさ)ぎ、
異臭が鼻を衝き、
見渡す限り火の海の広島は生き地獄でした。」
と語ります。
当時18歳の女性は
「私は血だらけになり、
周りには背中の皮膚が足まで垂れ下がった人や、
水を求めて泣き叫ぶ人がいました
と振り返ります。
あれから71年、依然として世界には、
あの惨禍をもたらした
原子爆弾の威力をはるかに上回り、
地球そのものを破壊しかねない
1万5千発を超える核兵器が存在します。
核戦争や核爆発に至りかねない
数多くの事件や事故が明らかになり、
テロリストによる使用も懸念されています。
私たちは、この現実を前にしたとき、
生き地獄だと語った男性の
「これからの世界人類は、
命を尊び平和で幸福な人生を送るため、
皆で助け合っていきましょう。」という呼び掛け、
そして、血だらけになった女性の
「与えられた命を全うするため、
次の世代の人々は、
皆で核兵器はいらないと叫んでください。」
との訴えを受け止め、
更なる行動を起こさなければなりません。
そして、多様な価値観を認め合いながら、
「共に生きる」世界を目指し
努力を重ねなければなりません。
今年5月、
原爆投下国の現職大統領として初めて広島を訪問した
オバマ大統領は、
「私自身の国と同様、核を保有する国々は、
恐怖の論理から逃れ、
核兵器のない世界を追求する
勇気を持たなければならない。」と訴えました。
それは、被爆者の
「こんな思いを他の誰にもさせてはならない」
という心からの叫びを受け止め、
今なお存在し続ける核兵器の
廃絶に立ち向かう「情熱」を、
米国をはじめ世界の人々に示すものでした。
そして、あの「絶対悪」を許さないという
ヒロシマの思いが
オバマ大統領に届いたことの証しでした。
今こそ、私たちは、
非人道性の極みである「絶対悪」を
この世から消し去る道筋をつけるため
にヒロシマの思いを基に、
「情熱」を持って「連帯」し、
行動を起こすべきではないでしょうか。
今年、G7の外相が初めて広島に集い、
核兵器を持つ国、持たない国という立場を超えて
世界の為政者に広島・長崎訪問を呼び掛け、
包括的核実験禁止条約の早期発効や
核不拡散条約に基づく核軍縮交渉
義務を果たすことを求める宣言を発表しました。
これは、正に「連帯」に向けた一歩です。
為政者には、
こうした「連帯」をより強固なものとし、
信頼と対話による安全保障の仕組みづくりに、
「情熱」を持って臨んでもらわなければなりません。
そのため、各国の為政者に、
改めて被爆地を訪問するよう要請します。
その訪問は、オバマ大統領が広島で示したように、
必ずや、被爆の実相を心に刻み、
被爆者の痛みや悲しみを共有した上での
決意表明につながるものと確信しています。
被爆者の平均年齢は80歳を超え、
自らの体験を生の声で語る時間は
少なくなっています。
未来に向けて被爆者の思いや言葉を伝え、広めていくには、
若い世代の皆さんの力も必要です。
世界の7千を超える都市で構成する平和首長会議は、
世界の各地域では20を超えるリーダー都市が、
また、世界規模では広島・長崎が中心となって、
若者の交流を促進します。
そして、
若い世代が核兵器廃絶に立ち向かうための思いを共有し、
具体的な行動を開始できるようにしていきます。
この広島の地で
「核兵器のない世界を必ず実現する」
との決意を表明した安倍首相には、
オバマ大統領と共に
リーダーシップを発揮することを期待します。
核兵器のない世界は、
日本国憲法が掲げる崇高な平和主義を体現する世界でもあり、
その実現を確実なものとするためには
核兵器禁止の法的枠組みが不可欠となります。
また、日本政府には、
平均年齢が80歳を超えた被爆者をはじめ、
放射線の影響により
心身に苦しみを抱える多くの人々の苦悩に寄り添い、
その支援策を充実するとともに、
「黒い雨降雨地域」を拡大するよう強く求めます。
私たちは、本日、思いを新たに、
原爆犠牲者の御霊に心からの哀悼の誠を捧げ、
被爆地長崎と手を携え、世界の人々と共に、
核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向けて
力を尽くすことを誓います。
平成28年(2016年)8月6日
広島市長 松井 一實
71年前と言えば、私は2歳、
もの心付いた戦後の混乱期は
記憶にありますが
原爆投下に、ついては、戦後、様々聴く機会があって
広島市にも以後何度も訪れました。
私の小学生時代の恩師が、
広島原爆被爆者で、辛いご体験から、命と人を大切にを実践され、
私たち生徒を慈しまれ、私も悪戯小僧だったのですが、
優しく、粘り強く、指導して下さいました。
今、被爆者が高齢化して、
原爆、核兵器の恐怖が“風化”する危険が叫ばれています。
このブログでも、当時の被爆者も目撃談等を
次号以下に載せたいと思って居ますので、お読み下さい。m(_ _)m
広島の上空から、投下された原子爆弾が、
多くの人の命と生活を奪い、
戦後、多くの人の生活を苦しめました。
71年後の今朝、広島市で
平和記念式典が行われ、
その時、広島市長により出された「平和宣言」です。
【平和宣言】
1945年8月6日午前8時15分。
澄みきった青空を切り裂き、
かつて人類が経験したことのない
「絶対悪」が広島に放たれ、
一瞬のうちに街を焼き尽くしました。
朝鮮半島や、
中国、
東南アジアの人々、
米軍の捕虜などを含め、
子どもからお年寄りまで罪もない人々を殺りくし、
その年の暮れまでに14万もの尊い命を奪いました。
辛うじて生き延びた人々も、
放射線の障害に苦しみ、
就職や結婚の差別に遭い、
心身に負った深い傷は
今なお消えることがありません。
破壊し尽くされた広島は
美しく平和な街として生まれ変わりましたが、
あの日、
「絶対悪」に奪い去られた川辺の景色や暮らし、
歴史と共に育まれた
伝統文化は、二度と戻ることはないのです。
当時17歳の男性は
「真っ黒の焼死体が道路を塞(ふさ)ぎ、
異臭が鼻を衝き、
見渡す限り火の海の広島は生き地獄でした。」
と語ります。
当時18歳の女性は
「私は血だらけになり、
周りには背中の皮膚が足まで垂れ下がった人や、
水を求めて泣き叫ぶ人がいました
と振り返ります。
あれから71年、依然として世界には、
あの惨禍をもたらした
原子爆弾の威力をはるかに上回り、
地球そのものを破壊しかねない
1万5千発を超える核兵器が存在します。
核戦争や核爆発に至りかねない
数多くの事件や事故が明らかになり、
テロリストによる使用も懸念されています。
私たちは、この現実を前にしたとき、
生き地獄だと語った男性の
「これからの世界人類は、
命を尊び平和で幸福な人生を送るため、
皆で助け合っていきましょう。」という呼び掛け、
そして、血だらけになった女性の
「与えられた命を全うするため、
次の世代の人々は、
皆で核兵器はいらないと叫んでください。」
との訴えを受け止め、
更なる行動を起こさなければなりません。
そして、多様な価値観を認め合いながら、
「共に生きる」世界を目指し
努力を重ねなければなりません。
今年5月、
原爆投下国の現職大統領として初めて広島を訪問した
オバマ大統領は、
「私自身の国と同様、核を保有する国々は、
恐怖の論理から逃れ、
核兵器のない世界を追求する
勇気を持たなければならない。」と訴えました。
それは、被爆者の
「こんな思いを他の誰にもさせてはならない」
という心からの叫びを受け止め、
今なお存在し続ける核兵器の
廃絶に立ち向かう「情熱」を、
米国をはじめ世界の人々に示すものでした。
そして、あの「絶対悪」を許さないという
ヒロシマの思いが
オバマ大統領に届いたことの証しでした。
今こそ、私たちは、
非人道性の極みである「絶対悪」を
この世から消し去る道筋をつけるため
にヒロシマの思いを基に、
「情熱」を持って「連帯」し、
行動を起こすべきではないでしょうか。
今年、G7の外相が初めて広島に集い、
核兵器を持つ国、持たない国という立場を超えて
世界の為政者に広島・長崎訪問を呼び掛け、
包括的核実験禁止条約の早期発効や
核不拡散条約に基づく核軍縮交渉
義務を果たすことを求める宣言を発表しました。
これは、正に「連帯」に向けた一歩です。
為政者には、
こうした「連帯」をより強固なものとし、
信頼と対話による安全保障の仕組みづくりに、
「情熱」を持って臨んでもらわなければなりません。
そのため、各国の為政者に、
改めて被爆地を訪問するよう要請します。
その訪問は、オバマ大統領が広島で示したように、
必ずや、被爆の実相を心に刻み、
被爆者の痛みや悲しみを共有した上での
決意表明につながるものと確信しています。
被爆者の平均年齢は80歳を超え、
自らの体験を生の声で語る時間は
少なくなっています。
未来に向けて被爆者の思いや言葉を伝え、広めていくには、
若い世代の皆さんの力も必要です。
世界の7千を超える都市で構成する平和首長会議は、
世界の各地域では20を超えるリーダー都市が、
また、世界規模では広島・長崎が中心となって、
若者の交流を促進します。
そして、
若い世代が核兵器廃絶に立ち向かうための思いを共有し、
具体的な行動を開始できるようにしていきます。
この広島の地で
「核兵器のない世界を必ず実現する」
との決意を表明した安倍首相には、
オバマ大統領と共に
リーダーシップを発揮することを期待します。
核兵器のない世界は、
日本国憲法が掲げる崇高な平和主義を体現する世界でもあり、
その実現を確実なものとするためには
核兵器禁止の法的枠組みが不可欠となります。
また、日本政府には、
平均年齢が80歳を超えた被爆者をはじめ、
放射線の影響により
心身に苦しみを抱える多くの人々の苦悩に寄り添い、
その支援策を充実するとともに、
「黒い雨降雨地域」を拡大するよう強く求めます。
私たちは、本日、思いを新たに、
原爆犠牲者の御霊に心からの哀悼の誠を捧げ、
被爆地長崎と手を携え、世界の人々と共に、
核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向けて
力を尽くすことを誓います。
平成28年(2016年)8月6日
広島市長 松井 一實
71年前と言えば、私は2歳、
もの心付いた戦後の混乱期は
記憶にありますが
原爆投下に、ついては、戦後、様々聴く機会があって
広島市にも以後何度も訪れました。
私の小学生時代の恩師が、
広島原爆被爆者で、辛いご体験から、命と人を大切にを実践され、
私たち生徒を慈しまれ、私も悪戯小僧だったのですが、
優しく、粘り強く、指導して下さいました。
今、被爆者が高齢化して、
原爆、核兵器の恐怖が“風化”する危険が叫ばれています。
このブログでも、当時の被爆者も目撃談等を
次号以下に載せたいと思って居ますので、お読み下さい。m(_ _)m
71年前の8月6日、私は2歳の赤ちゃんでした。
広島には、何度も行ったことがあるし、
私の恩師も、原爆の被爆者です。
原爆を落とされた広島へ、
米国オバマ大統領が訪問し、
原爆資料館で惨状を目の当たりにし、
原爆被災者慰霊碑の前で、スピーチをしました。
米国大統領の広島訪問には、
いろいろな評価があると思いますが、まずは、
じっくりと、スピーチの内容を噛みしめたい、と思います。
オバマ大統領
広島と長崎が教えてくれたのです
71年前の明るく晴れ渡った朝、空から死神が舞い降り、世界は一変しました。閃光と火の玉がこの街を破壊し、人類が自らを破滅に導く手段を手にしたことがはっきりと示されたのです。
なぜ私たちはここ、広島に来たのでしょうか?
私たちは、それほど遠くないある過去に恐ろしい力が解き放たれたことに思いをはせるため、ここにやって来ました。
私たちは、10万人を超える日本の男性、女性、そして子供、数多くの朝鮮の人々、10人ほどのアメリカ人捕虜を含む死者を悼むため、ここにやって来ました。
彼らの魂が、私たちに語りかけています。彼らは、自分たちが一体何者なのか、そして自分たちがどうなったのかを振り返るため、本質を見るように求めています。
広島だけが際立って戦争を象徴するものではありません。遺物を見れば、暴力的な衝突は人類の歴史が始まった頃からあったことがわかります。フリント(編注・岩石の一種)から刃を、木から槍を作るようになった私たちの初期の祖先は、それらの道具を狩りのためだけでなく、自分たちの同類に対して使ったのです。
どの大陸でも、文明の歴史は戦争で満ちています。戦争は食糧不足、あるいは富への渇望から引き起こされ、民族主義者の熱狂や宗教的な熱意でやむなく起きてしまいます。
多くの帝国が勃興と衰退を繰り返しました。多くの人間が隷属と解放を繰り返しました。そして、それぞれの歴史の節目で、罪のない多くの人たちが、数えきれないほどの犠牲者を生んだこと、そして時が経つに連れて自分たちの名前が忘れ去られたことに苦しめられました。
広島と長崎で残酷な終焉へと行き着いた第二次世界大戦は、最も裕福で、もっとも強大な国家たちの間で戦われました。そうした国の文明は、世界に大都市と優れた芸術をもたらしました。そうした国の頭脳たちは、正義、調和、真実に関する先進的な思想を持っていました。にもかかわらず、支配欲あるいは征服欲といった衝動と同じ衝動から、戦争が生まれたのです。そのような衝動が、極めて単純な部族間同士の衝突を引き起こし、新たな能力によって増幅され、新たな制限のないお決まりのパターンを生んでしまったのです。
数年の間に、およそ6000万人もの人たちが亡くなりました。男性、女性、子供、私たちと何ら違いのない人たちがです。射殺され、撲殺され、行進させられて殺され、爆撃で殺され、獄中で殺され、餓死させられ、毒ガスで殺されました。世界中に、この戦争を記録する場所が数多くあります。それは勇気や勇敢な行動を綴った記念碑、言葉では言い表せないような卑劣な行為の名残でもある墓地や空っぽの収容所といったものです。
しかし、この空に立ち上ったキノコ雲の映像を見た時、私たちは人間の中核に矛盾があることを非常にくっきりとした形で思い起こすのです。
私たちの思考、想像力、言語、道具を作る能力、そして人間の本質と切り離して自分たちを定めたり、自分たちの意志に応じてそうした本質を曲げたりする能力といったものを私たちが人類として際立たせること――まさにそうしたことも類を見ない破滅をもたらすような能力を私たちに与えられることによって、どれだけ悲劇をもたらす誘発剤となってしまうか。
物質的な進歩、あるいは社会的な革新によって、どれだけ私たちはこうした真実が見えなくなってしまうのか。
より高い信念という名の下、どれだけ安易に私たちは暴力を正当化してしまうようになるのか。
どの偉大な宗教も、愛や平和、正義への道を約束します。にもかかわらず、信仰こそ殺人許可証であると主張する信者たちから免れられないのです。
科学によって私たちはいろいろなコミュニケーションをとります。空を飛び、病気を治し、科学によって宇宙を理解しようとします。そのような科学が、効率的な殺人の道具となってしまうこともあります。
現代の社会は、私たちに真理を教えています。広島は私たちにこの真理を伝えています。技術の進歩が、人類の制度と一緒に発展しなければならないということを。科学的な革命によって色々な文明が生まれ、そして消えてゆきました。だからこそいま、私たちはここに立っているのです。
私たちは今、この広島の真ん中に立ち、原爆が落とされた時に思いを馳せています。子供たちの苦しみを思い起こします。子供たちが目にしたこと、そして声なき叫び声に耳を傾けます。私たちは罪のない人々が、むごい戦争によって殺されたことを記憶します。これまでの戦争、そしてこれからの戦争の犠牲者に思いを馳せます。
言葉だけで、そのような苦しみに声を与えるものではありません。しかし私たちには共有の責任があります。私たちは、歴史を真っ向から見据えなけれなりません。そして、尋ねるのです。我々は、一体これから何を変えなければならないのか。そのような苦しみを繰り返さないためにはどうしたらいいのかを自問しなくてはなりません。
いつの日か、被爆者の声も消えていくことになるでしょう。しかし「1945年8月6日の苦しみ」というものは、決して消えるものではありません。その記憶に拠って、私たちは慢心と戦わなければなりません。私たちの道徳的な想像力をかきたてるものとなるでしょう。そして、私たちに変化を促すものとなります。
あの運命の日以来、私たちは希望を与える選択をしてきました。
アメリカ合衆国そして日本は、同盟を作っただけではなく友情も育んできました。欧州では連合(EU)ができました。国々は、商業や民主主義で結ばれています。
国、または国民が解放を求めています。そして戦争を避けるための様々な制度や条約もできました。
制約をかけ、交代させ、ひいては核兵器を廃絶へと導くためのものであります。それにもかかわらず、世界中で目にする国家間の攻撃的な行動、テロ、腐敗、残虐行為、抑圧は、「私たちのやることに終わりはないのだ」ということを示しています。
私たちは、人類が悪事をおこなう能力を廃絶することはできないかもしれません。私たちは、自分自身を守るための道具を持たなければならないからです。しかし我が国を含む核保有国は、(他国から攻撃を受けるから核を持たなければいけないという)「恐怖の論理」から逃れる勇気を持つべきです。
私が生きている間にこの目的は達成できないかもしれません。しかし、その可能性を追い求めていきたいと思います。このような破壊をもたらすような核兵器の保有を減らし、この「死の道具」が狂信的な者たちに渡らないようにしなくてはなりません。
それだけでは十分ではありません。世界では、原始的な道具であっても、非常に大きな破壊をもたらすことがあります。私たちの心を変えなくてはなりません。戦争に対する考え方を変える必要があります。紛争を外交的手段で解決することが必要です。紛争を終わらせる努力をしなければなりません。
平和的な協力をしていくことが重要です。暴力的な競争をするべきではありません。私たちは、築きあげていかなければなりません。破壊をしてはならないのです。なによりも、私たちは互いのつながりを再び認識する必要があります。同じ人類の一員としての繋がりを再び確認する必要があります。つながりこそが人類を独自のものにしています。
私たち人類は、過去で過ちを犯しましたが、その過去から学ぶことができます。選択をすることができます。子供達に対して、別の道もあるのだと語ることができます。
人類の共通性、戦争が起こらない世界、残虐性を容易く受け入れない世界を作っていくことができます。物語は、被爆者の方たちが語ってくださっています。原爆を落としたパイロットに会った女性がいました。殺されたそのアメリカ人の家族に会った人たちもいました。アメリカの犠牲も、日本の犠牲も、同じ意味を持っています
アメリカという国の物語は、簡単な言葉で始まります。すべての人類は平等である。そして、生まれもった権利がある。生命の自由、幸福を希求する権利です。しかし、それを現実のものとするのはアメリカ国内であっても、アメリカ人であっても決して簡単ではありません。
しかしその物語は、真実であるということが非常に重要です。努力を怠ってはならない理想であり、すべての国に必要なものです。すべての人がやっていくべきことです。すべての人命は、かけがえのないものです。私たちは「一つの家族の一部である」という考え方です。これこそが、私たちが伝えていかなくてはならない物語です。
だからこそ私たちは、広島に来たのです。そして、私たちが愛している人たちのことを考えます。たとえば、朝起きてすぐの子供達の笑顔、愛する人とのキッチンテーブルを挟んだ優しい触れ合い、両親からの優しい抱擁、そういった素晴らしい瞬間が71年前のこの場所にもあったのだということを考えることができます。
亡くなった方々は、私たちとの全く変わらない人たちです。多くの人々がそういったことが理解できると思います。もはやこれ以上、私たちは戦争は望んでいません。科学をもっと、人生を充実させることに使ってほしいと考えています。
国家や国家のリーダーが選択をするとき、また反省するとき、そのための知恵が広島から得られるでしょう。
世界はこの広島によって一変しました。しかし今日、広島の子供達は平和な日々を生きています。なんと貴重なことでしょうか。この生活は、守る価値があります。それを全ての子供達に広げていく必要があります。この未来こそ、私たちが選択する未来です。未来において広島と長崎は、核戦争の夜明けではなく、私たちの道義的な目覚めの地として知られることでしょう。
広島には、何度も行ったことがあるし、
私の恩師も、原爆の被爆者です。
原爆を落とされた広島へ、
米国オバマ大統領が訪問し、
原爆資料館で惨状を目の当たりにし、
原爆被災者慰霊碑の前で、スピーチをしました。
米国大統領の広島訪問には、
いろいろな評価があると思いますが、まずは、
じっくりと、スピーチの内容を噛みしめたい、と思います。
オバマ大統領
広島と長崎が教えてくれたのです
71年前の明るく晴れ渡った朝、空から死神が舞い降り、世界は一変しました。閃光と火の玉がこの街を破壊し、人類が自らを破滅に導く手段を手にしたことがはっきりと示されたのです。
なぜ私たちはここ、広島に来たのでしょうか?
私たちは、それほど遠くないある過去に恐ろしい力が解き放たれたことに思いをはせるため、ここにやって来ました。
私たちは、10万人を超える日本の男性、女性、そして子供、数多くの朝鮮の人々、10人ほどのアメリカ人捕虜を含む死者を悼むため、ここにやって来ました。
彼らの魂が、私たちに語りかけています。彼らは、自分たちが一体何者なのか、そして自分たちがどうなったのかを振り返るため、本質を見るように求めています。
広島だけが際立って戦争を象徴するものではありません。遺物を見れば、暴力的な衝突は人類の歴史が始まった頃からあったことがわかります。フリント(編注・岩石の一種)から刃を、木から槍を作るようになった私たちの初期の祖先は、それらの道具を狩りのためだけでなく、自分たちの同類に対して使ったのです。
どの大陸でも、文明の歴史は戦争で満ちています。戦争は食糧不足、あるいは富への渇望から引き起こされ、民族主義者の熱狂や宗教的な熱意でやむなく起きてしまいます。
多くの帝国が勃興と衰退を繰り返しました。多くの人間が隷属と解放を繰り返しました。そして、それぞれの歴史の節目で、罪のない多くの人たちが、数えきれないほどの犠牲者を生んだこと、そして時が経つに連れて自分たちの名前が忘れ去られたことに苦しめられました。
広島と長崎で残酷な終焉へと行き着いた第二次世界大戦は、最も裕福で、もっとも強大な国家たちの間で戦われました。そうした国の文明は、世界に大都市と優れた芸術をもたらしました。そうした国の頭脳たちは、正義、調和、真実に関する先進的な思想を持っていました。にもかかわらず、支配欲あるいは征服欲といった衝動と同じ衝動から、戦争が生まれたのです。そのような衝動が、極めて単純な部族間同士の衝突を引き起こし、新たな能力によって増幅され、新たな制限のないお決まりのパターンを生んでしまったのです。
数年の間に、およそ6000万人もの人たちが亡くなりました。男性、女性、子供、私たちと何ら違いのない人たちがです。射殺され、撲殺され、行進させられて殺され、爆撃で殺され、獄中で殺され、餓死させられ、毒ガスで殺されました。世界中に、この戦争を記録する場所が数多くあります。それは勇気や勇敢な行動を綴った記念碑、言葉では言い表せないような卑劣な行為の名残でもある墓地や空っぽの収容所といったものです。
しかし、この空に立ち上ったキノコ雲の映像を見た時、私たちは人間の中核に矛盾があることを非常にくっきりとした形で思い起こすのです。
私たちの思考、想像力、言語、道具を作る能力、そして人間の本質と切り離して自分たちを定めたり、自分たちの意志に応じてそうした本質を曲げたりする能力といったものを私たちが人類として際立たせること――まさにそうしたことも類を見ない破滅をもたらすような能力を私たちに与えられることによって、どれだけ悲劇をもたらす誘発剤となってしまうか。
物質的な進歩、あるいは社会的な革新によって、どれだけ私たちはこうした真実が見えなくなってしまうのか。
より高い信念という名の下、どれだけ安易に私たちは暴力を正当化してしまうようになるのか。
どの偉大な宗教も、愛や平和、正義への道を約束します。にもかかわらず、信仰こそ殺人許可証であると主張する信者たちから免れられないのです。
科学によって私たちはいろいろなコミュニケーションをとります。空を飛び、病気を治し、科学によって宇宙を理解しようとします。そのような科学が、効率的な殺人の道具となってしまうこともあります。
現代の社会は、私たちに真理を教えています。広島は私たちにこの真理を伝えています。技術の進歩が、人類の制度と一緒に発展しなければならないということを。科学的な革命によって色々な文明が生まれ、そして消えてゆきました。だからこそいま、私たちはここに立っているのです。
私たちは今、この広島の真ん中に立ち、原爆が落とされた時に思いを馳せています。子供たちの苦しみを思い起こします。子供たちが目にしたこと、そして声なき叫び声に耳を傾けます。私たちは罪のない人々が、むごい戦争によって殺されたことを記憶します。これまでの戦争、そしてこれからの戦争の犠牲者に思いを馳せます。
言葉だけで、そのような苦しみに声を与えるものではありません。しかし私たちには共有の責任があります。私たちは、歴史を真っ向から見据えなけれなりません。そして、尋ねるのです。我々は、一体これから何を変えなければならないのか。そのような苦しみを繰り返さないためにはどうしたらいいのかを自問しなくてはなりません。
いつの日か、被爆者の声も消えていくことになるでしょう。しかし「1945年8月6日の苦しみ」というものは、決して消えるものではありません。その記憶に拠って、私たちは慢心と戦わなければなりません。私たちの道徳的な想像力をかきたてるものとなるでしょう。そして、私たちに変化を促すものとなります。
あの運命の日以来、私たちは希望を与える選択をしてきました。
アメリカ合衆国そして日本は、同盟を作っただけではなく友情も育んできました。欧州では連合(EU)ができました。国々は、商業や民主主義で結ばれています。
国、または国民が解放を求めています。そして戦争を避けるための様々な制度や条約もできました。
制約をかけ、交代させ、ひいては核兵器を廃絶へと導くためのものであります。それにもかかわらず、世界中で目にする国家間の攻撃的な行動、テロ、腐敗、残虐行為、抑圧は、「私たちのやることに終わりはないのだ」ということを示しています。
私たちは、人類が悪事をおこなう能力を廃絶することはできないかもしれません。私たちは、自分自身を守るための道具を持たなければならないからです。しかし我が国を含む核保有国は、(他国から攻撃を受けるから核を持たなければいけないという)「恐怖の論理」から逃れる勇気を持つべきです。
私が生きている間にこの目的は達成できないかもしれません。しかし、その可能性を追い求めていきたいと思います。このような破壊をもたらすような核兵器の保有を減らし、この「死の道具」が狂信的な者たちに渡らないようにしなくてはなりません。
それだけでは十分ではありません。世界では、原始的な道具であっても、非常に大きな破壊をもたらすことがあります。私たちの心を変えなくてはなりません。戦争に対する考え方を変える必要があります。紛争を外交的手段で解決することが必要です。紛争を終わらせる努力をしなければなりません。
平和的な協力をしていくことが重要です。暴力的な競争をするべきではありません。私たちは、築きあげていかなければなりません。破壊をしてはならないのです。なによりも、私たちは互いのつながりを再び認識する必要があります。同じ人類の一員としての繋がりを再び確認する必要があります。つながりこそが人類を独自のものにしています。
私たち人類は、過去で過ちを犯しましたが、その過去から学ぶことができます。選択をすることができます。子供達に対して、別の道もあるのだと語ることができます。
人類の共通性、戦争が起こらない世界、残虐性を容易く受け入れない世界を作っていくことができます。物語は、被爆者の方たちが語ってくださっています。原爆を落としたパイロットに会った女性がいました。殺されたそのアメリカ人の家族に会った人たちもいました。アメリカの犠牲も、日本の犠牲も、同じ意味を持っています
アメリカという国の物語は、簡単な言葉で始まります。すべての人類は平等である。そして、生まれもった権利がある。生命の自由、幸福を希求する権利です。しかし、それを現実のものとするのはアメリカ国内であっても、アメリカ人であっても決して簡単ではありません。
しかしその物語は、真実であるということが非常に重要です。努力を怠ってはならない理想であり、すべての国に必要なものです。すべての人がやっていくべきことです。すべての人命は、かけがえのないものです。私たちは「一つの家族の一部である」という考え方です。これこそが、私たちが伝えていかなくてはならない物語です。
だからこそ私たちは、広島に来たのです。そして、私たちが愛している人たちのことを考えます。たとえば、朝起きてすぐの子供達の笑顔、愛する人とのキッチンテーブルを挟んだ優しい触れ合い、両親からの優しい抱擁、そういった素晴らしい瞬間が71年前のこの場所にもあったのだということを考えることができます。
亡くなった方々は、私たちとの全く変わらない人たちです。多くの人々がそういったことが理解できると思います。もはやこれ以上、私たちは戦争は望んでいません。科学をもっと、人生を充実させることに使ってほしいと考えています。
国家や国家のリーダーが選択をするとき、また反省するとき、そのための知恵が広島から得られるでしょう。
世界はこの広島によって一変しました。しかし今日、広島の子供達は平和な日々を生きています。なんと貴重なことでしょうか。この生活は、守る価値があります。それを全ての子供達に広げていく必要があります。この未来こそ、私たちが選択する未来です。未来において広島と長崎は、核戦争の夜明けではなく、私たちの道義的な目覚めの地として知られることでしょう。
反省しました。
あるネット倶楽部の
日記に
伊勢志摩サミットについて
詳しく載せておられる方が居て、
私も、サミットをもっと勉強しなきゃ~、
と反省し、
日記でご紹介のあった
このサイトをご紹介する次第です。m(_ _)m
http://www.g7ise-shimasummit.go.jp/summit/schedule.html
~~~~~~~~
ここで、私の願いを込めた
蛇足、下手な五行歌です。
未来の平和と安寧に、まず一歩、
為政者の饗宴ではなく、
世界の民一人一人に、
微笑みと日々安寧を届ける
どうか、どうか、政治家サンタさんに・・・
~~~~~~~~
今日、オバマ米大統領が、広島へ行かれます。
核兵器廃絶と戦争なき世界に向けて、
大きな一歩、と成りますよう
老爺の切なる願いが、実現しますよう・・・。m(_ _)m
あるネット倶楽部の
日記に
伊勢志摩サミットについて
詳しく載せておられる方が居て、
私も、サミットをもっと勉強しなきゃ~、
と反省し、
日記でご紹介のあった
このサイトをご紹介する次第です。m(_ _)m
http://www.g7ise-shimasummit.go.jp/summit/schedule.html
~~~~~~~~
ここで、私の願いを込めた
蛇足、下手な五行歌です。
未来の平和と安寧に、まず一歩、
為政者の饗宴ではなく、
世界の民一人一人に、
微笑みと日々安寧を届ける
どうか、どうか、政治家サンタさんに・・・
~~~~~~~~
今日、オバマ米大統領が、広島へ行かれます。
核兵器廃絶と戦争なき世界に向けて、
大きな一歩、と成りますよう
老爺の切なる願いが、実現しますよう・・・。m(_ _)m