2015年12月16日
赤穂義士異聞、吉良上野介擁護論・・・!!!
今の時期は、
赤穂浪士の吉良邸討ち入り,
が、様々、クローズアップされる時期です。
私は、単純で、
子どもの頃から思春期にかけて、、
忠臣蔵の映画を見て感激し、
片岡千恵蔵、長谷川一夫、市川雷蔵さんの名演に心打たれ、
大人になってからも、兵庫県の赤穂の街へ行って、
その“義挙”に酔いしれ、浸って来ました。
しかし、ブログを発信して、
コメント氏さんのご意見等にも鍛えられ、
ものごとを、一面から見るコトの危険性についても
気付かされて来ました。
よく言われる、
日本人は、大勢の雰囲気に流されやすい気質。。。
それが、戦争をも翼賛することに繋がった、と思うのですが、
赤穂浪士のことについても、
今のテレビでも、一面からの捉え方が主流。
という平成の現況に鑑み、
ネットを検索して、
赤穂義士『異聞・異論』 を調べてみました。
例えば、
reports on history 雑学・事件の検証etc...レポート
http://ashigarutai.com/rekishikan_cyushingura.html
吉良上野介、擁護論
http://dic.pixiv.net/a/%E5%90%89%E8%89%AF%E4%B8%8A%E9%87%8E%E4%BB%8B
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7229511.html
勉強しようと思ってUPしました。
どのような、事象であれ。
前から、裏から、
横から、斜めから、下から、上から、
外から、中身から、
検証することは、大切だ!!!
と思いますので、
冬の夜長、じっくり勉強したいと思います。(>_<)
presented by
パッヘルベルによろしく http://news.nifty.com/cs/world/chinadetail/rcdc-20100305001/1.htm"> presented by 地球の名言 http://news.nifty.com/cs/world/chinadetail/rcdc-20100305001/1.htm
真夜中に、目が覚めて、今日は土曜日、楽しみの吉本新喜劇の舞台放送の日! 人生行路の意味を、噛み締めなくちゃ~~~~~!
高齢者の転倒骨折問題注意点をブログに載せてよろしいか?と医療法人様に問い合わせたら認めますとのご返信、有難うございます。
戦時中ネット通信に無縁の時期に生まれた私、ネット社会との付き合い方に、戸惑い、しかし興味ある高齢の私デス。
雨模様の今日、老人の生き方につての、素晴らしい、お医者様の動画に出会えました。有難うございます。頑張ります。
ネット音痴で知人に奇跡のブロガーと揶揄されてる私。暑くてウォーキングもできず、テレビと睨めっこ&ブログの脳内編集会議を!
吃驚!江藤農相は佐賀市の党県連で、私はコメを買ったことは無い。支援者に貰って売るほどあると講演、への思いに??デス。
高齢者の転倒骨折問題注意点をブログに載せてよろしいか?と医療法人様に問い合わせたら認めますとのご返信、有難うございます。
戦時中ネット通信に無縁の時期に生まれた私、ネット社会との付き合い方に、戸惑い、しかし興味ある高齢の私デス。
雨模様の今日、老人の生き方につての、素晴らしい、お医者様の動画に出会えました。有難うございます。頑張ります。
ネット音痴で知人に奇跡のブロガーと揶揄されてる私。暑くてウォーキングもできず、テレビと睨めっこ&ブログの脳内編集会議を!
吃驚!江藤農相は佐賀市の党県連で、私はコメを買ったことは無い。支援者に貰って売るほどあると講演、への思いに??デス。
この記事へのコメント
結局、徳川にとって、上級公家の吉良家が邪魔だった
三河時代には散々苦しめられ、徳川幕府になってもかつての威光を保ち、徳川より上に見られるケースもあった
徳川幕府になり、吉良家領地を潤していた矢作川の流れを、無理やり松平領の安城や碧南側へ改修し、吉良領地を弱体化もしている
吉良家は、矢作川の水運や塩田による利益で潤い、松平より裕福でもあった
なので、松の廊下事件を好機として、吉良家屋敷を、警護の薄い江戸城郭外に追放
松の廊下事件も、わざとキレやすい浅野を起用して、儀式情報を知らせず、吉良を怨むように仕向けてた
事件後も、密偵により浅野家臣の動きを知り、あるいは利用して、襲撃しやすいように仕向け
吉良を襲わせて、浅野家臣と共に、被害者なはずの吉良家も潰した
徳川幕府の計略だったのが、後ろにあるとか
浅野家も、尾張織田時代からの名家
尾張と三河の大家を二つ同時に潰せたのは、徳川にとって好都合でしょう
徳川幕府初期には、関ケ原や大坂では味方だった豊臣恩顧の家系も、難癖つけて改易し弱体化させたし
ただ、こうした歴史に善悪論は関係なく
そうやって徳川家安泰を保持した政略の巧みさを、頭に入れとくだけで良いでしょう
三河時代には散々苦しめられ、徳川幕府になってもかつての威光を保ち、徳川より上に見られるケースもあった
徳川幕府になり、吉良家領地を潤していた矢作川の流れを、無理やり松平領の安城や碧南側へ改修し、吉良領地を弱体化もしている
吉良家は、矢作川の水運や塩田による利益で潤い、松平より裕福でもあった
なので、松の廊下事件を好機として、吉良家屋敷を、警護の薄い江戸城郭外に追放
松の廊下事件も、わざとキレやすい浅野を起用して、儀式情報を知らせず、吉良を怨むように仕向けてた
事件後も、密偵により浅野家臣の動きを知り、あるいは利用して、襲撃しやすいように仕向け
吉良を襲わせて、浅野家臣と共に、被害者なはずの吉良家も潰した
徳川幕府の計略だったのが、後ろにあるとか
浅野家も、尾張織田時代からの名家
尾張と三河の大家を二つ同時に潰せたのは、徳川にとって好都合でしょう
徳川幕府初期には、関ケ原や大坂では味方だった豊臣恩顧の家系も、難癖つけて改易し弱体化させたし
ただ、こうした歴史に善悪論は関係なく
そうやって徳川家安泰を保持した政略の巧みさを、頭に入れとくだけで良いでしょう
Posted by いつもの奴 at 2015年12月16日 13:03
いつもの奴さん
有難うございます。
お説を戴き、さらに私の勉強の糧にしたい、と思います。
権力の手練手管、それを見抜く眼を持たないと、危険な方向に引っ張られたり、頭を呆けさせられますね。
さらに、勉強していきたい、と思います。
有難うございます。
お説を戴き、さらに私の勉強の糧にしたい、と思います。
権力の手練手管、それを見抜く眼を持たないと、危険な方向に引っ張られたり、頭を呆けさせられますね。
さらに、勉強していきたい、と思います。
Posted by 夢想花
at 2015年12月17日 00:27

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