昨6月23日は、
太平洋戦争の末期、
沖縄戦から78年の
「慰霊の日」を迎え、
各地で、平和への祈りが、捧げられました、
沖縄県のHP です。
https://www.pref.okinawa.jp/site/kodomo/hogoengo/engo/20230623_thuitousiki.html
慰霊祭を報じる
NHKNewsWeb です。
https://www3.nhk.or.jp/lnews/okinawa/20230623/5090023765.html
最後の激戦地となった
糸満市摩文仁の平和祈念公園では
早朝から遺族などが訪れ、
戦没者の名前が刻まれた
「平和の礎」の前で
花を手向けたり、手を合わせたりされていました。
平和祈念公園では、正午前から
沖縄県主催の戦没者追悼式が開かれました。
追悼式には岸田総理大臣や
沖縄県の玉城知事のほか、
4年ぶりに一般の人も参列しています。
今年は、旧日本軍に動員され、
戦後、
平和の尊さを訴えてきた元学徒が
相次いで亡くなっていて、
玉城知事は式で読み上げる「平和宣言」で
沖縄戦の教訓を次世代に伝える決意を示すとともに、
アジア太平洋地域で増す
緊張の緩和に向けて
外交と対話の必要性を訴えられました。
今も、戦火が、戦禍が、
世界のあちこちで、繰り広げられています。
戦争で犠牲に成るのは、民衆です。
命を落とした・奪われた人の無念、
に加えて
長く、その人生で
戦禍の後遺症に苦しむ人が
多く居られます。
世界の権力者諸氏、
己が思い込み・過ちで
長く、人々を不幸に陥れぬよう、
己の野心を"反省し、
長く、後世の平和・安寧への施策を打たれますよう、
強く、要求、お訴えしたいです。m(__)m 、
※ このブログで、
戦争と平和、について触れた号です。
クリックをお願いします。m(__)m
https://poeny.shiga-saku.net/search.php?csrf=a05674fa7ae147cc552422487962fc8fbfd71e21&search=%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%81%A8%E5%B9%B3%E5%92%8C
太平洋戦争の末期、
沖縄戦から78年の
「慰霊の日」を迎え、
各地で、平和への祈りが、捧げられました、
沖縄県のHP です。
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慰霊祭を報じる
NHKNewsWeb です。
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最後の激戦地となった
糸満市摩文仁の平和祈念公園では
早朝から遺族などが訪れ、
戦没者の名前が刻まれた
「平和の礎」の前で
花を手向けたり、手を合わせたりされていました。
平和祈念公園では、正午前から
沖縄県主催の戦没者追悼式が開かれました。
追悼式には岸田総理大臣や
沖縄県の玉城知事のほか、
4年ぶりに一般の人も参列しています。
今年は、旧日本軍に動員され、
戦後、
平和の尊さを訴えてきた元学徒が
相次いで亡くなっていて、
玉城知事は式で読み上げる「平和宣言」で
沖縄戦の教訓を次世代に伝える決意を示すとともに、
アジア太平洋地域で増す
緊張の緩和に向けて
外交と対話の必要性を訴えられました。
今も、戦火が、戦禍が、
世界のあちこちで、繰り広げられています。
戦争で犠牲に成るのは、民衆です。
命を落とした・奪われた人の無念、
に加えて
長く、その人生で
戦禍の後遺症に苦しむ人が
多く居られます。
世界の権力者諸氏、
己が思い込み・過ちで
長く、人々を不幸に陥れぬよう、
己の野心を"反省し、
長く、後世の平和・安寧への施策を打たれますよう、
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テレビで、楽しみにしつつ、
私には、伴走は無理やなぁ!
と、思ってた番組
森脇健二さんの「走る男」、
今朝は、いよいよ、沖縄県に、渡られました。
心配は、沖縄県各地を
走られて、後、
番組は、終わってしまうのだろうか・・・?!
森脇健児さんと
スタッフさんの、熱い情熱に、支えられて、
この番組で
森脇さんは、健脚を、駆使されてました。
この番組は、
日本列島各地の情況、
そして、各地で、
応援走をされた人々の笑顔・思い・・・・・・
私も、今度、滋賀県を
森脇健児さんが、走られたら、
私も、伴走しようかな・・・?!
と、夢想していましたが、
まぁ、今の私の実力では、
50mを転けずに走るのが、精一杯デス。
夢うつつ・うつつ、の夢想人の、私の淡夢デス
。
※ このブログで、
健康情報、について触れた号です。
クリックをお願いします。m(__)m
https://poeny.shiga-saku.net/search.php?csrf=ba9b1773d5533263c6e454487a1d1ca273018c9c&search=%E5%81%A5%E5%BA%B7%E6%83%85%E5%A0%B1
私には、伴走は無理やなぁ!
と、思ってた番組
森脇健二さんの「走る男」、
今朝は、いよいよ、沖縄県に、渡られました。
心配は、沖縄県各地を
走られて、後、
番組は、終わってしまうのだろうか・・・?!
森脇健児さんと
スタッフさんの、熱い情熱に、支えられて、
この番組で
森脇さんは、健脚を、駆使されてました。
この番組は、
日本列島各地の情況、
そして、各地で、
応援走をされた人々の笑顔・思い・・・・・・
私も、今度、滋賀県を
森脇健児さんが、走られたら、
私も、伴走しようかな・・・?!
と、夢想していましたが、
まぁ、今の私の実力では、
50mを転けずに走るのが、精一杯デス。
夢うつつ・うつつ、の夢想人の、私の淡夢デス

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本日、沖縄県は
本土復帰50周年を
迎えました。
それを記念して
午後2時から、
沖縄コンペンションセンター
(沖縄県宜野湾市真志喜)で。
沖縄の本土復帰50周年の
式典が行われました。
それについての、
沖縄県HP です。
https://www.pref.okinawa.lg.jp/site/chijiko/hisho/okinawa50hukkisikiten.html
そして、
内閣府のHP特設サイト です。
https://www.okinawahukki50.go.jp/
太平洋戦争後
1945(昭和20)年から、
日本は、米国中心の連合国軍に
占領され、
1952(昭和27)年の
サンフランシスコ講和条約発効で、
主権を回復しましたが、
沖縄、奄美群島、小笠原諸島は、
米国統治下に置かれ、
日本の施政県下に復帰したのが
72年5月15日でした。
以後、住民人権や自治権は制限され、
強制的に住民の土地が、
米軍基地として接収され、
沖縄は、安全保障の要地として、
以後、沖縄は長く、
米軍基地配備に伴う、
諸問題を抱えて来ました。
私は、以前、ブログ仲間さんと、
沖縄を訪問し、
米軍基地に伴う多くの負担状況を
目撃しました。
ですが、いつもは、
関心はありつつ、
平素の生活に追われて
県外で、切迫感の乏しい私です。
改めて、今日の
50周年式典を考えたく、
アップさせて下さい。m(__)m
※ このブログで、
沖縄、に触れた号です。
クリックをお願いします。m(__)m
https://poeny.shiga-saku.net/search.php?csrf=555abc3ab297b3c21ccb0d1e63575b3b873c1127&search=%E6%B2%96%E7%B8%84
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本土復帰50周年を
迎えました。
それを記念して
午後2時から、
沖縄コンペンションセンター
(沖縄県宜野湾市真志喜)で。
沖縄の本土復帰50周年の
式典が行われました。
それについての、
沖縄県HP です。
https://www.pref.okinawa.lg.jp/site/chijiko/hisho/okinawa50hukkisikiten.html
そして、
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太平洋戦争後
1945(昭和20)年から、
日本は、米国中心の連合国軍に
占領され、
1952(昭和27)年の
サンフランシスコ講和条約発効で、
主権を回復しましたが、
沖縄、奄美群島、小笠原諸島は、
米国統治下に置かれ、
日本の施政県下に復帰したのが
72年5月15日でした。
以後、住民人権や自治権は制限され、
強制的に住民の土地が、
米軍基地として接収され、
沖縄は、安全保障の要地として、
以後、沖縄は長く、
米軍基地配備に伴う、
諸問題を抱えて来ました。
私は、以前、ブログ仲間さんと、
沖縄を訪問し、
米軍基地に伴う多くの負担状況を
目撃しました。
ですが、いつもは、
関心はありつつ、
平素の生活に追われて
県外で、切迫感の乏しい私です。
改めて、今日の
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今日、6月23日は、
沖縄県戦没者を追悼する日です。
そこで、
琉球新報DIGITAL版 です。
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1342620.html
まず、
沖縄県玉城デニー知事の平和宣言 です。
【全文】平和宣言(玉城デニー沖縄県知事)2021年度沖縄全戦没者追悼式
2021年6月23日 12:30
平和宣言 (要旨)
太平洋戦争最後の熾烈(しれつ)な地上戦が行われてから、76年目の 6月23日を迎えました。
荒れ狂う戦火は、20万人余りの尊い命を奪い去り、多くの 人々を傷つけ、かけがえのない文化遺産や美しい自然を破壊 しました。
私たちは、想像を絶する悲惨な沖縄戦の記憶を風化させることなく、亡くなられた方々の悲しみや苦しみに思いを寄せ、無念の声を代弁する戦争体験者の証言を後世に語り継 ぎ、平和がいかに尊いものかという人類普遍の教訓を胸に刻み、恒久平和の実現を強く求めながら、復興と発展の道を懸命に歩んでまいりました。
しかしながら、今もなおここ摩文仁を始め県土の各地には、犠牲になられた方々の御遺骨や多くの不発弾が埋もれており、戦争の傷は未だ癒えることがありません。
県民の思いに寄り添い、国の責任において一日も早い御遺骨の収集、不発弾の処理を行っていただきたいと思います。
また、国土面積の約0.6パーセントの沖縄県に米軍専用施設面積の約70.3パーセントが集中し続けていることにより、 騒音、環境問題、米軍関係の事件・事故が後を絶たない状況にあります。
SACO合意から25年が経過し、この間、アジア太平洋地域の安全保障環境が大きく変化し、米軍は部隊の分散化を進 めていると承知しております。
このような中、沖縄県が来年本土復帰50年という大きな節目を迎えるに当たり、日米両政府は、県を含めた積極的な協議の場を作っていただき、辺野古新基地建設が唯一の解決策 という考えにとらわれることなく、「新たな在沖米軍の整理 ・縮小のためのロードマップ」の作成と、目に見える形で沖縄の過重な基地負担の解消を図っていただくことを要望しま す。
ここ沖縄は、世界自然遺産登録に向けた取組を進める「奇跡の森やんばる」と呼ばれる希少な動植物が多く生息・生育する地域や、個性豊かな自然あふれる離島地域など、多様性に富む自然環境を有しています。
未来を担う子どもたち、若者たちに、自然豊かな沖縄、独自の文化が息づく沖縄、平和で真に豊かな世界に誇れる沖縄を託すことが私たちの責務であります。
一方、世界に目を向けると、依然として地域紛争は絶える ことがなく、貧困、飢餓、差別、人権侵害などの多くの問題が存在しています。
「愛の反対は憎しみではなく無関心です」という言葉があります。世界中の人々が連帯し、多様性や価値観の違いを認め合い、対立や分断ではなく、協力して共に歩み、乗り越えていくことが、今求められています。
まさに現在、新型コロナウイルス感染症の脅威にさらされ ている中においては、人々の命と生活を支えるため世界が協力していかなければなりません。
グローバル化した現代において、平和な社会を創造するためには、近隣諸国との相互理解が欠かせません。私たちは、 時間や場所を越え平和への思い、安らかな暮らしへの思いを紡ぎ共に分かち合うことが可能です。困難な状況の今こそ英知を結集し、誰一人取り残すことのない社会の実現に向けて共に歩んでいくことが重要ではないでしょうか。
かつて沖縄の人々は、長い歴史の中で、祖先への敬い、自然への畏敬の念、他者の痛みに寄り添うチムグクルを育むとともに、近隣諸国との交易を通じて友好関係を結び、独自の文化と平和な社会を築いてきました。
私たちは、世界の国々をつなぐ架け橋として活躍した先人の「万国津梁」の精神を受け継ぎ、沖縄の歴史と風土の中で培われた平和を何よりも大切にする「沖縄のこころ・チムグクル」を世界に発信していかなければなりません。
そして、戦争を体験した全ての方々の思いに応え、二度と悲劇を繰り返さないため、戦争体験や教訓を次の世代に正しく伝えていくことは、私たちの大切な使命です。
県民の思いを込め世界の恒久平和の創造に貢献することを目指す沖縄平和賞、平和につながる身近な社会貢献活動に光を当てたちゅらうちな一草の根平和貢献賞などにより、平和のバトンは、様々な活動をとおして人々の手から手へ託されながら未来につながっていきます。
また、沖縄と同様、悲惨な戦争体験などを持つアジア諸国 の若者と沖縄の若者が共に学ぶことで、国籍や文化の違いを超えてつながり、培った平和への思いを共有し、遠く離れて いても、「平和への架け橋」となるネットワークを築いてお ります。
私たちは、沖縄から世界へ平和の輪がつながっていくことを目指し、核兵器の廃絶、戦争の放棄、恒久平和の確立のため不断の努力を続けてまいります。
私の独断で、文字に色を付けたり
大文字にしたりしましたが、
あの戦争の惨禍を忘れる事なく、
未来世代の人たちに、語り継ぐ一環として
このブログでも、
アップさせて下さい。
中学生の少女の詩、
菅首相の言葉、等についても
次号以下
このブログでも、紹介させて
頂きたい、と思っています。
76年前、私は、2歳の赤子でした。
戦後学んだ、
日本国憲法の精神・・・
そして、以前、ブログ仲間さんと
沖縄を訪ねた時の思い出が
今も、鮮明に、よみがえります
。
※ このブログで、
沖縄、に触れた号です。
クリックをお願いします。m(__)m
https://poeny.shiga-saku.net/search.php?csrf=555abc3ab297b3c21ccb0d1e63575b3b873c1127&search=%E6%B2%96%E7%B8%84
※ このブログで、
平和主義、に触れた号です。
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沖縄県戦没者を追悼する日です。
そこで、
琉球新報DIGITAL版 です。
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まず、
沖縄県玉城デニー知事の平和宣言 です。
【全文】平和宣言(玉城デニー沖縄県知事)2021年度沖縄全戦没者追悼式
2021年6月23日 12:30
平和宣言 (要旨)
太平洋戦争最後の熾烈(しれつ)な地上戦が行われてから、76年目の 6月23日を迎えました。
荒れ狂う戦火は、20万人余りの尊い命を奪い去り、多くの 人々を傷つけ、かけがえのない文化遺産や美しい自然を破壊 しました。
私たちは、想像を絶する悲惨な沖縄戦の記憶を風化させることなく、亡くなられた方々の悲しみや苦しみに思いを寄せ、無念の声を代弁する戦争体験者の証言を後世に語り継 ぎ、平和がいかに尊いものかという人類普遍の教訓を胸に刻み、恒久平和の実現を強く求めながら、復興と発展の道を懸命に歩んでまいりました。
しかしながら、今もなおここ摩文仁を始め県土の各地には、犠牲になられた方々の御遺骨や多くの不発弾が埋もれており、戦争の傷は未だ癒えることがありません。
県民の思いに寄り添い、国の責任において一日も早い御遺骨の収集、不発弾の処理を行っていただきたいと思います。
また、国土面積の約0.6パーセントの沖縄県に米軍専用施設面積の約70.3パーセントが集中し続けていることにより、 騒音、環境問題、米軍関係の事件・事故が後を絶たない状況にあります。
SACO合意から25年が経過し、この間、アジア太平洋地域の安全保障環境が大きく変化し、米軍は部隊の分散化を進 めていると承知しております。
このような中、沖縄県が来年本土復帰50年という大きな節目を迎えるに当たり、日米両政府は、県を含めた積極的な協議の場を作っていただき、辺野古新基地建設が唯一の解決策 という考えにとらわれることなく、「新たな在沖米軍の整理 ・縮小のためのロードマップ」の作成と、目に見える形で沖縄の過重な基地負担の解消を図っていただくことを要望しま す。
ここ沖縄は、世界自然遺産登録に向けた取組を進める「奇跡の森やんばる」と呼ばれる希少な動植物が多く生息・生育する地域や、個性豊かな自然あふれる離島地域など、多様性に富む自然環境を有しています。
未来を担う子どもたち、若者たちに、自然豊かな沖縄、独自の文化が息づく沖縄、平和で真に豊かな世界に誇れる沖縄を託すことが私たちの責務であります。
一方、世界に目を向けると、依然として地域紛争は絶える ことがなく、貧困、飢餓、差別、人権侵害などの多くの問題が存在しています。
「愛の反対は憎しみではなく無関心です」という言葉があります。世界中の人々が連帯し、多様性や価値観の違いを認め合い、対立や分断ではなく、協力して共に歩み、乗り越えていくことが、今求められています。
まさに現在、新型コロナウイルス感染症の脅威にさらされ ている中においては、人々の命と生活を支えるため世界が協力していかなければなりません。
グローバル化した現代において、平和な社会を創造するためには、近隣諸国との相互理解が欠かせません。私たちは、 時間や場所を越え平和への思い、安らかな暮らしへの思いを紡ぎ共に分かち合うことが可能です。困難な状況の今こそ英知を結集し、誰一人取り残すことのない社会の実現に向けて共に歩んでいくことが重要ではないでしょうか。
かつて沖縄の人々は、長い歴史の中で、祖先への敬い、自然への畏敬の念、他者の痛みに寄り添うチムグクルを育むとともに、近隣諸国との交易を通じて友好関係を結び、独自の文化と平和な社会を築いてきました。
私たちは、世界の国々をつなぐ架け橋として活躍した先人の「万国津梁」の精神を受け継ぎ、沖縄の歴史と風土の中で培われた平和を何よりも大切にする「沖縄のこころ・チムグクル」を世界に発信していかなければなりません。
そして、戦争を体験した全ての方々の思いに応え、二度と悲劇を繰り返さないため、戦争体験や教訓を次の世代に正しく伝えていくことは、私たちの大切な使命です。
県民の思いを込め世界の恒久平和の創造に貢献することを目指す沖縄平和賞、平和につながる身近な社会貢献活動に光を当てたちゅらうちな一草の根平和貢献賞などにより、平和のバトンは、様々な活動をとおして人々の手から手へ託されながら未来につながっていきます。
また、沖縄と同様、悲惨な戦争体験などを持つアジア諸国 の若者と沖縄の若者が共に学ぶことで、国籍や文化の違いを超えてつながり、培った平和への思いを共有し、遠く離れて いても、「平和への架け橋」となるネットワークを築いてお ります。
私たちは、沖縄から世界へ平和の輪がつながっていくことを目指し、核兵器の廃絶、戦争の放棄、恒久平和の確立のため不断の努力を続けてまいります。
私の独断で、文字に色を付けたり
大文字にしたりしましたが、
あの戦争の惨禍を忘れる事なく、
未来世代の人たちに、語り継ぐ一環として
このブログでも、
アップさせて下さい。
中学生の少女の詩、
菅首相の言葉、等についても
次号以下
このブログでも、紹介させて
頂きたい、と思っています。
76年前、私は、2歳の赤子でした。
戦後学んだ、
日本国憲法の精神・・・
そして、以前、ブログ仲間さんと
沖縄を訪ねた時の思い出が
今も、鮮明に、よみがえります

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辛い話題が多いので、
ぜひこの話題を
お届けしたいです
。
それは
84歳の女性お二人
那覇市の
宮里光子さん(84歳)と
米城恵子さん(84歳)が、
沖縄県立泊高校通信制過程の
卒業式に臨まれ
見事、卒業されました。
おめでとうございます。m(__)m
お二人は、1936年(昭和)生まれ、
私より、7年、先輩です。
お二人は、
幼少時に、戦争を体験され、
戦後は、物資や食糧が不足する中で、
苦労に、苦労を重ねて、
高校には、家庭の事情で行けず、
結婚後は、子育てや家事に忙殺されました。
そんなお二人が、
時をを経て、
一度きりの人生。
もう一度勉強したい!
と奮起!
勉学の志を立て、見事、見ン事、
81歳の時に、泊高校を受験し、合格、
級友や先生方の激励に応え、
見事、今般、卒業されました。
お二人の向学心!に感激、
これからの頑張りに、期待!
人生7年先輩お二人を“励まし”に、
私も、もう一度、向学心を取り戻して、
お二人に学びたい! お二人に“喝”を入れて頂きたい!
と、このブログにも記して、
長く、生き方を学びたい私です。
おめでとうございます。
そして、
有難うございます。m(__)m
ぜひこの話題を
お届けしたいです

それは
84歳の女性お二人
那覇市の
宮里光子さん(84歳)と
米城恵子さん(84歳)が、
沖縄県立泊高校通信制過程の
卒業式に臨まれ
見事、卒業されました。
おめでとうございます。m(__)m
お二人は、1936年(昭和)生まれ、
私より、7年、先輩です。
お二人は、
幼少時に、戦争を体験され、
戦後は、物資や食糧が不足する中で、
苦労に、苦労を重ねて、
高校には、家庭の事情で行けず、
結婚後は、子育てや家事に忙殺されました。
そんなお二人が、
時をを経て、
一度きりの人生。
もう一度勉強したい!
と奮起!
勉学の志を立て、見事、見ン事、
81歳の時に、泊高校を受験し、合格、
級友や先生方の激励に応え、
見事、今般、卒業されました。
お二人の向学心!に感激、
これからの頑張りに、期待!
人生7年先輩お二人を“励まし”に、
私も、もう一度、向学心を取り戻して、
お二人に学びたい! お二人に“喝”を入れて頂きたい!
と、このブログにも記して、
長く、生き方を学びたい私です。
おめでとうございます。
そして、
有難うございます。m(__)m